#008 魔法少女 VS ルイナー Ⅲ
巨大な鯨型ルイナーと、確かロージアという魔法少女との戦いは大気を揺らし合うように続いていた。
その光景は派手には見えるものの……どちらかと言うと、僕にとっても、そして一緒にその光景を見ていたルーミアにとっても、ハッキリと言ってしまえば拍子抜けという印象だった。
「……見た目はともかく、力もたかが知れているし知能もなさそうだね。あれは下から数えた方がいいレベルだね」
「えぇ、そうね。タフさと大きさは評価するけれど、あれは力を凝縮しきれていないだけだもの。見た目だけなら一級品かしら……。あぁ、でもああして空を泳いでいるだけなら観賞用のペットにはなれそうね?」
「あはは、あんなデカいペットはいらないかな。邪神の眷属って知っている僕にとっては、ただただ景観を損ねるだけの不愉快な存在だからね」
「あら、じゃあ私が消してきてあげましょうか?」
「うーん、もうちょっと様子を見てみようかな。ちょうどいいから魔法少女とやらの力も見ておきたいしね」
この数日、魔法少女がルイナーと戦っている姿を二度ばかり確認した。
けれど、そもそもルイナーが弱すぎて推し量れるだけのものではなかったのだ。
もっとも、その程度のルイナーを倒して喜んでいる姿を見てしまった以上、あまり期待できそうにはないな、というのが本音ではあった。
その点、あのルイナーは大して強くはないけど、しっかりと攻撃方法を確立しているレベルではある。
魔法少女とかいう存在の実力が、邪神の軍勢に対抗できる力を持っているかの試金石としてはちょうどいい。
「ふふふ、そう。それにしても、だいぶ板についてきたじゃない、その感じ。不敵な感じで似合っているわ」
「……キミの契約介入のお陰でね」
「ふふ、感謝してくれているのかしら?」
「皮肉に決まっているじゃないか、まったく」
ルーミアとの契約以来、日本にいた頃を思い出すように数日を過ごしつつ、この世界を知ろうとしてきた。それと併せて、口調や物言いも契約に縛られてしまったものの、割り切って喋るようにしてからはかなり違和感はなくなってきた、と思う。
演技に拘るルーミアはイシュトアの言う設定を自分なりに調べ、僕が少しでも似合わない態度や答えを口にする度に延々と文句を言って矯正しようとしてきていたし、なかなかに辟易とさせられたものだ。
「さて、ルーミア。キミなら何秒だい?」
「冗談にしても笑えないわね。あの程度じゃ、一瞬で終わってしまうわ」
「……はあ、そうだろうね。まさかこんなに弱いなんて……よく邪神の軍勢に滅ぼされずに済んでいるものだよ」
控えめに言っても、アレでは僕らと戦いにすらならないだろう。
実際、ルイナーのあの攻撃はもちろん、あの程度の障壁を貫けない雷撃も、あの程度の衝撃を貫けない爆発も。
あれでは、僕らに傷をつけるどころか、余波となる風の一つも届ける事はできない。
戦いを無為に長引かせる理由はない以上、あれが魔法少女の実力という事なのだろう。
「見た感じ、この世界ではあの程度で強敵になってしまう、という訳ね」
ルーミアの言葉は、決して魔法少女を馬鹿にしている訳ではなく、純然たる事実だった。
ルーミアが乗り気なおかげで、僕らは彼女たち魔法少女を表のヒーローとして擁立する為の動きを、『僕とルーミアが因縁によって戦っている』という背景を持ちつつ、『ルーミアと魔法少女も対立する』という方針で考えている。
僕が魔法少女と敵対し、ルーミアが彼女たち魔法少女の味方をするという形も考えなかった訳ではないのだけれど、ルーミア曰く、アンチヒーローとして完全に敵対するのはダメ、なのだそうだ。
そういう訳で、ルーミアが敵対しつつ戦闘で魔法少女を鍛え、魔法少女が動けなくなった頃に僕が助けに入るというマッチポンプを行っていく事となった。
「確かに、あれじゃルーミアと直接戦わせるのは危険かな……」
あのルイナー相手に苦戦しているようじゃ、いくら演技をして手加減をしていても、手加減した一撃ですら致命傷になりそうだ。
いや、確実に致命傷になってしまう事が目に見えている。
まぁ、無理はないのかもしれない。
魔法少女というシステム上、その対象は子供であって、戦士じゃない。
それでも、そんな少女しか戦えないという点では、ある意味では非常に過酷な世界でもあると言えるかもしれない。
「ある程度鍛える、けれど立場は崩せない。うーん、どうしようかな。追い込むっていうのもありだけど、相手は子供だしなぁ」
