#047 御神薙山と御庭番 Ⅱ
「へぇ、これは凄いね……」
「ふっふーーん、どうです!? 一般人は立入禁止なのです! 拙者たちが一緒だから入れるですからね! 感謝するといいです!」
御神薙山を登ってしばらく。
僕は観光よろしく一般人が立ち入りを禁じられているらしい区画へと登りながら、自然溢れる光景を楽しんでいたのだけれど、そんな僕が連れて来られたのは綺麗な湖だった。
葛之葉のところ程ではないけれど、ここもまた魔素を含んでいるらしく、ここもまた前世で言うところ神殿のような清らかな空気が満ちている。
ナズナちゃんが自慢げに案内してくれたのもなんとなく理解できる。
まぁ、キミが褒められているかのように胸を張るのはどうかと思うけど。
元気だなぁ、ナズナちゃんは……。
遠い目をしている僕を他所に、案内している僕を放ってナズナちゃんは湖に向かって駆け寄っていってしまった。
ちらりと先程合流した保護者男性――もとい、創流さんへと目を向ければ、頭が痛いと言わんばかりに眉間を揉んでいるけれど、これ、僕と別れた後で改めてお説教になるんじゃないだろうか。
「……申し訳なく」
「いえいえ、お構いなく。それよりあの子、一人称が定まってない感じだけど?」
「あれは拙者らを真似しているのでございますゆえ……。無理に口調まで真似せずとも良いと言っているのですが……大人に憧れていると言えば良いのか、背伸びをしたい年頃と言えば良いか」
「あー、うん。すっごい納得した」
拙者って言ってみたり私って言ってみたり、要するに取り繕えている状況かどうかによって言葉が変わってしまう訳だ。
どう見ても後者というか、大人ぶりたいんだろうね。
大人に認められて御庭番となった、みたいな事を言っていたし、きっと並び立ちたいといったところなのだろう。
「ところで、創流さん。天狗って神隠しに遭ったって聞いていたけど、キミたちはそれから逃れる事ができた子孫か何かだったりするの?」
「――ッ、何故それを……!?」
「ちょっとした成り行きで耳にしたんだ。あぁ、心配しなくても、ここにいる天神様が神隠しの首魁だなんて思っていないから安心するといいよ」
現状、僕はここの神――つまり天神様とやらは神隠しを引き起こした張本人ではないと思っている。
それは昨日出会ったキヨが「誤解が生まれる前に誠意を」といった言葉を口にしていたから、というシンプルな理由だけじゃない。口ではそう言いながら僕をここに呼び出し、総攻撃を仕掛ける、なんて可能性だって考えられたしね。
それでも関係ないだろうと確信を抱いたのは、ある意味、由舞のあの天然ぶりを目の当たりにしたから、と言えるかもしれない。
そもそも葛之葉に施されていた封印は、ただただ自分が何かを行うために利用するという、当たり前のように、自分の目的の為に他者を犠牲にできる非情さと、そんな葛之葉を効率良く呪に落とし込むような残虐さが見えた。
ただ、確かにあれは嗜虐性が強く悪意に塗れているとも言えるけれど、ある意味では呪を強化する為だけにただ最高効率を求めたとも言えるようなやり口だ。
そういう手法を好んで選ぶような存在は、そもそも自らの駒に自主性を持たせる事もなければ、慮るような真似はしない。
何故なら、そういう存在にとっては、関係性の構築、説得、和解、あるいは欺き、騙し、利用するといったものも含め、関係の構築そのものが「無駄な手間」だと判断する傾向にある。他者を信用せず、利用するに値すると考えるよりも、そもそもそんな僅かな期待すら抱かないものだからだ。
一方で、由舞の自由さはもちろん、湖に向かって走って行ってこっちに手を振っているナズナちゃんという存在は、葛之葉にあの悪辣な術を施した存在の下ではまず生まれない人種だ。
だから僕もいきなり攻撃するとか襲撃するなんていう選択肢を初めから頭に入れていないし、招いてくれると言うから招かれる事にしているのである。
「……天神様は神隠しの首魁ではございません。あの御方は、むしろ神隠しを知り、我ら妖怪と呼ばれた者らを保護してくださったと聞いておりますゆえ」
「保護、ね」
「はい。当時の事は我らの長である大天狗様がお話してくださいました。自分たちは運良くこの山で暮らしていたが故に保護された、と」
なるほど。
表立って反対したり対立したという話もなく、この山に住んでいた者達だけを保護したって事は、反対できなかった、という意味もあるのかもしれない。
だとすると、葛之葉や他の大妖怪を封印というか、利用していたのは天神様とやらの上の存在、かな。
更迭された下級神あたりが首魁という事になるのだろうけれど、それはそれである意味では納得だ。
関係の構築の価値を理解できていない、かつてのイシュトアの機械めいた態度を鑑みると、ただただ最高効率を求めて感情や嗜虐心といったものすら持たずに術を行使したと言われても納得できてしまう。
イシュトアならその辺りも把握していたりするのだろうか。
この一件が落ち着いたら訊ねてみようかな。
御客人であるはずの僕を他所にせっせと靴を脱いで湖の中に突進してしまってはしゃぐナズナちゃんの方へと目を向けつつ考え事をまとめていると、創流さんが続けた。
「……あなた様は、何者なのですか?」
「あはは、ずいぶんと率直に訊いてきたね?」
「……我ら御庭番。この地を守り、天神様に仇なす者、領域を穢す者を排除する役目を担っております。我らの長たる大天狗様すら、あなた様に対するような天神様の対応を見た事はないと、そう仰せでした。本来我々はあなた様の素性などには触れず、丁重にお迎えせよと命じられた以上、唯々諾々と従えば良いのやもしれませぬ。しかし……」
