#020 理由
ルイナーが出現し、精霊と、精霊と契約した魔法少女という存在が現れた五年前。
国によってその対応に差異はあったが、多くの国々での対応は二択に分かれた。
国の厚遇という、いかにも美味しそうな餌を吊り下げて飼い馴らすか。
あるいは、国の命令に従えという鞭を見せるか、だ。
この二つの選択肢となってしまった事は、魔法少女である事が災いしたと言えるだろう。もしも魔法を使える存在が、少女ではなく大人の男性や女性であれば、もっとうまく交渉して自由と義務のバランスを保つ選択もあったのかもしれない。
特にルイナーが現れた最初期はルイナーという脅威から生き延びるために、国としても多少は強硬な手段を選ぶ事さえ辞さなかった。
始まりは、魔法少女という戦力の確保だったそれは、一年後には、魔法少女という少女の有用性と魔力の活用が行えないかの研究の為のものへと変わった。
そして三年も経つ頃には、魔法少女という存在は少女としてではなく、貴重な兵器、あるいは魔力を操るサンプルという認識へと変化していった国も少なくはなかった。
諸外国ではそういった動きが進む中、大和連邦国は日和見とでも言うような対応を取ったと言える。故に海外の官僚が大和連邦国に対して最初に感じる事と言えば、「平和ボケした島国」という感想が多くを占める。
――だからこそ、大和連邦国の魔法少女と精霊に目を付けたのだ。
管理も甘く、狙ってもリスクが少ないのだから、この国が標的になったのは自然な流れだったと言えるだろう。
「確かに、あなた達の言い分は分からなくもないわね。私もこの国の平和ボケしているとも言える対応には呆れたものだもの」
「そうだろ!? 分かってくれるだろう!? だったら、助けてくれよ! なあ!」
一通りの説明を静かに聞いていた女が同意を示せば、男が必死な形相を浮かべて叫んだ。
しかし女は悲痛な叫びとでも言うべき声を聞きながらも、ちらりと目を向けただけで、また興味を失ったかのように椅子に腰掛けたまま手元のタブレット端末を操作し続けていた。
「……ふぅん。あなたの国、この大和連邦国の多くを占めている人種に似た人が多いのね。文化も結構似ていそうな印象だけれど、所々で違う。他の国に比べれば似通った国ではあるのだから、協力するなり同盟を組むなりすればいいのに。むしろ国同士の仲はあまりよろしくないみたいね? 同族嫌悪かしら?」
タブレット端末を操作していたのは国の事を調べていたのか、と男は納得する一方で、悠長な事を言わないで助けてくれと叫び出したい気持ちを噛み殺していた。
「くだらない事をしているわね。所詮、同じ人間でしかないのに優劣をつけたがるなんて。虚勢を張って威嚇ばかりする小動物でも、同族とは必要最低限しか争わないものだというのに」
くすくすと笑いながら女がゆっくりと立ち上がる。
真っ白な長い髪を揺らして、赤いドレスを身に纏った女。
男好きする身体のラインがはっきりと出ていて、なかなかに肌の露出は激しい。
しかし男にとって今はそんな事はどうでも良かった。
「お、お前は、なんなんだ……?」
「あら、人間には見えないかしら?」
「ふ、ふざけるな……っ! 人間にこんな事ができるはずがない……っ!」
「ふふ、正解よ?」
「は……?」
男は、女の回答に酷く困惑していた。
確かに女が人間だとは思えなかった。
つい先程まで仲間だったものがあちこちに転がり、室内を赤く染めているこの場所で、こうも平然としていられる存在が尋常なものであるとは思えかった。
しかし何よりも、突如としてこの場に現れ、「ごきげんよう。そしてさようなら」とだけ告げた瞬間に、影が踊るように暴れまわり、そんな光景が生まれたのだ。
何をされたかまでは理解できずとも、誰がこの惨状を生み出したかぐらいは理解できた。
人間じゃない、というのは、どちらかと言えば問いかけではなく、侮蔑を込めた言葉であったのだ。
しかし返ってきた言葉は、まさかの肯定であった。
「私たちはあなた達のような人間とは違うもの。半精霊、とでも言うべきかしら。もともと私たちは闇の眷属だもの。外観や嗜好は人間と変わらないように見えるけれど、この身体とて、構成しているモノが違うわ」
そんな言葉を告げながら、女――ルーミアは自らの腕を影で覆ってみせた。
美しい腕は真っ黒な、それこそ塗り潰され、光すら反射しない程の不自然なまでの黒さを持った、腕のシルエットとでも呼ぶようなものへと変わっていく様を見て、男は大きく目を剥いた。
「……な、にが……」
