#038 大和連邦国の歴史 Ⅰ
いくら僕が治療するのは彼女の体内の魔力に関する部分であって、直接肌を見る訳ではないとは言っても、葛之葉の着ている小袿の生地そのものが魔力を持ってしまっている。
要するに、せっかく略式とは言え正装とも言える小袿なんてものを着てくれているようだけれど、治療する僕の立場からすると邪魔でしかない、という結論に至る訳だ。
なので、双子の少女にお願いして簡素なものに着替えてきてもらう事にしつつ、ジル達には布団を敷くのを手伝ってもらってもらった。
そんな訳で、数分後。
急遽敷かれた布団に寝かされるハメになった葛之葉はどうにも居心地が悪そうに顔を背けながらも、僕の診察を受ける事になった。
家事と掃除をしてくれるというジル達は双子の少女に連れられて部屋を出ており、僕とルーミアだけが葛之葉の部屋に残っている。
手を翳して魔法陣を浮かべながら、僕は世間話を続ける感覚で改めて葛之葉に声をかけた。
「しかしまぁ、大妖怪、ね。そんな存在がいたとは知らなかったよ」
「……いや、そうそういるもんじゃあないってのは否定しないさ。けどね、あんたみたいな神様なんていう存在に比べりゃあそれなりにいるもんだろうさ」
あ、はい。
そりゃそうですよね。
大和連邦国というか、この世界の歴史を調べてきた訳ではないけれど、日本と同じような世界だと考えると、妖怪も神も実在しているかも分からないというのも理解できるね。
実際、僕も日本人として生きていた頃は神様なんて信じていなかったし。
「まあ、あたしらが表立って歩いていたのはかなり昔の話さ。知られてなくたって驚きやしないよ」
「さあ、どうだろうね。生憎、僕らはこの世界に来て一年と経っていないからね。常識とか暗黙の了解とか、そういう部分については何も知らないと思っておいてもらえると助かるよ」
正直な話、常識を調べる、理解するっていうのは難しい。
常識なんて一言で言うけれど、それは「言語化されていない人としての振る舞い方、当たり前の知識、一般的な判断基準を理解すること」という複数のものを指している言葉だと言える。
そんなものは一朝一夕で身につくような代物ではないし、この世界の常識を知る人間と一緒に暮らしている訳でもないのだから。
なので、大妖怪というか、妖怪の存在がこの世界で認知されているかどうかまでは分からないのだ。
まぁ、ニュースとかで調べた感じでは妖怪なんて話も出てなかったし、あまり知られていない存在なんじゃないかなとは思うけれども。
「この世界に来て、か。まぁそうだろうね。じゃなきゃ、あたしなんぞ助けたりしないだろうさ。なんせ――あたしを封じ込めたのは、神の一柱だからね」
うん、やっぱりというか、これは僕も予想していた回答だった。
あの双子の少女は僕と何者かを比較していたみたいだし、神気を使う、なんていう話から、もしかしたらそうだろうなとは思っていたのだ。
特に驚く素振りも見せなかった僕をちらりと見て、片眉をつり上げた。
「なんだい、知っていたのかい?」
「いや、予想していた通りの回答だったからね。驚きはなかったかな」
「ふん、なるほどね。――それで、あたしが神に封じられていたと聞いて、あんたはどうするね?」
「ん? どうするって、何が?」
…………うん?
問いかけ返しても返事がなく、聞こえていなかったのかと確かめるように葛之葉の顔に目を向けると、葛之葉はなんだかぽかんとした表情を浮かべていた。
え、何?
