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幕間 英雄の軌跡 Ⅳ

 意識が引き上げられてはっと慌てて目を覚ますと、そこは僕の知らない部屋の一室だった。

 木造の室内が淡い光に照らされていて、ログハウスの一室であるようだ。

 ベッドに寝かされていたようだけれど、ぼんやりとした思考のまま眠る前を思い出して、記憶を取り戻して慌てて身体を見るものの、特に拘束もされていないようだった。


 改めて周りを見回しても、扉も開いているようだし特に監禁するつもりすらなさそうだ。

 その上、ご丁寧にベッド脇に置かれたテーブルには水差しとコップが置かれているし、急に襲われるような形であったというのにずいぶんと丁寧な扱いを受けているように思えて、思わず困惑させられる。


 敵対の意志はないのか、或いは敵対されたとしても容易に御せると考えられているのかといった二つの可能性が浮かんでくるけれど……うん、あの気を失う寸前の流れを考えると、後者である可能性が高いかな。

 下手にこの状況で動いて敵対したり、牙を剥いてみせるのはあまり得策ではなさそうな気がする。


 寝かされているベッドも非常に綺麗だし、柔らかくて気持ちがいい。

 こんなに寝心地のいい環境はあまりにも久しぶり過ぎて、ちょっと動きたくない。


 窓に目を向けてみると夜のようだし、もう一度寝てしまってもいいかな、なんて考えて目を閉じた、その時だった。


「――襲われて運ばれたってのに二度寝しようってのかい? ずいぶんとまあ肝が据わっているというか、図太い精神をしているねぇ」


 部屋の入り口側から聞こえた声に起き上がりながら顔を向ける。

 開かれていた部屋の入り口の扉の横、そこには僕が気を失う寸前に邂逅した女性が腕を組んで立ちながら、呆れたような表情を浮かべていた。


「……外も暗いみたいなので、明るくなってから声をかければいいかな、と」


「くくっ、素直に起き上がるのが億劫だったとそう言えばいいさ。身体に違和感はなさそうだね。そこの水差しの水は自由に飲みな」


「はあ……、ありがとう、ございます……?」


 ……何が狙いだ?

 普通に考えてあの時の攻防と言い、あの流れからして僕を犯罪者というか、殺人犯として捕まえに来たのかと思っていたのだけれど、どうにもそういう空気が感じられない。敵対的な態度どころか、こちらに対して警戒しているような素振りすら見えない。


 いや、僕の見た目は所詮五歳児相当な子供でしかないし、警戒しないのはある意味普通と言えば普通かもしれないけれど……あの男たちを殺したのが僕であると想像できるのなら、多少なりとも警戒するのが普通なはずだ。


 そんな事を考えながら、せっかくなので水差しの水をコップに移して飲むと、今更ながらに喉が乾いていた事を思い出したかのように一杯めを飲み干してしまった。

 二杯目を注いだところで、女性はベッドの横にあった椅子に腰掛け、足を組んでこちらを見つめた。


「さて、落ち着いたようなら少し話せるかい?」


「えぇ、大丈夫です」


「……アンタ、いいとこの子息か何かかい?」


「……はい?」


「いや、歳上に対して落ち着いて対応する事に慣れているようだからね。どうにもアンタの人物像が掴めないのさ。普通、目が覚めたら全く違う知らない場所にいたりしたら慌てたり虚勢を張ってこちらに噛みつくような態度をしてみたりするもんさ。でも、そういう事をしないじゃないか」


