#055 クラリス・ハートネット Ⅰ
遅れてすみません…_(:3 」∠ )_
低気圧…頭が割れそう…。
奏と共に教室――と呼ばれている、元はブリーフィングルームであった一室――に入ってきたクラリス・ハートネットを見た明日架らの反応は、驚愕と感嘆が入り混じったものであった。
一本一本が煌めくような美しい金色の髪、透き通るような白い肌、小さな顔と、綺麗な蒼い瞳。
さながらビスクドールを思わせるような容姿は、奏が先程感じた通り『魔法世界』という大人気アイドルグループにおいて不動のセンターと呼ばれる所以を物語る美しさと、そのカリスマ性を実感させる。
文字通り見惚れた様子を見せる明日架らに向かって、奏が口元に手を当てて咳払いしてみせ、意識を切り替えさせた。
「先日より紹介していた通り、本日付けで――いえ、今日からこの凛央魔法少女訓練校へ転入する、クラリス・ハートネットさんよ。ハートネットさん、挨拶を」
「はい。――クラリス・ハートネットです。『魔法世界』というアイドルグループに所属していますけど、アイドルとしてではなく、個人のクラリスとして接してもらえると嬉しいです。それと、ハートネットは家名なので、クラリスと呼んでください。よろしくお願いします」
「おー、じゃあクラクラだなー! よろしくー!」
「伽音さん、その呼び方は目眩でもしているみたいですし、どうかと思いますわ」
クラスのムードメーカー的な立ち位置になる伽音――凪 伽音――が早速とばかりに渾名をつけようとして、それを律花――未埜瀬 律花――が呆れた様子で声をかけて止める。
「じゃあクラがダメならラリちゃん?」
「それはもっとアウトですわよ!?」
「もーっ、律花はワガママだなー」
「え、なんでそうなるんですの!?」
律花の叫びはこのクラスにいる全員とクラリス本人の心の声を代弁していた。
奏もまた同じ事を考えていたのだが、騒々しくなり始めた生徒たちに若干呆れた様子で一度溜息を吐き出すと、意識を切り替えた。
「ハートネットさんが言った通り――」
「――教官もクラリスって呼べばいいじゃんかー。なー、クラリス、その方がいいんだろー?」
「え、えっと、はい。教官もできれば家名じゃなくて名前で呼んでもらえると……」
「……分かったわ。クラリスさんも言った通り、彼女は確かにアイドルとして有名よ。けど、あなた達と変わらない一人の少女であり、あなた達と同じくルイナーと戦える魔法少女。特別視なんかせず、対等に付き合っていくように」
短くそれだけを告げて、奏はこのクラスの最年長者である桜花――東雲 桜花――へと目を向けると、桜花は小さく頷いて応える。
アイドルという存在が間近にいるとなると、本人たちにその気はなくとも無遠慮な質問をぶつけてしまったり、あるいは特別視してしまったりと、どうにも距離感を測りかねてしまうケースがある。
そういった事態にならないよう、しっかりと気を配れる人員に見ていてもらう必要があると考えると、旧家であり魔法庁でも名を知られており、ベクトルは異なるものの有名人である桜花と、先程伽音に振り回される形となったものの未埜瀬グループの社長令嬢として対人スキルが高い律花が適任だ。
奏がそんな意図を含めて視線を送ってきた事を、桜花もまたしっかりと理解しているようであった。
このクラスの生徒の年齢はバラバラだ。
最年長の十四歳である桜花が年齢的に最年長であり、その一つ下が転移能力を持つ楓――祠堂 楓――となり、クラリスもそこに当てはまる。実のところ、しっかりとした性格をしており、弁は立つものの律花はその一つ下に当たる。
その下には、男兄弟の中で囲まれて育ったせいか、男勝りな口調となる弓歌――皐 弓歌――と、口下手で人見知りな少女である柚――月ノ宮 柚――がいる。
一番下となるのが、明日架――火野 明日架――と、先程おかしな渾名をつけ始めようとした伽音となる。
これまでは律花がクラスの中心となっている印象があったが、葛之葉の一件以来、チームの全体指揮を桜花が行い、前衛指揮を律花が行う、という構成が出来上がって纏まっているような状況だ。
「クラリスさん」
「はい、なんでしょう?」
「あなたの戦い方と固有魔法について、教えてもらえるかしら?」
今後、クラリスを含めたチームで戦うとなると、指揮系統にも変化が出る可能性がある。
後衛ならば桜花が、前衛ならば律花が指示すると考えられるのだが、クラリスの固有魔法についてはルイナーが動きを止め、サーベルのような武器を手に戦う、先日明日架が夕蘭と共に見せた戦い方以外の見当がつかない状況だ。
