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#002 神の依頼

 深い眠りから意識が覚醒する時、なんとなく自分の意識が浮かび上がるように、何故か意識が、覚醒したのだと実感する。

 夢すら見ずにそうやって目が覚めた朝は妙に寝覚めが良かったりもするのだけれど、しかし予定より早く目が覚めてしまって、なんとなく二度寝したいような、もったいないような、ちょっとした葛藤が生まれたりするものだ。


 ――詰まるところ、何が言いたいのかと言えば。

 今まさに僕がそういう状況であり、どうやら目覚めてしまったらしい。


 それにしても……何も見えない上に何も感じないというのだから不思議な気分だ。

 いや、見えないのは神眼によって光が失われたせい、という納得できるものではあるのだけれど……身体そのものが存在していないような気がする上に、当然声すら出ない。


 妙に意識が冴え渡っていると言うべきか、取り留めもなく思考が巡っていく。


 時間の感覚もない。

 あれからどうなったのか、この状況はどうなっているのか。

 魔王は、シオン達はどうなったのかと思考ばかりを巡らせている内に、不意に――光が溢れた。


 光を映さなくなったはずなのに、と思わず冷静に思考を巡らせている内に、しかし光が溢れた先には見覚えのある女性の姿がハッキリと見えていて、思わず思考も止まってしまった。


「おはよう。気分はどうかしら?」


 視界に広がる中空に浮かぶような島。

 眩い光が消えたかと思えば、眼前に佇んでいた声の主は、烏の濡羽色という表現が相応しい艶やかな黒髪を膝裏程まで伸ばした二十代中盤程に見える女性。

 額につけた金色のサークレットと、まるで夜空を切り取ったかのような深い藍色と黒にほど近い青が混ざりあったドレスに身を包んだ美しい女性は、こちらを捉えて微笑みを湛えていた。


 ――イシュトア、かな?


「えぇ、そうよ。久しぶりね、エルト」


 ……気のせい、という訳ではないらしい。

 僕が知覚しているらしいこれはやはりイシュトアであるらしく、ただし同時に、どうにもイシュトアらしくない。


 そもそも僕が知っているイシュトアと言えば――


 ――「是。告、その力は人には不相応であると判断。危険」。


 ――こんな喋り方をしていて、どこかやはり人とは違う、むしろAIだとかプログラムに近いような印象を抱く存在であったはずだ。

 それがなんでこんな、近所のお姉さん的な普通の人間臭い喋り方をしているのか、理解に苦しむ。


「ふふ、驚いているみたいね? あなたが聖女の代わりになるなんて言ったものだから、少しあなたに興味を持ったの。それ以来、あなたのいた世界について調べて、様々な知識を得た。結果として、人という存在に思考や素振りを学んだのよ」


 ――それはつまり、人に近づいた、という事?


「思考や立ち振る舞いなんかはそうとも言えるわね。実践するようになってからはさすがに周りにも驚かれたものだけれど、さすがに二千年も過ぎているんだもの、今じゃこっちが普通よ?」


 ――は?

 いきなり告げられた二千年という時間に思わず混乱した。


「うん? あ、そうね。魂だけじゃやっぱり会話が難しいというか、色々一気に際限なく流れ込んできていて、会話にならないわね」


 何かを自己完結するように納得した様子を見せて、イシュトアはパチンと指を鳴らしてみせた。


 刹那、感覚に唐突に肉体らしい感覚が蘇ってくる。

 確認するように視線を下に向ければ、最期の戦いの時のボロボロになっていた装備が綺麗に元通りになったような自分の姿が生み出されていて、思わず自分の手のひらを見つめてしまった。


「身体があれば会話しやすいと思うし、せっかくのお目覚めだもの。飲み物や食べ物なんかも用意してあげるから、こっちにいらっしゃい」


「……あ、ありがとうございます」


「ふふ、そんな上辺だけの敬語なんていらないわよ。私とあなたの仲じゃないの」


「どんな仲なのか……いや、うん。分かったよ」


 正直僕とイシュトアにそこまでの気安い関係性は構築されていなかったはずだけれど、どうもイシュトアはそういう答えに不服らしく、ジト目でこちらを見てきたので承服しておく事にした。


