#054 序列第一位 Ⅱ
すみません、遅くなりました。
雨降りそうなので買い物とかしてたらこんな時間に…。
凛央魔法少女訓練校の教官である奏――鳴宮 奏――にとって、非公式ファンサイト『まほふぁん』の序列第一位、『不動』のリリスが転入してくるという事態はあまり歓迎できるものではなかった。
今回の転入は本人たっての希望による転入だとは聞いているものの、『魔法世界』というアイドルグループに属しており、アイドル活動も控えるつもりはないとのこと。
必然的に訓練に参加できる時間も少なくなり、ただでさえゼロから組み上げるチームではなく、すでに完成していると言える明日架らのチームに組み込むとなると、なかなかに扱いが難しい。
世間には公表されていないが、葛之葉の一件の影響によって魔法少女訓練校の成果は軍内部では認められており、その結果として、訓練校の新設が決定した。
今は訓練校が魔法少女たちのこれまでの戦闘において一定の成果を出しているため新設する事になった、というだけの情報ではあるものの、訓練校そのものが新設される事についてはすでに世間にも公表されている状況だ。
そんな中、わざわざ凛央に引っ越し、完成しているチームに入ろうとする理由が判らないのだ。
新たな訓練校で新たなチームと共に活動してはどうかと奏自身も本人に伝えたのだが、結果は変わらなかった。
名前も売れている序列第一位をどう扱えば良いものか。
葛之葉の奪還で、凛央魔法少女訓練校は確かにこれ以上ない成果を生み出し、実績を築いたおかげもあって、上層部から無理を言われるような事はなかったものの、あちこちから「『不動』のリリスを主軸にしたチームがどうなるか楽しみだ」といった遠回しのつもりなのかもよく分からない言葉をかけられているせいか、面倒な事この上ない。
この一ヶ月程、どのように扱うか頭の中で考え続けてきたものの、未だに答えは出ていない。
しかし、ついにその時はやって来てしまったのだ。
意を決して、奏は訓練校施設内の一室でその時を待っていると、部屋の扉がノックされ、入室を促した。
「――失礼します、鳴宮中佐。は、ハートネット様をお連れいたしました」
事務官が先導して声をあげる態度に、つい、奏の眉がぴくりと動いた。
見覚えのある事務官ではあるのだが、見慣れない態度。
案内してきた女性は、裏では鉄面皮と裏では揶揄されている――もっとも、奏はそんな揶揄が聞こえてくる立場ではないが――女性事務官で、大佐が相手であろうとすました顔で表情一つ変えないと有名な事務官である。
そんな彼女が、妙に緊張していると言うべきか、どこか頬を赤らめていて、浮足立っているように見えてならない。
風邪でもひいたのか、と本気で心配をしかけて――次の瞬間、奏は思わず動きを止めてしまった。
事務官の後ろから入ってきた、金色の美しいストレートの長髪を靡かせて入ってきた少女。
蒼い瞳は切れ長で、くっきりとした二重の瞼である事が分かる。切れ長な瞳でありながらも、しかし彼女の凛とした雰囲気の中には、確かに十三歳という年相応の可愛らしさというものが混在しており、まさに老若男女問わず、一目見れば確かに相手を虜にするような可愛らしさと美しさが同居していた。
アイドルグループとして最も売れているグループの不動のセンターであり続けるための、モニター越しでは感じ取れない何かを、まざまざと刻み込まれるような気分であった。
――なるほど、確かにこれは……。
奏は思わずそんな事を考えたところで、思考を切り替えて一度眉間を揉みほぐした。
その姿に少女が僅かに悲しげな表情を浮かべた。
「ずいぶんとお疲れのようですね……。申し訳ありません、私が無茶を言ってしまったせいで、色々とご迷惑をおかけしてしまって……」
「いえ、そんな事はないわ。疲れている原因を挙げるとしたら、あなたとは無関係なところの話よ。それより、あなたがクラリス・ハートネットさんね?」
「……はい。クラリス・ハートネットです」
「結構よ。少し話をしておきたいから座ってちょうだい。何か飲み物の希望はあるかしら?」
「でしたら、紅茶をいただけると」
「か、かしこまりました! すぐにお持ちいたします!」
自分に代わって鉄面皮と呼ばれる事務官が、さながら忠犬よろしく返事をして部屋を出ていく姿に呆れる奏と、苦笑するクラリスの間にどうにも気まずい空気が流れた。
「……ごめんなさいね」
「いえ……。その、こういう言い方をするのもどうかと思うのですが、私の周りの方は大体あんな感じになってしまいますので……」
