幕間 兄妹の冒険 Ⅴ
俺に戦闘経験なんてあるはずもない。
学校で喧嘩の一つや二つ程度ならあったりもしたが、それだけだ。
不幸中の幸いは棒術もどきを爺ちゃんに教わったぐらいで、それも基本的には自衛のためのもの。
野生動物を追い払うためのものであって、武術と言えるようなものではないのだ。
「まあ、骸骨程度ならどうにかなるだろ。コイツ動きがやたらと遅いし」
「あれの名前はスケルトンが一般的だよ、おにぃ!」
「いや、どうでもいいが」
俺の独り言を訂正してきた美結の言葉に軽くツッコミを入れつつ、『破魔の穿槍』とやらをくるくると回して重さを確かめてから、腰を落として構える。
いざ戦うとなった途端に妙に槍が軽くなった気がする。
さっきまではなかなかの重量感があったのだが、手に馴染み振り回しやすい。
火事場の馬鹿力というヤツなのだろうか。
相変わらずの緩慢な動きでこちらへと足を踏み出してくる骸骨――スケルトンの右足を、そのままこちらも右腰で構えていた槍を半回転させるようにして身体を捻りながら石突側で払うとスケルトンが体勢を崩した。
幸いにして魔力障壁らしき何かをしっかりと無視してくれたようで、何かにぶつかって止まるような事もなく足は払えた。
ご丁寧に書かれた紙に書かれていた通り、槍自体が力を持っているらしく、しかも刃先だけではなく全体が魔力障壁らしき何かを無視できるらしい。
――これなら、いける。
そのまま右手に持って振り上げていたスケルトンの剣を、今度は槍の刃の部分を斜めに振り下ろし、強引に叩きつけてやれば剣が落ちる。
再び足を払った時と同じ体勢に戻っている俺とは打って変わって、体勢が完全に崩れたスケルトンは隙だらけだ。
力を込めて顔面目掛けて石突を振るう。
「――らぁッ!」
裂帛の気合とやらとは違うが、声をあげる程度には力を込めて振るった一撃。
ガツ、という想定していた音とは全く違う、まるで車の事故でもあったような凄まじい音を立てて、スケルトンの身体が吹き飛び、壁へと吹っ飛んだ。
「……は?」
いや……いやいやいや、そうはならんだろうよ。
物理法則とか考えて、普通にそんな吹っ飛び方はせんだろうよ。
どんな力だよ、これ。
しかし呆気に取られている場合でもなく。
壁に打ち付けられたスケルトンはまだ生きている――いや、骨が生きてるってのも変な話だが――ようで、起き上がろうと身動ぎしている。
その瞬間、ちょうど肋骨の隙間、ちょうど人間で言う心臓の位置あたりに赤い光を放つ何かが一際強く輝いたように見えた。
あれは……核になってるのか?
だとすれば、もしかしてあれを攻撃したら倒せるんじゃないだろうか。
起き上がるのを待つ義理もない。
咄嗟に駆け出し、肋の隙間、赤く光る何かに目掛けて『破魔の穿槍』を突き出す。
猪を殺す時に槍を突き立てるのと同じだ。
迷わず、真っ直ぐ狙った先へと突き出せば、狙い違わず突き出された槍の先がしっかりと赤い何かを捉え、貫いていた。
スケルトンが起き上がろうと鈍い動きで身動ぎしていたが、それがピタリと止まる。
次の瞬間、まるで崩れていくかのように霧のように身体が消えていき、コツンと音を立てて何かの石が落ちた。
「……倒せたみたいだな」
さすがにこの状態からもう一度、なんて事にはならないだろ。
少し警戒したまま様子を見ていたが、特に何も起こる事はないみたいだし、拾い上げた透明な淡紫色の半透明の石を手に取って、美結へと振り返れば、美結はスマホをこちらに向けたまま唖然とした表情を浮かべていた美結がこちらを見て何やら目を丸くして、同じように口まで開いているという埴輪を思い浮かべるような表情をしてこちらを見ていた。
「……え、おにぃって超人?」
「は?」
「だって私、おにぃが動いた瞬間ってあんまり見えなかったよ? なのにバーンって大きな音が鳴ってスケルトンが吹っ飛んで、次の瞬間にはおにぃが突っ込んで槍をこうブスッて」
「いや、何言って……――ん?」
そう言えば、最初の時も俺の反射神経がどうのとか美結もコメントも言っていたよな。
もしかして、周りからはおかしな動きをしているように見えている、とか?
