幕間 英雄の軌跡 Ⅷ
黒い魔物の軍勢による突然の侵攻は、どうにか対処しきれた。
一体ずつは大して力を持っていないようだけれど、戦う力を持たない人たちにとってみれば充分に脅威的な存在であるのだから無理もない。
戦いが落ち着き、迎撃体制から警戒態勢に移行する事になった町の中の被害は大きい。
目の前の脅威がなくなった事への安堵と、これから先への不安、大事な人を喪った嘆きといった、負の感情が支配していて、この町の住人でもない僕でさえその足が重くなるような気がする程だ。
ゲームやマンガ、アニメのように町の外で食い止めれて被害者が出ませんでした、冒険者も助かりましたので大団円、なんてなるほど世界は甘くない。
戦闘に参加すれば常に命の危険は付き纏うし、魔物全てを食い止めるだけの防衛体制を整えきれなかったという現実がある以上、被害を被るのは当然と言えば当然だ。衛兵も死に、誰かが誰かを庇う為に命を落とすなんて事も珍しくはない。
冒険者として色々な町を見てきたけれど、こういう時、部外者である僕らにできる事は少ない。
手伝ってあげる事はできるかもしれないけれど、心の整理ができていないのに無理に前に進ませたとしても、心が置いていかれて空虚な日々が待っているだけだ。
冷たいかもしれないけれど、この町には今、余所者を受け入れていられる余裕もなさそうだ。
素直に出ていくとしよう。
そんな事を考えながら冒険者ギルドへと足を進めた。
冒険者ギルドに到着すると、町の中とは打って変わって空気が軽い。
ギルドから防衛作戦に協力を要請された冒険者たちは、仕事が終わったとばかりに気軽な態度だ。気晴らしに飲みにも行けないと愚痴ってさえいるのだから、ギルドの外の人々と冒険者たちの間の感情の差は凄まじい。
「……ご協力、ありがとうございました。報酬の支払いでよろしいですか?」
「いや、報酬は――」
「おいおい、酒出してねぇってよ。こんな状態で商売やってられねぇって言われちまったよ」
「あぁー? んだよ、せっかく守ってやったっつーのによぉ」
受付の男性に声をかけたところで、そんな会話が無遠慮に響き渡った。
戦いの後で興奮して自制できずにいるのか、はたまた生来の気質かは分からないが、お世辞にも良い態度であるとは言い難いものがある。
冒険者ギルドがいくら国の枠組みに捕らわれない組織であるとは言っても、町そのものが機能しなくなればギルドとて撤退を余儀なくされるし、町に住んでいる職員からすればこんな状況で冒険者が軽口を叩いている姿に、怒りだって湧くだろう。
拳を握り締め、怒りを噛み殺すように俯いた職員が意を決して顔をあげ、立ち上がろうとしたところで、僕は受け付けからぐるりと振り返って軽口を叩いていた冒険者に身体を向けた。
「守ってやった? ははっ、大して強くもないのに偉そうに、よく言うね」
「……んだと?」
「あぁ、ごめんごめん。つい、身の程も弁えずに偉そうに吠えてる図体だけデカいのがいたから、目についてね。酒なんて飲まないで、黙って町から出て行ったらどうだい?」
「テメェ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「調子に乗ってるのはそっちだろう? その鍛えすぎて頭に栄養回らなくなって馬鹿になったのか元から馬鹿なのかは知らないけど、さっきからその無駄にデカい身体と同様に無駄にデカい声が耳障りなんだよ」
「このクソガキ――ッ!」
「――その玩具を抜いたら、冗談じゃ済まさない。殺すよ」
腰に提げている剣の柄に手をかけた瞬間に、こちらも魔力を放出して威圧を放つ。
その男も、周りでその男と同様に騒いでいた男たちも一様に顔を青褪めさせていった。
とは言え、さすがにメンツを潰されたと思ったのか、彼らもここで引き下がるほどお利口ではなかったようで、その手が動いて剣の刃を見せた。
――別にどうでも良かったんだけど、見せしめにはちょうどいいか。
そこまで考えた、その時だった。
「――金級冒険者、【天秤】のエルト様、大変お待たせしました」
僕の後ろ、つい今しがたまで俯いて拳を握っていた受け付けの男性が、わざわざ少し大きめに僕の冒険者ランクと名前を呼んだ。
金級とはつまり冒険者の階級を示す言葉で、上から数えた方が早い程度に高位である事を示すには充分だ。
でも、その後に続いた【天秤】は、二つ名というか通り名という代物。
これをよりにもよってわざわざ喧伝するように口にされた事で、僕は思わず頬を引き攣らせた。
「【天秤】……!?」
「おい、【天秤】って?」
「……ラグエ王国の魔物暴走で貴族もろとも魔法で焼き払ったヤベーヤツだ。魔法だけじゃなくて剣もできるっていう、オールラウンダー。敵対したら、貴族であっても容赦しねぇって有名人だ。あまりの苛烈さに罪を問う事すらできねぇらしい」
……ねえ、待って?
