#046 御神薙山と御庭番 Ⅰ
御神薙山はこの大和連邦国では有名な霊峰らしく、日本で言うところの富士山ほどのメジャー感はないものの、三大霊場の代表格とも言える程度には有名な恐山的な扱いを受けているスポットでもあるようだ。
有名なお茶屋とやらのある中腹から少し登ったところには、この大和連邦国の神である天神様とやらが祀られた神社があるらしいのだけれど、そこに入れるのは一日五十組、総勢百名までと人数制限も設けられているようで、その大半が大和連邦国内各地にいるという神主などの神職に携わる者達であるらしい。
そういう人達もカウントされるっていうのはちょっと意外だ。
観光客とは別口だし、カウント対象にはならない印象があったのに。
ともあれ、昨日の邂逅から一夜明けて翌日、僕は御神薙山の麓へとやって来ていた。
葛之葉がこの御神薙山を神域なのではないかと踏んだ理由は、麓に着いてすぐに理解できた。
山から発せられている空気が、どうも前世で言うところの神聖魔法を使っているような清らかさや温かさのようなものに近く、布に包んで背中にかけている『黄昏』が居心地悪そうな気配を放っている。
本来なら呪の塊とも言える『黄昏』を持って神域に行くなんて真似はするべきじゃないんだろうけれど、この国を管理しているらしい神とやらが敵対しないとも限らない以上、遠慮する必要もないだろうというのが僕の判断だ。
一応、この世界の亜神たちに対してどのような対応をするかについては、イシュトアにもどこまでが許されるか確認してあるし、無礼だのなんだのと言われる立場でもないらしいので、『黄昏』には我慢してもらおう。
とは言えケアしないままというのも可哀想だし、という事で僕の魔力で包んでおく。
多少は落ち着くだろうかと考えての試みだったけれど、効果はあったらしく、『黄昏』も落ち着いたようで感謝を伝えてきた。
……自我がハッキリし過ぎてる気がするけど、気にしない方向でいこう。
中腹までは送迎バスも出ているらしいけれど、今回僕は歩いて――という名の目視できる範囲まで転移魔法も使って――山を登る事にした。
まだ朝も早い時間だし、お昼までは時間もあるからね。
そんな訳で麓から中腹へと繋がる登山道を歩いて行く。
いくらなんでも恐山のような霊場として知られているとは言っても、日本のように地獄巡りだったり三途の川があったりする訳でもない。
一方で、この山は季節や四季の巡りに関係なく様々な草花が咲き誇り、果物が実をつけたりと、超常的な現象も確認される一方で、特に解明を求めて研究者だとか研究機関がどうとか動いているような情報もなかった。
どうやら神祇院という部署があって、そこがこの御神薙山は神聖な場所であり、保護するべきという考えを持っているようで、研究や開発の一切を拒んでいるらしい。
もっとも、僕が得た情報なんてインターネット上に転がっている情報に過ぎないので、実態は違うのかもしれないけれど。
綺麗な水が流れる渓流や、背の高い木々。
まだ夏が終わったばかりで暑いぐらいの気温だというのに、心地よく冷たい風が流れ込んできて、歩いているだけでも心地良い場所だと感じられる。
人の手が入っていないような道にも何かあったりするのだろうか。
そんな事を思いついて登山道から離れたところを見に行こうかと考え、周りに人の気配がない事を確認した上で外れた道へと転移する。
――うん? 何かいる?
転移で目視できる範囲まで移動してみただけなのだけれど、何やら僕を見失って焦ったのか、慌てているらしい気配が一つ浮かび上がってきた。
まったく気が付かなかったけど、僕を監視していたってところなのだろうか。
とりあえずその気配の真後ろ――大きな木の枝の上に再び転移して目に魔力を流してみると、なんだか忍び装束みたいな造りの深い緑色の服を着ている少女の姿が見えてきた。
「――やあ、こんにちは」
「ぴっ!?」
……ぴ?
