幕間 ダンジョン出現騒動 Ⅲ
「……わぁ……」
アレイアさんの運転する車の助手席、その中から前方にある建物を見て私――リーン・スフレイヴェル――の口を衝いて出てきたのは感嘆の声だった。
流線型の、それこそ有名なデザイナーさんが建築させたような流線型の建物。
一面ガラス張りとなっているらしい天井と、建物と建物を繋ぐような円形の上半分がガラスになっている筒状の渡り廊下。
広大な敷地の向こう側はソーラーパネルが置かれているようで、なのに敷地に余裕があるおかげか、敷地はまったくと言っていい程圧迫されている印象を受けない。
高速道路になっている一般道とは異なる高い位置に造られた道路からなら、その広大さがよく理解できた。
「アレイアさん、あの建物ってなんですか?」
「あれが今向かっている研究所ですよ」
「……へ?」
……え? 私、あんなところに行くの?
ど、どうしよう、なんかすっごい緊張してきたんだけど……。
思わず固まってしまった私の様子を一瞥して、運転していたアレイアさんがふっと僅かに安心させるように目を細めた。
「緊張しなくても問題ありませんよ、リーン。あれは我が主様が建てた建物ですので」
「……えっと、主様、ですか……? す、すごいんです、ね……?」
「えぇ、補助金も予定以上に多くいただけましたので、お陰様で良い土地が手に入りました。国も色々と便宜を図ってくれましたので、色々な手続きが簡略化できたのはありがたいですね」
……なんだか私にはいまいち理解できないけれど、きっと凄いこと、なんだと思う。
だってあの建物、遠目で見てもどの建物よりも未来的というか、なんだか子供の頃に見た映画の中の未来の建物っぽいもの。
主様、かぁ。
きっとすごい人なんだろうなぁ。
実のところ、私たちのように『暁星』に拾われた人員の直接的なボスはリグレッドさんなのだけれど、その後ろにいる御方こそがジルさんやアレイアさんの主って呼ばれている人らしい。
アレイアさんやジルさんはあくまでも主様に言われて『暁星』のお手伝いをしているという話は知っていたけれど、私はその主様とやらに会った事もない。
「その、あそこの研究所を建てたのがその主様なら、これから会いに行く人もウチの関係者、なんですか?」
「えぇ、そうなります。もっとも、表向きには関係している事は公表しないので、公言しないように気をつけてくださいね」
「わ、わかりました」
そう言われても、私は基本的にお客さんとは仕事中にちょっとお話するぐらいだし、外で誰かと会って話すなんて事もないから、誰かに言う事はないかな……。
外に親しい人なんていないし。
そういう意味だと、私から誰かに情報が漏れる、みたいな事にはならないんじゃないかな。
「――そう考えていられるのも、今のうちでしょうね」
「え?」
「いえ、なんでもありませんよ。そろそろ着きますよ」
「あ、はい」
何か小さな声で呟いていた気がしたので聞き返すと、短くそう言われてしまって、それ以上の話は聞けなかった。
そのまま車が進んで敷地の中に入ろうとした、その時。
何かが私の身体を通り抜けたような気がして、ぞわぞわとした奇妙な感覚に身体を僅かに震わせてから、自分の腕を摩りながらきょろきょろと辺りを見回した。
「おや、どうしました?」
「えっと、今なんだか何かが身体を通り抜けたような……」
「ふむ……、やはり、ですか。思っていた以上に敏感なようですね」
「えっと……?」
「あぁ、こちらの話ですので気になさらず」
何かを確認するように私の身体を見てから、アレイアさんが敷地内の駐車場に車を進め、駐車した車から降りるように促してきた。
シートベルトを外して車から降り、スタスタと進んでいくアレイアさんの後ろについて行くと、正面玄関となるらしい建物の入り口でアレイアさんが振り返った。
「この中は魔素濃度が少し高くなっています。もしも気分が悪くなったり、目眩がするようであれば必ず我慢せずに声をかけてください。迷惑などとは考えず、純粋に伝えていただいた方が私としても助かります」
「は、はい」
えっと、体調が悪くなったら言えばいいってこと、だよね?
まそのーど、っていうのが何かは分からないけれど、とりあえず体調が悪くなったら言えばいいってこと、だよね、多分……。
よく分からないままアレイアさんが玄関口に近づくと、扉の前で音声が流れ、扉についていた大きくて頑丈な鉄に見える装飾が動いて、扉が勝手に開いた。
自動ドア……。
なんだかずいぶんと久しぶりに見た気がするけど、こんなぷしゅーって空気が抜けるような音、したっけ……?
