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幕間 とある少女の物語 Ⅱ

「ヤッベ、腹減りすぎて死にそう」


「……さすがにこの匂いを嗅がされると、な……」


 灯吾と黒髪の男――大地に連れられて少女がやって来た、廃ビルの入り口。

 久しく嗅いでいなかった、調理中の料理が放つ匂いが換気口から立ち上ってきているせいか、灯吾と大地の二人と同様に少女のお腹がくうっと小さく鳴って、少女はフードの下で顔を真っ赤にして俯いた。


 どうにも悪人らしからぬ空気を纏った二人は遠慮がちに、かつ紳士的な態度――と言えなくもない、ただ怖がられて自分が傷つかないための適切な距離を保つ自衛――を貫いていたせいか、口数は少なくも、連れて行く先について少女に語った。


 ――曰く、この棄民街で軽食と酒を出してくれる店。

 ――曰く、対価として差し出すものは情報、または保護対象(・・・・)の保護協力。

 ――曰く、ルール(・・・)を守れば誰でも来ていいが、ルールを破れば二度と来れない。


 そんな店があるのかと少女も疑わなかった訳ではない。

 ただ、二人が嘘を言っているような空気もなければ、さながら獣のような、下心のある視線もない相手に、二人について来てしまったのである。


 その結果が、少女の鼻を擽る料理の匂いと、ご丁寧に店舗部分の入り口には立てられた看板だ。


 生憎と店舗は地下であるせいか、建物自体が目視できる訳ではない。

 しかし、目の前にある妙に綺麗な階段を抜けた先で堂々とお店を構えているように見えて、それが少女にとっては酷く非現実的な光景でしかなかった。


「なあ、灯吾。営業時間外だよな、今」


「多分な。夜になったら、っつー話だし。あと何時間ぐれーだ?」


「この時期だとまだ一時間ぐれーはかかるな」


「ぬおおおぉぉぉ、マジか……。この匂いで一時間は死ぬぞ、俺」


「いや、ここから離れりゃいいじゃねぇか」


「バッカ、お前。この匂い嗅いだ瞬間、俺の足がもう前にしか進もうとしねぇんだよ。離れらんねぇわ」


「何を言ってやがるんだ、お前。……ヤベェ、俺もだ。離れられねぇ」


「だろぉ?」


 この二人、漫才でもしているのだろうか。

 少女がぼんやりとそんな事を考えていると、不意に背後から足音が聞こえてきて三人は振り返った。


「よお、大地に灯吾じゃねぇか」


「リグレッドの兄貴、うっす」


「リグレッドさん、こんちわっす」


 少女が振り返った先にいるのは、棄民街には似つかわしくない小綺麗な格好をした、黒いコートに身を包んだ背の高い男性――リグレッド・スカーシスだった。

 リグレッドは大地と灯吾の二人に向かってひらひらと手を振って苦笑した。


「リグでいいっつっただろうが。で、何してんだ、こんなトコで。つか、そっちの嬢ちゃんは?」


「あ、はい。保護対象(・・・・)ッス。連れて来たんすよ」


「ふぅん、保護対象ねぇ」


 返事をしたリグレッドが、少女の前へと歩み寄り、腰を曲げて少女の顔を覗き込んだ。


 思わず少女は一歩下がった。

 それはリグレッドが怖いという気持ちも多少はあったのだが、何より小綺麗な姿をしているリグレッドに遠慮とでも言うべきか、自分は身体も汚く、服だってボロボロで、臭いと思われたくないという感情から出た動きであった。


