#030 葛之葉奪還作戦 Ⅹ
「――ルオ、くん……?」
白銀の髪と濃い藍色の瞳を湛えた、人形のように綺麗な顔立ち。
常に圧倒的な実力を見せながら、どこか掴みどころのない性格をしている。
私――ロージア――と夕蘭様が時間をかけて倒せるような『都市喰い』を、一瞬であっさりと倒せる少年。
そんなルオくんが、背中から刃を突き立てられ、口から血を吐き出しながら目を見開いていて。
その後ろには、見覚えのある女性の姿があった。
「ずっと待っていたわ、ルオ。いつも姿を隠し続けているあなたが、こうして魔法少女の危機は放っておけずに姿を出してくれる。そう考えて、ずっとその機会を窺っていたのだけれど、ようやくその時が来た」
「が、ふ……っ」
「でも、あなたには魔力を感知されるし、簡単に油断してくれるような相手じゃないでしょう? だから、一瞬。意識を切り替え、思考をする僅かな瞬間じゃないと、奇襲は成立しなかった」
「ルー、ミア……」
「でも、あの一瞬で僅かに身を捩って急所を避けるなんて、さすが、とでも言うべきかしら。せっかく一息に殺してあげようと思ったのに」
くすくすと笑って、ルーミアと名乗る女性がその手に持っていた大きな鎌を、その刃の先に突き刺されていたルオくん諸共振り払う。
力なく吹き飛ばされたルオくんが地面へと投げ飛ばされ、大地を削って、まるで人形のように転がっていった。
「ルオくん!」
夕蘭様が張ってくれている結界から飛び降りてルオくんへと駆け寄ると、ルオくんはまだ意識があったようで、顔を苦痛に歪めたまま貫かれていた傷口に手を当てながら、上体を起こして真っ直ぐルーミアさんを睨みつけていた。
ルーミアさんもゆっくりと空から降りてきて着地すると、手に持った真っ黒な大鎌を私に向けた。
「邪魔よ。おままごとみたいな戦いしかできない子供の相手をするつもりはないの。素直に退いてくれると嬉しいのだけど」
「できません! あなた達がどうして争っているのかは知りませんけど、ルオくんは私を、私たちを助けてくれている人です! あなたに殺させたりしない!」
「ふん、おままごと、のう。確かにおぬしらにとっては妾たちは弱いかもしれぬが……恩人を見殺しにする訳にもいかぬからの。何より、妾の契約者がこう言っておる以上、素直に道を譲るという訳にはいかぬ」
ルオくんを背中に庇うように立ち上がって、杖を向ける私。
一方で、ルーミアさんの斜め後方で中空に浮かぶ夕蘭様。
そんな私たちに、ルーミアさんは僅かに驚いたかのように目を見開いた後で、くすくすと笑いながら肩を揺らした。
「ふふふ、あっはははははっ! あなた達、あの弱いルイナーに勝つのがやっとという実力で歯向かおうと言うの? この私に?」
笑いながら怒る、というのはこういう事を言うのかもしれない。
ルーミアさんは確かに笑顔を浮かべてこそいるけれど、隠そうともしていない怒気を孕んだ空気を身に纏っている事が理解できた。
四か月前のあの日、ルオくんとの間で見せた僅かな攻防は今も鮮明に覚えている。
あの実力を知っているからこそ、「強くなった今の私なら」なんて淡い期待も、正直に言うとまったくなかった。
死ぬのは怖い。
誰かを残して死んでしまうのは怖い。
でも、だからって――逃げたくない。
「……確かに、私じゃ勝てないかもしれません。でも、だからって諦めて素直にルオくんを引き渡すという選択はありません。それだけは、譲れません」
ルオくんは魔法少女とは相容れないと言っていた。
でも、今日だって私たちを助ける為に動いてくれていた。
そんな彼を見殺してしまうという選択だけは、する気はなかった。
「そう。だったら――」
ルーミアさんの姿がまるで黒く塗り潰されたかと思えば、その場から足元の影の中へと吸い込まれるように消えた。
「――死になさい」
次の瞬間、私の斜め後方から声が聞こえたかと思えば、大鎌が私に向かってきた。
けれどすでに夕蘭様が動いていてくれたみたいで、大鎌は私にぶつかるその寸前に足場用に使うような小さな結界を大鎌の進行方向に張ってくれていたらしく、大鎌の動きが硬質な音を立てた衝突音と一緒に止まる。
「チッ、面倒な真似を」
「ハッ、おままごとに止められた気分はどうじゃ? ん? 悔しいのう?」
「おまえ……ッ!」
後方からニヤニヤと嘲るように笑ってみせる夕蘭様を見て、ルーミアさんの標的がこちらから夕蘭様へと変わったらしく、真っ直ぐ夕蘭様に向かってルーミアさんが飛んでいく。
その姿を見て、夕蘭様が笑みを消して叫んだ。
「ロージア、今じゃッ!」
「――はああぁぁぁッ!」
今の内に溜めていた魔力を解放して、炎を生み出す。
本来なら人相手に使うべきじゃないはずの魔法だけれど、この人相手にそんな事を言っていたら、何もできない。
一瞬の躊躇いを噛み殺して炎の球をルーミアさんに向かって放つ。