「あら、あなたが訊いてきたから具体的にどういう事かを教えてあげたのだけれど。じゃあ質問タイムは終わりにしましょうか。ああ、でも最期に、どうしてあなた達がこうなっているのかぐらいは教えてあげるわね」
ルーミアが一方的に告げた言葉の意味を問う事は、男にはできなかった。
軽快に指を鳴らしたかと思えば、影が男の口元と鼻を覆い、口を僅かに開ける事もできない程にギチギチと締め付けられている。
呼吸すらままならない男を一瞥して、ルーミアは変わらぬ調子で続けた。
「どれだけ素晴らしい舞台であっても、どれだけ感動させるような脚本であっても、役者の演技が酷ければ台無しになるわ。それに、たった一人だけ演技が良くても、周りが酷ければ台無しね。それだけじゃないわ。役柄とまったく似合わないキャスティングなんてしようものなら、せっかくの物語への没入感も味わえない。つまり、素晴らしい劇というものは、調和が大事なの。全てがバランス良く噛み合って、かつ高い水準が求められるわ」
呼吸ができない苦しみにもがいている男には、その言葉の真意などどうでも良かった。
それはルーミアも理解している。
ただ、ルーミアとしても男が話を聞いて理解しているかなど、どうでも良い事でしかないのだから、丁寧に拝聴できる環境を整えてやろうとは微塵も考えていなかった。
「邪神の軍勢であるルイナーと、それに対峙する魔法少女。そして、そんな二つの勢力の裏で動いていくという役柄に、私と、私の敬愛する主様がいる。世界を救うという壮大な物語は、この構図を中心に描かれているの」
なのに――と言葉を区切って、ルーミアは浮かべていた柔らかな微笑を消し去った。
「大した力も持たない、取るに足りないあなた達のような存在が、主役の魔法少女にくだらない手出しをしていたら、せっかくの劇の脚本を邪魔してしまう。すでに舞台は整っていて、物語は動き始めているのだから、邪魔はしないでもらいたいの」
――手を引けと言うのなら手を引く、だからコレを外してくれ。
男は必死になって目で訴えるが、ルーミアはそんな男の訴えに応える事もなく、淡々と告げた。
「整えた舞台に、ゴミがある。あなたなら許せるかしら? これからやっと始まるというのに、見るに堪えないゴミが出てくるなんて。当然、そんなものはさっさと排除してしまわないと。いつまでも幕が上がらないでしょう?」
そこまで伝えた後で、ルーミアが男の口と鼻を覆っていた影を消し去った。
倒れ込み、空気を吸い込もうと荒く呼吸する男に向かって、ルーミアは静かに告げた。
「あなたは生かしておいてあげる。三日あげるから、散らばっているお仲間を連れて国に帰って伝えなさい。この国は私と敬愛する主様の舞台。もしも手を引かなければ、文字通り国がなくなると。その国に今生きている人間の全てを、ここにある物言わぬ屍と同じものにしてあげる、と」
もしもこれがルーミア以外の何者かの言葉であったのなら、虚仮威しだ、と一笑に付す事もできたかもしれない。
だが、男にはもう、そんな余裕はなかった。
まず間違いなくこの女はそれを躊躇なく実現するだろうと、理解させられていた。
未だに呼吸を荒らげている男の眼の前で、ルーミアは影に溶けるようにその場から消え去った。
◆ ◆ ◆
「――以上が事の顛末にございます、我が主様」
「あはは。それはルーミアも怒るだろうね」
一連の騒動の報告をしにきてくれたアレイアから聞かされた内容に、ついつい苦笑してしまう。
ルーミアは舞台、劇という所に拘るのだから、舞台上の役柄にない存在に一切の容赦はしないだろうと予想はできていたけれど、率先して動く程に許し難いものだったみたいだ。
「……主様。一つ、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「うん? 別にそんな畏まらなくても、気になる事があるなら言ってくれていいよ」
「ありがとうございます。……主様は私たちのいたあの世界を勇者、聖女と共に救った英雄であり、その功績から神の一柱となったと聞かされております。ですが、そんな神の一柱である主様が、人間を殺した今回の騒動を許容されていらっしゃるのは、相手が悪人だからでしょうか?」
何やら、どことなく緊張した様子で問いかけてきたアレイアの質問に、僕はしばし質問の意図を呑み込むまでに時間をかけた。
「……うーんと。ルーミアもそうだったけれど、神ならばたとえ相手が悪人であっても殺しを許さないのではないか、って事を僕に当て嵌めて考えたって事かな?」
「有り体に言えばそうなります」
