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幕間 英雄の軌跡 Ⅰ

 ラグエ王国の王都、その片隅に追いやられるように集まるならず者、怪我や病を理由に満足に働けない者、何かから逃げ落ちた者たちが集う、貧民街。

 その一角で、さながら力のない人形のように横たわるソレ(・・)は、ぼさぼさと伸びた黒い髪に、光のない黒い瞳を空に向けて雨に打たれていた。


 生命の灯火はすでに消えかけ、心臓の鼓動がゆっくりと停止していく。

 しかし、躯になりかけていたソレ(・・)の右の瞳に赤い光の幾何模様が浮かび上がり、ソレ(・・)は思い出したかのように激しく咳き込んだ。


 およそ五分程度、咳き込み酷く息苦しそうに呼吸を繰り返していたソレ(・・)は、ようやく落ち着きを取り戻してゆっくりとその身体を起こした。


 年の頃は、せいぜい五歳から六歳程度だろう。

 酷く痩せこけている身体を確認するように見回して、まるで自分がどのような存在であるかを確認するように服とも言い表せないようなぼろぼろの布切れを捲ってみたりと、どうにも挙動がおかしい。

 もっとも、貧民街の更に片隅の狭い路地、それも大雨の中にいるおかげかそれを指摘する者は近くにはいないようではあったが。


 一通り自らの身体を確認した後で、少年は鼻を鳴らし、その漂っている饐えた臭いに思わず顔を顰めた。


「……ここは貧民街で、僕は孤児、か」


 自らの置かれた環境を思い出し(・・・・)、少年は吐き棄てるように呟いた。

 親という存在も、親しい存在もいない事に寂しさや不安を感じるよりも先に、少年は自らの境遇に対して安堵した(・・・・)


 ――下手に親しい相手がいようものなら、僕の変化(・・・・)に気付かれる。

 そのリスクを回避できたのなら、むしろ上々な滑り出しではないだろうか、と。


 差し当たっての目標は、『与えられた力の使い方を知り、生きる術を手に入れること』といったところだろうかと思考を巡らせつつ少年は立ち上がり、ふらふらと力の入らない身体に苦い笑みを浮かべた。


「……まずは何より、この身体をどうにかしないと、か」


 身体に力は入らず、酷い飢餓感を覚える。

 夏の雨という事もあって寒さで身体を壊すという事は避けられそうではあるが、如何せん食糧と呼べる食糧が手に入らないのが貧民街という所なのだと少年は理解していた。


 つい先程、溶け合った(・・・・・)ばかりの記憶と、この飢えた肉体がそれを雄弁に物語っていた。




 こうして、一人の孤児は雨の中を歩き出す。

 これが後にこの世界を救った英雄、エルト。

 そして現人神となり、ルオと名乗るようになった一人の男の数奇な人生の、本当の始まりであった。






 ◆ ◆ ◆






 偶然というものは得てして期待していない時に訪れるもので、まして望んでいないものさえも渡してくるのが神と呼ばれる存在であるらしい事を、僕は死という、本来なら終わりであるはずのタイミングで学んだ。


 日本人として生きてきた僕にとって、日本という国はひどく息苦しい国だと言えた。


 狭い空間に押し込められるような横並びの教育の中だけで限定された価値観を築かされ、憶えたところで意味もなければ力にもならない授業を受け、テストと成績という名前の評価の為だけに記憶して優劣をつけていく。

 つまらない自尊心を育み、根拠のない自信に裏打ちされ、多様性の時代においても多様性の子供は認めないような教育は続き、子供同士とて「自分はアイツより優れている、勝っている」とどんぐりの背比べよろしく狭い世界の中でカーストが決定する。


 それは何も学びの場だけではなくとも、家庭でもそうだと言えたし、会社や、或いは社会の縮図であると言えるだろう。

 いずれにせよ、酷く生きにくく死ににくく、上手いこと人道的な飼い殺し方を確立したものだ、という感想を抱く程度に僕という人間は歪んでいた。


 そんな僕が死んだ。

 死因はなんだったのかは僕には思い出せないけど。


 ともあれ、そこで終わり(・・・)だと思ったのに、僕の魂とやらはどうやら偶然にもおかしなものに巻き込まれたらしく、偶然に偶然が重なり、神と呼ばれるような存在と邂逅するに至ったのだ。