「負けがイコールして死に直結している。実戦なんてものは常にそういうものではあるけれど、人間は仲間と訓練したりもするものだったと記憶しているわ。けれど、あの子たちは……」
「十中八九、訓練らしい訓練は受けていないだろうね」
ハッキリ言って、人間は弱い。
魔力を扱えない場合、人間は、爪も、歯も、膂力も運動神経も他の生物ほど強くはないのだ。
シオン達がいた前世では魔法が一般的なものであって、かつ魔力を利用する術を学ぶ事で、人間という動物に比べて力の弱い生き物でありながらも世界の覇権を握る一角ではあった。
日常の中に魔物との戦いがあったし、そういう世界だからこそ、戦いそのものに対する耐性、あるいは適正があったと言える。
けれど、魔法を操れる存在は何も人間だけじゃない。
あの鯨型ルイナーと同様に、魔力障壁を持つ魔物はもちろん、固有の能力なんかを持つ魔物も珍しくはなかった。
そういう存在を相手にする以上、必然的に戦い方を学び、対応力を磨いていく。
そういった研鑽があって、研鑽された技術の基礎が伝えられて、僕がいた世界の常識が培われていたのだ。
一方で、この世界での魔力を用いた戦いの歴史はまだ浅く、対峙する邪神の軍勢――ルイナーに至っては、数日おきに現れる程度という頻度だ。
経験がそうそう蓄積できないというのも納得できる。
環境や背景からも対応力を養う基礎が培われておらず、かつその下地が出来上がっていないという点は、かなり大きな問題だ。
「ルーミア、手が空いたら魔法庁に潜入して情報を探ってもらえるかい?」
「なるほど、魔法少女の背後組織がどういうものなのか。公開されている情報じゃなくて、もっと内部にある部分を知りたい、という事ね?」
「話が早くて助かるよ。どうにも嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感?」
「……あまり口にすると、それが現実になりそうで言いたくないかな」
「ふふ、残念。じゃあ戻ったら答え合わせしましょ」
ルーミアがそれだけ短く告げて再び戦いに目を向けたので、僕も再びそちらへ意識を向ける。
戦いの舵を取るのは、精霊だろう。
音の振動に魔力を載せた衝撃波を繰り出すルイナーの攻撃に対応しているのは魔法少女だけれど、こうして見ていると何かを精霊が指示して、それに合わせて魔法少女が動いている、という印象が強い。
まるで保護者みたいな立場だ。
自転車で言うところ、補助輪を外すためにずっと後ろから自転車を支えてあげているような、そんな関係に見える。
こうして見ていると、嫌な予感がほぼほぼ確信に変わっていく気がする。
まず確定的なのは、現状での戦闘は魔法少女の個々の才能、能力に依存している、という点だ。
これは魔力というものが密接に関係していなかったという事もあって、半ばどうしようもない点ではあるのだけれど、それでも魔法を組み込まない戦闘方法ぐらいあるはずだ。
――こんな体制でどうにかなってきた事が、最大の問題だね。
この世界にやってくる邪神の軍勢――ルイナーのランクはあまりにも低い。
科学兵器すら通用しなかった、人類にとっての強敵を前に立ち上がる存在である魔法少女は、精霊と一緒にルイナーと戦える。
幸いにも魔法少女は魔力を扱えるようになり、精霊が基礎を教える。
それだけで、現れたルイナーと戦い、どうにか勝ち続けてこれた。
だから、戦い方を改善できない。
する必要性を感じていない上に、できる人間がそもそもいない。
もしも大人が、魔法少女の今の境遇をどうにかしたいと考えていたとしても、培ってきたものが対人に限られ、戦争に向けられていた人間同士の戦いとルイナーとの戦いでは、まったく異なり過ぎている。
故に、魔法少女と精霊の自主性に依存してしまっているのではないか、というのが嫌な予感の前提という訳だ。
正直、この前提だけで考えても平和ボケが甚だしいね。
その重い腰をあげるのに、どれだけの子供の心を、命を犠牲にするつもりだ。
より強いルイナーの出現、魔法少女の大敗という問題が起こってから対処するのでは、遅いというのに。
そんな戦況を眺めていると、一際大きな魔法が放たれ、ルイナーとの間で大きく爆発が起こる。
その向こう側で魔力を溜めているらしいルイナーの一撃が爆発によって視界を塞いでいた向こう側へと真っ直ぐに襲いかかった。
「――あ」
あー……、見事に食らってるじゃないか……。
同時にルイナーも動いているみたいだけれど、その動きにはさすがに気付いて――え、いない……?
