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幕間 とある少女の物語 Ⅰ

 凛央から程近い場所にある、棄民街。

 この場所はかつて『壱ノ葉(いちのは)』と呼ばれた街であったが、五年前にルイナーが現れた際にオフィス街とその周辺が破壊されてしまい、大きな損害を被った。

 当初はこの街は凛央からほど近く、様々な商店などが立ち並んだオフィス街としても栄えていた事から復興予定となってはいたが、さらにその後も何度かこの地にルイナーが現れるという事件が立て続けに発生し、復興するのは難しく、首都から近いにも関わらず棄民街となってしまった地区であった。


 そんな場所にある巨大な廃ビル。

 かつては有名な企業のビルが建っていたその場所の地下。

 そこには棄民街には似つかわしくない、妙に小綺麗なバーがあるらしい。


 そんな噂が棄民街に流れた時、誰もが最初は与太話や都市伝説のような類ではないかと鼻で笑った。


 そもそも棄民街はライフラインが断たれてしまうのだ。

 そんな場所で、しかも夜に営業するバーなんて、どうやって営業するのだ、と。

 蝋燭でも立ててごっこ遊び(・・・・・)でもしているのだろう、と。


 しかし一方で、ごっこ遊び(・・・・・)程度であったとしても、酒が手に入る場所という意味の隠語ではないのかと考える者も少なくなかった。


 棄民街で酒は重要だ。

 滅多に手に入らないという事もあるが、お金というものが何の役にも立たない棄民街では、お酒は唯一の嗜好品であり、贅沢品でもある。そのため、それぞれのコミュニティの上層部としては権威の象徴――要するに、手に入れていられるだけで裕福なのだと見せつける事もできるという意味でも、力を誇示する目的も含め、是非とも手に入れたい品でもあった。

 たった一瓶で大量の食料と交換してもらえるなど、お酒は食料の対価として認められており、取引をする、あるいは各コミュニティの上層部に対する手土産としても重宝されていた。


 故に、最初にそんな噂を耳にした者達の中で逸早くこの噂に飛びついた者は、二通りに分かれた。

 酒を自分たちで独占しようと考える者と、酒を利用したいと考える者である。


 しかし、だ。

 その噂の場所に行った途端、誰もが口を噤んでしまったのだ。


 酒を独占しようと考えた者たちは、何故かぼろぼろになって帰ってきた。

 食料の対価として手に入れようと考えていた者は、何故か嬉しそうだった。

 酒を利用してコミュニティで地位を確立したいと語っていた者は、すっかり口を噤むようになった。


 何が起こったのかと訊ねてもはぐらかされてしまうばかりで、危険な場所なのではないかと考える者も少なくはなかったが、本当に酒が手に入ったからこそ黙るのではないかと勘ぐる者も少なくなかった。


 こうして、まことしやかに噂は広まっていった。






 何者かが、胸元に何かを大事そうに抱えながら駆けていた。


 目深に被ったフードと体型が分からないように大きめに作られた外套は、男であれば武器を隠し持てるように、女であれば自分の身を守るために使われる、棄民街ではありふれたボロ布を加工したものだ。


 しかし、いくら外套を着込んでいても走り方や背の低さを誤魔化せる訳ではない。

 向かい風に煽られて、ボロ布で作った外套のフードが外れ、駆けていた何者かが十代後半程度の少女だと判明すると、そんな少女を追いかけていた男たちが声をあげた。


「――上玉だぁ、逃がすな!」


 三人組の男たちが、少女の顔を見るなり口々に叫んだ。


 ――やだ、捕まりたくない……!

