幕間 兄妹の冒険 Ⅲ
ど田舎の限界集落で畑や田んぼなんかをやっていられる俺たちの家は、まぁ相応に野山に囲まれている。
そんな場所で生活している以上、野生動物の怖さなんかも理解しているし、お互いのテリトリーには入らないようにと気をつけていたりもする。
そういったルールを破ってたまに人里に猪なんかが出る事もあるが、基本的に猪は罠にかけて捕獲し、処理をするというのがウチの集落では一般的だ。
俺も罠にかかった猪を処理するために槍を突き立てた事もあるし、その後に解体して肉を保存したり、そういうものは非日常ではあるものの、遠い世界の出来事という訳ではない。
そんな俺からしてみれば、洞窟の中に入るなんて論外だ。
奥深くにいる以上酸素がなくなるかもしれないし、野生動物の根城になっている可能性だって否めない。
もっとも、普段着で、しかも何故か突然放り込まれた俺たちの匂いを、野生動物が気付かないでいてくれる可能性は低いが。
武器になるものはないが、俺も美結も動きやすい格好をしていたのは幸いか。
洞窟の中も暑すぎず寒すぎず、過度に体力を奪われそうにない。
どれぐらいの深さかは分からないが、出口と水源を探すのが優先事項といったところだ。
慌てて、焦って体力を消費するのは得策じゃないし、少し慎重過ぎるきらいはあるものの、物音に気をつけながら、けれどなるべく自然体で歩くように美結に説明していく。
あまり慎重に音を立てないように気をつけ過ぎても、余計な体力を消耗しかねないからな。
「ほあぁ……。おにぃ、すごいね」
「いや、そんな凄い事でもないだろ。何が最適解かなんて俺にも判らん」
「そんな事ないよ。コメント見ててもおにぃに称賛が送られてるよ?」
「……お、おう。そりゃどうも」
くすぐったい気分で返事をしつつ、改めて不思議に思う。
なんで美結のスマホだけ繋がるんだろうか。
それに……。
「なあ、み……みゅーず」
「なに?」
「お前、ずいぶんと体調良さそうじゃないか?」
「あれ? そう言われてみるとそうだね。なんだろう、この中ってあまり疲れないかも。むしろ調子がいいかも?」
それなりに歩いているのに、美結が息を切らす事もないというのが、俺にとってはなかなかに不思議な光景ではあった。
いや、悪い事ではないし、美結の体調が良くなっているのであればそれに越した事はないのだが、まるで美結だけがずいぶんとこの場所に適しているように思える。
かく言う俺も、暗闇に慣れたというか、なんだか僅かな光でも充分に視界が確保できているような気がする。
なんなんだろうな、ここは。
「――ん? 止まれ」
「ひゃ、い……っ」
カチャ、カチャと何か硬質なものがぶつかり合うような音が聞こえてくる。
なんだ、この音。
不規則だけどほぼ一定のリズム。
こっちに近づいてきているような気がする。
「そっちの角曲がった先ってとこか……。ちょっと見てくるから、お前はここにいろ」
こくこくと頷く美結を置いて、足音を立てないように曲がり角に身体を寄せてそっと覗き込む。
――人影……? いや、違う……?
カチャカチャンと不規則な音が徐々に近づいてきて、その輪郭がハッキリとして、俺は思わず叫び声をあげそうになり、慌てて顔を引っ込めて口を押さえた。
おい、おいおいおい……。
なんで骸骨が歩いてやがるんだよ……!
さっきから聞こえていたあの音は、どうやらアイツの足音というか、動く度にぶつかり合う骨の音だったって事か……!
「……おにぃ……?」
「骨が、歩いてる」
「へ? ほね?」
「あぁ。骸骨の模型みたいなアレだ」
「……おにぃ、私、ホラー無理」
「知ってる」
お互いに小さな声で短くやり取りしていると、美結がスマホを見て何かに気が付いた。
「おにぃ、映せる?」
「ん、あぁ。まだ距離はありそうだし、映るだろ」
スマホを受け取って、スマホだけを通路の向こう側に向けていく。
画面の半分を映している映像に人骨の某かが映ったと思えば、コメントが凄まじい勢いで流れていくのがぼんやりと見えた。
「チッ、こっち来てるな」
「ど、どうしよう、引き返す?」
スマホを受け取った美結が泣きそうな顔をしてこちらを見上げてくる。
引き返すのも悪くはないが、引き返したって行き止まりだ。
ここはT字路になっているが、あの骨が真っ直ぐ路地の反対側に向かってくれるならともかく、こっちに曲がってこられたら逃げ道はない。
「少しぐらいなら走れるか?」
「う、うん。今なら大丈夫だと思う」
「よし、右から来てるから左の通路に向かって走る。お前が前で俺が後ろだ。少し進んでみて、もしあの骨の足が早くて追いついてきたら俺が足止めするからお前はそのまま走って逃げろ」
「え……」
「とりあえず俺が叫んだら声が聞こえる範囲で隠れるか、ここみたいに分かれ道になってる場所にいてくれ」
「でも、おにぃ……!」
「時間がないんだ、行くぞ……――走れッ!」
考える時間はなかった。
俺たちが話している間にも骸骨の標本みたいなソレはこっちに向かって進んできているし、迷っている時間なんてない。
半ば強引に美結の腕を取って路地に飛び出し、骸骨と正面から対峙する。
動き出すか、走って追いかけてくるか。
それを見極めようとした俺の目に映ったのは、骸骨がゆらりと動いたかと思ったら、手の先から黒い靄が浮かび上がって、それが剣になった瞬間だった。
――コイツ、ルイナーか!?
