閑話 組織設立 Ⅱ
僕らの拠点となっている廃ビルの一室。
比較的キレイで、寝室として用意した部屋。
その入口の扉を開けたまま扉の横で壁に背を預け、正面の奥にあるベッドを見れば、そこには僕が助け出した魔法少女が眠っている。
一応は医療行為とは言っても、さすがに年端もいかない少女の服を脱がせて怪我を確認する訳にもいかない。
とは言えルーミアがいつ戻るのかも分からない以上、放っておく訳にもいかず、少し強引ではあるけれど、魔力に物を言わせて強引に治癒魔法を使って肉体的な損傷を回復させた。
今も眠っているのは、おそらく精神的なダメージが原因だろう。
捕まって以来、諦念と絶望と、けれど緊張とが入り混じるような状況に陥り、ろくに休む事もできていなかったのだから無理もない。
空腹感や水分を欲して目が覚める可能性もあるけれど、夜の間はこのまま眠り続けるだろう。
そんな事を考えていると、僕の眼の前で揺らめく影が意思を持ったかのように蠢いて、やがて人の姿の形を取った。
「おかえり、ルーミア」
「……ふう、ただいま、ルオ。――って、あら……?」
ベッド側に背を向けるように現れたルーミアであったけれど、僕以外の魔力に気がついたのか、ゆっくりとベッドへと振り返り、眠る少女の顔をじっと見つめた。
あれ、この構図って僕が年端のいかない少女を拉致してきたみたいに見えるんじゃない……?
「……助けてあげたのね」
「え、あ、うん。よく判ったね?」
妙な勘違いをする事なく、ルーミアは微笑みを浮かべながら少女の涙の跡を指先で拭ってあげてから、そっと頭を撫でてこちらへと振り返った。
「魔力――いえ、この子の中にいる精霊、かしらね。その子が警戒せずに、感謝を訴えるように安心して眠っているわ。こういう魔力を発する精霊は珍しいもの。何かから助けてあげたと考える方が妥当だわ」
「ふぅん。魔力からそこまでの事が判るなんて、正直驚いたよ。夜魔の民にそんな特性あったかな?」
「こればかりは私自身の特性ね。感受性が強い、とでも言うのかしら。魔力に乗って発露する僅かな感情を、他人よりも深く読み解く事ができるのよ」
そんな言葉を聞いて、思わず感心よりも先に顔を顰めた僕に、ルーミアがくすくすと笑った。
「ふふふ。えぇ、想像した通り、決していいものとは言えないわ。笑顔で近づいてきながら、その裏で何かを画策していたり、醜い感情を見せてくる存在は貴族社会には当たり前のように多くいたものだわ」
「それはまた、胃に悪い日々になりそうだね」
「お世辞にも居心地が良かった、とは言えないのは確かだけれど……まぁ、そんな昔の事はいいわ。収穫があったからあなたにも知らせておこうと思って」
そう言いながら、ルーミアはまるで舞踏会をエスコートするようにすっと僕の腕を取って部屋の外へと向かって歩き出した。
エスコートすると言うよりは、デビュタントで姉に付き添われているような見た目になっているのではないだろうか。
……気付かないフリをしておこう。
寝室から程近い、元はオフィスがあったであろう広々とした一室。
そこには僕がその辺りの廃ビルで拾ってきたソファーや、置きっぱなしになっていた事務机のセットになっているような椅子がある。
僕を椅子に座らせると、ルーミアは僕の斜め前、眼の前にあった机に腰掛けた。
わざとらしくドレスのスリットで足の太もも辺りを見えやすいように座っているあたり、僕をからかっているのだろう。
そんな姿に半ば呆れつつ、背もたれに身体を預けてルーミアの顔を見やる。
「それで?」
「ふふ、見たければ見てもいいし、あなたなら触れてくれてもいいのよ?」
「生憎とこんなナリだからね。遠慮しておくよ」
「もう、つまらないわね。少しぐらい慌てふためいてくれると思ったのに」
