#050 話し合いという名の Ⅲ
――ルイナーが独自の進化を起こしている。
そんな僕の一言に、水を打ったような静けさが部屋の中を支配した。
葛之葉は人が入った事をきっかけにルイナーが一斉侵攻を開始した。
あの時、僕が結界を張ったからこそルイナーの大群を押し留め、あの町の内部だけで戦う事ができたけれど、もしも人が入る事もなく、僕らが気が付く事もなくルイナーが大量に現れていて、唯希や僕といった存在があの場所にいなかったらどうなっていたのか。
今しがた二人が目にした光景が、人の住まう生存圏で起こっていたらどうなっていたのかを想像するのは難しい事じゃない。
凛央魔法訓練校の生徒たちは、僕らと出会う事によって少しずつ成長している。
多分、今のペースなら一年もしない内に先日の鯨型ルイナー程度ならば苦戦せずに倒せるぐらいには成長するだろう。
でも、他の魔法少女たちはどうだろうか。
魔法訓練校が設立されるという話は僕も知っているけれど、一朝一夕で育つなんて普通に考えれば有り得ない。
それに何より、魔法少女は少ないのだ。
母数が足りない以上、全てを守りきるには一人あたりの力が最低でも今の唯希ぐらいは求められる事になるだろう。
もっとも、それでもまだまだ力が足りているとは到底言い難いけれども。
正直、僕も割りと簡単に考えていたのだ。
魔法少女の成長は一朝一夕で行かないけれど、それでも少しずつ刺激を与え、十年単位で育て、次の世代、あるいはその次の世代に繋いで行けばいいかな、と。
でも葛之葉の町でのあの一件は、そんな考えを修正しなければならない程度には、面倒な事態に直面している事を示唆していた。
かと言って、世界に魔素を溢れさせる訳にもいかない。
先程も話した内容ではあるけれど、第一にこの世界の人間が魔素に耐性がなさ過ぎることは言わずもがな、それ以上に、ルイナーの活動圏が広がるのではないかという懸念もある。
実際、葛之葉の町はあれだけの数のルイナーがいたしね。
僕の目の前に置かれたお膳の上で、アイスコーヒーの氷がカランと音を鳴らしたところで、天照が思考の海から意識を引き上げるかのようにこちらを見つめた。
「キミならどうする?」
「……貴方様のご推察通りであるのなら、かなり厳しい状況であるかと。この地に招いて育てるとしても――……いえ、時間も、何より素養を持つ者が増えない以上、色々なものが足りませんね……」
この地に招く、っていうのはおそらく神楽の一族の育成方法を広める、という意味だろう。
もっとも、天照自身が否定した通り、そもそも魔素に耐性があり、かつ戦う意思があり、時間がある、という好条件が揃っていないとどうしようもないけれど。
僕の後ろ、部屋の入り口である襖の前で正座している由舞も思考を巡らせているようだけれど、なかなか良い案は生まれないらしい。
たとえばこれが宇宙からの侵略者を撃退するような映画であったのなら、各国が、全世界の人々が協力し合って戦う、みたいな一つの形に辿り着く事もできたのかもしれない。
けれど、ルイナーと戦うにはまず大前提として魔力障壁を打ち破れる魔力が要求されてしまう。
このせいで、この世界の人々の九割以上が戦闘に参加する事すらできないという状況だ。
それを打破しようとしたのか、或いは魔力という新たな力を利用しようとしたのかは定かではないけれど、精霊を燃料にするような兵器が葛之葉では登場した。
まぁ、結果としてろくな成果も出せていなかったけどね。爆発によって魔力が拡散しているだけで、一切収束すらできていないのだから当然と言えば当然だ。
もっとも、精霊を犠牲にするなんていう方法を取っている以上、開発国からは魔法少女すらいなくなり、ルイナーに蹂躙される未来が待っているんだろうけれど。
「ルオ様。貴方様が『大源泉』を利用したいと仰っていたのは、ルイナーをおびき寄せるため、でしょうか?」
「僕がおびき寄せてそこで処分する、という目的の為だと考えているんだとしたら、違うよ。確かに葛之葉では僕も手助けはしたけれど、僕は積極的にこの世界の救済には携われない。だから、僕の手で繁殖、あるいは進化したルイナーを処分するという考えならハズレだね」
世界を救うのは、その世界の住人がするべきだ。
それはイシュトアからも言われている内容なのだけれど、このルールを破ってしまう訳にはいかないらしいし、何より、僕自身もまたルール以前にそうであるべきだと思っている。
しっかりと対策を確立し、自分たちの手で未来を掴み取るべきだろうし、何より、ルイナー以外の存在が現れる度に僕が動かなきゃいけなくなってしまったらキリがない。
もしもこのルールを破ってしまった場合、どうなるのか。
僕はその末路について、実はイシュトアからも聞かされてもいるしね。
「僕ができるのは、あくまでも裏からの手助けだ。表舞台に上がれない。この世界の人間が勝手に戦えるようになり、勝手に強くなって、勝手に倒せるようになってもらうというのが理想なんだ」
「つまり、『大源泉』を利用してその環境を整える、と?」
