#037 『大源泉』と鳥居の向こう Ⅲ
泣きじゃくりながら抱き着く二人の少女。
落ち着くまで待っていようかと思いつつ部屋の外へと出て行こうとしたところで、杭に貫かれて磔にされていた女性の金色の瞳、縦に伸びた瞳孔が僕へと向けられた。
「助けてくれたのは、アンタだね?」
「まぁ、成り行きでだけどね。そういうあなたが葛之葉さん、でいいのかな?」
「あぁ、そうさ。けど、恩人にさん付けされちまったら立つ瀬がないよ。呼び捨てておくれよ」
苦笑しながら言い捨てる葛之葉の態度に、つい、僕は懐かしく思った。
――似ている。
僕を育ててくれた魔女の師匠に。
どこかあっけらかんとしているとでもいうか、達観しているような印象を受ける態度と物言いが。
なんだか懐かしくて、同時に、助けてあげる事ができて良かったと、じんわりと胸の内が温かくなった。
「分かったよ。あとでキミの治療を続けるけれど、その前に、ちょっと僕は席を外させてもらうよ」
「おや、どこかに行くのかい?」
「外に四人ばかり、仲間を待たせているからね。何も言わずにこっちに来てしまっているし、心配させる訳にもいかないからね。それに……」
ちらりと未だに泣きじゃくり、抱き着いたままの二人の少女に視線を向ける。
この子たちにとって、今は何よりも甘えたいという気持ちが大きいようで、小さな手で葛之葉の服をぎゅっと握って顔を押し付けている。
そんな姿を見続けているというのは、無粋というものだろう。
邪魔者が目の前にいては話したい事も話せないかもしれないしね。
そんな僕の考えに葛之葉も気が付いたのだろう。
困った様子で小さく苦笑をしてから、僕に目を向けて小さく感謝を告げるように小さく目礼した。
「そういう事なら、お仲間も連れといで。許可は出しておくさね」
「あぁ、うん。ありがとう、助かるよ」
さすがに勝手に連れてくる訳にもいかないだろうと考えていたし、葛之葉の体調もまだまだ万全とは程遠いはずだ。
場合によっては日を改める事も考えていたのだけれど、本人は特に無理をしている様子もなさそうだし、ルーミアはともかく、ジル達を連れてきて三人に世話してもらった方がいいだろう。
そんな事を考えて、僕は一人、不思議な屋敷から鳥居に向かって戻って行った。
鳥居を潜ると、あちこちに水の球体が浮かび上がり、なんだか随分と楽しそうというか、上機嫌な様子で小躍りするように動き回っている姿が見えた。
浮かび上がっている水の球体は数えられる程度しかいなかったはずなのに、数がかなり増えているし、ゆったりと浮いていたはずなのに、動きが妙に激しくなっている。
何事かと思いつつその光景を見ていると、僕を案内してくれたらしい水の球体が鳥居の脇に控えていたのか、僕を見つけて空中を弾むように近寄ってくるなり、僕に喜びを伝えようとしているのか、空中でぽよんぽよんと身体を弾ませて僕の周りをうろうろし始めた。
うん、中で起こった事が理解できているのかもしれない。
となると、この水の球体――いや、この湖自体が葛之葉の力を受けた眷属のような立場にあるのだろうか。
そんな事を考えつつ水の球体を伴って、伸びている水の橋を少し歩いていると、前方からルーミア達がこちらに向かって歩いてきている姿が見えた。
「戻ってきたらこの水の橋が出来ているし、あの鳥居が光ったからこっちに来たのだけれど、やっぱりここにいたのね、ルオ」
「うん、鳥居の向こう側にね。……というか……」
僕の視線はルーミアを通り越して、その奥に立っているジルに向けられている。
やっぱり案内役の水の球はついて来ているらしいのだけれど、その水の球体は僕についてきているものとは違って浮かんで先導している訳ではない。
……何故かジルの頭の上でふよんと身体を上下に揺らして乗っているのだ。
しかも動きから、どこか得意げな空気を放っているように思えるんだよね。
僕の時のように動きが遅すぎて置いて行かれて、見かねたジルが運ぶ事にしたのだろうか。
ならせめて女性陣が抱きかかえてあげるとかで良かったんじゃ……?