 だが、リグレッドは特に気にした様子も見せずに真っ直ぐと少女を見つめた。


「お前さん、家族や仲間は?」


「……もう、いません」


「リグの兄貴、その子、一人で野郎どもから逃げてたんすよ」


「そうか……。辛かったな、もう大丈夫だぞ」


 リグレッドは大地の言葉を聞いてそれだけ告げると、少女の頭に手を置いてぐりぐりと少しばかり乱暴に頭を撫でてから、大地と灯吾の二人へと顔を向けた。


「お前らもよくやってくれたな。ジルさんに頼んで飯と酒ご馳走してやるから入れよ。営業時間より今の方がゆっくりできるだろ。嬢ちゃん、お前も来な」


「お、マジか! ラッキー!」


「リグの兄貴、ゴチになります」


「いや、報酬っつか、正当な対価ってヤツだ。俺の善意って訳じゃねぇんだから遠慮すんな。ほら、行くぞ」


 リグレッドに連れられて灯吾と大地が歩いていく中、少女は顔を真っ赤にしたまま、つい、自分の頭にそっと手を伸ばした。


 ――……温かかった、な……。

 ふと、少女はもうしばらく思い出す事のなかった父の姿を思い出した。


 職人で、ぶっきらぼうで、でも、何かがあって褒める時は必ず頭を撫でてくれていた、父の姿を。

 母が死んでしまって、コミュニティが変わっていって、どこかで不安だけを抱える日々を過ごしていたせいか、なかなか思い出す事のなかった温かさに、視界が歪む。


「――おーい、嬢ちゃん。早く降りてこいよー」


「……っ、あ、は、はい……!」


 階段の下から再び自分を呼ぶ声に気が付いて、少女は乱暴に腕で目を擦って拭うと、慌てて階段を降りていくと、そこには小綺麗な扉があった。

 妙に重厚感のある扉を開くと、チリンと軽やかな鈴の音が鳴ると同時に、外で微かに嗅いだ香ばしい匂いが四人の鼻を掠めた。


 揚げ物を料理しているらしくパチパチと音を立てる鍋と、その横には強烈な匂いの正体が入っているであろう、寸胴鍋が火にかけられているのがカウンター越しに見えていた。

 カウンターで作業をしていたロマンスグレーの初老程度の見た目をした男性、ジルが四人に気付き、料理の手を止めずに声をかけてきた。


「おや。申し訳ありません、今はまだ仕込み中でして、このまま挨拶させていただくこと、ご容赦いただけますと幸いです」


「い、いえいえ! マスター、すんません! 仕込み中だってのに!」


「すんません、忙しいとこに」


「ジル、悪い。保護対象を連れてきてくれてな。俺の奢りで飯と酒出してやりてぇんだ」


「ほう、左様でしたか。であれば、仰せのままに。しかしもうしばしお時間がかかってしまいますゆえ……そうですな、では、皆様方、シャワーでも浴びて汚れを落としてきてはいかがですかな?」


 初老の男性がさも当たり前のように告げた言葉に、少女は思わず耳を疑った。

 あまりにも自然にシャワーを薦められるものの、しかし一方で、この場所に通い慣れているらしい大地や灯吾までもが目を丸くしている事に、その提案は今までになかった事であるらしい点が窺えた。


「あれ、ここに(・・・)シャワーなんてあったか?」


「えぇ、ございますよ。特別なお客様の為に用意してあります。そちらのスタッフルームに入って左手側の扉を進んだ先となります。――アレイア」


「はい」


「うおぉっ!?」


 ジルが声をあげた先に、いつの間にか佇んでいたアレイアに気が付いて、大地と灯吾が思わず声をあげる。

 幸い少女からはちょうど大地や灯吾、リグレッドといった大人の男たちの後ろにいたため、アレイアがいなかったはずなのに突然現れたという状況が掴めておらず、大地や灯吾のように声をあげずには済んだようだ。