 先程まで感じる事のなかった肉体にかかる重力の感覚に僅かに困惑しつつ、イシュトアの真横に現れた白塗りのテーブルと椅子に近寄れば、ティーカップに注がれた紅茶や菓子類が用意されていた。

 促されるままに腰掛けて紅茶を口に運ぶと、向かい合うように腰掛けたイシュトアがゆっくりと紅茶を口に運んでから、こちらを真っ直ぐ見つめた。


「まずは、あなたに感謝を伝えたい。あなたのおかげで邪神の尖兵となった魔王は完全に浄化できたわ。本当にありがとう」


「……そっか。無事に済んだなら良かったよ」


 いくら二千年なんて言われても、僕にとってみれば眠っているだけの時間に過ぎない。

 突然目が覚めて、気が付けば終わっていたというのだから、むしろ拍子抜けといった気分ですらあるので、素直に感謝を受け入れるのも少しばかり気が引けた。


 そんな僕の心情を理解しているらしく、イシュトアも素直に頷いた僕を見て、満足そうに頷いた。


「みんなは、あの後どうなった?」


「あなたが犠牲になって魔王を封じたおかげで、世界は安定して、ルメリアもシオンと一緒になったわ。二人はあなたが思い描いた通り、平和の象徴として、英雄として世界的な有名人として生涯を過ごしていたわ」


「……うん、幸せになれたなら良かった。それにしても、英雄として祭り上げられるなんて大変だろうね。そんなの僕だったら御免被るよ」


「あら、残念だけど魔王討伐の最大の英雄は誰かと言えば、勇者でも聖女でもない――あなたよ」


「え?」


「あの戦いで命を代償に魔王を封印したあなたは、魔王討伐最大の英雄として祀られているわ。勇者も聖女も当然人気ではあったけれど、それでもあなた程ではないわ。だって、魔王との戦いの舞台となったあの場所には今、慰霊碑とあなたの銅像が今も建っているもの」


「銅像……?」


「えぇ、そうよ。魔王を封じた英雄としてルメリアやシオン、ガイン達があなたの事を皆に伝え、魔王の脅威と英雄の偉業を忘れないようにと」


「……ええぇぇぇ……勘弁してよ……」


 銅像になるなんて冗談じゃない。

 シオンやルメリアはきっと面白半分とかではないだろうけれど……、天然お人好しだし。

 でもガインさんあたりはきっとニヤニヤしていたに違いない。

 そんな目立ちたいタイプじゃないよ、僕は。


「でも、そのおかげであなたは神格化した。だからこうして魔王の残滓と共に浄化されきらずに済んだとも言えるわ」


「神格化?」


「えぇ、そうよ。あなたの魂は多くの信仰を受けて神格化した。普通、神が生まれる際はこの神界で神として生まれ変わるはずなのだけど、”楔”であったあなたは”楔”の役割すらも権能の一部としたまま神格化を果たし、消滅を免れたの。正直、運が良かったとしか言えないわ」


「……運が良かった、ね。でもそれってもしかして、僕が犠牲にならなかったらルメリアが神になっていたかもしれないって事かな?」


 もしかしたらその方がルメリアも喜んだのではないだろうか。

 いや、シオンと別れる事になっていなかったから、喜ぶかどうかは分からないけど。

 そんな事を考えて問いかけると、イシュトアはあっさりと左右に首を振った。


「いいえ、それはないわね。あの子は聖女であり、教会に所属していた。もしも聖女が”楔”となって魔王を封じたとなれば、その信仰は個人だけではなく教会にも分散していた事でしょう。それでは神格化するに値しないわ。もっとも、活躍したのは事実だからあの二人も神界に英霊として迎えられるか打診されたけれど、あの聖女も、そして勇者も、二人とも悔いなく輪廻の環へと渡ったわ」


