#021 葛之葉奪還作戦 Ⅰ
ルイナーの出現は、空間に罅が入ったかのように黒い線が走り、それが数分程度で円状の穴のようなものへと変化し、やがてその中から飛び出してくる。
この罅の段階で魔力を発しており、各支部毎に配備されている感知能力持ちの魔法少女が情報を魔法庁へと送信。
魔法庁は対応状況を確認し、場合によっては転移系の能力を持つ魔法少女が魔法庁に待機している魔法少女を連れて現場に直行させつつ、周辺にルイナー出現の緊急警報を発信し、万が一にも隔離結界が通用しないケースを視野に入れて周辺の市民に注意喚起を促す、っていうのが対策の流れになるのだそうだ。
どうにか改良する手立てはないかと様々な実験が行われてきたものの、結果は芳しくない。
そんな風に告げていた鳴宮教官の、諦めにも似た感情を伴っていた授業のセリフをついつい思い出していた。
実際、私――火野 明日架――もそんな流れになっているって事は聞いた事もあった。
確かに改良できるなら改良した方がいいかもしれないけれど、今のやり方で困った事になったっていう経験もないから、「そんな事もしてるんだ」ぐらいの感想しかなかったけれど……。
「もうっ、またですの!?」
「また、だね……」
律花さん――未埜瀬 律花――と一緒に急行してきたルイナーの出現地点。
夕蘭様も顰めっ面をしていたから、もしかしてとは思ったけれど……。
やっぱり、今回もだ。
これで三回連続、私たちがルイナーの所に到着する前に、誰かがルイナーを倒している。
これまでの二回は偶然だと思っていたけれど、さすがに三回も続くとなると、偶然とは思えなくなってきた、かな。
「私の転移より早い。そんなの、普通は有り得ない」
私と律花さんをこの場所まで連れてきてくれた、転移の固有能力を持った楓さん――祠堂 楓――も、いつものどこか気怠げな印象がなくなって、真剣な目をして周辺を見回している。
魔力研究を行っているという楓さんも、さすがに二度も私たちが到着した時にはルイナーが倒されているという状況は気になっていたみたいで、今回作戦に同行してくれる事になった。
訓練校で一緒に実技練習をしている最中だったから即座に動けたし、合流するまで時間がかかったりもしなかったから、いつも以上に早くここに到着したのに。
ルイナーとどうしても戦いたいという訳じゃないけど、間に合わなかったのは私としてもなんとなくモヤモヤさせられる。
「冷たい。まるで凍っているみたい。そう考えると、前回の報告ともまた違う、他の魔法少女……?」
「倒してくれるのはありがたいですけれど、楓さんの転移の魔法よりも早く到着するなんて考えられませんわ。わたくし達よりも早く現場に到着するとなれば、それこそ可能性は一つしか考えられませんわ。つまり相手は――」
「――魔法庁よりも早く察知している。事前にこの場所で待っていたと考えるのが妥当」
「アルテさんっ!? わたくしのセリフですわよ!?」
まるで探偵が犯人を明かすような口調で喋っていた律花さんの言葉を遮って、楓さんはこちらを見ようともせずに真剣な表情を浮かべたまま、ルイナーの様子を観察している。
あはは……。
楓さんには悪気はないんだと思うんだけれど、ちょっと律花さんが可哀想かも……。
でも、実際そうとしか考えられないんだよね。
私たちだってゆっくり動いている訳じゃないし、ましてや楓さんの転移で今日はここに来たんだから、多分出現してから三分程度しか経っていないはず。
「そちらのような五等級のルイナーならわたくし達もそう時間はかからずに倒せますわね。でも、出現してからこれだけの短時間で発見して倒すとなると、それ以外考えられませんものね。とは言っても、あまりにも討伐が早すぎますが……」
「これだけの早さで倒せる魔法少女は、私の知る限り『絶対』だけ。でも、『絶対』は氷じゃない」
「前回と前々回も到着した時にはルイナーが倒されていたんだよね? 前々回はルイナーって焦げていたみたいだし、前回は細切れみたいになっていたってエレインちゃんも言ってたし……」
