#036 『大源泉』と鳥居の向こう Ⅱ
光が眼前で弾け、全てを白金色が塗り潰して、数秒程度といったところだろうか。
ようやく光が収まり、目を開ける。
目に映ったのは、光のない暗闇を等間隔に置かれた灯籠だけが照らす不思議な光景だった。
鳥居が連なり、石畳が続いている道が続く先に佇む、一軒の武家屋敷を思わせる和風な屋敷。
その入口には狐の石像が門扉を守るように左右に鎮座している。
こちらに来いとでも言っているかのように門扉がゆっくりと開き、石像だと思われた二体の狐がその場から飛び上がってくるりと回り、その途中で人の姿へと変わっていく。
着地する時には双子の少女の姿を象っていた。
「知らないひと?」
「知らないひと」
「あれは神様?」
「あれは神様。じゃないと入れない」
ぴょこんと頭上に狐を思わせるもふもふとした耳を生やした、白金色の少女が疑問を浮かべれば、もう一人の黒髪に黒い耳を持つ少女が無感情な物言いで返事をする。
二人とも千早と緋袴という如何にも巫女服と言えるような服装の少女で、髪色の違いはあるものの、髪型もずいぶんと似通っているようで、腰に届くかという長い髪を一本に束ねている。
両手を広げてとてとてとこちらに駆け寄ってくる姿は、なんだか妙にコミカルで可愛らしい。
「ちっちゃい?」
「ちっちゃい神様」
「こども?」
「私たちよりこども」
……ふふ、ふ……可愛らしい、ね?
拳に思わず力が入った程度には可愛いよ、うん。
「怒った?」
「笑顔なのに怒った」
「器用だね?」
「器用だね」
なんていうか、僕って意外と小さい子供は嫌いじゃないんだけどね。
こう、左右から僕を見上げながらステレオよろしく同じような声をかけてくるこの子たちは、なんというかちょっと反応に困る。
何より、明らかにこの子たちからは魔力が感じられる。
狐の銅像だったはずの存在が人の姿を取ったあたり、使い魔か何か、といったところなのだろうか。
「……えーっと、キミたちは?」
「私たちは眷属」
「葛之葉様の眷属」
葛之葉、ね……。
この真上の町の名前だったはずだけれど、まさか町の眷属なんて事はないだろうし、あの屋敷の主の名前と考えるのが妥当かな。
「その葛之葉様に会いたいんだけど、会えるかな?」
「神様なら大丈夫?」
「神様なら大丈夫。これだけの神気、アイツよりも偉い」
「葛之葉様を助けられる?」
「葛之葉様を助けてくれるかも」
「じゃあこっち」
「こっち来て、神様」
左手を白金色の子に握られ、右手を黒髪の子に引っ張られ、屋敷の中へと足を進めていく。
なんだか保育園の保育士にでもなったような気分だよ。
……同い年ぐらいの友達みたいに見られてないよね?
この子たち、どう見ても七歳から十歳に届かない程度だと思うけど。
――しかし、助けられる、ね。
屋敷の中で何が待っているのか、どうにも間の抜けた空気に引っ張られつつあるけれど、少々気を引き締めておいた方がいいかもしれない。
そんな事を考えながら屋敷の門を潜ったところで感じ取れたのは、まるで重力が増したかのように錯覚する程の重苦しい空気と閉塞感にも似た何かだった。
二人の少女が僕の手を握る力を強めているけれど、これは強張っている、というところだろうか。
先程までの空気とは一変しているそれを感じて、僕は安心させるように自身の魔力を放出して、屋敷の内側を支配する重苦しい空気を強引に払い除けるように空間を掌握させていく。
二人の少女が僕の手を握る力が緩んで、僕を見上げてきたので安心させるように頷いてあげると、一瞬呆けたような顔をしたかと思ったら、より二人の握る力が強くなった。
この妙な気配に対抗できる僕の力を逃さないようにと意気込んだのだろうか。
「この神様つよい」
「この神様アイツよりずっとつよい」
「葛之葉様助かる? 助かる?」
「助かる。助ける」
白金髪の子が今にも泣き出しそうな声で訊ねれば、黒髪の子が泣き出す事を食い縛って耐えるように答えた。
悪気はないみたいだし、僕としても助けるのは吝かではないので、素直に屋敷の中へと足を進めた。
先程僕らを襲った重苦しい空気、あれは呪の力の塊だと思う。
この子たちの口にする葛之葉様とやらが何者かは分からないけれど、何者かが葛之葉と呼ばれる存在をこの場所に呪の力で強引に縫い止めている、といったところだろうか。
