#110 ルーミア VS 唯希 Ⅱ
空間干渉系の切断魔法。
まるで中空を不可視の斬撃が斬り裂くようなそれは、五感では察知する事は不可能な必殺の一撃であると言える。
ただ、不可視の一撃と言えば恐ろしくも思う一方で、実際のところ魔力を用いた魔法戦闘において人間が有する五感というものはあまり重要視されない。
魔法とはつまり干渉力。
本人の魔力によって世界に現象を書き加え、結果を引き起こすとでも云うべきかな。
その干渉を魔力の流れから読み解き、推測し、回避すれば、如何に不可視の一撃であったとしても事前に察知する事は可能だからだ。
もっとも、その察知から回避までの時間の間に動き、回避するなど常人にはおよそ不可能ではあるのだが、常人の域と呼ばれるような領域を逸脱した存在との戦いにおいてはその限りではない。
こうした話を、僕はかつて唯希に掻い摘んで説明した事がある。
唯希も頭ではその事をなんとなく理解していた。
そもそも僕、唯希の育成においては実戦方式での組手等は一切行わず、ただただ魔力制御と魔法の知識を埋めるというものでのみ伝えてきたのだ。
というのも、僕と組手を行える程の魔力の密度、魔力強度と呼ばれるものが足りていない点。そして、僕が現人神となった結果、自身の力を綿密に制御できない状況が続いていて、下手に相手をするとなると僅かなミスで唯希の命に関わる怪我を負いかねないからだ。
故に、唯希は格上との直接戦闘経験はまだまだ浅い。
頭では理解していたかつての教えも――しかしこうして対峙してみて、初めて実感するに至った。
いや、まざまざと見せつけられている、と云うべきだろう。
「く……ッ!」
「ほら、まだ間に合わないわよ」
右に、左に、上に、下に。
ありとあらゆる方向から、様々な空間斬撃を放っていくも、全て発動した瞬間にルーミアは僅かに身体の動きを変えるだけで避けている。
ある意味、ルーミアのやり方は性質が悪い。
届きそうで、なのに届かないのだという事を見せつけるような戦い方だ。
というより、あれは以前おにぃにやってみせた唯希の戦い方だ。
あれも心を折るものであったのは確かだけれど、それ以上だ。
ルーミアは圧倒的な差を見せつけている。
歴然たる、圧倒的な技量の差。
魔力量でゴリ押しされて負けるのではなく、技量によって心が折れる程の圧倒的な負けを経験させようとしているのだ。
自尊心というものを粉砕し、場合によっては二度と自らの意思では立ち上がれなくなる事だってあるだろう。
危険なやり方だと言わざるを得ない。
でも――いや、だからこそ、だろうか。
ルーミアはそれを敢えて選んでいる。
以前、唯希が心を折る戦いを実践した事を説明したけれど、それを覚えているんだろうなぁ、これは。
僕と共に進むというのであれば、その程度の事は乗り越えてもらう必要があるのだとルーミアは突き付ける。
それでもなお食らいつき、抗う気概があるのかと戦いの中でルーミアは唯希に問いかけている。
戦いにおいて絶対はない。
ゲームのステータスみたいな数値なんかが存在して、マスクデータを参照して勝敗の優劣が決まるものでもない。
彼我に絶対的な力の差があったとしても、一点に集中して特化させる事で絶対的不利を覆すなんてものも珍しくはない。
相対する敵にはどんな存在であっても最大限の警戒を向け、自身の実力と相手の実力を推し量る事ができて、初めて手を抜くという選択肢が出てくるのだ。それは慢心や油断とは全く異なるものだ。
唯希は元々魔法少女の中でも序列第二位と言われていた存在。
自身よりも実力的に劣る『みゅーずとおにぃ』の二人と動いたりと、強者としての戦い方を学んできていると言える。
しかし、弱者としての戦い方を未だ知らない。
――お前がやった他人の心を折る戦いは力量差がなければできず、所詮お前もさらなる強者を前にすればそれをされる程度でしかない。覆す事すらできないのだと知れ。そして立ち上がれるなら立ち上がってみせろ。
そんな、僕が唯希に問うた覚悟に対する問いとは異なるけれど、ルーミアもまた覚悟を問いかけている。
僕という存在に寄り掛かるだけならば要らない、自ら立ち上がる事ができないのなら要らない、とでも言いたげな、静かで、なのに苛烈な覚悟への問いかけ。
「攻撃するだけじゃダメよ?」
「――ッ!?」
突然顔を寄せられて唯希が後退ろうとしたところで、いつの間にか伸びていたルーミアの影が、唯希の膝裏を引っ掛け、がくんと体勢が崩れた。
額が下がった先でルーミアのしなやかな人差し指が伸ばされて、指先から放たれた魔力の奔流に唯希の身体が吹き飛ばされ、壁にぶつけられる寸前のところでルーミアの影に守られて多少の衝撃を吸収した形で叩きつけられてからずり落ちた。
「がはっ、げほ……っ!」
「んー、こんなもんかしらね。攻撃力は及第点。けれど、色々と足りないわね。これからに期待ってトコかしら? ま、いいんじゃない?」
――まるで「もう終わりだ」とでも言わんばかりのルーミアの態度だけれど、これが唯希にとっての分水嶺。
唯希のダメージはまだ大して大きくはない。
少し時間があれば回復して、戦える程度に抑えられた。
――けれど、心はどうだろうか。
