#149 邪神の最期 Ⅱ
全てを呑み込んで暴れ尽くした黒炎がようやく消えて結界を解くと、その中央には体のあちこちが崩れ、欠けてこそいるものの大剣を地面に突き立てて耐えきったらしい邪神の姿があった。
真っ黒く染まった大地のその上に佇んでいて、見た目はだいぶ追い詰められているようにも見えなくはないけど……どうやらまだまだ終わりに近いという訳でもなさそうだ。
感じ取れる魔力も気配も、何一つ揺らいでさえいない。
さすがに世界を呑み込んできた化け物だけの事はある。
無駄に大技を使ってこちらが消耗しても、この程度の成果しか得られないのでは馬鹿馬鹿しい。
だったら、もっと労力を減らしてじわじわと削って行った方がいいかもしれない。
「……行ってくる」
「えぇ。……雑魚は任せなさい。あなたの進む先に無粋な邪魔者は通さないわ」
「うん、任せる」
中空から前方に飛び出し、その勢いのまま自然落下に身を任せるように地面へと降り立った僕と、漂う黒い霧を吸い込み、体の修復を図っている最中の邪神とが正面から睨み合う。
魔法発動の為に『亜空間庫』に突っ込んでいた『黄昏』を展開したまま、さながら抜刀術を構えるかのように腰を落とし、柄の上に手を構えて、静かに、深く深呼吸。
そして。
「――しっ!」
飛び出し、身を低くしたまま肉薄する。
邪神が構えた大剣はこちらを捉えるように横薙ぎに振るわれて、顔まであと少しというところで――邪神の真後ろに転移。がら空きになった背中へ『黄昏』を横薙ぎ振り払う。
耳障りな硬質なものがぶつかり合う音、欠ける邪神の破片。
そんなものに構う余裕などなく、即座にその場で飛び上がりつつ左腕を曲げて顔を庇い、邪神が振り向きざまに振るってきた拳を受けつつ吹き飛んだ。
魔力障壁に魔力を注ぎながら飛び上がった。
おかげで衝撃はある程度は殺したはずだったのだけれど、思っていた以上に力が強い。
あの見た目に比べても膂力が異様に強く感じる。
もともと邪神の力量を見るために一撃は受けるつもりではいたけれど、咄嗟に左腕を出さなければ首の骨ぐらいあっさりと砕かれていたかもしれない。
反応速度は、魔力を感知しているせいか人間的な五感が存在していないようにも思える。
となると、目眩ましや錯覚を招くような誘導は一切通用しない、か。
小手先の技術を競い合うような相手でもないのだから、いっそ力対パワーみたいなちょっと頭の悪そうな表現が似合いそうな、ゴリ押しなんかの方が通用しそうな相手だ。
ただ、さっきの魔法、【黒竜の憤怒】は周囲の魔素すら呑み込んで燃やし尽くそうとする魔法だっただけに、邪神もかなりのダメージを受けているだろうと踏んでいたけれど、見た目の割にダメージを与えられたという手応えがない。
……凝縮している、というところか……?
どうやらあの身体は何も見た目通りの質量であったり、そういう常識とは全く違う代物であると考えた方が良さそうだ。
いずれにせよ、ある程度は削らないと【神眼】で縛るというのも難しい。
長期戦を視野に入れて余力を削っていくしかなさそうだ。
首を少し動かしてみつつ異常がない事を確認しつつ、そんな事をつらつらと考えてから再び腰を落として構えると、邪神もまたただ佇むだけから、迎え撃つように腰を落とした。
その体勢は、見覚えがある。
「――……勇者の真似、かい?」
不意に口角があがる。
苛立ちというものも確かに存在していたけれど、何よりもその滑稽さが可笑しくて。
とん、と軽い調子で踏み出して距離を詰めれば、迎撃に振り上げるように剣を振るう。
その膂力と速度は大したものだ。
けれど――それも見覚えがある。
「笑わせるなよ、邪神」
予想通り過ぎる攻撃に、さながらこちらが悪役のように鼻で嗤いつつ身を反らし、その欠けた肩口の内側に『黄昏』を突き立て、剣先に魔力を送り込んで腕を斬り落とし、ひらりと後方に下がる。
「他人を真似るのは構わないさ。稽古も指導も、結局のところ真似る事から始まるものだ。でも、お前は違うね、邪神。奪うだけ、喰らってコピーして貼り付けただけで、その技術の活かし方も、戦いの組み立て方も理解できちゃいない」
斬り落とした腕から次は胴へ『黄昏』を振るい、斬り飛ばし、内部で魔力を爆発させて無駄に大きい力を削っていく。
「喰らった世界の戦士の記憶を騎士種にコピーして貼り付けて、強い軍勢を作っているつもりかもしれないけれど、お前はそもそも勘違いしているよ、邪神。技術だけを模倣しても、その戦い方の意味、その行動の求める先で得られる結果へと繋ぐ思考、相手の手札を読み切り先を取れる戦いへと繋げる頭はお前にはないんだから」
対抗しようと振るわれる大剣が、虚しく虚空を切る。
つい先程まで僕がいた場所ではなく、僕が移動するように見せかけて重心を動かしただけで、咄嗟の判断も即座の対応もできずに、虚しく素通りする。