 あぁ、なるほど。

 僕という人物像が掴めない、というこの女性の言葉の意図するところが理解できて、思わず「確かに」と呟いてしまいじとりと睨まれた。

 気を取り直して新たにコップに注いだ水を一口飲んで、咳払いをしてみせてから女性に視線を戻した。


「物心ついた時から貧民街にいたのでそれはないですね」


「は? 家族は?」


「いないですよ。保護者代わりだったお爺さんがいましたけど、その人の気紛れに助けられていただけの元浮浪児、現野生児というトコです」


「……ますます意味の分からない子だね。幾つか訊ねさせてもらえるかい?」


「まあ、構いませんが。その前に一つ、こちらも質問させてもらっても?」


「あぁ、構わないよ」


「あなたはあの三人の仇討ち、或いは犯人の調査でもしていたんですか?」


「いいや、そうじゃないね。偶然見つけて、周辺を少し探っていただけさ」


 ……なるほど。

 じゃあ僕に復讐しに来たとか、兵に突き出しに来たとかそういう訳ではないらしい。


「もっとも、さすがに貴族殺しなんてしちまったらお尋ね者にもなるってもんだけどねぇ」


「……はい?」


「アンタが殺した三人の内、心臓を貫いたのがいただろう。アレはこの国の子爵だよ」


「…………マジですか」


「まじ、ってのが本当かどうかを訊ねてのものだとしたら、マジだろうさ」


 ……まあ、薄々はそういう可能性も考えてはいたんだけどね。

 なんだかすっごく偉そうな感じではあったし、この世界は王侯貴族のいる封建社会だって話はイシュトアからも聞かされていた。

 僕の過去の記憶でもお爺さんから「お貴族様には絶対逆らうな」なんて言われていたぐらいだ。


 だからって、ねぇ……。

 あんな人間としてはどう見ても未熟そうな人物が、件のお貴族様であるはずがない、って思いたかったんだけどなぁ。


「ま、安心しな。アンタを突き出すつもりなんてないさ」


「え……?」


「アタシはむしろ、アンタを褒めてやりたいぐらいだけどね。あの豚がアタシの知り合いを無理やり娶ろうとしていて、王都から身一つで森を抜けて逃げてきたのさ。しつこく追いかけてきているようならアタシが殺すつもりだったぐらいさ」


 ……助けを求めてきた女性……?


「もしかして、外套を着てあの森を抜けていった女性ですか?」


「そうだけど……って、アンタそういや野生児だとか名乗ってたね。森の中でそれらしい人物を見かけた事があるのかい?」


「えぇ、まあ」


 あのおっさん達がやってくる数日前に森の中を抜けて行った、どうにも森歩きに慣れていなさそうな人。

 身体の輪郭から女性だろうと思っていたあの人が、僕が殺したおっさん達に追われていて、逆にこの人に助けを求めた結果、この人がやって来た、と。


 ……うん、完全に僕って巻き込まれただけだね。

 まあ殺した時点で無関係とは言えないし、この人があの時の狼を操って僕を捕らえようとしていると考えて魔眼を仕掛けたのも僕な訳だからとばっちりとまでは言わないけど。


「あの娘は逃げ出しついでにあの子爵の横領した証拠書類を掴んでいてね。逃げ出したついでに万が一の事を考えて、森の中に埋めていったのさ。もし捕まってしまったとしても、証拠品を使って自由を交渉しようと考えたみたいでね」


「……そんな物を持っていたからこそ、余計に追われたのでは?」


 ……………………。


「……いや、その証拠を掴まれたと知らなかったかもしれないじゃないか」


「死体を見つけるまで安心できない、とか言いながら連れの男たちを急かしてましたよ。それに、僕が見かけた人がその人だとしたら、あの成金っぽい人、その女性が通ってから五日ぐらい経ってから突然やって来てましたし、恐らくその証拠を掴まれたと考えたから追いかけたんじゃないかと」


「……そうみたいだねぇ……」


 要するに、ただ逃げ出しただけだったらいちいち追手を差し向けるつもりはなかった可能性が高くて、交渉の為にと持ち出したモノのせいで追いかけざるを得なくなる状況を作ってしまい、発覚してから慌てて追いかけてきた、というところではないだろうか。

 じゃなきゃ、あの女性がいなくなって追いかけるまでに時差が生じるような結果にはなりにくいと思うし。


 つまり、安全を確保するどころか完全に余計な事をして、余計に追われる理由を作ってしまったという訳だね。


 ……それに巻き込まれる形になった僕は一体……。


「……ま、まあいいじゃないか。後顧の憂いが断てたんなら、さ」


「……まぁ、あなた達にとってはそうでしょうね……」


 僕はその理由を作ったが故にやってきた貴族を殺してしまった訳で、何も解決したとは言えなかったりするのだが……それに気が付いていない訳ではないようで、この女性も目を逸らしていた。