通常で考えれば前衛として入ってもらう事が妥当なのだが、一対一で仕方なく前衛としての戦い方をしている、というケースも考えられる。
だからこそ、奏は予め得意とする戦い方と固有魔法を訊ねたのだが――しかしクラリスは、小首を捻ってみせた。
「えっと、固有魔法って、なんでしょうか?」
「え……?」
クラリスの告げた一言に、教室内の空気が僅かに固まった。
その様子を見たクラリスは何が起こったのか理解していないように周囲を見回しているようで、自らが口にした言葉の意味を理解できていないように見えた。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。あなたの得意とする魔法を教えてもらえる? あと、戦い方も」
アイドル活動が多く、戦闘経験がまだまだ浅い状態であり、魔法少女としての基礎知識を得る暇もなかったのではないかと考えて、奏が言い回しを変えてみる。
そう言われてようやく得心がいったのか、クラリスは理解したかのように目を見開いた後で、しかし今度は何かに怯えるような表情を一瞬浮かべ、視線を落とした。
「……言わなきゃダメ、ですよね……?」
「そうね。今後の戦いでチームを組む以上、理解しておいてもらう必要があるもの」
言いたくないような素振りをしてみせるクラリスに、しかし奏はそこで引く訳にもいかず答えを促した。
どうにも言いたくなさげではあるが、チームである以上、曖昧な情報だけで戦わせる訳にはいかないというのが奏の本音だ。
僅かな沈黙の後、小さな声でクラリスは口を開いた。
「……どの属性も第三階梯までなら魔法は使えますので、特に属性に偏って、という事はないかと思います……」
「……第三階梯……?」
「あ、すみません。その、私、ちょっと魔法の覚え方が普通の魔法少女とは少し違うみたいなんです。……私の中にいる精霊が、魔法を色々教えてくれるんです。……その、夢の中で、なんですけど……」
過去にこの事をアイドルグループである『魔法世界』のメンバーとの何気ない会話の中で伝えた事もあった。
その時は「へぇ、そうなんだ。珍しいね」と素直に受け止めてくれたようにも見えたが、そんな彼女が他のメンバーに対して「自分は特別だと見られたがっている。虚言癖がある」というような陰口を言われている事を知った。
それ以来、クラリスはずっと魔法の事を誰にも言わずに生きてきた。
今後の戦いに必要になるだろう事は理解できる。
嘘を吐くのは簡単だったが、戦いに参加する以上、いずれは露呈する可能性も高い。
そこまで考えた上で逡巡して素直に告げたが、どうせここでも信じてもらえないだろう、とクラリスは思いながら顔を俯かせていた。
事実として、奏にとっては全くもって理解できない内容であるのは間違いない。
そもそも奏には、精霊が自分の中にいる、という意味も理解できていなかった。
一般的に精霊は魔力で繋がりを生むと言われている。
しかし、精霊が契約した者の体内に入り込むようなケースは今まで一度たりとも耳にした事がなかったのだから、無理もない。
だが、クラリスは決して嘘をついている訳ではないだろうとも思う。
その顔を俯かせて、嘘をつくなと責められるだろう事を理解したような様子でプリーツのスカートを握り締め、耐えるような素振りをしていた。
奏が口を開こうとしていた、その時だった。
「――嘘をついている、という訳ではなさそうじゃな。確かに、其奴の内側から魔力と、精霊に似た何かの気配を感じ取れる」
聞いた事もない声が聞こえて、教室中の視線が教室の後ろの方、明日架の座る席の近くから聞こえて視線が集まる。
そこにいたのは、中空に漂いながら腕を組み、こちらを見つめている黒髪の少女。
年の頃は見た目だけなら五歳から六歳といったところに見えるが、しかしその瞳と表情には、はっきりと大人らしい知性を感じさせるものが見えた。
「ゆ、夕蘭様!? どうして姿を!?」
明日架が驚きのあまり立ち上がって声をかけている通り、姿を見せたのは夕蘭であった。
基本的に精霊は契約者にしか見えない存在もいれば、夕蘭のように具現化し、魔力を持たない人間にも見えるように姿を現す事ができる者もいる。
しかしながら、一般人に姿を見せられる程の力を持った高位の精霊は珍しく、しかし有象無象に自分の晒す必要などないと考える傾向にあるのか、姿を見せる事はほぼ有り得ないのだ。