「……そっか」


 あれからどう生きたのか、子供はできたのか。

 そんな取り留めのない話でもしつつ、銅像なんて建てた事に文句でも言ってやりたいところだったけれど……。

 でもまぁ、悔いもなかったというのなら、きっと幸せに生きたんだろう。

 だったら、やはり僕の選択は間違っていなかったって事か。

 それが判っただけでも満足だ。


「それにしても、まさか僕が神様になるなんて、ね……」


 僕にとって、僕の人生はすでに終わったものだ。

 一度目の人生はともかく、転生してからは魔王を倒した英雄になる、なんていう激動の人生だったのではないだろうか。

 そんな人生をやり遂げた感が否めない僕にとって、第三の人生を、なんて言われたとしてもきっと断っただろう。


 でも、だからと言ってこのまま消えてなくなりたいという訳でもない。

 こうして再び目覚めたのだから、神となって、神として生きていくっていうのも、これまでの人生とは全く違ったものになっていて、なかなかに面白そうではあるよね。


 ……うん、存外僕はこの話を悪くないと感じているらしかった。


「それで、イシュトア。僕が神とやらになってしまったって事は、僕はこのまま消えてしまう、とはいかないって事なのかな?」


「それはそうよ。そもそも私たちのような神に消滅は有り得ないもの。もっとも、何もせずに神としての責務を負わなければ罰せられる事もあるけれど」


「へぇ、そうなんだ。罰せられるって、具体的にどんな感じ?」


「何もない部屋で禁錮百年とか」


「……うわぁ……、退屈で頭がおかしくなりそうだよ、それ。僕は絶対にやりたくない」


 何もないって事は時間を潰す事すらできない訳だ。

 せめてインターネットでもできればどうにか耐えられるかもしれないけれど。


「じゃあ僕は何をすればいい?」


「そうね、どうしましょうか」


「え、決まってないの?」


「ふふふ、冗談よ。ただ、あなたの立ち位置って扱いが難しいのよね」


「難しい?」


 何が難しいのかと小首を傾げると、イシュトアは困ったような顔をしたまま頷いてみせた。


「基本的に神格化するには、存在が信仰され、象徴とでも言うべき権能を得つつ存在が定着するのだけれど、あなたに対する信仰の多くは【魔を討ち、世界を守った事への感謝】という想いが強いわ。あとは、魔王の封印と私の神眼からのイメージを受けて、悪しき者を捕らえる力なんかも権能になっているみたいね。要するに、戦いに特化している、とでも言うべきかしらね」


「へぇ、そういうものなんだ」


「そういうものよ。けれど、民の信仰から神になった例なんてこの世界ではあまりにも前例が少なすぎる上に、揺らぎやすいわ。そういう意味で、あなたはまだまだ不安定な、それこそ亜神とでも言うべき状態が正しいわね」


 そんな言葉を皮切りに、イシュトアは天界における神の役割について語った。


 神にも位階があるようで、亜神とほぼ同格である下級神が最下位に当たるらしい。

 僕がイシュトアから借りていた神眼のような権能は限定的な力になるそうだ。

 それらを統括する中級神が存在し、中級神ともなれば天変地異程度は行える権能を得ているらしい。

 そして上級神は理を司り、世界の管理を主としている。イシュトアはまさにこれに当たる、という訳だ。


 亜神や下級神は自らが得た権能を学び、自らの形の在り方を確定する必要があるようで、どこかまだ定まってはいない状態のようだ。

 そういう訳で、僕もまた下級神や亜神に分類されるそうだ。


「だけど、あなたは少々事情が異なっているのよね」


「事情?」


「魔王の浄化によって”楔”であったあなたには、浄化させるために流し込んでいた私の力が馴染んでしまっているのよね。そのせいで、あなたの持つ力は私の力に非常に近く、しかも魔王の力まで取り込んでいってしまったせいで、力だけなら上位神のそれに近いものになってしまっているのよ」