 少女は心の中で叫びながら、泣き出したくなる気持ちを噛み殺しながら駆けた。


 棄民街に安全な場所は少ない。

 特に弱者である女子供はコミュニティによって守られなければ、そうそう生きていけない。

 法も秩序も崩壊してしまっている以上、男と違って女というだけで必然的に身体を狙われるというリスクを伴うからだ。


 これまでは運が良かった。

 ルイナーの襲撃によって身寄りをなくし、逃げ込んだ先がたまたま女性同士のコミュニティで、そのリーダーが女性でありながらも強く、男に媚びずに生きる事を選んだ女性であり、母と共に匿ってもらえた。

 しかし、流行り病で母も、リーダーだった女性や仲間の数名が死んでしまってから、徐々にコミュニティの在り方は歪んでいった。女だけのコミュニティに、男が入ってくるようになったのだ。


 当初はお互いに遠慮して、距離を取っていたのだ。

 しかし一人、また一人と関係を持つ男女が増えていった。

 守ってくれる存在ができたという安堵から、元々は女性だけのコミュニティで気を張っていたはずの女性たちの気持ちが氷解した、とでも言うべきだろうか。


 そうして、今ではすっかり男性主導のコミュニティになってしまった。


 この程度の悲劇は、棄民街にはよくある話だった。

 コミュニティが小さければ小さいほど、統制は暗黙の了解や誰かの意向に左右されやすい。

 要するに、組織としてのルール作りができておらず、流される。


 男性主導のコミュニティになり、男性の比率が増えるにつれて、少女に向けられる目が増えていったのは、ある意味必然ではあったのだ。それでも、女性同士の結束が強いおかげで無体を働かれる機会がなかっただけだ。


 しかし、少女は数名の若い同年代の男たちが、自分を襲おうとしている計画を立てている事を知ってしまったのだ。


 だから、少女は逃げた。

 胸に抱えたなけなしの食料と水を抱えて、どこか安全なところに逃げなくては、と。

 ただそれだけを考えて。


 棄民街で大通りを堂々と歩くような真似をするのは、力のあるコミュニティにいる者か、喧嘩自慢をしたい者ばかりだ。

 どこから、誰に見られているかも分からないような場所を好んで通るような真似をでき、何に襲われても自分なら、あるいは自分たちなら対抗できるという自信がなければ利用しない。

 場合によっては大通りで監視され、住処を知られた小さなコミュニティが襲撃されるというケースもあったため、非常に閑散としやすい。


 少女もそんな背景を理解しており、基本的には路地や狭い道を選んで逃げていた。

 しかし、いつまでもそんな道ばかりを進むというのも難しい。

 元々はオフィス街であったため、主要な大通りにぶつかってしまうのは必然とも言えた。

 駆け続けた先に見えたのは大通りだ。


 少女は飛び出し――そして、大通りをちょうど歩いていた男の一人にぶつかって転んでしまった。


「あん?」


「ひ……っ」


 ぶつかった相手は二人組の男であった。

 堂々と大通りを歩いている上に、自分に自信を持っている特有の空気感を纏っている二人ではあったが、少女にとってみれば追いかけてくる三人組とそうそう変わりはない存在であった。