「どうぞ、こちらですよ」
唖然として開いた扉を見ていると、アレイアさんが再び声をかけてスタスタと歩いていってしまって、私も慌てて後に続いた。
入り口を入ってすぐ、エントランスホールには受付用テーブルと待合用のソファーとテーブルが置かれていたりと、ちょっとしたホテルを思わせるような光景が広がっていた。
天井のガラス張りの天井からは陽光が降り注いでいるけれど、秋も深まってきていて少しずつ肌寒い日が出てくるようになった事もあって、暖かくて気持ちいい。
もっとも、今はがらんとしていて誰もいないせいか、アレイアさんと私の靴が奏でる足音だけが響いていて、なんだか落ち着かない。
ずんずんと奥に進んでいくアレイアさんについて後ろを進んで行くと、再び厳重な扉があって、アレイアさんが近くにあった何かの端末にカードを翳すと、再び勝手に扉の仕掛けが動いて扉が開いた。
真っ白な通路。
まさに子供の頃に映画で見たような未来の研究所といった印象を受ける通路を、奥へ奥へと進んでいく。
「体調はいかがです?」
「えっと、特に苦しくなったり目眩とかはないです。むしろその、調子がいいというか……」
「調子がいい?」
アレイアさんに、私は頷いて肯定を示した。
この通路に入ってから、なんだか身体が軽いような、不思議な感覚が私の中に芽生えていた。
空気が美味しい、という訳ではないのだけれど、なんとなく呼吸をする度に身体の奥の方に沁み込むような感覚、とでも言うのかもしれない。
酷く喉が渇いた時に水を飲んで、身体の内側で沁み込んだような気がして、冷たさがじんわりと広がっていくような……。
そんな事をうまく表現できなくて、曖昧な感覚をそのままアレイアさんに伝えていくと、アレイアさんが「失礼」と一言だけ告げて、私の頭に手を置いた。
途端に身体の中を駆け抜けていく、不思議な感覚。
この施設に入った時に感じたそれと似たような感覚は、まるで身体の内側を優しく撫でるような感じがしてぞわぞわっとしてしまう。
小さく身震いさせると、アレイアさんが何かを考え込むように顎に手を当てた。
「……これは、予想以上に適応力が高いようですね」
「えっと……?」
「心配いりませんよ、リーン。なんとなくそんな印象はあったのですが、ここまでとは思っていませんでしたので少し驚きました。喜ばしい事です」
「喜ばしい、ですか?」
「はい。詳しくは研究室についてからになりますが、確証を得られました。今はそれだけで充分です」
私にはよく分からないけれど、アレイアさんにとっては私の何かが喜ばしいというのなら、私も役に立てているのかもしれない。
よく分からないけれど、それなら良かった、のかな?
そんな風に考えながら再びアレイアさんに続いて進み続ける内に、一番奥の部屋へと辿り着き、アレイアさんが扉を開けると、そこの奥では白衣を着た女性が立っていた。
「ジュリー様、連れてまいりました」
「――うん? おぉ、ちょうど良かった。こっちも諸々しっかり準備が整ったところだったからね。タイミングはバッチリだよ。さすがだね」
アレイアさんに声をかけられて、振り返った女性。
その人は嬉しそうにこちらに声をかけると、私に目を向けてきた。
「あの、リーン・スフレイヴェルと言います」
「あぁ、ようこそ、リーンくん。私はジュリー・アストリー。細かな事まで説明してもキリがないだろうし、とりあえず博士とでも呼んでくれたまえ」
「えっと、はい、よろしくお願いします、ジュリー博士」
差し出された手を握り返して握手に応じる。
ジュリー博士は、綺麗な大人の女性という感じだった。
すらっとしていて、仕事ができる大人の女性という感じでハキハキとしていて、自分に自信があるのか、生き生きとしているように見える。
アレイアさんと細かな話をしながら何かを確認すると、私の視線に気が付いたのか、ジュリー博士はこちらを見てニッコリと微笑んだ。
「――さて、リーンくん。早速だけど、脱いでくれるかな?」
「……はぇ?」
唐突にそんな事を言われてしまって、私は思わず情けない声を漏らした。