魔法めいた何かを前に頭の中に浮かび上がった考えを他所に、骸骨が動く。
手に持った剣を高らかに掲げ、こちらに向かって駆けてきたのだ。
……うん? 遅くねぇか?
駆けてきたというか、俺で言うところの普通の徒歩スピードよりも遅いぐらいのスピードじゃねぇか、これ。
――これなら逃げられるし、うまくいけば得物を取り上げられるんじゃないか。
そう思った次の瞬間、骸骨は俺の前で、その駆けてくるスピードとは裏腹に猛烈な速度で手に持った剣を振り下ろしてきて、俺は慌てて後方に下がった。
目の前でヒュンと風を切る音を奏でて剣が虚空を切り、地面にぶつかり硬質な音が響く。
「あぶねぇ!?」
「おにぃ!?」
「大丈夫だ! ちょっと待っててくれ!」
少し離れた位置でこちらを見てくる美結に答えつつ、再び骸骨と対峙する。
コイツ、走るスピードは遅いクセに攻撃してくるスピードだけは普通に早いのか……?
再び振り上げた剣を構える素振りもひどく緩慢だ。
これなら、いける、か?
再び振り下ろそうとした瞬間にバックステップで下がり、地面に剣がぶつかったその瞬間、一歩前に出てその剣を蹴飛ばした。
同時に、ステップを踏んで骸骨を押し飛ばすように蹴りを入れて――何かにぶつかったようにその動きが止まった。
「は――?」
多分、今俺の足裏はこの骸骨の少し手前で何かにぶつかって止まっている。
実際、骸骨は衝撃で身体を揺らすでもなく、そもそも俺に攻撃された事すら理解していないかのように蹴飛ばした剣を拾いに行った。
いや、律儀かよ。
拾いに行くのかよ。
特に足を掴まれる事もなく緩慢な動きで離れていく骸骨の動きを見送りそうになりながら、緩慢に落ちた剣に近づく骸骨よりも先に剣へと近づき、その柄を掴む。
「ほぉーら、取ってこぉぉぉいっ!」
ブオン、と音を立てて遠くへと投げ飛ばした剣を見送ると、骸骨が俺の顔を見て動きを止めた。
――来るか!?
身構えた俺を見つめてくる眼窩。
そして……骸骨が振り返り、剣を追いかけて奥へと戻って行った。
……いや、なんだ、これ。
俺たちを殺そうとしたんじゃないのか?
俺も取って来いなんて言ったものの、戻って来たりするんだろうか、アレ。
「お、おにぃ、大丈夫?」
「あ、あぁ。なんかこう、バカだった」
「いや、私もまさかあんな剣を最優先にするとは思わなかったけど……。でもおにぃ、なんであんな攻撃避けれんの!?」
「いや、来るって分かってりゃ動けるだろ」
「え、めっちゃ早かったよ!?」
確かに手を振り下ろすスピードは早く感じたな、普通の動きに比べれば。
ただまぁ、逃げれない程じゃなかったんだが。
そんな感想を抱いていた俺に美結は納得がいかなかったようで、自分が現在も配信している画面を見せてくると、凄まじい勢いでコメントが流れていた。
……は?
同時接続人数とやらが軽く五桁いってるじゃん。
嘘だろ、そんな人数がこれ見てんのかよ。有名人かよ、妹よ。
『いやいや、おにぃのスピードは普通じゃなかっただろ』
『なんかの格闘技経験者とか?』
『人間じゃねぇだろ、あれ』
『さすにぃ』
『あの一瞬で武器を遠くに投げ飛ばすとかどんな思考速度と反射神経しとるん?』
持ち上げすぎじゃね?
あんな遅いのを相手にしてたのにこれってどうなのよ。
「なんだこれ、持ち上げすぎじゃねぇか?」
「え、おにぃ、もしかして自覚ないの?」
「何がだよ。というか、アレが戻ってくるかもしれねぇし、今の内に移動するぞ」
「う、うん……。ねぇ、もしかしておにぃ、野生動物と日々戦ってたりする?」
「……ある意味、な」
獣害って割りとシャレにならねぇからなぁ。
罠とか音、光、トタンの埋め込みとか、やる事多いし。
そう考えて答えると、美結は何故か配信先の人たちに向かって「野生と戦い抜いたら強くなれる」とか宣言していた。
……いや、さすがにそれは知らんが。
というか野生の動物と切った張ったの戦いになってる時点で問題だし、勘違いさせない方がいいのではないだろうか。
そんなどうでもいい事を考えながら進んでいると、ふと、美結が声をあげた。
「――おにぃ、見て! 宝箱!」
「……は?」
美結が指さした先。
そこには、確かに美結の言う通り、宝箱と言われて誰もが想像するような、オーソドックスな宝箱が鎮座していた。