「そうだね。『大源泉』の存在を知れたのは運が良かったよ。もともとは僕がゼロから作り上げる予定だったけれど、僕が手ずから僕にしか作れない物を作ってしまうっていうのも、あまりよろしくないだろうし、どうしたって僕がいないと機能しない、なんてものは困るしね」
「……一体何をしようとしていらっしゃるのですか? 私には『大源泉』を活用すると言われると、魔素を世界に循環させる以外には思いつかないのですが……」
「うん、でもそれはできないね。なら、世界全体に魔素を広げずに限定的、局所的に特殊な空間を作り上げてしまえばいいんだよ」
さらりと告げた僕の言葉に、天照も由舞も、僕が何を言っているのかと言いたげに小首を傾げるだけで、明確な反応はなかった。
どうにもあまりピンと来ていないらしい。
「それは、訓練所、という事でしょうか?」
「うーん、ある意味ではそうなんだけど、なんとなくニュアンスが違うかなぁ」
うーん、サブカルチャー分野では定番と言えば定番なはずなのに。
まぁ目の前にいるのは亜神と巫女だし、あまりそういう分野には詳しくないのかもしれない。
一つずつ分割して説明していくしかないかなぁ、これは。
「まず、ルイナーと戦える土台を作る上で最も重要な要素は、魔力。これがないと始まらないって事は理解できるね」
「ルイナーの体に傷をつける為には、ルイナーが纏う魔力の障壁を突き破らなくてはならない、というものですね」
「うん、そうだね。だから、最低限魔力がないと戦えない。でも、今の時代に魔力を扱える人材っていうのは、僕が見たところかなり希少な存在だ。由舞みたいに神に仕え続けている一族か、もしくは古い技術を脈々と受け継いでいる旧家といったところぐらいだと思うけど、どうだい?」
「そうですね。魔法少女という例外を除けば、そうなるかと」
「うん。魔素に対する耐性というか、適性がないんじゃ魔力は扱えない。だから絶対数が足りないし、適性があっても戦える程度まで育てる時間がない。結果として、人材不足は続いてしまう。――だったら、『魔素に適応できなくても魔力を扱える人材』を増やせばいいとは思わないかい?」
「……はい?」
何を言っているのかとでも言わんばかりに小首を傾げる二人の目の前で、僕はポケットから透明な四角柱型のプラスチック容器になみなみと青みがかった水が入った、手のひら大のソレを取り出し、掲げてみせた。
「これは『大源泉』で手に入れた魔素が水の性質を得て液体化したものでね。僕のところの研究者が名付けた名前は、『純魔力液』。今、これを動力として魔素適性のない人間でも魔法攻撃を発現させる方法を研究しているところだよ」
実際には葛之葉の所にあった『大源泉』の水なのだけれど、これも世間に発表する頃には特殊な研究によって生み出されたという事にするつもりだ。
さすがに『葛之葉さんちの水』みたいな名前で出すのもどうかと思うし。
「まさか、それを使って誰でもルイナーと戦えるようにする、と?」
「うーん、厳密に言えば少し違うかな。ハッキリ言って、これを使った攻撃でルイナーと戦えるとしても、せいぜいが五等級、訓練しても四等級程度が関の山ってところじゃないかな」
最近で言うところ、これを使って魔力障壁を打ち破れるとすれば、せいぜいが葛之葉の蜘蛛型ルイナー程度が関の山になるだろう、というのが僕の見解だ。
実際、これを魔法武器に転用するとなると普通なら凄まじい研究の時間が必要になる。
ただ、時間がない以上、ジュリーには悪いけれど前世では一般的であった魔道具の基礎知識についてはアレイアから授業を受けてもらっているし、今後この『純魔力液』とそれを利用した武具はジュリーが発見し、開発し、発表するという流れを取ってもらう予定だ。
研究者として手柄を手渡される形になるジュリーには悪いけれど、彼女にも急がなくてはならない事情を説明し、納得してもらっている。
曰く、「心配しないでおくれ。私は私で、しっかりと成果を出してみせるさ」との事だ。なかなかに心強い人材である。
ともあれ、これがあるだけで戦うという選択肢を得る事ができる、という所が僕にとっては大きな要素になると考えている。
「それでは、まだまだ足りないのでは?」
「うん、そうだね。それにこの程度は確かに変革と言えるけれど、僕にとってみれば序の口でしかないしね。さっきも言ったはずだけど、僕はここに、世界の変革のための話し合いをしに来たと言ったはずだよ?」
「そう、ですね……。では、一体何をすると言うのか、お聞かせください」
確かに魔法技術を一般に流すというのは、歴史的に見れば変革とも言えるかもしれないけれど、大きく変わらなければならないという程のものとは言えない。
僕が言う変革とは、その先にある。
「――『大源泉』を利用して、この世界にダンジョンを生み出す」
サブカルチャー知識があれば僕が言っている内容が理解できるかもしれないけれど、相手は亜神とその巫女。
僕が満を持して口にした言葉に対する反応は、小首を傾げるというなんとも肩透かしなものだった。