「僕からは天神様に対する敬意も感じられない。だから、敵かもしれない、と思ったのかな?」
身も蓋もない物言いをしてみせる僕の言葉に、創流さんは息を呑んだ様子でこちらを見て目を見開いた。
僕も目だけを創流さんに向ける。
「勘違いしないでほしいんだけれど、僕が何か危害を加えるつもりはないよ。きっと今回の話し合いも特に揉める事はないと思うしね」
「……左様でございますか」
「まぁ、安心していいよ。悪いようにはならないし、場合によってはキミたちのような妖怪にとってもいい方向に流れるかもしれない、そんな話し合いをしにきただけだから」
「いい方向、ですか」
わざわざ何をしようとしているのか、何をしに来たのかなんて話す必要はない。
それ以上は何も言わず、さっきからこっちを呼んできているナズナちゃんのところまで歩み寄っていくと、ナズナちゃんは膝下までが水に沈んでいるその場所で、僕を見てにたりと笑った。
「喰らうですっ、忍法水遁の術!」
「残念、魔力障壁。そして反転」
「ぴぎゃああぁぁっ! 目、目に入ったぁぁ!」
忍法なんて言っている割に、ただ手で水をかけてこようとしてきただけだった。
なんとなくやろうとしている事は想像できていたので水を弾き、跳ね返せば、見事に顔に水を浴びるハメになったナズナちゃんが叫んだ。
「ず、ずるいですっ! なんなんですか、今の術!」
「ふ……、まだまだ僕には届かないみたいだね」
「あーーっ、あーーーーっ! バカにしたです! 今ぜったい私のことバカにしたです!」
「あはは、バカにしてなんていないよ。純然たる事実を口にしただけ、かな?」
「むっきゃーーっ! バカにしてるですっ! あーあー、もう怒ったです! 吠え面かかせてやるですよ!?」
「わー、こわいこわいー」
「んぎぎぎ……っ! こうなったら、本物の水遁の術をお見舞いしてやるで――あ、いえ、ウソです。ハイ、ウソ、ですよ? お、御客人にそんな真似しない、です……よ……?」
すんっと表情が消えてどんどん顔が青くなるナズナちゃん。
うん、僕にイタズラで水をかけようとした段階で、創流さんから僅かに怒気が漂ってきていたからね。
そんな創流さんが近づいてきている事に今更気が付いたらしい。
……懲りないね、ナズナちゃん。
煽った僕も悪いかもしれないけれども。
「……ナズナ」
「ぴ……っ、はひ……」
「……あとで、逃げるでないぞ?」
死刑宣告でもされたかのような有様であった。
創流さんも僕の手前、怒鳴り散らす訳にもいかないらしく静かに告げて、ナズナちゃんの顔はもう見るに堪えないレベルで真っ青だ。
「ごめんごめん、今のは僕も悪かったよ」
「……あまりナズナをからかい過ぎないでいただきたい。この娘はまだ幼いゆえ」
「悪かったよ。さあ、そろそろ行こう。もうすぐお昼になっちゃうしね。ナズナちゃん、湖から出ておいで」
「……はぃ」
……うん、完全に意気消沈って感じだね。
さすがにからかい過ぎた僕が悪かったっていうのもあるし、少し元気を出してもらわないと罪悪感がある。
「ねぇ、創流さん。ナズナちゃんと僕で競走して、もし彼女が勝ったらお咎めなしでどうかな?」
「競走、ですか?」
「うん。先に中腹のお茶屋についた方が勝ちって事で、審判は創流さん」
「……それは……。お言葉ですが、ナズナはこう見えても御庭番ですゆえ、地理はしっかり把握しておりますし、ここから中腹の茶屋までの抜け道も把握しております。ナズナを庇っていただける心意気には感謝しますが……」
「まあまあ。ナズナちゃんも少し羽目を外してしまっただけだしね」
「……御客人がそう仰るのであれば。ナズナ、聞いていたな?」
「はいですっ! 絶対負けないですっ!」
ふんす、と両手を握り、先程までとは打って変わって元気になったナズナちゃんが元気に返事をする。
どうやら彼女も絶対の自信があるらしく、先程の意気消沈っぷりとは一変して、自信満々な様子であった。
「ふっふーーん、拙者は御庭番! ここはお庭! 拙者の勝ちは確定です! お叱り受けないです!」
「凄い自信だねぇ」
「当然なのです! この御神薙山で拙者に勝負を挑むなんて、黒天狗の拙者もビックリなぐらい鼻が伸び切っているですよ! ふっふーん、せいぜい悔しがるといいのですよー?」
「……なるほど?」
「調子に乗った罰を受けるといいです! 拙者が買ったらお茶屋さんでおやつを所望するです!」
ぷーくすくす、と笑いながら調子に乗り切ったナズナちゃんが、意気揚々とこちらを煽る。
怒られなくなった、という心理的な余裕からか、さらに要求までし始めちゃったよ、この子。
……うん、せっかくだし負けてあげようかと思っていたんだ。
けど、ちょっと気が変わったかもしれない。
御庭番なんていう役目にあるんだし、このお調子者ぶりは治した方がいいだろう。
うん、仕方ないね。
「……ナズナ――」
「――創流さん、合図をお願いしていいかな?」
ピキピキと眉間に皺を寄せた創流さんの言葉を遮って満面の笑みを浮かべて僕が告げると、創流さんがきょとんとした表情を浮かべながら、本当に良いのかと問いかけるような視線を向けてきた。
頷いてみせると、創流さんが深い溜息をついて、片手をすっと上にあげた。
「……では……――始めっ!」
「ふっふーん、お先ですっ! ――あれ?」
転移した僕にはナズナちゃんの声は聞こえなかった。