 神という存在は、どちらかと言えばAIやプログラムという印象だった。

 無機質で無感情で、ただ決められたシステムに則って動いているような存在は、神というよりも管理者という呼び方の方がしっくり来る。


 そんな神であるらしいイシュトアは、僕という魂――つまりイレギュラーに対し興味を抱いたのだ。

 僕の記憶を読み取り、人間というものを表面的に知るのではなく、文化を、生き方を知りたがり、そして僕という存在との対話というものを望み、僕の魂に僕という自我をもう一度覚醒させた。


 そして、僕はイシュトアと邂逅した、という訳だ。


 雌雄というものが特に存在していなかったが、イシュトアは女神と呼ばれていたため、一応は女性という形を取っていたらしい。もっとも、それはあくまでも自らがイシュトアという個として人類に接触するにあたり、イメージを統一させるために建前上決定していた、というものであるらしく、厳密にはどっちでもない、というところだったそうだが。


 ともあれ、そんな彼女と僕は様々な事を話した。

 僕にとっても未知の存在であり、内容が面白かった。

 彼女にとっての知的好奇心とでも云うべきものを満たすために付き合っていただけではあったけれど、常に感じていた生き(・・)苦しさから解放されたような気がして、僕自身も随分と気安く接する事ができて、なかなかに楽しい時間だった。


 そんな彼女に転生を提案された際、僕は一度断った。

 というのも、ようやく終わって解放されたばかりだというのに、もう一度生きたい、なんて思う程のやる気というか、気力なんてものがなかったというのが本音だ。


 けれど、僕という人間を通じて様々な事に興味を抱いたイシュトアは、僕に「興味を抱かせる」という事を小賢しくも実践してみせたのである。

 まさに剣と魔法のファンタジー、なんて言える世界に行ってみないか、と。


 結果として、僕はその提案に乗る事にした。

 どうせ死んだ命なのだから、少しぐらい楽しむのもまた一興かな、と考えて。


 そこからはひと悶着あった。

 最初は僕を人間の枠を超えた強さを持った存在に魔改造しようとしたので、それを却下し、その後で今度は人類最強程度にすると言い出して再び却下し、ご都合主義的な魔法の才能だとか剣の才能なんてものも却下した。


 そもそも器の限界が来るか十歳程度になった段階で安全に前世の記憶を蘇らせるための補助として、魔眼をもらうという話になっていたのだ。

 それ以上の力を持ちたいとか、チートで俺TUEEEしたいとかハーレムしたいとか、そういう願望は特になかったし、それだけでいいと断言する僕と、それだけじゃ実際にチートを持った存在の行動パターンが分析できないと言い張るイシュトアとの対立が起こったのだ。


 結果として僕の意見を呑んでくれたのだが、最後の最後までごねていたりもした。妙なところで人間臭い面倒臭さが生じて見えた。




 ()くして、僕は異世界転生なんていう、まるで物語の主人公のような体験をする事になった訳である。

 器の限界――つまり死にかけたせいで、身体がまだまだ未熟な段階で記憶が蘇る羽目になってしまったけれど……まあしょうがない。世界観的にもある程度覚悟はしていたしね。


 そんな訳で、現状僕は孤児である。名前もない。

 前世の名はイシュトアに忘れさせてもらった。

 覚えていたくもなかったというより、捨てたかった、というのが正しい。


 そんな僕が記憶を取り戻してこの五十日程度。

 その間で何をしていたのかと言うと、朝は貧民街を囲む城壁の崩れた箇所から外へと出て魔眼を利用した修行兼、食糧となる果物や草を摘まみ食い、たまに魚を罠で捕らえて焼いたりといったサバイバル生活。