 もっとも、別に「あなた達のせいで自分は人を殺してしまったんだ!」なんて嘆きたい訳でもない。

 単純に少しでも僕に対する罪悪感みたいなものを抱いてくれたら、僕を突き出そうとはしなかったり、運が良ければ王都から離れたところに逃してくれたりしないかな、という意図があって、敢えてそういう態度を取っているだけだ。


 だって、実際僕が手を下したという事実は変わらない訳だしね。


「ま、経緯はそんなトコさ。いい加減、ここからは冗談やくだらない腹の探り合いもここまでにして、そろそろ本題に入るとしようかね。――アンタ、アタシの弟子になるつもりはあるかい?」


「……はい?」


「野生児ってんなら行く宛もないんだろう? それに、これから冬になって森での暮らしはずっと辛くなるよ。どうしても森に住み続けたいって訳じゃないんだろう?」


「まあ、森で住み続けたいとは思ってないですけど」


 僕だってできれば安心できる場所で温かい布団で寝たりしたいし、まともな食事を食べたいとか、そういう気持ちは当然ある。


 ただ、この人が僕を弟子にしたがる理由がいまいち理解できなくて、その裏になにか狙いというか、意図が潜んでいた場合に厄介事になっても面倒なのは事実なので、あまりあっさりと頷きにくい提案だなぁ。


 なかなか頷こうとしない僕に業を煮やしたのか、女性は改めて続けた。


「アンタのその魔眼も、魔法を学ぶ方が手っ取り早く強くなれるというものさ。別に一生仕えろなんて言うつもりはないよ。ただ、その才能を上手く活かしたいと考えるなら、自分で言うのもなんだけど悪い提案ではないと思うけどね。住処だってついてくるんだ、悪くはないだろう?」


「ふむ……」


 まあ、魔法とかについてはどうしたって勉強するつもりではあったのだ。

 ただしそれは生活が安定してから、と考えていた訳だけれど、住処もついてくると言われると全くもって僕にとってデメリットらしいデメリットはないような気もする。


「……一つ、聞かせていただいても?」


「なんだい?」


「僕が弟子になることで、あなたにどんなメリットがあるんです?」


 僕にとっては非常にありがたい申し出だし、飛び付きたいところではある。

 ただ、この人にとってのメリットとかが一切見えなくて、どうにも飛び付くのが躊躇われる。

 そういう意味での問いかけであると理解したのか、女性は一度頷いてから僕の目を指差してきた。


「アンタの持つ、魔眼に興味が湧いたのさ」


「魔眼に?」


「あぁ、そうさ。アタシは弟子としてアンタを鍛えつつ、アンタを通してその魔眼を調べてみたいのさ。アンタはいまいち理解していないようだけど、魔眼を持っている人間ってのは一国の王よりも数が少ないのさ。それに、大抵精神に何らかの異常をきたしている連中が多い。なのにアンタは理論的で、精神的にもおかしな異常は見当たらない」


「……なるほど。ただ、まるでおかしくない異常があるとでも言いたげに聞こえますけど?」


「……アンタね。その態度や物言いが一般的だとでも言うつもりかい?」


 ……あぁ、うん、忘れてた。

 どうにも今の自分の年齢っていうものが頭から抜け落ちてしまっていた。

 なるほど、確かに前世でも五歳児程度でこんな理路整然と会話が成立するような子供は異常であると言える、か。


 この人が言う通りなのだとすれば、なるほど、確かに僕という存在は貴重な研究対象に値するというのも頷ける。そういうメリットがあるからこそ僕を囲い込みたいというのであれば、非常に理解しやすいというものだ。


「……実はあなたが貴族だったりしないですよね?」


「あんな生き方、死んでもお断りだよ。アタシはどこの国にも属していない、一介の”魔女”さ。パイプはあるけど縛られる事はないよ」


 ……ふむ、悪くはなさそうだ。

 魔女ってのがいまいちよく分からないけど、魔法使いとして認められた女性の呼称とか、そんな感じなのかな。


「……分かりました。僕にとってもいい話なので、人体実験とか目玉をくり抜くとかでなければ、是非」


「……アンタ、何を想像してるんだい……。さすがにそんな事するつもりはないよ」

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