#141 魔王の最期
――これが、魔王?
ロージアさんと共に戦っている私――クラリス・ハートネット――が抱いた感想はその一言に尽きた。
確かに強い、とは思う。
きっと【精霊同化】というフルールさんが生み出した強化をしていなければ、その速度と力の数々はかなりの脅威ではあった。それだけの力があるという事は理解できるし、油断なんて一切していないのもまた事実。
完成体となる前にこちらが攻略する。
それによって魔王という存在の完全なる進化を阻止できるという情報があったからこそ、私たちは攻略を急いできた。
もしもその作戦が上手くいっているのであれば、必然的に魔王としての完全なる力を手に入れる事は阻止できているという事になる。
それでも、コレに二週間前の彼と同等の力があるとは思えない。
最低限あの時の力は持っていてもおかしくはないはず。
魔王という名前、それにフィーリスさんから聞いていた、魔王の素体となったというルオという少年の力に比べれば、明らかに格が落ちているという印象を拭えない。
むしろこの部屋の前に現れたさっきのメイドさんの方が、よっぽど底知れない強さのようなものを感じさせたぐらいだ。
底知れない強さ、私たちを歯牙にもかけない強さのようなものが、あのメイドさんの内側からは感じ取れた。
それこそ、華仙に魔王の元となった少年が現れた時と同じように。
華仙に現れた時に私や他の魔法少女たちの意識をあっさりと刈り取ってみせた、あの時の存在。
あれだけの強さがあったというのに、これじゃあ弱体化したと言われる方がむしろ納得できる。
「やあああぁぁぁッ!」
まるで炎の鳥のように背中に炎の翼を生やしたロージアさんが、詠唱もなく両手を翳して炎弾を放った。
対する魔王はその攻撃に気が付いて避けようと腰を落とす――けれど、すでに私がその足を氷で地面に縫い止め、今もなお足首から膝、膝から腰へと氷が侵食し、その動きを封じている。
そして狙い違わずロージアさんの炎が魔王を呑み込み、巨大な渦巻く火柱をあげた。
狙い通りの展開になったのだから、普通なら喜んだりもできるのだけれど……どうにも奇妙な違和感が拭えなくて、気味が悪い。
魔王の元となった少年を知らない私ですらそう思うのだから、ロージアさんはもっとそうなのではないだろうか。
そう考えてロージアさんに顔を向けると、ロージアさんも困惑を押し殺せない様子で表情を曇らせながら炎の火柱を見つめていて、私の視線に気が付いたのかこちらに顔を向けた。
「リリスさん……」
「……やはり、ロージアさんも?」
やっぱり同じだったらしい。
魔王という存在にしては、二週間前のあの戦いでも見せた圧倒的な力の持ち主にしては、あまりにも弱すぎる、と。彼女もまた、そう感じているようだった。
「……正直、ルオくん――魔王となる前の彼の方が圧倒的に強かったと思います。ルーミアさんと互角かそれ以上とまで言われていた彼が、ルイナーの……邪神の力を得ようとしたというのに、これじゃあ……」
「そう、ですね。私もそう思っています」
二週間前、華仙から戻った私たちは葛之葉奪還作戦という二年半ほど前の映像を見せてもらった。
そこに映っていた銀髪の少年は、確かに圧倒的な力を持っていたように思える。
ドローンによって撮影された映像では、凄まじい魔法を放って『都市喰い』という蠕虫型のルイナーの群れを屠ってみせたところで映像は途切れてしまっていたけれど、その魔法だけでも私の知る魔法とも桁が違う威力を発揮しているように見えた。
師匠に訊ねてみたけれど、師匠はただ「あれは規格外というか、相手にしていいような存在じゃない」と短く私に告げただけだった。
驚いているというよりも、どこか納得したかのような物言いだったのが引っかかったけれど、師匠がそこまで言う程の存在なんて見た事もなかっただけに驚いたものだ。
だからこそ、そんな存在が邪神の力まで手に入れたとなれば、一体どれ程の被害が出るのかと考えるだけでも恐ろしかったのだけれど……結果はこの強烈な違和感すら残る弱さ。
何かが。
どう考えても何かがおかしい。
「でも、華仙で会った時のルオくんはいつものルオくんの力を持っているように思えましたし……」
「……実際、私も意識をあっさりと刈り取られてしまいましたし、てっきりあの力よりも更に強くなっているのかと思っていましたが、正直に言えば拍子抜けしている、というのが本音です」