どれだけ攻撃を重ねても届かず、圧倒的に手加減されて、及第点を得たと言える。
しかしこれもまたルーミアの問いかけだと、唯希は気付いているのだろうか。
ここで再び立ち上がり、戦えるかどうかという点。
そして、ルーミアに及第点ではなく、合格を貰おうと食い付けるかどうかという点。
ちらりと横に控えるリュリュを横目に見れば、リュリュもまた無感情に唯希をじっと見つめている。
彼女もまた、ルーミアと同じように考えているのだろう。
唯希のこの場での答えによって今後の育成における基準を設ける腹積もりのようである。
僕から言わせれば、「そこまでやらなくてもいいんじゃない?」と言いたいところではあるのだけれどね。
もっとも、僕としてもここで唯希が素直に負けを認めて折れるのであれば、僕はきっと彼女を仲間としては見ない。
ただただ保護した子供として、一人前になるまで育てなくちゃとは思うけどね。
はたして、唯希は俯いたままゆっくりと立ち上がる。
「……ま――……せん……ッ!」
「あら、なぁに?」
「……まだ、諦めた訳ではありません……ッ! 諦めるつもりも、ありませんッ!」
「……へぇ? 口で言うのは簡単だけれど?」
吠える唯希の答えに、ルーミアの目に期待が灯る。
ちらりとリュリュを確認すると、こちらはこちらで爛々と、しかし剣呑な光を宿したものへと変わっていた。
「……鍛え甲斐がありそうでいいですねぇ……」
「……ヨダレ、垂れるよ」
「はわっ!?」
どうにも唯希を前にすると嗜虐性が溢れているらしいリュリュだけれど、やはり根本的なぽんこつ性能は変わっていないらしい。
まあ、あのまま折れていれば興味もなくなっていたかもしれないけれど、それでも立ち上がってみせた唯希を少しは認めたのだと思いたい。
ともあれ、ここで我武者羅に立ち向かうようでは意味がないのだけれど……とルーミアへと再び立ち向かうべく中央へと戻った唯希へと目を向けて、僕はついつい目を見開いた。
「……これは、驚いたね……」
舞台上では先程の戦いとは打って変わって、今度はルーミアが大きく舞台の上を移動しながら避けている。
一方で唯希は、一歩も動かずにその場でルーミアの動きを誘導するために線ではなく面で攻撃魔法を連続発動させつつ、訓練場全体を支配しようとしているかのように自分の魔力を拡散させていた。
狙いに気が付いて感心してみせる僕から僅かに遅れて、ルーミアも唯希の狙いに気が付いたのか、自身の魔力で周辺を塗り潰し返す。
けれど、その一瞬が命取りだったと言えるかもしれない。
すでに唯希の魔力は周辺を呑み込んでいて、魔法を発動する仕掛けが整ってしまっているのだから。
「――【斬空百重ね】」
唯希の一言と共に、まるで耳鳴りのようなキーンと甲高い音が鳴り響く寸前で、ルーミアが影に潜る。
刹那、空間が幾重にも歪み、周囲へと暴風を放って元に戻った。
予め結界を張ったとは言えその暴風は魔王城全体を揺らすように響き、窓ガラスという窓ガラスを砕いてしまったらしい。
「……まったく、恐ろしい魔法を編み出したものだね」
割れてしまった窓ガラスと暴風で崩れた周辺全域を魔力で捕捉して、指を慣らす。
僕が作ったこの魔王城は、素材こそ必要であったものの僕の魔力の影響下にあり、改めて魔力を通せば操って完全修復するぐらいは可能だ。
まるで時間が巻き戻るようにガラスや訓練場の破片という破片が元の位置へと戻っていき、結合していく。
「……ルーミア、大丈夫かい?」
「もうっ、影の中まで斬撃が届いてきた時は死ぬかと思ったわよ」
影を伝って僕の元まで移動してきたルーミアが姿を現すと、そこにはドレスが一部斬り裂かれ、血を流したルーミアが苦笑して立っていた。
致命傷は免れたらしい。
「空間干渉系はそういう所が恐ろしいね」
「領域発動型の空間斬撃と、空間が切り取られる形となったせいで起こった強烈な衝撃の二段構えの魔法、かしら。第十三階梯級のフザけっぷりね。あなたの魔力で作ったこの城じゃなかったら、この辺り一帯を更地にしているわよ」
「だろうね」
ぼやくように呟きつつ、急激な魔力枯渇によって意識を失ったのか倒れてしまった唯希を見つめるルーミアの目は、なかなかに優しい色を灯していた。
「合格みたいだね」
「意識を失った事と、戦い方の未熟さをクリアできれば言う事はないわね」
「はいぃ~、しっかり鍛えてあげますからねぇ~……?」
ふふふと笑いながらリュリュがそれだけを言い残して、リュリュが気絶した唯希を介抱しに向かってくれた。
我武者羅に戦った訳でもなく、冷静に戦っていたと言っていいだろう。
我を忘れて突っ込むような愚行に走らなかったのだから大したものだし、リュリュも唯希を認めたと思っていいのかもしれない。
「……リュリュってば、あの娘のこと壊さなければいいけど」
「……今なんて?」
ルーミアがぽつりと呟いた一言に訊ね返せば、ルーミアは僅かに表情を引き攣らせて苦笑した。
「あの娘、部下の中でも素質のあるお気に入りを見つけると、壊しかねないのよね。どうしても教え方が苛烈になるのよ」
「……ルーミア」
「はいはい。程々にするよう手綱を握っておくわね」
割と聞き捨てならない話を聞いた気がするけど……うん。
唯希、ガンバレー。