謎の声をあげた少女の背中からばさっと黒い羽が広がった。
真っ黒な鳥の羽みたいだし、もしかして妖怪か何かなのだろうか。
少女が振り返るのを待っていると、ギギギと音でも鳴りそうな程にぎこちない動きで少女がこちらへと振り返った。
「……な、なな、何故そちらにいるです……!?」
「何故と言われても、キミが僕を監視していたみたいだから、ちょっと挨拶しておこうかなって」
「気付かれたですか……!? そ、そんな、バカな……!」
「いや、僕が転移した時に動揺したでしょ。その時に気配が明確になったからね」
「いきなり消えるなんてずるいです! やり直しを要求するです!」
「いや、隠れんぼとか鬼ごっこじゃないんだから……。というかキミ、僕のこと監視してたよね?」
「ぴっ……い、いえ、その、拙者はほら、修行をしていただけで……」
……すっごい目泳いでるし、なんか鳴き声みたいなの漏れているし。
そもそも動揺を隠せていると思っているのだろうか、この子。
しかも忍び装束で一人称拙者とか、なんか情報量多いなぁ。
「修行って、僕を尾行したりするのって修行なの?」
「そうです! 尾行も修行です、故にこれは修行です!」
………………。
「――ハッ!? ゆ、誘導尋問とは卑怯です!」
いや、誘導するまでもなかったんだけど。揺さぶっただけなんだけど。
「くぅ……っ、御神薙の御庭番であるこの私を騙すとは、只者ではないのです!」
「へぇ、すごいんだね、御庭番なんて」
「ふっふーーん! そうです! 私はすごいのです! 若い天狗の中でも優秀な者だけが就ける御庭番、黒天狗のナズナとは私の事なのです!」
「おー、すごいねー」
「そうなのです! 私はすごいのです! そんなすごい私だから今日も天神様に言われてお前を監視するお役目をいただいたです!」
「そっかー」
……大丈夫かな、この子。
機密的な情報というか目的とか素性とか、名乗りまであげちゃってる訳だけど。
どう考えても明かしちゃいけない類の情報だと思うんだけど。
「でも物騒だね、監視なんて」
「しょうがないです! 天神様と由舞様の御客人とは言っても素性が分からないです! みんなからは案内しろって言われていたですけど、私が怪しいと思ったら怪しいです! だから監視するって言ったら天神様に「くれぐれもれーをしっするな」と言われたのです! よく分からなかったですけど多分認められたのです!」
「へー、そうなんだねー」
多分というかほぼ確実に、「礼を失するな」だろうなぁ。
そんな言い方をするという事は、天神様とやらは僕の正体については完全に理解しているんだろう。
でもこの子にはその言葉の意味が理解できなかった、と。
「で、なんでキミひとりなの?」
「他の黒天狗たちが卑しくもお役目を奪おうとしたです! だから抜け出してやったです! 私の隠密術を破れると思ったら大間違いです!」
……うわぁ、十中八九止めようとしたんだろうなぁ、これ。
確かにこの子の技量は僕でさえ動揺を見せなければ気付かなかった程だし、卓越した技術を持っているっていうのは間違いないし、その実力を買われて御庭番とやらになったんだろうけどね。
ただ、技術の割に精神面がまだまだ幼いというか、うん。
きっと御庭番かっこ見習いかっことじ、みたいな立場なんじゃないだろうか。
あ、騒動に気が付いたらしい他の魔力反応がどんどんこっちに近づいてきてる。
「という訳で、今のナシです! もう一回隠れるので目を閉じて十数えてほし――ぴぎゃっ!?」
少女の頭をがしっと掴んだ、鍛え上げられた手。
ギリギリと音が出そうな程に強く頭を掴まれて顔を真っ青にしちゃってる辺り、怒られるって理解したんだろうね。
なんかちょっと断末魔っぽい声が漏れていたし。
その手の主もまた、少女と同様に忍び装束に身を包み、顔に天狗を思わせる上半分のお面をつけていた。
なかなかの速さで接近していたにもかかわらず、息の一つも切れていないようだ。
そんな男の人が、僕へと顔を向け――勢いよく頭を下げた。
「……申し訳ございません。天神様の御客人に無礼を働くなど――」
「――いや、気にしなくていいよ、うん。だからとりあえず頭を上げてもらえる? あと、可哀想だから手を離してあげたらいいんじゃないかな? なんかもう顔が真っ青だよ、ナズナちゃん」
まるでこの世の終わりを見ているかのような表情、とでも言うのだろうか。
さっきまでの少しドヤっている感じのちょっとイラ……いや、可愛らしさが鳴りを潜めて、これから怒られるという事を理解した子供の顔になっているし。
頭を上げてくれた男性も僕の憐れみを聞いて手を離し、少女――ナズナちゃんはぱあっと表情を明るくしていく。が、男性の手がナズナちゃんの襟首を掴んで片手で持ち上げ、猫みたいに無を悟ったかのような表情になった。
なんか愉快な子だなぁ、この子。
「ご寛恕いただき、ありがとうございます。ですが、この娘には罰を与えねばなりません」
あ、ナズナちゃんの顔がまた青くなった。
「罰、ね。御客人とやららしい僕が無礼はなかったと言っても、かい?」
またナズナちゃんの顔がぱあっと明るくなった。
「はい。無礼を働かずとも、抜け出して勝手をしたのは事実ですゆえ」
また青くなった。
いや、ある意味器用というか、毎回毎回表情の切り替わりが早いね、キミ。
「じゃあ、僕からこの子と、そしてあなたに案内を頼んでもいいかな?」
今度はナズナちゃんの顔がきょとんとしてこちらを見てきていた。
キミ、割りと怒られる事をなんとも思っていないって事はない? 切り替わりが早すぎてポーズだけで嫌がってる気がしてきたけど?
「……この娘は半人前です。大事な御客人の案内など……」
「その御客人の希望って事でどうかな? 僕としても、この子と話すのは楽しいし、ね」
そういう事にしておけば、大して怒られずに済むのではないだろうかという僕の狙いを正確に汲み取ったのか、男性は僅かに逡巡した後で、これまではずっと恐縮しっぱなしといった空気から、ふっと気を緩めてお面越しに微笑んだ。
「……ご配慮いただき、ありがとうございます」
手をひらひらと振ってみせる僕を他所に、なんとなく助かった事を理解したらしいナズナちゃんが僕と男性を何度か交互に見た後で、得意げに笑って腰に手を当て、ふんぞり返った。
「ふっふーーん! そこまで言われたら私が案内ぐらいしてやるです! 感謝するがいいで――ぴぎゃああぁぁぁ、いたいたいたいたい!」
「お前というヤツは……ッ!」
結局、ナズナちゃんはアイアンクローの餌食になってしまったようである。