「……火野さん。彼女は?」
「あ、えっと、みんなは見た事もあるかもしれないけれど、私と契約してくれている夕蘭様、です。いつもは人前に姿を見せないんですけど……」
「うむ、夕蘭じゃ。明日架の言う通り、様子を見ておったのじゃが、話の雲行きがどうにも怪しくなってきたからの。妾のような存在が肯定してやった方が良いじゃろう。夢の中で魔法を教わった、というのは嘘ではなかろう。ただの戯言とは到底思えぬ。頭ごなしに否定するような人物ではないとは思っておるが、真偽はハッキリさせておいた方が良かろう?」
「それは……わざわざありがとうございます」
「良い良い。明日架もおぬしの事は信頼しておる。妾が姿を見せたのも、明日架の信頼があってこその判断じゃ。――それよりも、じゃ」
夕蘭の登場に顔をあげて唖然としていたクラリスに、夕蘭が笑みを浮かべてみせる。
ただしその笑みは、安心させるような優しい笑みというよりも、何かを思いつき、企んでいるような表情そのものである事に、明日架だけが気がついていた。
「おぬしの魔法とやらを、ここにいる者たちに教えてもらう事はできるかの?」
「え……? えっと、私が、ですか?」
「うむ。おぬしの魔法はどうにも一般的な魔法少女や妾たちの知るものとは少々違っておるようじゃしの。もしもおぬしの言う魔法を魔法少女が会得できるのであれば、それは此奴らにとっても成長に繋がるというものじゃ。どうじゃ?」
「そ、それは構いませんけど、信じてくれるんですか……? その、自分で言うのもおかしな話かもしれないですけど、信じられないような内容じゃないかなって……」
それは自分の精霊が自分の中にいるというクラリスの発言に対しても、そして魔法についても、どちらも含めた言葉だったものであった。
罵詈雑言とまではいかずとも、嘘つきだと、目立ちたがり屋なのだと揶揄されるであろうと考えていたクラリスにとっては、信じられないような反応でしかなかった。
もっとも、ここにいる少女たちは、そんなタイプではない。
「なーなー、自分の中に契約した精霊がいるって、ニジュージンカクってヤツか?」
「えぇっ? い、いや、そんな事はない、よ?」
突然手をあげて声をかけてきた伽音に面を喰らいながらクラリスが答えると、伽音は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
「良かったー。じゃあクラに説明した後にリスに説明しなおさなきゃーみたいにはならないんだなー」
「クラ? リス? なんですの、それは?」
「今のクラリスはクラで、もう片方のクラリスはリスになっちゃうだろー?」
「……なるほど、言い得て妙ですわね」
「いやいやいや、律花。妙の意味が違うだろ、それ。こら、バカノン。お前ホント、訳のわかんねーこと言うなよな」
「えーっ、弓歌アホだなー。意味説明してやろーか?」
「そうじゃねぇよ!?」
ワイワイガヤガヤと言い合いを始める伽音と弓歌たち。
それによってクラスの空気は和やかな、和気藹々としたものに変わっていき、明日架もまた伽音と弓歌の言い合いを宥めようとして会話に参加し、柚と共に巻き込まれていた。
その一方で、桜花は楓にどんな魔法を教わろうか、どんな魔法が使えるようになりたいかと言った話題で談笑する。
クラリスの想定に対して言うのであれば、ここにいる少女たちは相手が悪いのだ。
ここにいるメンバーは、ルオやルーミア、そして唯希という存在を知っている。
魔法少女の魔法は唯一の力ではなく、魔法そのものには幾つも種類があり、唯希のように魔法を覚える事さえできれば様々な力を得る事ができるのだと理解している事を。
そして、そんな唯希の存在を報告されていた奏もまた、信じる事よりも常識的な観点から判断を下そうとしてしまっていた自分の頭が硬くなっていたなと苦笑する。
「はいはいはーい! じゃあオレ! 攻撃魔法とか覚えたい!」
「あーっ! ずりーぞ、弓歌! アタシも教えてほしいのに!」
「なんでだよ! オレは攻撃魔法ないんだからオレが覚えた方がいいに決まってるだろ!」
「あ、その、じゃあ、私も覚えたいな、なんて……」
「ふふ、弓歌さんと柚さん、それに楓さんや私も攻撃手段を持っておけば、作戦の幅も広がりそうですね」
そんな光景を唖然とした様子で見ていたクラリスが、視線に気が付いて夕蘭を見つめれば、夕蘭もまたふっと笑ってみせた。
 