「んー、僕は何も清廉潔白、人類みな兄弟、みたいな精神を持っていた訳ではないし、言い方は悪いけれど、どちらかと言えば人嫌いだからね。人間の醜さっていうものを理解しているから、余計にね」
「そ、そうなのですか?」
アレイアが感情を表に出して驚くなんて、なんだか珍しいものを見た気がする。
そんな呑気な事を考えつつ、そこには触れずに続けた。
「僕があの世界で戦い続けたのは、あくまでもシオンやルメリアが真っ直ぐで、それを助けてあげたいって思ったからだよ。別に人間を救おうなんて考え方はしていなかったから、どちらかと言えばそちらは副産物だね」
前世で魔女に拾われるまで、僕という存在は酷く歪なものだった。
毒親に育てられ、表向きはごく普通の一般家庭に育てられているように装っていなければならなかった、学校生活。そこから解放されたかと思えば、今度は孤児として饐えた匂いが鼻につく貧民街で生きる事を学んだ。
人間の身勝手さは日本で親という存在を見ていたからこそ理解していたとも言えるけれど、貧民街で目の当たりにし、時には実感させられた人間の暴力的な面や、落ちるところまで落ちたような姿も見て、人間というものに幻想を抱かなくなったのは、自然な流れだったと言えるだろう。
だから、魔女に気に入られたのだ。
魔力を持ち、特殊な魔眼という存在を持っていて、人を憎んでもいないが、人が嫌いで、期待もしていない、関心も持たない。そんな僕みたいな存在が彼女にとっては都合が良かったのだと、本人から聞かされた事がある。
後継者を育てるにあたって、魔女という特殊な立場は、どこまでも中立である必要があった。
情に流されてしまう事は決して赦されない、そんな立場だ。
そうして僕は修行をして、外で見聞を広めてこいと言われて追い出されるように旅をして、シオン達と出会ったのだ。
お人好しで、真っ直ぐで、ハッキリと言ってしまえば最初の出会いは最悪な印象だったよ。
でも、僕にはない真っ直ぐさに呆れつつ、そんな真っ直ぐさに惹かれてしまった。
僕が何故戦ったのかと言えば、シオンとルメリアという二人をハッピーエンドの向こう側へと送り出してあげたかったから。ただそれだけでしかない。
だから、戦いの中で多くの人が死んでいても、見知った顔が物言わぬ屍になっていた時も、僕はどこまでも冷静にそれらを見ていた。
もちろん、何度も心が折れそうにもなったけれど、僕が守ると、助けると決めた対象であるシオンとルメリアが折れない姿を見ていると、僕だけが折れてしまう訳にはいかなかったからね。
ある意味、それは意地とも言えたのかもしれない。
簡単にそんなあらましを語ってみせた後で、僕は言葉を失ったかのように黙り込んでしまったアレイアに向かって苦笑してみせた。
「実はね、イシュトアが言うには、神という立場になるならば、僕みたいな考え方がちょうどいいらしいよ」
「ちょうどいい、ですか?」
「うん。世界を管理するという神々にとって、人間は別に世界に必須な存在ではないからね。人間から神になってしまうと、どうしても人間寄りの判断基準になってしまうけれど、神という存在は究極的に平等である必要があるんだってさ。邪神の軍勢討伐にイシュトアが手を貸したのも、何も人間を救おうだなんて考えた訳じゃない。邪神という存在が世界そのものを攻撃する存在だったからだ」
ある意味、これは僕を育てた魔女の在り方に非常に近かった。
そういう意味でも下地ができている、なんてイシュトアには言われたりもしたけれど。
「まぁそういう訳で、僕らがやるべき事の邪魔になる以上、障害を排除するのは当然だからね。極端な言い方をするなら、世界を守るために人間が邪魔だと判断したなら、場合によっては人間を排除する事だって有り得るという意味でもある。進んでやりたいとは思わないけれど、選択肢としては有り得ないという訳じゃないよ」
「……得心が行きました。ありがとうございます」
納得した、とでも言いたげなアレイアの澄ました態度を見て、思わず僕はじとりとした目を向けた。
「……というより、ルーミア。キミ、聞いているんでしょうに。そんなに心配しなくても、別に怒ったりしないよ」
そこまで言えば、アレイアの肩がぴくりと動くに留まり、一方でルーミアが覗き見しているらしいアレイアの影が、分かりやすいぐらいに動揺に揺らいだ。
……アレイアがせっかくポーカーフェイスしてるのに。
「まぁいいけどね。それより、ルーミア。その連邦軍の作戦行動だけど、そっちは止めないようにね」
葛之葉という場所が危険な場所なら、ちょうどいいと言えばちょうどいいからね。
 