ちらりとアレイアとリュリュに目を向けると、アレイアは澄ました顔をしているけれど、リュリュはさっきから視界の隅にジルの頭が映らないようにそっと視線を逸している。
……あれ、多分見たら笑っちゃうんだろうな。
どうしよう、ちょっと振り向かせてやりたい。
「よく僕がこの先にいるって分かったね?」
「これ見よがしに水の橋が出来ていて、その子がずっとここで落ち着かない様子で飛び回っていたんだもの。この先に何かがあってルオはそこに行っていて、それがうまくいったんだと理解するのは当然でしょう?」
「分かりやすいとは思ったけれど、うまくいったっていうのはどうして分かったのさ?」
「さっき、突然鳥居が光ったかと思ったら、この子みたいな水の球体が急に増えてこの有様よ。どう見てもご機嫌な様子じゃない。これを見て分からないなんて事はないと思うけど?」
「……まあ、ご機嫌なんだろうね。なんだか踊っているみたいだし」
何せ湖のあっちこっちで水の球体が生まれて、ぽよんぽよんと跳ねながらお互いにぶつかってみたり、合体して分裂してっていうのを繰り返しているし。
何か気に喰わない事があって苛立っている、とは到底思えないような、平和な光景が広がっているもの。
「あぁ、そうだ。ジル」
「なんでございましょう、我が主様」
「その頭、濡れないの?」
「こちらは何やら表面は弾力性がありましてな。こうして頭に乗せていても濡れないのですよ」
「へぇ、そうなんだ。いきなりずぼっと底が抜けて顔が覆われたり、額まで浸かってアフロヘアみたいにならないでね」
「……ぷひゅっ」
……さすがに耐えきれなかったらしいリュリュの口から息が漏れ、それを皮切りにぷるぷると笑いを堪えきれなくなってきたからしく、肩が震え始めた。
そんな姿にルーミアはくすくすと笑みを零し、アレイアは「修行が足りません」とでも言いたげに澄ました顔を貫いていて、ジルは――何かを思いついたかのように目を光らせた。
……ん? 目を光らせた……?
「リュリュ、オルベール家に連ねる使用人ともあろう者が、この程度を耐えきれないとは何事です」
「う、ぷぷ……!」
「良いですか、リュリュ。我々が十全の態度や礼節、仕事をしなければ、それは延いては仕える御方の顔に泥を塗る事になるのです。故に、我々は常に完璧でなくてはなりません。だというのにお前ときたら――」
「――ずるいですよおおぉぉ! その頭の上のものを下ろしてから言ってくださいっ!」
あぁ、これ、ジルもからかってるんだね。
真顔、真面目な物言いだからてっきり本気なのかと思ったけれど、ジル、口角あがってるしね。
「それで、ルオ? この先には何があったの?」
ルーミアに促され、僕は鳥居の向こう側で起きた事についてある程度の推測を含めつつ説明していった。
呪の力によって縛られていた、葛之葉と呼ばれる女性。
葛之葉の眷属として出会った双子の眷属。
一種の生贄のように彼女を縛っていた術式を破壊し、今は身なりを整えてもらいつつ、水入らずの時間を過ごしてもらっている事と、連れて来て良いと許可を得たから迎えに来たという経緯を含めて。
「――まぁそういう訳だから、できればジル達は彼女たちの住処の世話をしてあげてほしい。あと、精のつく食事の準備かな。さすがに食事ができていたとは思えないし、なるべく胃に優しいものがいいかな」
「畏まりました」
「私とリュリュの二人で掃除を行いつつ、中を確認してまいります。もしも呪術であるならば、いざという時の為に何かしらの罠を張っているとも限りませんので」
「うん、よろしく」
あまり時間を急ぐ必要はないだろうし、あの子達も甘えたいだろう。
そんな風に考えて、僕らはもう三十分ばかりこの場所で水の球体たちと戯れながら時間を過ごしていると、不意に鳥居が光を放って、中から二人の少女が出てきた。
「――ぐっ」
「え、アレイア?」
「あー……、アレは……ダメね、リュリュ」
「……はい。まず間違いなく、お姉様の急所に突き刺さったかと」
突然胸を抑えて蹲ったアレイアに何事かと驚く僕とは裏腹に、ルーミアは苦笑を浮かべ、リュリュもまた力ない笑みを浮かべて何かに同意しているようだった。
未だに意味が理解できていない僕に、そっとジルが耳打ちしてきた。
「――アレイアは可愛いものに目がないのです」
「……そう、なんだ」
割とどうでもいい理由だった事を理解して遠い目をする僕を他所に、二人は僕を取り囲むルーミア達を見回して、顔を寄せ合ってヒソヒソと喋っていた。
「神様、女好き?」
「神様、女好き。女ばっかり」
「私たちも捕まる?」
「たぶん捕まる。守備範囲広いはず」
ねぇ、待って? 人聞きの悪いこと言わないでくれない?
聞こえてるんだけど?
別に好んで女の子を集めた事はないんだけど?
まったく、どうしてこの子たちはヒソヒソと喋り始めると途端に僕をイラ……――いや、おかしな事を言い始めるのだろうか。
あまり大人をからかうんじゃないよ、と言いたい。
見た目はともかく、僕は大人なんだよ。
眉間にピシッと走った青筋を誤魔化しつつ微笑んでいると、少女たちが何かに納得したように頷き合い、とてとてとこちらに向かって駆け寄ってきた。
……アレイア、大丈夫?
今ちょっと吐血したような音が聞こえたけど?