「へぇ……、そうなんだ」


「他人事みたいに……。まぁ実感なんてないでしょうけど、ね」


 実感と言われても、特に戦いの場面でもないし、神の力なんてものはいまいち分かっていない。

 むしろ強大な力を持ってしまうと制御が難しいし、微細な調整を行うのにどれだけ時間がかかるか分からない以上、迷惑な話ですらあるというのが僕の本音だ。


「そこで、なんだけど」


「ん?」


「少し、現人神として動いてはもらえないかしら?」


「あらひとがみ?」


「えぇ、そうよ。人間としてではなくて神として人界に降り立つ神、現人神。人として現れる神、というやつね。少し仕事を手伝ってほしいのよ」


「……あぁ、そういう意味なんだ。現人神、ねぇ」


「あら、なんだか嫌そうね? 心配しなくても、あなたに行ってもらおうと考えている世界は、あなたが英雄として祀られたあの世界じゃなくて、別の世界よ」


 さすがに自分の銅像が建てられた世界なんて行きたくはなかった。

 いや、自分で見たら叩き割りたくなるだろうしね、多分。

 神になった、というのなら特にそれを拒む理由もないとは言っても、羞恥心を煽られるのは勘弁してほしい。


 そんな理由で乗り気ではなかった僕の心情はイシュトアにはバレていたらしい。

 見事に懸念していた事が解決されてしまった。


「あなたのやってきた世界、とはいかないけれど、その平行世界になるわね」


「えっと、それってつまり僕の最初の人生というか、前世……? いや、前前世? その平行世界?」


「えぇ、そうね。時代としてもちょうどあなたが生きていた世界とほぼ似たような水準の世界だから、あなたにとっても幾分か過ごしやすいと思うのよね」


「それはありがたいけど……僕が神格化したのは【魔を討ち、世界を守った事への感謝】とか、戦闘に特化したものなんじゃ? 僕が生きていた日本がある世界と似たような世界じゃ、魔物を倒していけばいいって訳でもないんだろうし、できる事なんてあるのかな?」


 記憶にある日本は、お世辞にも戦う力や守護なんてものとはかけ離れた平和な島国だ。

 世界各地を見れば戦争や紛争、テロとの戦いなんてものもニュースで取り沙汰されてはいるけれど、あの世界の水準なら魔法や魔眼なんて代物は空想上の存在でしかないし、悪目立ちも甚だしい。


 そんな事を考えていると、イシュトアがくすくすと笑った。


「魔法や私の権能に近い能力を持ったあなたを、魔法が全く関係のない世界に行かせる訳ないでしょう? 魔法もあるし、当然その世界では戦いも珍しくはない世界よ」


「日本っぽい世界で魔法って何それ気になる。まぁそれなら悪目立ちはしないだろうけれど……、僕の魔眼とか魔法とかはどうなったの?」


「魔眼に関しては、神格化によって上位互換されているとでも言うべきかしらね。魔法も一緒。強化されているぐらいだから楽しみにしていてね」


「そう言われてもなぁ」


 ……なんだろうか、妙にイシュトアの笑顔が胡散臭いというか、無駄に楽しげというか、そんな気がする。

 そんな事を考えて訝しむ僕に、イシュトアは表情を引き締めてこちらを真っ直ぐ見つめた。


「あなたにお願いしたいのは、邪神の軍勢の侵攻を止める事よ。奴らが今、その世界に手を伸ばしているの」


「――ッ、また新たな魔王が生まれようとしてるとか?」


「まだまだ弱い下っ端しか現れていないらしいのだけれど、可能性で考えればいつ生まれてもおかしくはないわ。とは言っても、今のあなたは現人神となって強くなっているのだから、邪神の欠片に過ぎない魔王程度なら、簡単に勝てるでしょうけれどね」


「え、そうなの?」


「それはそうよ。上位の神として管理者になっている神々は世界に対して直接手を出せないの。だから、地上を生きるあなた達の力と協力が必要だった訳だけれど、現人神という神の力を有した存在なら、魔王程度を討滅するぐらい難しくはないわ」


 まぁ確かにそれはそうなのだろう。

 あれだけの死闘と多くの仲間たちの死を招いた戦いではあるものの、それは所詮僕ら人間が魔王と戦う上での話でしかない。

 実際、神の力を使った神眼は間違いなく魔王には有効であったのだから、確かに神の物差しで見れば絶望的と言える程の脅威ではない、と。


 ……うん、釈然としない気分ではあるね。


「理解できたようで何よりだわ。それでね、あなたにはその世界で、その世界の戦士たちによって勝利を掴めるよう裏で動いてもらいたいの」


「裏で?」


「神の助力があったとしても、世界の危機はその世界に生きる者が乗り越えなくてはならないのよ。それが世界の絶対遵守すべきルール。いくら現人神であっても、前線に立って問題を解決する事は認められないわ」


「まぁ、言わんとしている事は分かるけど……。じゃあ僕はその世界の戦士を育成すればいいってこと?」


「いえ、表立って協力者になってしまうと表舞台に立つ事になってしまうわ。つまり……」


「つまり?」


「――あなたは表舞台には立たない陰の実力者、アンチヒーロー的なライバルポジになるのよ!」


「……は……?」


 意味の分からない提案は、イシュトアのドヤ顔と共に告げられたのであった。

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