僕、そんなに厄介な人間になった記憶ないんだけど?
二つ名出されて顔を引き攣らせたのは、単純に中二病っぽいから嫌だっただけなんだけど?
確かに冒険者になって一年ぐらい過ぎた頃に、かつて僕がいたラグエ王国に行った事はある。そこで魔物暴走が発生したのも事実だ。
けれど、それは家督争いで何を考えたのか魔物を呼び寄せて活躍しようと考えたらしい馬鹿貴族がいて、そいつもろとも燃やし尽くしたっていうだけの話であって、別に僕が貴族憎しで貴族殺しなんて真似をした訳じゃないんだけど?
しかも馬鹿貴族が魔物寄せの他にも呪物を用いて魔物みたいに変質していたから、許可を得て燃やしただけなんですけど?
その顛末がしっかりと知られているから無罪になった訳だし。
ホント何その凶悪な人間。
というかそんな凶悪な噂が流れてるなんて知らなかったんですけど?
むしろそれがホントなら冒険者でいられるはずなくない?
「……で。そこまで剣を抜いてるんだから、かかって来るならきなよ。殺すから」
「す、すいやせんでしたッ!」
わお、綺麗なお辞儀で見事な直角。
そんな男の周りで一緒になって気色ばんでいた男たちにちらりと目を向けると、さっと目を逸らされた。
……まあ、いいけどさ。
半ば面白くない気分で受付を担当していた男性に振り返ると、それはもう爽やかな笑顔で口を開いた。
「【天秤】殿、ご用件をどうぞ」
……よくもまあ、ぬけぬけと。
わざと僕の二つ名というか通り名を口にしたくせに。
まあ他人にどう思われようがどうでもいいし、別に構わないけどさ。
「……防衛の報酬はいらない」
「報酬はいらない、ですか?」
「うん、その代わりと言っちゃなんだけど、その金額分と追加のお金を払うから依頼を出させてほしい。対象は見習いまで。未経験者同行可。戦闘で疲れたから大きめの馬車でゆっくりと移動したくてね。馬車もないから、馬車と馬も買い取らせてね。それに僕の荷物は少ないから、空いてるスペースに自分たちの荷物を載せてもいいよ」
「……ッ、それは……。見習いが女子供であっても構わない、と?」
「別になんでもいいさ。あぁ、料理ができるなら報酬を上乗せしていいよ。食材も僕がお金を出すから、その人たちの分も含めて準備もしてほしい」
「……馬車は一台で?」
「ま、僕だけがやるならそれでいいよ。もし似たような依頼があるなら、護衛ついでに隊列で移動するのも悪くないかもね」
「……あなたは……」
「野営の食事当番をするのって、意外と面倒なんだ」
「……かしこまりました。であれば、料理が得意な方を含めて、ですね」
「そうだね。あぁ、僕は旅が好きなんだ。できれば凝った料理じゃなくて、家で食べれるような郷土料理が作れると嬉しいかな」
「……ありがとうございます」
言下に含んだ内容が理解できたのだろう。
要するに、今回の騒動で家族を失ってしまい、復興や生きていくのが難しくなった女子供がいれば、僕の料理番をする代わりに親戚や親しい友人の元まで送り届けるよ、という僕からの依頼だ。
この町はお世辞にも大きくないし、栄えていない。
大黒柱がいなくなってしまい、家を失ったという女子供もそれなりにいそうなぐらいには、町の中心部に住めない、あまり裕福ではない家庭に被害が出ているという事だ。
復興を手伝うだのっていうのはお金をもらわなくちゃいけなくなるし、かと言って無償でなんでもかんでもやってあげるほど、僕はお人好しではないのだ。
だから、僕の移動のついで、だ。
行き先は……まあ、連れていく人たちの行きたい所への旅って事で。
聖女と勇者については急いでいないし。
「おいおい、【天秤】さんよ。ずいぶんとまあ面白い依頼出してるじゃねぇの。いいぜ、俺も同じ内容で頼むわ」
「リーダーはまた勝手に……。はあ。ま、いいけどさ」
「おーい、俺も頼むわ。たまにはそういうのも悪くねぇしな」
先程の騒動があったせいか、僕が話している内容は周りにも聞こえていたようで、依頼の意味を理解した冒険者たちの何名かが名乗り出た。
その態度に受付の人たちが泣き出しそうな顔をして――というより、僕の隣のお姉さんなんてもうギャン泣きしそうなぐらい顔を歪めてしまっていて、そんなお姉さんの態度に女性に不慣れな冒険者の男性がおろおろしている。
「……まったく。キミたち、お人好しだね」
「「「「お前が言うな!」」」」
……僕にとってみれば、これは慈善事業とかじゃなくて、単純に旅が楽になるからついでみたいなものなんだけど。