そんな心配を他所に、二人は先程までと同じように僕の片手ずつを取った。
「葛之葉様、待ってる」
「葛之葉様、準備できてる」
「ちっちゃい神様、早くいく」
「ちっちゃい神様、早くいこ?」
「……ちっちゃい、は、余計だと言わなかったかなぁ?」
にっこりと微笑んで、大人の余裕というものを十全に発揮して優しく注意してあげると、二人はきょとんとした表情を浮かべて僕を見上げ、そして、足元までゆっくりと視線を走らせてから、ルーミアや他のみんなを見比べた。
「やっぱりちっちゃい」
「ちっちゃいけど、しーっ。多分気にしてる」
「気にしてる? ちっちゃい、悪くない」
「ちっちゃい、悪くない。でも神様は怒るみたい」
「しょうがない、ちっちゃいもん」
「ちっちゃいけど、ちっちゃいは言っちゃダメ」
……泣いていいかな?
キミたち、僕を挟むようにそんな話をしているけれど、それって本当は僕に聞こえない所でやるべき事だからね?
変に気を遣われると本気で同情されてる気分になるし、それ、追い打ちって言うんだよ?
ともあれ、二人に引っ張られながら僕らは再び向こう側へと渡る事になった。
「……ふ、ふふ、ふふふふふ。ルオ様だけでも見目麗しく至福でしたが、あの双子も揃うとなると……眼福です」
「アレイア、鼻血が垂れるわよ。拭きなさいね」
「お姉様、目が爛々と輝いていて怖いですよ……」
ちょっとアレイアと距離を置いた方がいいかもしれない。
まさか僕まで守備範囲内だったなんて、知りたくもなかったよ。
鳥居を潜った先、灯籠が立ち並ぶその場所を進む間も、二人の少女は僕の手を離そうとはせず、むしろ強引に引っ張ろうとしている。
多分だけれど葛之葉と本当は離れたくないのに、僕を呼ぶように言われて渋々命令に従ったというところだろうか。
早く戻りたいという意思がひしひしと伝わってくるようだ。
屋敷の中へと足を踏み入れると、即座に履いていた草履を脱ぎ捨てて中へと入り、僕を待たずに奥へと進んで手招きしてきた。
「こっちこっち」
「はやくはやく」
その場で身体を上下に僅かに跳ねさせながら急かしてくるあたり、見た目も相まって本当に父親にでもなったような気分だ。
とりあえずは屋敷の主と思しき葛之葉にルーミア達を紹介だけするべく、少女たちに連れられて進んでいくと、二人は一つの部屋の入り口となる襖の前で正座をして、中に向かって声をかけた。
「葛之葉様、しちゅ、失礼、します」
「葛之葉様、連れてきました」
「――あぁ、入っておいで」
中から声が聞こえて襖が開かれる。
部屋の奥には十二単衣……いや、少し略式になっている小袿かな?
ともあれ、そんな如何にもな服装に身を包み、背筋を伸ばして座っている葛之葉の姿があった。
先程までの弱々しさはまだ残っているものの、それでも最低限の礼儀を通そうというのか、身嗜みをしっかりと整えたようだ。
双子の少女に促されて中に入ると、葛之葉は三指を突いて深々と頭を下げようとして、僕は手を前に出して制止を促した。
「そういうのはいいよ。体調も良くないのに無理をさせたい訳じゃない」
「ですが……」
「言葉も砕けたものでいいさ。キミはこの屋敷の主で、僕らはただの客人だ。主として堂々と、楽に振る舞ってくれて構わないよ。それに、僕はそういう堅苦しいのは望んでないよ」
筋を通そうとするのは好ましいけれど、葛之葉の体調はお世辞にも快復しているとは言い難い。
実際に彼女の魔力は乱れていて、それをどうにか支えているのは彼女の胆力によるものでしかないだろう。
本当なら数日は寝込んでゆっくり休んでほしいところではあるのだ。
苦笑する僕を見て、葛之葉はしばし呆然としたあとで、人を喰ったようにニヤリと笑ってみせた。
「……カカッ、なんだい。せっかく三指突いて最上の感謝を告げようとしたってのに、興味はないってのかい?」
「あはは、必要以上の礼儀に興味はないかな。むしろ布団に寝転んでいて構わないぐらいだよ」
「……やれやれ、本気かい。お礼を受け取らない、って訳じゃないんだね?」
「お礼を受け取らないって事はないよ。恩に着せたい訳でもないし、過分な真似は不要、っていう文字通りの意味さ。僕も、僕の後ろにいる仲間たちも、ね」
我が主様、なんて大仰な呼び方をされている以上、僕からこう言っておかないと、ジル達が何を言い出すか分からないため、軽く釘を差しておく。
すると葛之葉は僅かにきょとんとした目をした後で、引き攣った笑みを浮かべた。
「……まったく。あの憎たらしい封印を砕く神気、只ならぬ気配を纏った従者たち。アンタ、一体何者だい?」
「上級神の使い走り、とでも思ってくれればいいよ」
「……はあ。まぁ、嘘じゃあないんだろうね。まぁいいさ。改めて礼を言わせておくれ。本当に、感謝しているんだ。この恩、大妖怪、葛之葉は決して忘れない」
大妖怪、葛之葉。
そう名乗る彼女は、にたりと笑ってみせて、金色の双眸を真っ直ぐこちらに向けてみせた。
どうやら僕、洋風ファンタジーに転生した人生の次は、和風ファンタジーの世界に飛ばされているらしい。