「リリスさんも、ですか」
「えぇ。邪神の力を得ようとしてルイナーと化してしまった事で弱体化したのでは、とも思いましたが、それにしても特徴が消えていると言うか、まるで別の存在を相手にしているような……」
「……別の存在……」
そう、敢えて言葉にしてみて、なんだか酷くその言葉がしっくりきた。
まるで『予定調和の中にある戦い』のような何か。
この筋書きが予め用意されていたかのような。
そんな奇妙な感覚が脳裏を過ぎり、馬鹿馬鹿しい妄想、陰謀を振り払うように頭を振る。
「……今は考えるのをやめましょう。魔王を倒せば邪神がこの世界から手を引くかもしれない。ならば私たちがやるべき事は変わりません」
魔王になる以前のルオという少年と何度か交流があったというロージアさんにとっては酷な話かもしれないけれど、何度かロージアさんも声をかけていたけれどまるで反応する様子もない以上、相手は完全にルイナーそのものになってしまったと考えるのが妥当だ。
「……そう、ですね……――」
確かに魔王にしては弱いけれど、もしかしたら私たちが強くなったからそう思えるという、ただそれだけの話である可能性も否定できない。
ここで逃して、誰かが犠牲になってしまうなんて事はあってはいけない。
仕留めるという方針は変わらない。
「――私が、倒します」
「……迷うようなら私がやりますよ」
「私がやります。ルオくんと一番言葉を交わしたのは、きっと私だから。だから、この手で止めてあげたい」
「……分かりました。では、このまま足止めします」
――凄い子だな、と感心させられる。
一番言葉を交わしたというなら、それはそれだけの情を持ってしまっているということ。
特にロージアさんが、謎の銀髪の少年によって一度命を救われているという映像を私も見た事がある。
そんな彼女が自分でやると決意した。
ならば、私はそんな彼女を支えてあげよう。
未だに燃え上がる火柱の向こう側で身動ぎしている魔王に向かって両手を翳し、魔力を構築させていく。
真っ白な光を放った魔法陣が、私の翳した手の前で構築されていく。
それに呼応するかのように、全く同じ形の魔法陣が火柱の中から魔王を中心に放射状に広がるようにして出現する。
――制御が……難しい……ッ!
師匠が作ったという、オリジナルの魔法。
全ての動きを封じたという、師匠のいた世界にいた英雄の力を魔法にして再現したのだと、ひどく懐かしそうに、どこか寂しそうに教えてくれた魔法。
この魔法は凄まじく難しい、複雑な魔法だ。
師匠のオリジナル魔法と聞いて必死になって習得したのだけれど、どうしてこんなにも難しい魔法を生み出したのか、なんとなくだけど私には分かった。
きっとこの魔法の元となった英雄という存在は、師匠にとって凄く大事な人だったんだろうな、って。
だから、師匠はこんなにも複雑な魔法だというのに、どうしても英雄さんの力を再現して、形に残そうとしたのかなって、そう思った。
……まさか構築に要求される技術だけなら第八階梯魔法の方が簡単だったのに、階梯分けするなら第六階梯魔法程度だろう、なんて言われるとは思いもしなかったけれど。
それでも魔法として構築したという事は、それだけ師匠にとって思い入れのある魔法なんだと思う事にしている。
だからこそ、私はどうしてもこの魔法を覚えたかった。
そんな事を思い返しつつ、構築させるにあたって非常に繊細で細かな魔力の制御を要求してくる魔法だけれど、なんとか完全に制御してこなしてみせる。
そして、構築に成功した。
「――【英雄の瞳】」
前方に翳した手が指す先、燃え上がる火柱の炎が吹き飛ばされるように消えて、やがて私が構築した魔法陣の上で身動ぎ一つせずに動かなくなった魔王の姿が顕になった。
――すごい。
本来拘束系の魔法は魔法陣の中から触手のように絡みついて動きを止めるものが多い。
けれどその欠点として、絡みついたそれらを外しさえすれば逃れる事ができてしまうため、対策を取りやすいというのが欠点になる。
そのため、拘束系の魔法は強者を相手にした時、一瞬の隙を生み出す為だけに使うようにと師匠にも言われている。
けれど、これは魔法陣の中の存在を不可視の力で縫い止めている。