不機嫌さを表すように頬を膨らませてみせてから、ルーミアは数枚の写真を胸元から取り出すと、僕の眼の前に置いてみせた。
「ターゲットにしたのは、魔法庁のこの三人。どれもそれなりの立場にいて、既婚者みたいね。もっとも、家庭内は冷え切っているみたいだけれど。そのせいか、少しやんちゃしたいと考えているようね」
「……ずいぶんと情報を掴むのが早いね」
「正直に白状すると、私も予想以上に簡単だったから拍子抜けよ。一応裏を取ってみるために何人かに話を聞いてみたけれど、裏で何かしているって事が筒抜けになっているような状態なんだもの。いきなり当たりを引いた気分ね」
それはまた……ずいぶんと平和ボケした国だとは思っていたけれど、想像以上だったって事かな。
なかなかに頭の痛い話ではあるけれど、どうやら頭の痛い問題だと感じた僕以上に、ルーミアの方が困った表情を浮かべていた。
「それでね……、私が最初に引っ掛けた魔法庁の建物にいた相手、どうやら軍部の人間だったみたいなの」
「……魔法庁にいた軍部の人間?」
聞けば、ルーミアが接触した人物は魔法庁の内偵を行っている軍部の人間だったようだ。
しかもその軍部の人間は上層部を追い落とそうとしている大物の部下だったらしく、魔法庁にいながらも、追い落とそうとしている連中と同じ蜜を吸っているお仲間の汚点を洗い出すために潜入していたのだとか。
……というか、『意識させる』だけでそこまで喋らせるなんて、一体どれだけ手練手管に長けているっていうのさ、キミは。
「そこからは単純な話よ。私も似た立場にいると勘違いさせて、情報を共有してもらったの」
「え、こわ。そう簡単に部外者に渡していい情報じゃないでしょ、それ」
「えぇ、普通に考えれば、ね。けれど、『私が信頼できる仲間だと錯覚させてしまえばいい』だけの話だもの。『意識』の方向を変えてやれば造作もないわよ」
「そ、そうなんだね……」
確かにルーミアの言う通り、『この人は信用できる』と思わせるには特徴的な喋り方や抑揚であったり、あるいは共感力というものがある程に得やすいと言われている。
おそらくルーミアは自らの夜魔の民としての特性だけではなく、そうした会話術等を駆使して誘導したからこそ、本来なら秘匿すべき情報でさえも抜き出す事に成功したのだろう。
けれど……そこまで簡単にいくとなると、ルーミアの凄さに感心すればいいのか、危機管理能力のない軍部の密偵に呆れればいいのか。
なんとも言えない気持ちにさせられる。
「まぁ、あなたが言いたい事も分かるけれど、ね。それより、この三人、私たちにとってはすっごく都合がいいのよね」
「都合がいい? どういう意味だい?」
「この三人、横領したお金をうまく隠しているらしいのよ。現金のまま隠しているのか、それとも何かに変えて隠しているのかは定かじゃないけれど、相当な額を溜め込んでいるみたいね」
ルーミアを召喚してから僕と一緒にこの世界の事を色々と調べる機会が多かったおかげか、ルーミアもある程度はこの世界の知識はついている。
もちろん、常識まで網羅しているのかと言われれば、それは難しいけれどね。
暗黙のルールであったり、前提であったりが異なる世界の知識というものは、自身の経験則がまったく役に立たず、使い物にならなかったりもするからだ。
実際、僕は前世の世界に転生して、あまりの常識の違い、考え方の違いなんかに戸惑ったものである。
その点、前世の僕を育ててくれた魔女の師匠には感謝してもしきれない。
ともあれ、ルーミアも知識として得た様々な記憶から総合的に判断を下せるのだろう。
彼女が標的とする基準は決して間違ったものではなかった。
「……なるほどね。確かに都合はいいかもしれないね」