戦いに技術が必要っていうのは当然の話だ。
技術がない者が技術のある者に勝てないのも当たり前の話ではある。
けれど、技術がある者同士の戦いというものは、お互いの次の次、最後の狙いまでの読み合い、敵の手を潰すための一手、誘う一手なんかも含まれるし、その読み合いができなければ勝負にもならない。
せっかくの技術も、それができなければただの宝の持ち腐れに過ぎない。
活かしきれないのだから。
身の丈に合わず、活かせず、大した脅威にはなり得ない。
僕とて剣術は誰かに師事してきた訳ではないし、剣術を学ぶ厳しさを語るつもりはない。
目の良さを利用して学んだ技術と盗んできた技術、活かした技術をひたすらに磨き上げていただけだから、我流もいいところだ。
ただ、僕は『剣の技術』を鍛えたかった訳じゃない。
「お前が模倣できているのは、せいぜいが反射までみたいだね。こちらの動きに対して決まった答えを返す、自由度のないシステムみたいなものでしかない。――だから、僕には届かない」
左足を踏み出して、前に進む――と見せかけて後方に下がれば、シオンの技術を真似た横薙ぎが振るわれ、僕の眼前を大剣が素通りする。
お手本通りの動きはできるけれど、それ以上にはならない。
「――いったい、僕が何度勇者と手合わせして、その度に戦い方と剣の使い方を教えたと思ってるのさ」
邪神にとっての『最強の剣士』はシオンだったのだろう。
何せ魔王を打ち倒す為の一撃を入れたのは、紛れもないシオン本人だったのだから。
僕はそんな魔王に魔法による妨害と【神眼】を使っただけだし、魔王との戦いでは前衛として戦ってすらいなかった。
その剣の軌道も、避けられたまま肩を落として体当たりしようとする動きも、蹴りを入れようとするそのやり方も、全部、全て、僕が何度も見てきて、教えて、手合わせの度に潰してきたシオンの戦い方だ。
世界を喰らい、呑み込まなければ模倣できないのかと思っていたけれど、そうじゃなくても学習はできているらしい。
膂力と速度は確かに凄まじい。
それこそ、当たれば人間など一瞬で両断するであろうぐらいには激しい攻撃だ。
――けれど、やっぱりそれじゃ僕には届かない。
シオンの剣術は、正直に言えば中の上程度の腕前だった。
それでも彼が勇者として戦い続けられたのは、彼の心が折れずにひたすら上を目指す性根の真っ直ぐさと、どうしようもない程の出力、とでも言うべき代物があったからこそだ。
だから、持久戦になると僕の体力が尽きてしまうし、正面からの力比べじゃ僕は勝てなかった。
剣聖は技術を持った天才だったけれど、読み合いは僕に分があった。
もっとも、剣聖は技術が高すぎて読み切って出し抜いても届く前に対処されたりと、地の力の違いから届かなかった。
でも今の僕は、現人神。
かつて力押しに負け、押し込める場面でも力押しができなかった僕とは違う。
長剣で鍛えた剣術から太刀という得物に変えてしまって技術が完成しているとはまだまだ言えないけれど、そもそも僕は剣術を鍛え上げたタイプでもない。
いかにこの眼で見て、読み合い、敵の手を潰すかに特化させてきた技術だ。
だから、目の前で剣を振るう邪神の稚拙さが、余計に僕の眼には浮き彫りになっていた。
振るわれた大剣を身体を反らして避け、大剣とすれ違うように『黄昏』を振って胴の穴を更に拡張してから、手を翳し、魔法を身体の内側で爆発させる。
生物であれば痛みに呻いたりもするだろうけれど――やっぱり邪神はお構いなしに僕を攻撃しようとしてくる。
けれど、内部での魔法の爆発によって更に身体が欠けて重心が崩れたせいか、僕がわざわざ避けずとも大剣は僕の横を大きく離れて素通りした。
――これだけボロボロにしていて一方的に攻撃できているはずなのに、まだまだ邪神を屠るには足りていない。
どうにもそんな予感がある。
強引に当てにきた大剣を『黄昏』の刃で滑らせて反らし、時にはその力を利用して距離を取り、再び詰めつつ一閃しては崩れかけた身体を更に破壊していく。
ちらりとルーミア達を見やれば、どうやら騎士種の召喚速度もだいぶ落ちているらしく、徐々に拮抗状態から優勢な流れができてきているように見えた。
このまま押し切れれば、いけるか……?
当たったという手応えはあるのに、倒しきれるという手応えを全く感じられないという、ひどく不気味な状況はまだ続いている。
感動もなく焦りも喜びもなく、淡々とそんな事を思いながら襲い来る攻撃を避けては攻撃を仕掛けてと繰り返している内に、ついに邪神が大剣を地面に突き立て、膝をついた。
――どうにかここらでもっと強めの攻撃でも……。
ただそう考えて魔力を練り上げた、その瞬間。
邪神の、かつての魔王の身体を覆う甲冑のような身体の内側からどろりとタール状の粘液めいたものが溢れだし、一気にその身体を膨張させた。




