#045 晴天の空に悪態を
《……はあ、しんど。なんやねん、あのバケモンは……》
目の前から転移して消え去ったルオを見送って、ルオに烏と認識されていたクロウが独りごちる。
ルオにとってみれば僅かな威圧に過ぎなかった、牽制。
しかしそれを向けられたクロウにとってみれば、あの瞬間、自らの首が、あの腰に佩いた刀によって瞬時に斬り裂かれたかのような錯覚を覚える程のものであったのだ。
ルオやその周辺にいる者は気が付いていないが、『黄昏』の放つ呪いの気配は魔力を持つ者ほど敏感に感じ取れる代物だ。
その力の正体が判らずとも、精霊と呼ばれるクロウはもちろん、もしもこの場所に夕蘭がいて『黄昏』を目にすれば、ルオの実力の一端を知る夕蘭であっても、思わずルオが呪われているのではないかと錯覚する程度には強力過ぎる呪いの塊とも言える。
そんなものを平然と持っていて、かつ、それを完全に制御下に置いている。
もはやそれだけで、かつてこの西都が京の国と呼ばれていた時代を跋扈していた大妖怪ではないかと考えた程であった。
倒れて気絶している魔法少女――桔梗と、その契約精霊であるルビは致命傷ではなく、風化が始まるルイナーの攻撃を防いで結界を張った結果、魔力が枯渇してしまっているらしい。
そんな事を見抜いたクロウは桔梗らの面倒を椿に託したまま、ルオという未知の化け物との邂逅から未だ収まらぬ震えを隠すように、今度はルイナーに近づいた。
まさしく一刀両断といった形で斬り捨てられ、徐々に風化を始めたルイナーの表皮。
それを魔力を込めた嘴でトントンと突いて、思わず後退る。
魔力を込めて突いてみたのは、魔力の反響でどの程度の硬さを有しているのかを理解するための行為だった。
相棒である椿と共に、再びこのタイプのルイナーが現れた際に戦う際、判断材料を増やすために、少しでも情報を蓄積させようとしてのもの。
しかし、情報を蓄積してきたクロウだからこそ、気が付いた。
このルイナーの表皮を貫く程の攻撃手段は、西都でも上位の魔法少女である椿と自分であっても、その方法を有していないという現実に。
《……うっそやろ。コレを一発で斬ったんか……》
その硬さを理解したからこそ、余計にルオの異常さが浮き彫りになったかのような気分だった。
どう見ても一刀両断、しかも横に斬り裂いたのではなく、縦に。
妖刀の長さは長大であったが、しかしそれ以上の体長を有するルイナーを。
そして、明らかに鉄よりも圧倒的に硬く、魔力によって保護されているはずのルイナーの躰を。
ただの力技で、こんな事ができるはずはなかった。
隔絶した力の差が確かに存在していなければ、こんな事はできるはずがないのだ、とクロウは理解する。
「――あらまあ。ルオくん、さすがやなぁ」
――不意に聞こえた声に、クロウはもちろん、椿もまたその声の主へと慌てて振り返った。
薄桜色の着物を身に纏った、長い黒髪を簪でまとめた少女。
おっとりとした物言いと、クロウからすれば西都でも古い言葉に当たる、京言葉特有の抜けるような印象を受ける物言いは、どうにも緊迫感に欠ける印象を受けるが――それ以上に、クロウは思う。
――げぇ、厄介なのがきおったわ……、と。
「え、えぇっ!? 由舞様!? なんでおるん、こないなトコに!」
椿が慌てて声をあげるのも、ある意味では自然な流れだと言えた。
西都はかつて、京の国と呼ばれた大和連邦国でも比較的古い文化が未だに根付いている町だ。
それは偏に、この町から凛央へと遷都した事によって、かえって新たに流入してくる文化というものに染まらずに済んだが故のものとも言える。
そんな西都には、かつて葛之葉たちのような大妖怪が跋扈していた時代の文化が色濃く残っている。ルオが西都にやってきて目にした看板に書かれていた町の造りもまたその一端ではあるが、もちろんそれだけではない。
――それが、神祇院の存在。
表向きには政府の神事、祭祀を担うために設けられた外局の一機関であるとされているが、その実態は異なる。
――神祇院とは表向きの名前であり、本当の名前は『神宜院』。
神の言葉と意思を政府へと伝える者達であり、力を有する巫女のみが所属できる、由緒ある機関である。
目の前に現れた由舞は、表立った有名人ではないが、そんな神宜院の中でも最上位に位置する『御使い』に当たる存在であり、滅多に表には出てこないはずであった。
西都の魔法少女として実績を積み上げた魔法少女は、この神宜院の存在を教えられ、当代の巫女らと面識を持ち、一度だけ、当代の『御使い』と顔を合わせる事を命じられる。
もっとも、儀式めいた面会の儀を行った後は、意外にも気楽なお茶会のような空気の中で少しばかりの会話をする、というような顔合わせにしては些か気楽とも言えるものだ。
そのため、同行している政府職員がガチガチに固まっていようとも、その日だけで胃に穴が空くような気分を味わっていようとも、魔法少女にとってみれば遠い世界の住人でしかなく、『お偉いさんなんやな』ぐらいの認識でしかないが。