「ん。複数の魔法少女が関わっていると考えるのが妥当。けど、そんな組織はないはず」
「うん、そうだね……。ルイナーを倒してくれているんだから、敵って訳じゃないと思うけれど……」
私の脳裏に、ルオくんの存在が浮かぶ。
綺麗な顔で、どこか掴めない態度で私たちを助けてくれた、あの不思議な男の子。
あの子ならそんな事もできるかもしれないと思うけれど、あの子がわざわざルイナーを倒して回っているとはどうしても思えない。
私たちとは相容れない、って言われたし……。
あの日――ルーミアって呼ばれていた綺麗な女の人とどこかに行ってしまって以来、ルオくんを見ていない。
あの戦いの様子を見る限り、そうそう負けたりはしなさそうだけれど……今頃、どこで何をしているんだろう。
横道に逸れてしまった思考を強引に戻すかのように頭を振ってルイナーを見ていると、後ろで楓さんが大きなため息を吐いた。
「単純に倒してくれた事に感謝してあげたいところですけれど、正体を隠す意味も、その目的も理解できませんもの。何か疚しい事でもあるのではと勘繰りたくもなりますわね。アルテさん、魔法庁に討伐報告は上がっていますの?」
「ん、報告ついでに問い合わせてみる」
「えぇ、お願いしますわね。あら、消滅現象が始まりましたわね」
楓さんの視線の先に横たわっていたルイナーが、まるで崩れ去っていくようにさらさらと消えていく。
ルイナーは倒されて五分から十分ぐらいで、あんな風に砂みたいに崩れ、跡形もなく消滅してしまうのだけれど、魔法少女訓練校ではその不思議な現象を「消滅現象」と名付けられている。
訓練校に通うまで、私や夕蘭様は他の呼び方をしていたりもした。
でも今は、報告に齟齬がないように魔法庁で定めている名称に統一する事になっていて、私たちも勉強の日々を過ごしている。
これを覚えるのがなかなか大変で、伽音ちゃんなんかはよく頭を抱えて唸っていたりもするんだけれど……うん、気持ちは分かるよ。
なんか大人が決めた名前って、いちいち難しいよね……。
ちなみに、この消滅現象の理由や原因について色々な仮説は立てられているみたいだけれど、夕蘭様たちにもハッキリとした理由は分からないらしい。
「消えずに残ってくれれば、研究する事もできるのに」
「残られても困りますわよ。ルイナーの卵とかがあって、研究員が後ろを向いていたり誰かと喋っている内にもぞもぞと動き始め、気が付いた途端に一斉に出てきたりするんですのよ。だいたいそういうのは親よりも強かったりで、大惨事ですわよ?」
「……フィーリスさん、意外とパニック映画とか好きなの?」
「そ、そそそんな事はございませんわよ!?」
その割には妙に描写が詳しかったよね……?
ちらりと楓さんを見ると、楓さんは私と同じくそうだと察したみたいで、こちらを見つめて頷いてみせた。
◆ ◆ ◆
何者かによるルイナー討伐。
魔法少女訓練校へと戻り、早速とばかりに報告に向かった楓と別れ、明日架と律花は出動せずに残っていた他の生徒らが訓練している訓練場へと向かった。
そんな二人について行きながら、妾――夕蘭――は此度の一連の騒動に、妾を助けてくれた在野の魔法使いが関与している可能性を考えておった。
在野の魔法使いが存在している。
それも魔法少女という訳でもなければ、精霊を連れている訳でもない存在。
妾はその存在を、契約者である明日架に伝えなかった。
理由は幾つかある。
そもそも彼奴らはアンダーグラウンドの組織であり、基本的に妾と関わってしまった事そのものが予定にはなく、交流するつもりもないという事。
それに、常人離れした力を持っておったあの男とて、ルイナーと戦える程の魔力を持っているという訳ではないらしい。
てっきり妾はあのルオという少年との関係者かと思ったのじゃが、どうやら妾を助けてくれた男こそが、ジュリーの世話になっている組織のボスであるらしい。
ルオやルーミアの存在は動画で確認していたようじゃが、直接的な面識はないと言っておった。
妾よりも魔力に詳しい存在ならば、人間が魔力を操れるようにする方法も持っているのではとも考えての質問であったのじゃが、どうやら違ったらしい。