「ふふふ、ルオが葛之葉を改めて封印するとでも思ったんじゃない?」
「え、なんで?」
「さあ? 他の神が決めた領分に手を出してしまったのが禁忌だったりとか、理由があって封印されていたんだと知ったからとか? そういえばルオ、神にもそういうルールみたいなものってあるの?」
「んー、別にないんじゃないかな。だって僕、一応今、この世界の管理者っていう立場だし。僕が勝手に動いても文句を言える神なんていないはずだよ」
実はこれ、イシュトアから以前聞かされていた内容でもある。
どうやらこの世界を管理していた下級神は色々とやらかしてしまっていたらしく、その結果、現在は降格させられ、管理者としての立場を剥奪されてしまっているらしい。
そんな訳で、イシュトアと繋がりのある僕がこの世界にいる神と呼ばれる存在の中では最上位の立ち位置になってしまい、管理者権限を一時的に付与されている状態、という訳だ。
もっとも、僕の感覚からすれば、僕はあくまでも管理者ではなく調停者に近い、という感覚であったりする。
実際に管理したり云々を率先して行うつもりはないので、新たな管理者が出てくるまでの一時的な権限みたいなものだからね。
そんな事を考えながら答えたのだけれど……葛之葉とルーミアから驚きを隠そうともしないような、何やら見開いた目を向けられていた。
「あれ? 葛之葉はともかく、ルーミアには言ってなかったっけ?」
「もうっ、そんな話は聞いてないわよ」
「あはは、まぁ僕からしても突然降って湧いた話みたいなものだからね。特に気にしてないし」
ある意味では有り難い話ではあるけどね。
もちろん、僕が実権を握れるからとか、偉い立場に憧れているから、という訳ではなくて、僕の計画を実行する上で、そもそもこの世界の神とはいずれ接触する必要があったから、という意味で。
よく分かっていない様子で小首を傾げる葛之葉に対し、一通りこちらの目的とこれまでの経緯を話していくと、葛之葉は目を丸くしてみせたり、くつくつと笑いながら肩を揺らしたりと楽しそうに話を聞いていた。
ついでに葛之葉がどれぐらいの期間封印されていたのかと訊ねてみたけれど、正確にどれぐらいの年数が経過したのかだとかは葛之葉にも理解できないらしい。
どうにもこの世界って日本で言うような西暦だったりっていう、世界的に共通されている数え方が確立している訳ではないみたいだしね。
現界――つまり地上の世界が培っていた技術を聞く限り、日本で言うと技術レベル的に平安時代後期あたりに思えるし、日本とまったく同じような変遷を辿っていたと仮定したら、だいたい千年程が経過している事になる訳だけど。
「――……なるほど。あたしが封印されている間にずいぶんと現界は様変わりしたもんだね。科学技術に邪神の眷属、それに魔法少女、ね」
「まぁ、おそらく数百年から千年程度は経っている訳だし、色々変わってはいるだろうね。――よし、治療は完了したよ」
「……感謝するよ。あぁ、懐かしいね。引き抜かれていた力が久方ぶりに少しずつ自分の中に残っているって実感するよ」
布団の上で起き上がった葛之葉が自分の手を見ながら呟く声を聞きながら、僕は改めてルーミアの近くに座布団を置いて腰を下ろした。
――引き抜かれていた力、か。
葛之葉に先程まで施されていた封印術は、敢えて葛之葉の意識も奪おうとはしていなかったし、やっぱりただの封印ではなく、葛之葉の力を奪うための術式だった、という事らしい。
「さて、葛之葉。僕らの事は一通り伝えた訳だし、そろそろ聞かせてもらっていいかな? ――キミをあの趣味の悪い術に縛り付けた存在と、その目的について。キミの知っている事を教えてほしい」
「……そうだね。あんたは恩人だし、何よりあの神に対抗できる唯一の存在みたいだしね。洗いざらい吐こうじゃないか」
葛之葉が金色の双眸を忌々しげに細めて、続ける。
