幕間 ダンジョン出現騒動 Ⅱ
私の名前はリーン・スフレイヴェル。
日々の食料さえも不安が続き、油断をすれば強姦されかねない、そんな棄民街で生きてきた十七歳。
今は棄民街とは思えないような、清潔で明かりが灯され、静かなジャズ音楽が流れるお店――『月光』というお店で働かせてもら事になった。
仕事の内容については、マスターのジルさん、それにアレイアさんの二人では手が回らない事もある雑事で、正直私がいなくても仕事は回るんだと思う。
それでも清掃や食器洗い、在庫の整理だったり準備作業の他に、営業中はウェイトレスのような仕事を担当させてくれていて、私にもできる仕事をきっちりと私に回してくれて、変に気を遣わないようにと配慮してくれているのが分かる。
このお店について、正直に言うと最初は驚いた。
このお店はお客さんからお金を取らない代わりに、情報やお手伝い、もしくは近隣のチーム、コミュニティの上役の紹介という事を行えば、簡単な料理とお酒を出してもらえて、お酒を飲めない若い子には飲み物と大盛りの料理だったりもする。
お店の近くでの騒動はこのお店に迷惑がかかるからか、色々な人たちがチーム、コミュニティの垣根を越えて協力し合っていて、今では女の人が女の人だとひと目で分かるような格好をして一人でやって来るのも珍しくない。
こうした動きは徐々に大きなものになっていて、お店の近くに拠点を移す大手コミュニティ、チームの数々はもちろん、弱小コミュニティや小規模チームもあって、そういう人たちは『暁星』の下部組織に入り、庇護下に置かれ始めている。
リグレッドさんは名実共にこの辺りではボスと呼ばれていて、なんだか酷く疲れたような顔をしていたのは、普段の姿を見ていたせいかおかしかった。
そんな場所で暮らして三か月程のなる私はすっかり胃袋を掴まれてしまったし、今ではシャワーを浴びずに眠らないなんて耐えられないぐらい、清潔な暮らしを続けている。
そんなお店なのだけれど、時々何もルールを知らないでやって来る人がいる。
横暴な真似をして、汚い格好のまま椅子に座って、偉そうな態度をするのは大体がそういう人だ。
でも、そういう人は「オハナシしてくるわ」と言ってお店に来ている何人もの人が外へと連れて行ってしまったり、たまにアレイアさんがトレンチっていう銀色のお盆で顔面を強打して、お店の扉の外まで吹き飛ばしている。
……お母さん、人って殴られて飛ぶんだよ。
ついでに、トレンチを振るう腕の動きがまったく見えなくなったりするんだよ。
……私、知らなかったなぁ。
ともあれ、私はジルさんとアレイアさんに可愛がってもらえて、受け入れてもらえて。
お客さんの中でも常連のお客さんたちからも妹ができたみたいだって受け入れてもらえて、幸せな日々を過ごしている。
それに――
「リーンねーちゃん! おなかすいた!」
「わっ、コニーくん」
――私にも可愛い弟みたいな存在ができた。
それが、私の足に抱きついてこちらを見上げ、にししと笑う黒人の男の子、コニーくんだ。
コニーくんは私と同じで、このお店のスタッフルームの更に向こう側、大きな鏡の向こう側にあるリグレッドさんがリーダーをする組織『暁星』の本拠地であるお城みたいなところの一室で暮らしている。
向こうの本拠地には今、二十人ぐらいが暮らしている。
お城の中でメイドとして働いている、アレイアさんの部下である女性が六人。その誰もが保護された人たちで、仕事にも一生懸命。子供と一緒に暮らしていける事に感謝していたり、助けられた事に感謝していて、仕事に対してもいつも真剣に取り組んでいる。
その他に、リグレッドさんの部下となった男の人達が十名。彼らはお城で暮らせているけれど、いつも朝から夕方まで訓練場というところにいて、ぼろぼろになって帰ってくる日々を過ごしている。
最初は男の人もいると聞いて私も驚いてしまったけれど、向こうのお城で暮らしている男の人達は、女である私や他の人たちにも丁寧な態度で接してくれる。
なんでも、「下手な真似をしたら、アレイア姐さんに……」とぽろりと零したとメイドの人から聞いた事がある。
真剣にお付き合いするのは禁じていないらしいけれど、そうでなければもぎ取られるというルールがあるらしく、紳士的な態度を取るようにと指導されているらしい。
いまいち私には理解できなかったけれど、男性に恐怖心を抱いている女性もいるので、丁寧過ぎるぐらいがちょうどいいのだとアレイアさんが言っていたので、そうなのかもしれない。
最近ではメイドの人たちの前だと借りてきた猫みたいになっている男性もいるみたいだし、これが昔お母さんが言っていた、男は尻に敷く、というヤツなのだろうか。
ちなみに、女性陣の中で一番人気なのは、実はジルさんだったりする。