そうなると、あの組織の男は『古い家筋』の者である可能性が高い。
大和連邦国は神秘の国と呼ばれておった時代がある。
魔力を当時は神通力と呼び、退魔を生業とする家柄が幾つもあった。
有名所であれば『祓魔師』の家系――神薙家であり、こちらはかつての名残もあってか、微弱ながらも魔力を操る事ができる超人の一族と呼ばれておる。
もう一方では、明日架と同じく魔法少女訓練校へとやってきておる桜花の家――『結界師』の一族である東雲家じゃ。
この二家は科学技術の進歩した現代においては徐々に衰退しつつあったが、しかしルイナーの登場によって魔法庁の顧問という立場になった事で、再び権勢を取り戻してきておる。
妾を助けた男の身体能力から見て『祓魔師』の神薙家の者やもしれぬな。
アンダーグラウンドに根を伸ばそうと神薙家の血を継いだ者を秘密裏に動かしていると言われれば、そういう事もあるのだろうと納得できる。
いずれにせよ、明日架が踏み込むような問題ではないじゃろう。
あの年齢で知るべき世界というものでもあるまい。
「夕蘭様?」
「あぁ、すまぬ。ちと考え事をしておっての」
いつの間にやら訓練場には到着していたらしく、明日架が声をかけてきたのでひらひらと手を振りながら返す。
気を取り直して訓練場を見回して、ふと、一人の少女の姿が目についた。
「……ふむ。何やら鬼気迫るものがあるのう」
「え? ……あ、うん。桜花さんの事だね」
妾の視線の先、結界の集中的な展開による強化と面を守る結界の切り替えを繰り返し、展開速度を調整している桜色の髪をした少女――東雲 桜花。
件の『結界師』の一族の娘じゃな。
汗を滴らせ、真剣な顔で訓練に励んではいるものの、その気迫は真剣というよりも、どこか焦っているような印象を受ける。
「……桜花さん、色々あってちょっとピリピリしているみたい」
「む? 何か心当たりがあるのか?」
「あ、うん……。『絶対』の呼び名を持つフルールさんと、私のお父さんとお母さんの仇を討ってくれたニクスさんが『活動不明』になってるって話があったでしょう? あれから桜花さん、ニクスさんの活動地域に行ったらしいんだけど、見つからなかったみたいで……」
「ふむ……」
ジュリーから聞いた話によれば、海外の組織がこの大和連邦国の精霊と魔法少女を襲っていると言っていたが、どうやら妾を助けてくれた男と、その仲間が手を打つと言っておったからの。
おそらく、あの者らであればそれは間違いなくどうにでもするじゃろうな。
実力の程は分からぬが、しかし底知れぬものがありそうじゃったからの。
明日架は裏の組織が関わっていると想像もしていないようじゃが、かの東雲家であれば、裏社会の動きにも何かしらアンテナを張っておってもおかしくはない。
であれば、情報を手に入れているとも考えられる。
場合によっては被害に遭った魔法少女は海外まで連れ去られてしまっておるか、或いはすでに、亡き者となってしまっているという可能性も否定できなかろう。
その可能性に気付いているからこそ、余計に不安が大きいのじゃろうな。
「まぁ、そういう事なら妾たちがしてやれる事はあるまい」
「え……?」
「存外、ああいう時は周りを見ているようで見ておらん。そしてそういう時は、他人の声に耳を傾けるのは難しいものじゃからな。自分から周りに目を向けるまでは、待ってやれば良い。その時に話を聞いてほしいのなら聞いてやれば良い。意見が欲しいと言うのなら、おぬしなりの答えを押し付けぬように教えてやれば良い」
「……うん、分かった」
どうやら一番そういった配慮ができなさそうな伽音も、今の桜花には近づかぬようにしておるらしい。
野生の勘とでも言うべきか、そういった機微を嗅ぎ取る事はできるようじゃな。
「――全員集合!」
妾たちから少し離れた場所。
遅れてやってきた明日架らの教官、鳴宮という女の声が聞こえてきた。
いつもならば冷静に対応しているイメージが強い彼奴にしては珍しく、その声は、何やら妙な緊張感を孕んだものであった。