「男性の案内はリグ様、よろしくお願いいたします。私はそちらのお嬢様のお世話をいたしますので」


「おう、分かった。着替えとかは――」


「――すでにそちらの二名分は準備してあります」


「……相変わらず意味の分からん早さだな、オイ」


「メイドですので」


「……おう。まぁいいか。大地、灯吾。ついて来い」


 困惑するままに返事をしてリグレッドの後をついて行く大地と灯吾に置いて行かれる形となった少女へ、アレイアはゆっくりと近づいた。


「怯える事はありません。それに、綺麗になる事を怖がる必要もありません」


「――え……」


「すでにあなたは保護されたのです。ここに来た以上、あなたは我々の庇護下に置かれます。故に、あなたが意図的に目立たないよう染めている髪も、さらしでキツく巻いているその胸も、何一つ隠し偽る必要はないのです」


「ど、どう、して……」


 何故、それを一瞬で見抜けたのか。

 疑問を抱く少女を安心するように微かに微笑んでみせるアレイアは、少女を誘導するように道を空けて、行く先を示した。


「どうぞ、こちらへお進みください」


「でも、着替えが……」


「ご安心ください。こちらで相応しいものを用意しておきます」


「……あの、はい。ありがとう、ございます……」


 これ以上この場所で遠慮していても埒が明かないと観念して、少女はアレイアに促されるままにスタッフルームへと繋がる扉を進んだ。


 扉を潜って左手、アレイアに先導されて進んだ先はきっちりと男性用と女性用に分かれており、男性用のシャワールームからは大地と灯吾が久方ぶりのシャワーに歓喜するような声が聞こえてきていた。

 その声を聞きながら女性用のシャワールームへと足を進めた。


 棄民街はライフラインが断たれているため、当然ながらシャワーを浴びる事もできず、発電装置が取り付けられた建物などは大きなコミュニティに独占されており、とても現代的な生活は送れない。

 定期的に近くを流れる川へと足を運び、水を確保しては拠点で煮沸させて飲水に使いながら、その余った分で布を濡らして身体を拭く程度が関の山だ。


 まるで夢を見ているような気分で、どこか現実味のない気分のまま、少女は服を脱ぎ去り、アレイアに教えられた通りに取り付けられていたレバーを動かしてみれば、シャワーヘッドから温かなお湯が流れ出した。


 少女は恐る恐ると手を伸ばして、それが適温だと分かると、ゆっくりと頭と身体をお湯の当たる位置へと移動させる。


 しばらく身動ぎもしようとせずにお湯を被っていたかと思えば、少女の肩が震え、ぺたりとその場に座り込んだ。


 ――懐かしかった。


 こうして当たり前のようにシャワーを浴びていた、平和で、それが幸せだとも気付かずに享受していた日々を思い出す。

 家族がいるのが当たり前で、家に帰れば温かいご飯を用意してくれて、笑いながら食事を食べられる毎日。

 お腹がいっぱいになって、母に早く寝るようにと言われて渋々自室に戻り、安心して眠れる自分の部屋がある、そんな生活が。


 ――涙が、止まらなかった。


 ルイナーの襲撃から五年、父が死んでしまい、母も死んでしまったこと。

 常に身の危険を意識しながら過ごさなくてはならなかった、そんな日々を過ごしていたせいか、段々と心が乾いてしまって、泣く事すら忘れていたはずなのに。


 まるで、そんな心に沁み込むように、リグレッドが安心するようにと頭を撫でてくれた。

 アレイアが、もう大丈夫だと教えてくれた。


 二人を信頼していいのかどうかを悩む必要なんて、なかった。

 何せ棄民街に生きる者にはない、確かな心のゆとり(・・・・・)のような温かさを、久しぶりに感じられた。

 支え合うために投げかけ合う言葉ではなく、両親がかつて自分にかけてくれたような、降り注ぐ陽光のような温かさを。


 温かいお湯が、頑なだった心を優しく(ほど)いていく。

 乾いた心に沁み込むように降り注いでいるせいで、どうしようもなく涙が止まらなかった。


 その場で自分の身体を掻き抱くような姿勢で動こうとはせず、お湯の打ち付ける音と、少女がしゃくり上げる声だけが、しばらくの間、シャワールームに響いていた。

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