ルイナーとして破格の力を持っていると言える騎士種、その上位存在であると思われる魔王の動きすらも完全に止めてしまう事ができるなんて、拘束系の魔法においては圧倒的に破格な威力を有した魔法だ。
ともあれ、これならいけるはず。
すでに魔王もぼろぼろになっているけれど、トドメを刺す絶好の機会を生み出せた。
ロージアさんを見れば、ロージアさんは魔装として顕現した指揮棒のようなそれを握って前に翳し、そこに魔力を注いで青白い炎を纏った長大な剣が生み出して佇んでいた。
閉じていた目をゆっくりと開けて、私を見つめてこくりと頷いた。
「――これで、終わりです……ッ!」
ドン、と空気が爆ぜるような音がして、真っ直ぐロージアさんが空を滑空していく。
さながら放たれた矢のように真っ直ぐと。
中空に炎の粒を残して軌跡を描き、一直線に魔王へと伸びた。
そして――魔王はロージアさんの振るった青白い輝きを放つ炎の剣によって、両断された。
青白い炎が全てを無に還すように、斜めに両断された身体を燃やし尽くす。
その光景を、私は遠くから。
そしてロージアさんは振り返って、どこか寂しげな表情を浮かべたまま見つめている。
魔王という存在が燃やし尽くされ、やがて消え去った後。
そこには痛い程の沈黙が流れていた。
炎が消えたとしても、そこにルオと呼ばれる少年の姿はない。
もしかしたらロージアさんは、ルオという少年の姿がそこに残され、元に戻る事を期待していたのかもしれないけれど……現実はそんなに甘くはなかった。
なんて声をかければいいのか、私には分からなくて。
それでも、このまま無言でいるという訳にもいかなくて、口を開いた――その瞬間だった。
――――パチパチパチ、と乾いた拍手の音が鳴り響いたのだ。
「――っ、ルーミア、さん……?」
「えぇ、そうよ。おめでとう、ロージア。よくやったわ」
いつの間に現れたのか。
先程まで魔王が座っていた玉座に腰掛けて足を組んで拍手をしていたのは、かつて『夢幻廻廊』で現れた女性。
私はあの日、『気がつけば意識を失っていた』みたいで何が起きたかまでは覚えていないけれど、師匠が私の身体を操ってどうにか話し合いに応じて帰ってもらったとだけ聞いている。
でも、華仙で私たちを助けてくれたらしいし、実はロージアさんを鍛えてもいたらしく、敵なのか味方なのかもよく分からない、そんな相手だと私は思っている。
思わず警戒して身構える私を他所に、今度は私たちがやってきた後方からこちらに向かって駆けてくる足音が聞こえてきた。
「ロージアさん、リリスさん!」
「……みんな……!」
後方からやってきたのは、凛央魔法少女訓練校の魔法少女たち、全員だった。
最初に残ったエレインさんとエルフィンさん、それに扉の前であのメイドさんに足止めされていたオウカさんやフィーリス、他のみんなの姿もある。
お互いの無事を確認して和気藹々と声を掛け合う――なんて暇もなく、ルーミアと呼ばれたその女性が立ち上がる。
「――アレイア」
「こちらに」
「……ッ!?」
ルーミアと呼ばれた女性が短く呟くと、そこには先程オウカさん達を足止めしていたはずのメイドさんがすっと姿を現して佇んでいた。
「そんな……、確かにさっき魔法で……!」
「えぇ、ちょうど頃合いでしたので、お暇させていただきました。皆様、お疲れ様でございました」
オウカさんが驚愕した表情を浮かべながら呟く言葉に、仮面を外しながらメイドさんが淡々と答え、頭を下げてみせる。
その姿に一体何が起こっているのかも分からない私たちは困惑するしかなかった。
あのメイドさんはルオという魔王の配下だったはず。
なのに、ルーミアさんに従っている?
いや、確かにルーミアさんとルオという人は元々は同じ世界の仲間だったと聞いた事もあったけれど、今回は敵対関係に近い形であったはず。
一体何がどうなって、今の状況が生み出されたのか困惑する私たちを気にする様子もなく、ルーミアさんが立ち上がった。
「それで、アレイア。どうかしら?」
「個の力は未熟。しかしチームとしては充分な能力まで育っているかと」
「そう。なら、好都合ね」
短くそれだけの言葉を交わしてから、ルーミアさんは改めて私たちを見つめた。
「――この世界の救済、あなた達だけの物語はこれで終わりを迎えたわ。だから、あなた達には真実を知る権利と、選択する権利を与えましょう」
まるで歌うように、ルーミアさんはそんな言葉を口にした。