紳士的で穏やかで、スマートに仕事をしている姿が非常にカッコイイし、常に余裕のある態度が素敵、だそうだ。
リグレッドさんも人気なのだけれど、あの人はあまり女性陣と関わろうとしていない。
ただ、コニーくんの面倒を見てあげるために他の子供たちの面倒も見て、可愛がっている姿をメイドの人たちは見ているらしく、母親陣には大人気だ。
正直、私はそういう恋愛感情とか、誰々が格好良いとかはよく分からないけれど。
「じぃじ、おなかすいた!」
「おや、コニー。おやつはしっかりと向こうのメイド達が用意していたと思いますが?」
「んとね、チビたちが欲しがってたからあげちゃったんだ。ほら、おれ、みんなよりたくさん食べるから。だからおれが食べるとなくなっちゃうと思って」
「それで我慢したのですね。偉いですね、コニー。では、軽食を用意してあげましょう。リーン、あなたも掃除は終わったのですから、コニーと一緒に座っていなさい」
「え、いいんですか?」
「えぇ、もちろん。新作のスイーツを出しますので、感想をお願いします」
「新作……っ! もちろんですっ!」
ジルさんの新作スイーツと聞いて、これを逃す訳にはいかなかった。
カウンターの椅子に飛び乗ったコニーくんと並んで、私も少しソワソワしながら新作のスイーツに期待を膨らませる。
ジルさんの新作スイーツ。
それは、お城のメイドの皆さんも含めて、誰もが食べたがる品だ。
というのも、ジルさんが作るスイーツはどれもうっとりする程に見た目も美しくて、味も最高に美味しくて、ついつい記憶と時間が飛んでしまう程の逸品ばかりだからだ。
この『月光』で働く私とアレイアさんが味の品評を任されているのだけれど、私はいつも幸せな味としか言えず、役に立っているかは疑問が残るけど。
それでも、私の拙い感想を聞いてジルさんは笑顔で「それは良かった」と言ってくれるし、何故かアレイアさんも無言で私の頭を撫でてくれて、なんだかくすぐったい。
城の食事はメイドの皆さんが用意してくれるから、ジルさんの作る料理はなかなか味わえない。
けれど、時折ジルさんのスイーツが差し入れられる。
その度に、メイドの皆さんはその度に真剣な表情をして受け取り、宝物を運ぶかのような厳重さでお城の中にある冷蔵庫に保管しに行く程だ。
気持ちは分かる。
あれを味わってしまったら、そうなるよね、うん。
「リーンねーちゃん、たのしみだねーっ!」
「ねー!」
「ほっほっほっ、期待にお応えできるものをお出ししますよ」
一言で言えば、今回も最高で、至福の一時だった。
ついつい思い出すだけで意識が遠くなりそうになってしまうけれど、それぐらい、ジルさんの新作スイーツは最高だった。
コニーくんと一緒に紅茶を飲みながら幸せの余韻に浸っていると、アレイアさんがスタッフルームから姿を現した。
「おはようございます、アレイアさん」
「アレイアさま! こんちわ!」
「こんにちは、ですよ、コニー。それと、お疲れ様です、リーン」
無表情ながらも優しげな雰囲気を纏って答えてくれるアレイアさん。
コニーもアレイアさんの事は大好きみたいで、アレイアさんの足にひしっと抱き着いており、頭を撫でられてにひひと嬉しそうに無邪気に笑っている。
アレイアさんはそんなコニーの頭を撫でてあげると、ジルさんへと視線を向けた。
「例の件ですが、予定通り、公開されたようです」
「ふむ、結構。では、アレイアはそちらを進めるように」
「はい」
短くやり取りをした後で、アレイアさんは突然、こちらに顔を向けた。
「リーン、少し協力してもらえますか?」
「えっと、私で良ければもちろんなんでも。ですが、一体何を……?」
唐突に話しかけられて、私は当然ながら協力を引き受ける。
アレイアさんならおかしな事は頼まないだろうし、こうして何かを頼んでくるのであれば、できる限り力になりたいと、そう思ったからだ。
そんな風に考えた私に対して、アレイアさんはさらりと続けた。
「そう言ってもらえると助かります。あなたには、魔道具の運用実験に付き合っていただきたいのです」
「まどーぐ……?」
「はい。これから私と共に、魔道具の開発を行っているジュリー様の元へと移動します。なので、動きやすい格好に着替えてきてください」
「えっと、よく分からないですけど……とにかく、着替えてくればいいんです、よね?」
「はい。準備ができたらこちらに戻ってきてください」
何をするのかはいまいちよく分からないけれど、私はひとまず、アレイア様に言われる通りに着替えに戻った。
ーーその時の私は、この意味をよく理解していなかった。
魔道具という存在はもちろん、まさか自分が、後に探索者として有名になるなんて事も。