お金を何かに変えるとすれば、資産となっている可能性は高い。
名義の違う誰かの名前を使った家、車なんかが考えられるけれど、それなりに貯め込んでいるのであれば、やっぱり別荘や家だろうか。
「どうやら軍部の密偵も、関係者の名義で購入されたマンションや家を調べに入るみたいね。だから、もしもそれが当たりの物件なら、うまくこちらで誘導して住処となる場所を手に入れようと思っているの」
「分かった、期待しているよ」
誘導するだけでそんなものを差し出させるのか……一体何をするんだろうか。
まぁ、よく芸能人にマンションとか、愛人にマンションの一室をとかっていうのは聞いた事もあったし、行き過ぎた愛情、持ちすぎたお金があるのなら、そういう考え方に至る人もいるにはいるのだろうけれども。
「ふふ、期待していてくれていいわ。それで、そっちはどうなの? さっきのあの女の子を助けたのだから、それなりに動きはあったんじゃなくって?」
「あぁ、それなんだけど……――」
僕の方で棄民街に行ってみた事と、そこで出会ったリグという青年。
そして、あの魔法少女を助け出した事を一通り説明すると、ルーミアは楽しげに目を輝かせて笑みを浮かべていた。
「うん、いいわね。裏社会を調べるための組織だなんて、面白そうじゃない」
「さすがに僕は魔法少女の事があるから積極的にはなかなか動けないからね。できればルイナーがどこから、どうやってこの世界に来ているのかも調べたいし、少しまとまった時間が欲しいっていうのはあるけども」
「あら、それなら私の方で考えがあるから、任せてもらえるかしら?」
「うん? 策があるなら任せるよ」
「ふふ、ありがと。せっかく面白くなってきたんだもの、楽しめる筋書きを用意しておくわね」
楽しそうに笑うルーミアに、ちょっと早まったかなと後悔したくなった。
……ルーミア、僕を誰かの弟設定みたいなのつけていたし。
そういえば設定を一度整理しておきたいな。
何かに書いておいてもらうようにした方がいいかもしれない。
「あぁ、そうそう。ねぇ、ルオ? あなた、魔法建築に造詣はあるかしら?」
「魔法建築は簡単なものならやった事もあるけど、それがどうかした?」
魔法建築とはその名の通り、建築に合わせて魔法式を構築するという、なかなかに手間のかかる魔法だ。
分かりやすく言うなら、魔法陣の構築式の中に設計図を組み込み、かつ順序通りに魔力を込めないといけないため、本職の職人ぐらいしかまともな建物にはならない。
僕がやった事があるのは、野営の為の簡単な箱を作るようなシンプルなものだ。
細かな設計等が関わってくるクオリティのものに手を出した事はない。
「あら、そうなのね。だったら私が設計した魔法陣を渡すから、あなたが発動する事はできるかしら?」
「ん、そうだね。それなら大丈夫だけど、構築はできるの?」
「えぇ、これでも一通りの魔法は修めているもの。でも、それならいけそうね……」
「まぁ魔法自体はできるだろうけれど、どこかに家を建てるって言うなら、目立ってしまうと思うけど?」
ある日突然家が建ってました、なんて不思議な出来事はそうそう受け入れられないだろうし、目立つ真似はどちらかと言えば避けたいところだ。
住処を手に入れられなかった場合に使う拠点を建築しようとでも考えているのだろうかと考えている僕の眼の前で、ルーミアが床を指差した。
「ねぇ、ルオ? 廃ビルの地下に基地を作るなんて、いかにも第三勢力っぽいと思わない?」
……地下に基地、ねぇ。
「……ルーミア、キミ、意外と王道に染まってるね」
「できればバーっぽい感じにして、裏に繋がる扉から本当の拠点が広がってる感じがいいわ」
「ルーミアさん?」
「崩れかけの教会とかないかしら。あぁ、でもこっちの世界の教会じゃ雰囲気ちょっと違うものね」