正直に言えば、『都市喰い』を倒すために魔力をほとんど使ってしまっていたせいで、お世辞にも強い攻撃とは言えない。
それでも、充分に攻撃としては成り立つ一撃を絞り出すように放ったつもりだった。
けれど、ルーミアさんが振り返り、私の魔法を見て片手を突き出すと、炎の球をそのまま手で受け止め、消し去ってしまった。
「やっぱりおままごとでしかないじゃないの。いい加減鬱陶しいわね。この一帯もろとも消し飛ばして――」
「――だったら、おままごとじゃない魔法でも喰らうといいよ」
私の斜め後方から聞こえてきた声。
その瞬間、ルーミアさんの足元に突然魔法陣が浮かび上がって、炎が直上にいるルーミアさんを巻き取るように火柱を生み出した。
突然の事に慌てて振り返ると、ルオくんが苦しげに顔を歪めて左手でお腹を押さえながらも、右手をルーミアさんの位置へと向けて立っていた。
「ルオくん! 大丈夫!?」
「生きておるか、小童!」
立っているのも辛そうに見えて駆け寄ってルオくんの身体を支えていると、夕蘭様もこちらにやってきて、慌てた様子でルオくんの傷を窺うように周辺を飛んでいる。
あれ? でも、ルオくんの傷、さっきは確かにお腹を貫かれていたけれど、なんだか血は止まっているような……。
「もしかして、治癒魔法とかも使えたりする、のかな?」
「正解。時間を稼いでくれたおかげで、なんとか動けるようになったよ。ありがとう、ロージア。夕蘭も助かったよ」
「そうか、無事であったか……。うむ、借りを返してやるだけじゃ。もっとも、まだまだ借りた分が大きすぎるがの」
ふふ、夕蘭様ってば、素直じゃないんだから。
会ってお礼が言いたいとか話を聞いてみたいとかずっと言ってたのに、こうして目の前に出てくると素直になれない辺り、夕蘭様らしいというか。
そんな事を考えていると、ルオくんが支えられていた身体をしっかりと起こしてからこちらを見つめた。
「ここからは僕が相手するよ。キミ達は下がっていて」
「でも、そんな身体じゃ……!」
「大丈夫。とは言っても、ルーミアが相手じゃさすがに簡単にあしらうとはいかない。隙を作るから、二人はその間に逃げるんだ」
……まだ、届かないんだ。
四か月前から一生懸命魔法を練習して、『都市喰い』にも勝てたけれど、まだまだ届かないんだと、そう言われたような気がした。
実際、ルオくんが大量にいた『都市喰い』を焼き払った魔法を見た時にも実感した事だ。
けれど、こうして戦う相手がいて、守りたい人がいるのに、今の私はまだまだ弱くて、手が届かない。
――悔しい。
この場で退かずに一緒に戦うと口にしても、それはかえってルオくんの負担になってしまうって事が分かっているから、言えない。
言ったとしてもルオくんを困らせるだけで、私のワガママでしかないから。
「……承知した。ロージア」
「うん……。分かってるよ、夕蘭様」
夕蘭様もきっと同じ気持ちなんだと思う。
絞り出した声が滲ませた想いが、私と同じように苦いものを滲ませている事に、私も気が付いていた。
「キミ達は強くなってる。だから、焦らなくていいんだ。彼女は僕の敵だからね」
「ルオくん……」
まだ体調は万全じゃないのか、ゆっくりとした足取りでルオくんがルーミアさんを呑み込んだ火柱へと向かって歩いていく。
魔法陣と炎が内側から吹き飛ばされるように消え、その中からルーミアさんが笑みを湛えて出てきた。
「まさかあの呪いを受けても魔法が使えるなんて、意外だわ。もっとも、万全じゃないのは確かみたいね。あなたの魔法にしては威力が弱すぎて、ぬるま湯に浸かっている気分だったわ」
「呪い、ね……。道理で魔力が上手く操れない訳だ。魔法を封じるつもりだったのかい?」
「えぇ、そうよ。あなたの魔法には私も一目置いているの。まぁもっとも、これはあくまでもあなたを殺しきれなかった時のための細工。出番があるとは思っていなかったけれど、備えあれば、というヤツかしらね」
「なるほどね……」
睨み合う二人はいつ動いても不思議じゃなかった。
ルオくんの身体がゆらりと左右に揺れていて、今にも倒れそうな程にフラフラとしているように見える。
けれど、次の瞬間には、ルオくんが倒れ込むように上体を下げて、一瞬でルーミアさんへと肉薄した。
「――ッ!?」
ドン、と空気が爆ぜるような音がして、ルーミアさんが勢い良く後方に吹き飛ばされた。
ルーミアさんが立っていたその場には、真っ直ぐ掌底を突き出すような形でルオくんだけが残っていて、小さな魔法陣を突き出した手の先に浮かべていた。
くるくると回る小さな魔法陣を消して、ルオくんはゆっくりと構えた。
「確かに魔法での増幅もたかが知れているみたいだね。得物もないし、体術はあまり得意じゃないけれど、相手になるよ」
……えっと、あれでたかが知れてるとか得意じゃないって、どうなのかな……。
夕蘭様をちらりと見ると、夕蘭様もまた目を大きく見開いてその光景を見つめていた。