さすがに死なせてしまうのは本意じゃない。
「行くの?」
「うん。さすがに見殺しにしてしまう訳にもいかないだろうしね。それに、イシュトアが見たがっていたセリフを実際に口にするには、ある意味絶好の機会だからね」
「女神様が? ふぅん、まぁいいわ。もし何か困っていそうだったら、例の作戦通り私も動くわね」
「うん、よろしく」
短く告げて、魔力を込める。
少しずつ無理なく操れる魔力を増やしてきたおかげで、魔王と戦った時までとは言わないけれど、ある程度の魔法なら制御できるようになってきた。
座標は目視できる範囲だし、実際にテストしてみて成功もしている移動用の魔法――転移魔法を発動する。
一瞬で切り替わる視界。
鼻をついた戦いの匂いと、突進してくる巨躯。
早速とばかりに手を翳し、魔力障壁を生み出した右手をルイナーへと向けて、その巨躯の動きを受け止めた。
「――やれやれ、世話が焼けるね」
イシュトア、見てるのかな。
そんな益体もない事を考えていられる程度に、ルーミアとの契約のおかげで中二病感に苛まれなくて済んでいた。
ありがとう、ルーミア。本当にありがとう。
僅かに脱線しそうになった思考を戻して――って、いつまで制御しきれない魔力を留めてるのさ。
魔法少女ロージアが手にしている「魔法のステッキ☆」と言うよりは落ち着いたデザインをした杖の先端、今にも暴発しそうな魔力を受け止めようとして――手に触れただけで霧散してしまった。
……ええぇぇぇ……。
いや、さすがに手を翳して魔力を受け止める下地を作っただけなのに、ただそれだけで霧散してしまうなんて予想外だよ。
どれだけ儚いのさ、魔力。綿飴みたいな密度じゃないか。
しかも、自分たちには魔力障壁すら張っていないなんて……防御捨ててるの?
「魔力の収束が甘いね。こんな魔力の使い方じゃ、この等級のルイナーを傷つける事なんてできないよ。キミとそこの精霊が傷つくだけだ」
「え……?」
キョトン、とした表情でこちらを見られた。
そもそも魔力の密度なんてものは、魔力操作の初歩中の初歩の話だ。
どれだけ大きな魔力を持っていたとしても、その密度を維持できなければ脆く、柔らかいのだ。
ましてや魔法を構築するためには魔力操作ができなければならないのだから、誰もが通る最初の登竜門という訳だ。
うーん……、これは基礎の基礎から教えるレベルかぁ……。
「ルイナーの纏う障壁を破る上で意識するのは硬さじゃない、密度だよ。その密度以上に魔力を収束すれば、障壁は貫ける――こんな風にね」
論より証拠か。
ルイナーを留めていた魔力障壁は平面に受け止めるような形にしていた。
それらを展開したまま収束させ、束ねるように一点に集中させる。
ただそれだけで、自重で押し込もうと未だにこちらに突進を続けようとしていたルイナーの額に穴が空いた。
魔力障壁の密度はルイナーのそれとは比にならない程度に収束させているし、展開した形は鋭利なドリル状にしたのだから、そりゃ穴だって空くだろう。
いちいち逃げられないように、槍のように障壁を伸ばしてルイナーの内部を魔力障壁だけで貫いておく。
うん、魔物と違って血が出なくて良かった。
血が出ていたら僕ら今頃文字通り血の雨に降られていたよ。
これぐらい助力してやったらどうなんだ。
そんな風に思いながら夕蘭という精霊を見やれば――あれ、こちらも驚いているらしい。
あー……精霊も戦い慣れていないのかもしれない。
そういえば、精霊も向こうの世界に比べれば若すぎるし、ルイナーの出現と共に姿を得るようになったらしいから、子供みたいなもの、なのかな……?