時折這い出るように湧いてくる呪の力を踏み潰すように魔力で圧殺させていくと、奥の広間へと辿り着いて、襖を留めるように貼られた梵字の札らしきものが目についた。
「なんだろ、これ」
ちょっと近づいて見てみようかな、なんて思って一歩踏み出した途端に、札が赤黒い炎を放って僕らを燃やし尽くそうとして――僕の展開していた魔力障壁によって阻まれ、力なく消え去った。
……何がしたかったんだろうか。
若干拍子抜けしつつ御札を見ようと思ったら、そちらに赤黒い炎が移ってしまっているようで、真っ黒に燃え尽きてしまった。
……本当に何がしたかったんだろうか。
「あれ消えた。早く、ちっちゃい神様」
「あれ消せた。急いで、ちっちゃい神様」
「ちっちゃいは余計だよ?」
とは言いつつも、二人は何よりも早く中に入って欲しいと感じているのか、僕の手を引っ張って先へ急ぐように「早く早く」としか言おうとはしない。
遊びに連れて行ってほしいとせがまれるお父さんってこんな気持ちなんだろうか。
そんな益体もない事を考えて襖へと歩み寄ると、少女たちがそれぞれに空いた手で襖を左右に開いた。
「――かか様!」
「母様!」
「おっと――、まだダメだよ」
すぐにでも駆け寄ろうとしたらしい少女たちが手を離してしまわぬように、今度は僕の方でその手を握って状況を探る。
――……これをやったヤツは、相当に性根が腐っている。
目の前の光景についつい眉間に皺が寄ったのを感じた。
襖が開かれた先にいたのは、美しい女性だった。
ただしその胸の中央には巨大な杭のような何かが打ち込まれていて、部屋の中央に立てられた黒い柱に磔にされて項垂れている。
そんな女性を囲むように畳に突き立った杭の周りには梵字が円上にびっしりと書かれた何かしらの陣の基点が生み出されていて、それらの杭が五角形の頂点となって女性を囲み、麻紐のような何かで繋がっている。
術式の系統は見た事もない代物ではあったけれど、何を目的としているか、どんな仕組みであるかは魔力の流れから解読できた。
現人神なんていう存在になったせいか、それが手に取るように理解できる。
平時ならば努力して手に入れた力でもないのにと少々腹立たしさというべきか、やるせなさを抱くものだけれど――今回ばかりは、現人神になって良かったと、本気で実感させられる。
これは一種の封印術だ。
女性を核にして術式に縛り続け、半死半生のままその力を奪い続けるという、悪辣な呪術。生贄とされて、苦痛に苛まれながらも生かされ、力を絞り続けているという、あまりにも悪辣な代物だ。
何よりも性質が悪いのは、この術式を強引に解こうとすれば、中央の女性に呪が襲いかかるという、助けようとする者を苦しめる仕掛けだろう。
この少女たちは恐らく、それを理解していない。
もしもそんな光景を目の当たりにすれば、この子たちは永遠に忘れられない苦しみを背負う事になる。
最後の最後にこんなトラップまで仕掛けるとは、余程性根が腐った存在がやったらしい。
「あの封印を壊すには、ちょっと慎重に手を出さなきゃいけないみたいだね。上から叩き潰したいところだけれど、そういう訳にはいかないらしいんだ。今から僕がそれをやるために手を放すけれど、決して僕の前に出ないでほしい。約束できるかい?」
「守る。絶対」
「約束する。だから、母様を助けて」
本当なら今にも駆け寄りたいだろうに、この子たちは眷属として主である彼女――おそらくは葛之葉と呼ばれた張本人を第一に考えて、涙を堪えながら頷いて応えてみせた。
なら、僕が焦る訳にもいかないだろう。
そう思いながら広間の中へと数歩進んで、即座に僕は振り返り、斜め後方の上にあった御札を焼き払った。
――侵入者への迎撃を行う為の代物だったのだろうけれど、目的が違うね、これは。
おそらく、葛之葉を救おうとしたこの子たちが中に入って助ける寸前で傷を負わせ、それでも救おうと手を伸ばしたところで葛之葉を苦しませ、絶望させるためのトラップだ。
……これを仕掛けたのが何者かは分からないけれど、もしも目の前にいたら、まず間違いなく、真っ先に僕はそいつを殺しただろう。
そう確信する程度には本気で怒りを抱きながら、封印の解析を始めるべく魔法陣を展開させた。
――前世で孤児だった僕を拾い、育ててくれた魔女。