「待てやコラァ!」


 ぶつかってしまった相手を見上げて怯えた少女を他所に、男は路地裏から駆けてくる男たちの声に気が付いてそちらに目を向けると、少女に再び目を向けた。


「よお、嬢ちゃん。お前さん、あの男どもの仲間か? 食い物奪って逃げたとか?」


「ち、違いま、す……!」


「んじゃ、狙われてるっつー事だな」


 短くやり取りすると、少女がぶつかった男はもう一人の男と共に少女と追ってくる男たちの間へと足を進めた。

 唐突に現れた二人組の男に獲物を横取りされたと思ったのか、追いかけていた一人の男が手にナイフをちらつかせながら威圧するように告げた。


「おいおいおい、邪魔すんじゃねーよ。そいつは俺らの獲物だぞ」


「まあ、獲物を横取りしようってんじゃねーんだがよ。悪いが、ここ(・・)の通りにきちまった以上、見過ごす訳にはいかねーんだよな」


「はあ?」


 頭をぽりぽりと掻きながら告げる男に対し、少女を追いかけていた男の一人が声を荒げて歩み寄ろうとしたところで、仲間の一人がその男の腕を掴んだ。

 何事かと男が振り返ると、腕を掴んでいた男ともう一人の仲間は明らかに顔を青褪めさせており、真正面に立った男を見ていた。


「だ、ダメだ……」


「はあ?」


「いや、マジでヤベーって、あの二人。つかなんで敵対コミュニティのヘッド二人が仲良く歩いてんだよ……!」


「敵対コミュニティのヘッドだぁ?」


 そこまで言われて、意気込んで突っかかっていた男が獲物であった少女の前に立つ二人の顔を見て、それ(・・)に気が付いた。


 声をかけてきた黒髪の男と、赤みがかった茶髪の男。

 その二人はこの街では有名な二つのコミュニティのそれぞれの()である二人が、一触即発の空気すら出さず、協力するように少女の前に立ち塞がっているのだという事に。


「な、なんでアンタらが……」


「はぁ? なんでっつってもなぁ」


「……はあ。つかよう、俺らが敵対してるって。テメー、いつの話してやがるんだ」


 立ち塞がった黒髪の男が面倒臭そうにもう一人の男に声をかければ、赤みがかった茶髪の男は心の底から面倒臭そうなため息を吐いてから、そんな言葉を口にした。


「は?」


「古いんだよ、情報が。はあ、メンドクセーな。オラ、散れ。そっちの嬢ちゃんはもう保護対象(・・・・)になっちまったからな。テメェらが手ぇ出そうってんなら潰す対象だ」


「は……はあ!? ちょ、ちょっと待てよ!? アンタらにゃ迷惑なんてかけてねぇだろうが!」


 少女を追いかけてきた男たちから見れば、何を言っているのかも理解できない言いがかりのようなものであった。

 しかし赤みがかった茶髪の男は特に何も答えようとはせず、ただただじっと三人組を見つめ続けている。


 相手にするにはあまりにも厄介な二人であった。

 彼らは実際、この棄民街では規模の大きさで言えば上から数えても五指に入る二つのコミュニティを取りまとめる男たちであり、しかもその腕っぷしの強さは有名だ。


 敵対した者には容赦がない。

 そんな噂の、関わってはいけないコミュニティの代表格である二つとして有名だからこそ、その頭である二人の姿は記憶されていた。


「や、ヤバイって……。女は諦めようぜ」


「……チィッ、わぁーったよ。クソッタレ」


 ブツクサと文句を言いながら三人組が去っていく姿を見て、黒髪の男は面倒事が終わったとでも言いたげにため息を吐くと、もう一人の男へと目を向けた。


「……なあ、灯吾。嬢ちゃんに行くアテねぇのか訊けよ」


「あぁ? お前が聞けよ。ぶつかったのお前だろうが」


「はあ? 無理無理。俺こんなツラじゃん。怖がられるっつの」


「フザけんな。俺だって女に怖がられんだよ。テメェ、分かってんのか? 怯えられるってケッコー傷つくんだぞ」


「分かってるから言ってんだろーが」


「……お前も同類かよ。はあ、マジ萎える。傷つくの分かってるとか萎える。お前、あの()で一杯奢れよな」


「……一杯だけな」


「うし、んじゃ俺が女に声かける見本見せてやんよ」


「やっす。お前酒一杯で強気すぎだろ。まぁ見本見せてくれや。期待しねーけど」


「バッカ、お前アレよ。俺本気出したら会話ぐれー余裕だからな? 見とけよ、コラ」


 少女には聞こえないようにと男たちがヒソヒソと喋る声を聞きながら、唖然とする少女。

 そんな少女に、灯吾と呼ばれた茶髪の男が諦めたように振り返り、口を開いた。


「あー、アレだ。お前、保護対象。行くアテねーなら、連れてってやる。オーケー?」


「おい、灯吾。何が見本だ、お前。壊れた機械か、ただのカタコト異文化コミュニケーションじゃねーか」


「あぁっ!? だったらテメェが説明しろよ、ボケ!」


 どうにもよく分からない状況ではあるが、悪い人達という訳ではなさそうだ。

 少女はそんな事を考えながら、しばらくは呆然としながらも話を聞いていた。

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