けれど、精霊は魔力を操るのが十八番というか、親和性が高いのは事実。
うん、驚くようなものじゃないね。
研鑽が足りないキミ達が悪いという事で僕は悪くないよ。
「キミも精霊なら、この程度は教えてあげた方がいい。いくらなんでも戦い方がお粗末だよ。魔法少女を殺したいと言うのなら、狙い通りだと思うけどね」
「な――ッ、なんじゃと!? 貴様――ッ!」
「――キミたちはこの程度のルイナーに負ける程度で満足なのかい? 守れた、と。戦い抜いたと胸を張って言えるのかい?」
もしも「そうだ」と言えると言うのであれば、その時は悪いけれど、戦線離脱して二度と戦えないようになってもらおう。
こんな程度で満足して死ねるぐらいなら、戦いには致命的に向いていないって事だからね。
心の中でそんな事を考えながら、さらに言い募る。
「戦える魔法少女は少ない。それはルイナーの数が少ない今だからこそ、まるで拮抗しているように見えるね。だけど、ルイナーの侵攻が本格化すれば、この程度のルイナーはいくらでも出てくるだろうね。その度に、キミのように諦め、死んでいく魔法少女が増えていく。魔法少女を守れずに死なせてしまう精霊も」
仲間を死なせてしまい、大切な者を喪ってしまう。
残された者は、その絶望と己の未熟さに嘆き、怒り、心を壊して自棄になりやすい。
まるで自分だけが生き残ってしまった事への贖罪とでも言わんばかりに、生きる事ができてしまう自分を呪い続ける。
シオンと旅する間、そういう人達をたくさん見てきた。
その度に僕らは僕らの無力さを知り、それでもこれ以上、同じような目に遭ってしまう人を増やさないようにと足を踏み進めた。
そういう光景を見て、それでも僕らの背を押し、鉛のように重くなった足を持ち上げてくれたものは、それぞれに誓いや願いがあったからだろう。
シオンには、必ず魔王や邪神の眷属を倒し、悲劇の連鎖を断ち切ってみせる、という誓いがあった。
ルメリアには、これ以上の悲劇を生み出させないという信念と、自らが魔王を封印する楔にすらなってでも、世界を救いたいという願いがあった。
ガノンさんや他のみんなだってそうだ。
それぞれに守りたいもの、貫きたい想い、見たい明日があった。
それぞれに胸に抱いたものは違う。
けれど、僕らは誰もが覚悟していた。
「実力が足りないってだけなら、まぁしょうがないかもしれないね。でも、キミ達はそれ以前の話だ。覚悟が足りない。ルイナーを殺し尽くすという覚悟が。大切なものを守り抜くという覚悟が。そして、生き抜くという覚悟が」
だから、見せてあげよう。
覚悟を持ち、その道の先へと歩み続けるために磨いてきた、技術を。
「一つ、見本を見せてあげよう。もっとも、精霊であるキミの方が理解できると思うから、キミにもできるものを」
「何を……?」
魔力障壁とは、言わば魔力によるただの防御壁だ。
それは収束すれば槍のように敵を貫く事もできれば、制御によってカタパルトのように衝撃を与えて押し出す事もできる。
そうして打ち出された鯨型ルイナーを、今度は箱状に変化させた魔力障壁で覆い、空中で縫い止めるように動きを固定する。
「障壁はこうして敵を縫い留める事もできる。そして――」
ルイナーを囲っていた魔力障壁を内側へと圧力をかけ続ける。
必然的に内側は潰されていく事になる訳だ。
「――こうして押し潰してしまえば、充分に攻撃になるんだ。あの程度のルイナーなら、これだけで終わるよ」
これは決して、キミ達にできない高度な次元のものではないし、現人神の魔力に物を言わせた特別な技術でもない。
今僕がやってみせたのは、前世で冒険者として学んだ技術でしかなく、この程度なら僕にだってすぐに覚えられたものなのだから。
そう考えて、僕は安心させるように微笑んでみせた。
……逆効果とも知らずに。