「おーい?」
その後もブツブツと言いながら、結局ルーミアの秘密基地計画とやらは地下にバー、その奥に関係者しか入れない秘密のアジト、というコンセプトに固まったらしい。
早速とばかりに両手の上で複雑な球体状に魔法陣を展開しながら、ああでもないこうでもないと構築を開始した。
「……ちなみに、なんだけど。キミ、その秘密基地とかアジトとか、どういう発想で思い浮かんだの?」
「もちろん、こっちの世界の書物よ」
「……こっちの世界にもそういうのあるんだ。というか、キミもイシュトアみたいな事になってるんだね……」
毒されるにも程があるのではないだろうかと思いつつ、秘密基地とかアジトとか言われると、ちょっと楽しみになってしまうあたり、僕も男の子なんだろう。
ルーミアの両手の上で構築されていく魔法陣をぼんやりと見つめていると、ルーミアがふと、何かを思いついたようにこちらを見てきた。
「そういえば、私とあなたが仲間だってこと、組織の人には教えるの?」
「それなんだけどね、僕もどうしようかと思って悩んでいるんだ」
僕とルーミアが仲間である事を知られてしまうと、何故敵対しているフリをしているのか、何を目的としているのかといったところを話さなくちゃいけなくなってしまう。
ルイナーという未知の侵略者という前例がある以上、異世界から来たって事ぐらいは知られても問題ないかもしれないけれど。
「キミと僕が敵対しているっていう構図は、動画を通してすでに知れ渡っていると思う。だったら、できる限りこの構図を維持して魔法少女を鍛えていきたいっていうのが僕の本音ではあるんだよね。その構図を維持するためにも、秘密を漏らさない方がいいだろうとは思っているよ」
いくらリグが好青年だからと言って、彼や彼の仲間はともかく、その部下たちが裏切ったり、何かの情報を得てしまって流出してしまっては目も当てられない。
僕の言わんとするところをルーミアも理解したようで、頷いてから魔法陣の構築を続けつつ、思考を整理しているように虚空を見つめた。
……器用だね。
「なら、私は極力姿を見せない方が良さそうね。でも、せっかくの劇なんだから、私も傍で見れるようにしておきたいし……そうね、ちょうどいいわ。ルオ、あなたなら私の眷属を喚び出せないかしら?」
「眷属って、夜魔の民かい?」
「えぇ。その術式に干渉して、かつての私の右腕を喚び出すの。隠密行動も得意だったし、きっとあなたの役に立つんじゃないかしら?」
「……参考までに聞くけど、ただ見たいってだけじゃなくて喚び出す理由が他にもあるでしょ」
ちょうどいい、っていうのが別の何かの考えを孕んでいたのは間違いない。
そんな事を思って質問したのだけれど……ねぇ、なんか目泳いでませんかね?
「べ、別にそんな事ないわよ? 地下のバーが似合うバーテンダーっぽい裏の仲間みたいなのがいる方が箔がつくし、ちょうどいいのがいたなぁって思ったりはしてないわよ?」
「誤魔化す気ないでしょ、それ……。どう考えてもそっちも目的じゃないか」
もし本気で誤魔化そうとしているのだとしたら、さすがに下手くそにも程があると思う。
そんな風に思ってツッコミを入れたつもりだったのだけれど、ルーミアは何故かショックを受けたように目を見開いていた。
「……え、誤魔化したつもりだったの?」
「……そ……、そんなこと、ないわ……よ……?」
………………。
「……ルーミア、キミ、本当に『偉大な女王様』だったの?」
「う……、うるさいわね! 知らないわよ、そんなの! 周りが勝手にそう言ってただけよ!」
ぷくーっと膨れて涙目になりながらそっぽを向かれてしまった。
もしかしたら、ルーミアって案外ポンコツなのだろうか……。