「……そう。ずいぶんと苦労しているのね」
「えっと……、はい……。好意を向けてくれるのは嬉しいのですが……――」
――苦笑、いえ、苦いものに変わったわね。
奏は正面に座ったクラリスが見せた表情の変化に気が付いて、彼女の中から浮かび上がってきた感情をそう判断する。
「――ですけど、ちょっと安心しました。教官までああいう風になってしまわなくて。あ、その、決して侮っていたとか、そういう訳じゃなくて……」
「大丈夫よ。あなたの言わんとする事はなんとなしに理解できたから」
奏の一言に、クラリスが安堵したように胸を撫で下ろした。
恐らく、彼女はそのカリスマ性と云うべきか、或いは見た目の特性と云うべきか。
いずれにせよ、そのせいで周囲の大人たちからは特に愛され、可愛がられてきたのではないのだろうか、と奏は推測する。
そうして蝶よ花よと愛でられ、大事にされ、先程の事務官同様の態度を取られる。
しかし、そんな姿を見た同年代の子供や、同じアイドルグループの少女たちが何を思うのか、想像に難くない。
序列第一位、『不動』の名を示すとさえ言われる、アイドルグループの頂点に居続ける少女。
その結果に不満を抱き、大人たちの先ほどのような態度を見せられれば、少女たちの矛先がクラリス本人に向かうのは、ある意味では必然の流れとも言える。
本人に悪気も、悪意もなかったとしても、だ。
妬み嫉みというものはなかなかに度し難い。
まして、容姿以外では誇れるものが少ない学生という時分であれば、尚更に。
「……だから、あなたはこの凛央魔法訓練校を選んだのね」
「……おそらく、お察しの通りかと思います」
その容姿から、アイドル生活において、そして学校生活において、彼女は孤高の存在、高嶺の花として見られてしまうのだろう。
故に、そうならない環境に行きたかったのではないだろうか、と奏は推測し、クラリスはそれを肯定して返した。
「納得できたわ」
「え……?」
「芸能の町は凛央の北西部、秋葉だものね。ここからは少し離れているし、交通の便もなかなかに不便だわ。なのにこの凛央をわざわざ選んだのは、そのため、という訳ね。大方、芸能界からも引退したかったけれど、大人に止められた、というところかしら?」
「どうして、それを……?」
「だいたい想像はつくもの。あなた程じゃなくても、私もこう見えて、似たような経験があるわ」
「え!? きょ、教官もアイドルをやっていらしたんですか!?」
「違う、そうじゃないわ」
奏もまた、クラリス程ではないが似たような経験をした事がある。
学生の頃ならば「見た目がいいからって」と妬まれ、軍部に入ってからは「女だから」と昇進する度に色眼鏡をつけて周囲に評価されてきた。
それを伝えるつもりだったのだが、明後日の方向に飛んだ質問に奏は「この子、天然なのだろうか」と割と真剣に考えながら真顔で否定する。
「す、すみません。てっきり……」
「何をどうしたらてっきり私がアイドルになるのかは分からないけれど。ともあれ、そういう事なら訓練を主軸に活動できるのかしら?」
「その、私の意向としては、です。でも……」
「それで充分よ。訓練には外せないものもあると言い切れるわ。あなたが受けたい、受けなきゃいけないと思う仕事なら受けても構わないけれど、もしも断りたいと思うような仕事なら私に言いなさい。私から、というより、軍部から訓練のスケジュールを邪魔するなと釘を差す事もできるわ」
奏から告げられた言葉に、クラリスはしばらくの間、目を大きく見開いて――やがて、その表情のまま涙を一筋、流れさせた。
途端に感情が決壊したかのようにくしゃりと表情が歪み、両手で泣き顔を隠すようにして、身体を丸め、泣き始めた。
その姿を見て、奏は特に何かを言うでもなく、改めてタブレット端末でクラリスのデータを見つめた。
クラリス・ハートネット。
両親はこちらに引っ越す事を拒否し、彼女だけがこちらの寮に生活の拠点を移す事となっている。
先程の事務官の態度や、少々のやり取りを終えてみて、奏は両親だけがクラリスと別居するという道を選んだ点に、何かがあるように思えてならなかった。
――それに、この子は……いえ、今は何も判らないわね。
奏はそれ以上を追求しようとはせずに、しばらく言葉を口にしようとはしなかった。
余談ではあるが、その後、飲み物を用意してきた事務官に泣いているクラリスの姿を見られ、詰め寄られる事になったのは言うまでもなかった。