しかし、クロウら精霊は神宣院の本来の役割を理解している。
クロウにとってみれば、雲の上にいるようなお上の者が現場に突然姿を現した、というところだろうか。
要するに、扱いに困る相手という訳である。
そんなクロウの心情を知ってか、猫又のキヨはクロウを一瞥して鼻を鳴らしていたが、由舞は相変わらずのゆったりとした物言いで椿へと声をかけていた。
「ちょいとお使い頼まれてなぁ。町まで出てきとったんよぉ」
「え、ゆ、由舞様に、お使いって……」
「そう珍しいことやあらしまへんえ? うちとてたまにはお外に出ることもあるさかい」
「そ、そうですか?」
確かに外に出る事はあるだろうが、先述してきた通り由舞は神宣院の中でも最上位に位置する『御使い』である。
そんな彼女が町にまでやってくるのであれば、それこそ数名の身辺警護人や護衛がつくのが通例であった。
そんな彼女が、悠々と隔離結界の中に入り込んでくるなど、本来は有り得ないのだ。
訝しむクロウに猫又のキヨが歩み寄り、小さく告げる。
《あまり詮索するでないぞ、烏》
《……はて、なんのことや?》
《全てについて、だ。由舞の事はもちろん、お前たちが会った白銀の少年の事も》
キヨが詮索するなと口にした内容がどれを指しているのかと問いかければ、キヨがあっさりとその答えを口にする。
《……自分ら、あのあんちゃんのこと、知っとるんか》
《詮索するなと言ったはず――と言いたいところじゃが、まぁ少しぐらいは構わぬか。アレが凛央に現れた男の魔法使いと呼ばれているルオという少年じゃ》
《魔法使い?》
《うむ。聞けば、今は得体の知れない呪いを浴びたとかで魔法が弱体化しているという報告が上がっておる。おそらく、それを補うために得物を手にしておるようじゃな》
客人として迎えを頼まれて以来、当然キヨは対象となったルオの存在を調べている。
凛央に突如として現れた、ルイナーという存在に敵対する謎の少年であり、その正体についても。
そんな彼が同郷の元仲間との戦いで深い傷を負い、何やら特殊な呪いを受けてしまった結果、魔力を充分に扱えなくなったという話についても、政府を通して報告を受けていた。
もっとも、それらはルーミア劇場によって演出されているだけの、全くの誤情報なのだが。
ともあれ、そんな情報を真実として受け止めてしまっているキヨには一切の悪気はないのだが、誤情報を受け取る事となったクロウは勘違いを加速させた。
《得体の知れない呪い、なぁ。あのあんちゃんから感じられた呪いの正体はそれか》
《うむ、そうであろうな。あれだけの呪を身に宿していながら、平静を装っていられるようじゃ。只者ではあるまい》
もしもこの会話をルオが聞いていれば、まったくもって見当違いな事を、さも真実を知るかのように語られるこの状況に表情を引き攣らせていたかもしれない。そもそもルオの身体は呪われてなんていないのだから。
由舞に連れられて喫茶店へと入った当時、ルオは『黄昏』に布を巻いた状態で背中に背負っており、そこに斜めがけのショルダーバッグを背負っているかのように幻影を被せて隠していたのだ。
そしてクロウの前では堂々と『黄昏』を腰に佩いており、その呪いのあまりにも濃すぎる力の奔流に、クロウもまたルオが呪われているものだと勘違いしているのである。
故に、勘違いは加速する。
《……あんなもん背負って、辛くないはずがない。なのに見ず知らずの魔法少女を助けたっちゅうんか、あのあんちゃんは……》
《……うむ。呪に蝕まれ、それに抗うというのは身の内から焼かれるような痛みを味わうと言う。それでも力を振るい、戦いに身を投じたのじゃろう》
《……何が、そこまで駆り立てるんや。あのあんちゃん、まだ子供やんか……》
《さて、な……。凛央でも魔法少女を助けていたと聞く。何か譲れぬものがあるのじゃろう》
《子供が子供を助けるんかい……チィッ、腹立つわ。あのあんちゃんも、椿も、他の魔法少女も。全員まだ子供なんや。なんで子供ばっかり戦わなあかんねん、クソッタレ。なぁ、自分らやったらどうにかできるんとちゃうんか?》
《無茶を言うでない。それができるなら、疾にやっておるわ……! 我らが主も胸を痛めておるところ。歯痒い想いをしておるのは、何も儂らだけではない……!》
間近で戦いを見ているクロウだからこそ、魔法少女だけが戦わなくてはならないというこの状況はどうしようもなく歯痒いのだ。
そして、間近で苦悩する主を見ているからこそ、キヨもまた悔しいと強く感じているのである。
そんな精霊たちも胸の内に抱えた苦しさを呑み込んで、振り返る。
のほほんとした会話を繰り広げている由舞と椿の、少女らしい平和な光景にそっと胸を撫で下ろしながら、そんな身の内に燻る思いに、また蓋をする。
そうしてクロウは、空を見上げた。
《……契約して戦わせとるわいも、ほんまにクソッタレや》
憎たらしいぐらいの晴天を見上げながら、クロウは本当に小さく、胸の中で蓋をするしかない現実に向かって吐き捨てた。