 昼からは市に赴き、文字の読み書き用にあちこちにある看板や市の商品に立てかけられた文字の確認という、なんともまあ自由な生活であった。


 元々の僕は孤児でもあり、よくある教会の孤児院に暮らす一人というものではなく、家も何もない浮浪児であった。食糧を分けてくれていたお爺さんが世話をしてくれていたのだけれど、そのお爺さんは僕が死にかけるちょっと前に病死している。

 結果として、その庇護下から抜け出さなくてはならなくなってしまい、彷徨って餓死した、というところらしかった。


 不幸中の幸いは、そのお爺さんが薬草について知っている元冒険者であったという点だ。

 僕は薬草について教えてもらっていたので、記憶が戻り、外に出てそれを食べれば飢えを凌ぐぐらいはできるのではと考え、実践。結果、なんとか生き永らえる事はできた。


 今では魔眼を使って獣を狩り、肉を取れないかと日々特訓中であった。

 生きてはいるものの、満ち足りていると言うには足りなさすぎるのだ。


 浮浪児であり孤児である僕に仕事なんてあるはずもない。

 ここが農村だったなら野菜泥棒なんて事もできたかもしれないが、よりにもよって城壁に覆われた王都である。

 要するに、食糧を調達するには金が必要で、しかし仕事ができなければお金は手に入らず、お金がなければ飯にありつけない。


 そこで考え付いたのは冒険者になる、というものだ。

 一応、冒険者になるのに年齢の制限というものはない。

 シビアな言い方をすれば、子供であろうが大人であろうが、仕事ができるのであれば登録はできるのだ。


 ただし、依頼者が子供にできるような仕事を依頼するのか。そして子供がやると聞いて信頼できるのかと言われると難しいところでもある。

 そうなると見た目からして浮浪児、孤児である人間が冒険者として働けるのかと言われれば、答えは否。

 体力面、知識、礼儀といったものさえ期待できない以上、使いようがないので冒険者ギルド側とて断るというものだ。


 そんな訳で、見た目に関係せずに信頼される、仕事をこなせると判断してもらうためには、せめて骨と皮だけというような今の身体はどうにかしなくちゃいけないし、小間使い程度はこなせるぐらいの最低限の体力をつけなくてはならないのだ。


 飯を食べる為に金を稼ぎたいのに、冒険者として登録しても問題ないと判断してもらうために、見た目をまともにするために飯を食べなきゃいけないというのも、なかなかにジレンマではあるけどね。


 とまぁ、そういったジレンマ含めた諸々もあって、今は素材を売るとか買うとかできる程の収入は諦めている。

 川で身体を小綺麗にしてはいるけれど薄汚れたボロボロの服のままだし、髪だって伸びっぱなしで邪魔くさいものを植物の蔓で縛っているだけという適当ぶりだ。


 目下、身体作りと魔眼の利用法の育成、ただそれだけに注力しつつ最低限の知識を手に入れることだけを目的にし、蓄えだとかは冒険者になってから考えればいいと割り切っている。


 貧民街に帰る家も拠点もない僕は、何も貧民街に拠点を持たなくてはならない理由もない。

 最近は街の外にある木の上に植物の蔦を編み込んだ簡易ベッドで寝ている方が寝心地もいいし、何より臭くないので拠点のメインは外だったりもするぐらいである。

 この辺りは平和で木の上まで登ってくるような魔物もいないので、快適だ。


 洞窟を拠点にしようとか考えた事もあるけれど、それは寒くなるまでにどうにもならなかった時に考えるつもりだ。

 何せ洞窟があるような場所はこの森から更に離れた山に近づかなきゃいけないし、山の方じゃ魔物も厄介になる、とは死んだお爺さんの言だし、熊とか出たら今の僕じゃあっさり殺されかねない。


 そうして孤児から野生児あたりに進化し、木の上が僕の拠点になり、生活のリズムができてきて、段々と朝と夕方は過ごしやすい気温になり始めた頃。


 僕は、後に僕の師匠となる人物と出会う事になるのであった。

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