彼女は僕に魔法を教える上で、何よりも呪術を最初に学ばせるという、なかなかに一般的とは言い難い教育方針を取った。
しかしそれは彼女なりの正しい知識の伝授の仕方なのだと、一通りの知識を得た後で理解させられた。
僕が以前、夕蘭たち精霊が使う隔離結界とは呪そのものだと断じた事があったけれど、実際に呪いや呪術と呼ばれるものは術者と対象を縛るものが多い。
分かりやすく言えば、悪魔の契約だろうか。
アレもまた、『縛ることで制約を課し、その対価として効果を得る』というものではあるけれど、あれは契約という名の呪いだ。
詰まるところ、縛る方向性とでも云うべきか。
この方向性によって正に働かせる事もできるし、逆に負に引きずり込む事もできる、というのが呪術の特徴だ。
僕の魔眼という力は、僕が前世の世界に転生した際に、イシュトアによって与えられたものだ。
彼女は当時、機械的に、無感情に僕の魂を処理しようとしたのだが、なんの因果か僕の魂に何故か興味を持ち、魔眼という特殊な力を与えた。
僕を育てた魔女は僕が魔眼持ちだと知ったからこそ、僕にこの制約と対価というものを何よりも最初に理解させ、魔眼を使いすぎないようにと釘を差したのだ。
実際、魔眼は必要以上に魔力を込めると、眼球が破裂する程の負荷すらかかる代物だ。
対価というものを理解し、その対価を超えれば災いが降りかかるという事を実感させるために、呪や呪術を教え込んでくれた。
今でも彼女には感謝してもしきれない。
もっとも、もう会う事はないだろうけれど。
ともあれ、目の前にいるこの女性――葛之葉を縛るこの呪いに課せられる制約は何か。
解読を進める内に『絶望すればするだけ力を増幅させる』という方向性に吹っ切れている代物である事が理解できた。
……あぁ、本当にイライラする。
悪辣過ぎるこの仕掛けを活かす為だけに、僕の後ろで今も不安げにこちらを見ている二人を生かし、敢えて放置するというやり方も。
この二人を敢えて放置した理由が、トラップのギミックにすると同時に、この女性を死なせないための楔にするためなのだと、透けて見えるのだから。
それでも怒りに身を任せると、今の僕の力がどう暴走するかも分からない以上、頭だけは冷静に働かせて解析を急ぐ。
「――……見えた」
術の基点、全ての術式を繋ぐ点を見つけて、慎重に魔力を辿らせる。
針穴に糸を通すような息の詰まる作業を行わなければならないのは、ある意味では現人神になった弊害なのだろう。
膨大な力が怒りのせいで渦巻いてしまったせいか、ただでさえコントロールしにくい力が余計に暴れているせいで、額に汗が流れ落ちる。
そんな中、ふと僕の額を何かが拭った。
「かか様、助けて」
「母様、助けて」
どうやら僕の様子を見て、彼女たちなりに僕の手伝いをしたのだろう。
ふわりと桜の花を思わせる柔らかな匂いのする小さなハンカチで、少女たちが手を伸ばして僕の汗を拭っていたらしい。
不安げに見上げてくる二人の少女に、急激に怒りが熱を失って萎んでいくような気がして、心にゆとりが生まれた。
暴れていた魔力が先程までとは打って変わって静かなものになって、コントロールしやすくなっていく。
――まったく、僕なんかよりもずっとこの二人の方が立派だ。
すぐにでも飛び出していきたいだろうに、僕の言いつけを守り続けて耐えているのだから。
「大丈夫だよ。もうすぐだから」
扱いやすくなった魔力を一気に動かして、呪の基点を断つ。
――効果は分かりやすい程に劇的だった。
さながら何かの断末魔のような叫び声が聞こえる中、陣を形成していた杭がぼろりと炭化したかのように崩れた。
同時に磔にされていた女性の胸に打ち込まれていた杭と黒い柱が同じように消えていき、女性の身体がぐらりと傾いでいって倒れる――寸前、二人が飛び出し、女性を支えた。
「かか様……かか様……!」
「母様……!」
一体どれだけ長い時間、この二人は耐えてきたのだろうか。
しゃくり上げるように泣いている二人を見つめながら、僕は部屋に残った呪を潰すついでとばかりに浄化と治癒の魔法を放つと、女性の柳眉がぴくりと動いて、ゆっくりと瞼を押し上げた。
「……ふ、なんだい、お前たち……。いつまで経ったって、泣き虫だね、まったく……」
弱々しいながらも口を開いた女性の一言に、ぎゅうっと二人は抱き着く力を小さな手にさらに込めて、泣き声をあげた。