「まず、あんたはさっき、この世界には魔力が少ないって言ったね? けど、それは少し違うのさ。あたしがまだ現界にいた頃、まだ神通力、妖力、あるいは霊力。ありとあらゆる呼ばれ方をしていたあたしらの力――つまり、あんた達の言うところ、魔力ってのは、珍しいながらも当たり前に存在していたよ」
――……やっぱり、ね。
おかしいとは思っていた。
後天的に魔力に馴染んでいく、というのは確かに事実として有り得るものだ。
それは僕が作った組織である『暁星』のメンバーであるリグレッドを見ていれば理解できるし、実際、僕の前世でも魔素濃度の濃い環境に居続ける事で、自らの魔力を高める事ができていたからね。
リグレッドはアレイアによって意図的にそれを実践してもらい、成功しているに過ぎない。
でも、それは無から有を作り出している訳ではなくて、無には近い有から拡げている、というのが正しい。
つまり、前世の世界同様に、この世界の人間は誰しもが魔力を有している。
けれど、それを活用する術を知らず、拡げ方が理解できていない上に活用されずに放置されているだけの話だ。
そして、それを精霊という存在が無理やり拡げるよう干渉した結果、魔法を使えるようになった存在こそが、精霊の契約者である魔法少女という訳だ。
「当時、妖怪であるあたしら以外にも、人間にだって祓魔士や結界士、陰陽師なんて連中もいたからね。けど、ある時、そういう力を持った何者かが忽然と姿を消すなんていう噂が立ったのさ」
「それが、キミを封じた神の手によるものだった、という事だね?」
「あぁ、そうさ。文字通りの神隠しってヤツさね。力の強い大妖怪である鬼、天狗連中はもちろん、妖怪、あるいは妖魔なんて呼ばれる存在も片っ端から神隠しに遭ったのさ。ただ、人間は力が弱かったせいか、表立っての騒動にはならなかったみたいだね」
「……お眼鏡に適わなかった、ってヤツだね。多分神の方にもなんらかの目的があって、それを実践する上で基準に満たなかったってところかな」
「だろうね。魔力を利用して何かをしようとしている、ってのは分かったけどね。それ以上に、あの悪辣さの方が腹立たしかったよ。あの子たちを苦しめ、あたしとあの子たちを縛り付けたんだ。必ず落とし前をつけさせてやるさ」
数百年、なんて言われると途方もない時間だし、僕みたいに眠り続けていた訳ではない以上、相当な恨みはあるだろう。
復讐したいと言うのなら復讐する事に反対する気はないけど、なかなか難しいというのは否めないだろう。
「ところで、鳥居の向こうにある『大源泉』だけど、アレはキミが管理しているのかな?」
「そうさね。源泉と言えるアレはあたしらみたいな大妖怪が根城にしていたよ。居心地の良い場所だからね、妖力――いや、魔力を補充できるしね。居着いている内にいつの間にかってところさね」
「……なるほどね」
あの『大源泉』にはしっかりと微弱な意思が生まれているし、おそらく葛之葉も気付かない内に、『大源泉』の管理者として認められているのだろう。
実際、彼女の無事に気が付いて水の球体たちは喜びを顕にしていた訳だしね。
ともあれ、葛之葉や他の大妖怪たちに手を出した理由は、『大源泉』の魔力を何かに利用する為のものだったのは間違いなさそうだ。
じゃなきゃ『大源泉』から拡散された魔力によってこの世界の魔素はもっと濃くなっているはずだし。
問題は、その目的が不透明なまま、というところかな。
「……うん、決めたよ」
「あら、何を決めたの?」
ルーミアが何かを察したように、楽しげな表情を浮かべながら敢えて訊ねてきた。
分かっているのに質問してくる辺り、おそらく、葛之葉を驚かそうと画策しているらしい。
目の輝きがリュリュをからかう時のそれと同じだしね。
「……ルーミアってなかなかにイタズラっ子気質なところがあるよね」
「ふふ、そうかしら? で、なぁに?」
ちくりと刺してみても動じないルーミアは一度放置して、僕は葛之葉に目を向けた。
「――ちょっとその神の口を割らせるから、その神と繋がる場所教えてもらっていい?」
人によっては殴り込みとも言えるような横暴な行動を口にする僕に、ルーミアの期待通り葛之葉は目を丸くした。