……いや、さすがにそれはないだろ。
そう言いたいところではあるんだが、こうも続いているとそんな可能性を否定できない気がしてならないんだよな。
現実的じゃないなんて考えが通用しないような状況だけに、尚更にそう思う。
「なぁ、もしかしてコメントでもそんな話になってるのか?」
「うん、おにぃヤバいって」
「その語彙力がヤバいだろ。……俺にとっては普通の事しかしてない感覚だから、いまいち意味が分からないんだが」
「だったら、おにぃのスマホで動画でも撮ってみる? 私のは配信中だからできないけど」
あぁ、そんな方法も確かにあるか。
とは言っても、状況が状況だからな。
そんなの後でやればいいだけだし。
「いや、今はそんな悠長に構えていられるタイミングじゃないだろ。この槍があれば充分に戦える事は判ったから、さっさと出口、最低でも水と食料探すぞ」
「う、うん。そうだよね、分かった」
美結を説得して、洞窟の中を散策していく。
スケルトンと美結に命名されたヤツはその後も何体か出てきたのだが、緩慢な動きは変わらず、スペックが同じというか、動作が似たりよったりな印象だった。
胸にある光を貫けば倒せる事は分かっているので、いちいち出方を窺わずにさっさと胸を貫いて淡々と処理しつつ進む。
おおよそ三十分程度は歩き続けてみたのだが、延々と洞窟が続くせいで方向感覚が狂う。
有識者であるコメントから曲がり角には印をつけて通ってきた道を判別できるようにした方がいいと言われてそうしているのだが、一周ぐるっと回ってきたりした時の徒労感に辟易とさせられる。
何故か身体の調子も良さそうな美結は、自分が普段はいかに運動できないかを動画で語っている。
実際、普段なら三十分も歩き続けられない程度には弱っていたはずなのに、この場所に飛ばされてから美結は元気いっぱいといった様子だし、俺もなんだか調子がいい。
何かが身体の中を満たしているような感覚、とでも言うべきなのだろうか。
ともあれ、そろそろ休憩したいと考えていた矢先に、それはあった。
「……扉、だな」
「うん。なんかこう、いかにもボスとかいそう」
俺たちの視線の先にあったのは、巨大な石造りの門だ。
扉には骨をモチーフにした彫刻まで刻まれていて、いかにもボスがいます、とでも言わんばかりの雰囲気すら醸し出している。
「引き返して他の道には行けないんだったか」
「うん。コメントの人が地図を作ってくれてたんだけど、それらしい所はもうないよ。多分ここに行くしかないんだと思う」
思ったより狭いと言えば狭いが、それなりに入り組んでいたこのダンジョンで、簡易的に地図を作ってくれた有識者がいるのだ。
それを見て美結が確認してくれているのだが、あとはこの門以外に行ける所もないらしい。
覚悟を決めて行くしかないか。
「……ヤバそうだったら、逃げてくれよ」
「逃げ道なんてないよ、おにぃ」
「……そういやそうだったな。できれば、スケルトンと同じぐらいの弱いヤツであってくれると助かるんだが……何が出てくるのやら」
そう言いながら扉に触れてみると、扉に刻まれた骸骨のレリーフの目が赤く光って、扉が開かれていく。
扉の向こう側には小学校の体育館程度の広さの部屋と、等間隔に佇む円柱型の柱があちこちに立っているらしい。
美結と顔を見合わせて頷き、中へと進むと――柱にあった松明のような何かに次々に炎が灯されて、部屋の中央奥にいる存在の姿が顕になった。
「……さしずめ甲冑武者ってところか?」
赤と黒の甲冑を着て、兜をつけている武者。
腰には刀を思わせる武器を携えているが、今は簡素な槍を手に佇んでいる。
顔の部分はお面をつけている訳ではなく、スケルトンと同じく骸骨そのものである事が窺える。
そいつはこちらを見つめたまま、空洞のはずの眼窩を赤く光らせた。
「距離取って隠れてろよ」
「大丈夫、私だってカメラマンとしておにぃの勇姿をバッチリとカメラに映すよ!」
「戦場カメラマンかよ、お前は。お前の配信なんだからお前は主役だろうが」
「大丈夫、おにぃの人気はうなぎのぼり!」
「何が大丈夫なんだか……。――まぁ、やってやるよ」
決して油断はしない。
スケルトンは弱かったけれど、アイツは見ただけでヤバさみたいなものがひしひしと伝わってくる。
多分、同じスケルトンだと思って甘く見ていたら、やられる。
そんな空気を肌で感じ取っていた。
一つ深呼吸して数歩奥へと進んで槍を構えると、相手も槍を構えてみせた。
「正々堂々やろうってのか? 問答無用に襲ってくるよりは嬉しいが……」
それだけ自分の腕っぷしに自信があるように見えた。
正面から打ち破ってこその誉れ、とでも言いたげな、強者の風格、矜持みたいなものがあるような気がする。
まず間違いなく、俺よりも槍の扱いという点で腕は上だろうなと思う。
「――行くぞ」
短く告げて、槍を構えたまま駆けていく。
初手は様子見を兼ねた突き。
ただし一発で弾かれる可能性もあるので、極力立て直しが利くようにあまり力を込めていないものだが、スケルトン相手なら充分に通じた一撃だ。
これを試金石にする。
そう考えての一手であったが、次の瞬間。
甲冑武者は俺の槍を軽くあしらうようにすっと槍の先で叩いて軌道をずらし、半歩身体を捻って最小限の動きで俺へと肉薄し、そのまま槍を突き出してきた。
――コイツ、戦い方うますぎるだろ!?
戦い慣れしている一撃だと理解できる。
幸いにして防がれる事を念頭に置いた一撃だったおかげで槍を反転させて石突側の柄で弾き飛ばす事はできたが、今の一瞬で技量が俺よりも圧倒的に上だという事を突き付けられた。
だけど、俺の反射神経でも充分についていける範疇の動きらしい。
一度後方に飛んで距離を取り、集中する。
技量は比べようがない程に相手が上だ。
今の攻防だけでそれは嫌って程に理解できた。
だが、反射神経や動きの速さはもしかしたら俺の方が上かもしれない。
実際、咄嗟の防御で充分に対応できたのだから、恐らくそれは間違いない。
もっとも、本気じゃなかったと言われればどうなるかは分からないのだが。
一つ深呼吸して、意識を切り替える。
常に集中して戦い続けるなんてやった事はないが、美結を残して負ける訳にはいかねぇんだよ、こっちも。
「胸を借りるつもりでいかせてもらう……ッ!」
俺が気炎を上げて吐き捨てた言葉を聞いて、どこか嬉しそうに、楽しそうに甲冑武者がそれに応えて肉薄してくる。
俺と甲冑武者の殺し合いは、こうして幕を上げたのだ。




