#105 真相
「それで、どういうつもりだい?」
妖精のような見目の麗しいクラリスには珍しい、ギロリとした鋭い視線と突き放すような物言い。
腕を組んで眉間に皺を寄せているため、明らかに怒りを込めているようにも見えるものではあったが、しかしその視線と態度を受けてもなお、声をかけられた当の本人であるルーミアは楽しげに笑っていた。
「どうもこうも、あなた達には魔王を倒してもらうわよ」
「魔王、ねぇ……」
時刻は深夜、クラリスの自室となっている凛央魔法少女訓練校の一室からはちょうど魔王城と言われる漆黒の城が浮かんでいる姿が見えていた。
空に浮かぶ城は大陸を切り取ったような陸地が赤黒い雲海に囲まれており、その中を紅い雷が走っているせいで、昼夜問わずその威容をこれでもかとばかりに見せつけている。
忌々しげに上空に浮かぶそれを見て、クラリス――いや、クラリスの意識の代わりに身体を操り、表に出てきているルキナが呟いた。
「よりにもよって、この世界でまたあんなモンと出会う羽目になるなんて……」
「あら、あなた前の世界の魔王と会った事あるの?」
「……直接会った事がある訳じゃないさ。人探しついでに最期の戦いが行われた場所に訪れた事があるだけだよ」
「……ふぅん?」
寂しげな、それでいて悔しげな横顔。
ルキナの見せる表情は、大切な存在を戦いの中で喪った者の持つ特有のものと同一の色を孕んでいるようで、ルーミアとしても迂闊に踏み込む事は躊躇われた。
「そっちはどんな状況?」
「どうもこうも大騒ぎさ。一連のルイナー大量発生が魔王とやらの仕業だったと判明した訳だしね」
華仙防衛戦から四日が過ぎ、今や大和連邦軍と魔法庁は蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。
ルイナーの親玉とも言える魔王を名乗る存在が現れ、その存在の本拠地である魔王城という名の上空に浮かび、常に黒い雷雲が渦巻く摩訶不思議な存在が現れたのだ。
偵察用ドローンや戦闘機は城から出てきた翼の生えた人型ルイナーによってあっさりと撃ち落とされてしまい、現状では近づく事さえできない状況にある。
どうやって侵入すれば良いかと頭を抱える連邦軍と魔法庁ではあったが、そこに神宣院を通して天照より、座標を定めて使える転移門を用意する事で協力するといった声がかけられ、その準備を進めている状況である。
「もっとも、あの力を見る限り魔法少女じゃ正攻法で倒せる相手じゃないとは思うけどね」
「あぁ、安心なさいな。対策としてギミックを解除して魔王を弱体化するイベントも用意しているわ」
「……クラリスを含め、魔法少女やこの世界の者らにとっては世界を救う為の決戦になろうってのに、まるでゲームじゃないか。まったく、酷い話だね」
「何言ってるのよ。元々この世界をそのままにしていたら、それこそ終わりの見えない戦いの中で延々と戦い続けなくちゃいけなかったわ。そうならないようにさせる為に我が主様が動いているんじゃない」
「そんなの分かっちゃいるんだけどねぇ……」
確かに何も知らない魔法少女を含めたこの世界の者達から見れば、酷い話に思えるかもしれない。盤上の駒のように操られ、誘導されているのだと知れば、許せないと感じる者もいるだろう。
とは言え、ルオの目標は『この世界の人間がこの世界を守ること』であり、魔法少女たちの敵である邪神と戦わせて愉しんでいる訳ではない。
終わりのない戦いを数十年以上も続け、その中で疲弊し、絶望して死にゆく魔法少女たちを生み出さないよう、しっかりと終局させるために状況を整えているのは他ならぬルオであり、ルーミアでもある。
魔法少女だけに戦いを押し付けなくてはならなかった世界の法則へも関与し、棄民外の救済も行っているというのだから、正しく神の所業であると言えた。
そこに理解がない訳ではないが、ルキナとて思う所の一つや二つ程度は生まれてくる。
その気持ちが分からないでもないとルーミアは苦笑した。
「そう愚痴らないの。魔王討伐っていう明確な終着点が見えたのだから、むしろ喜びなさいな」
「そう言われてもね。魔王を斃したところでルイナーが消滅する訳じゃ――」
「――するわよ」
「は? なんだって?」
あっさりと断言されてしまい困惑するルキナに対し、ルーミアはあっさりと続けた。
「まずそもそも、今回現れた魔王は我が主様が邪神に呑み込まれた姿っていう設定にはなっているけれど、魔王城であなた達を迎え討つのは正真正銘、本物の魔王よ。我が主様が邪神の力を無理やり集め、生み出した邪神の力の集合体ね」
「……どういう意味さ」
「魔王城の中には魔王がすでに生み出され、下手に動けないように縛ってあるのよ。世界のルールとしてもその程度ならまだギリギリ過干渉にはならないしね」
「……本物の魔王。そんなのに魔法少女が勝てってのかい?」
「直接ぶつかり合ったら、正直負けるでしょうね。あなたが表に出てどちらに転ぶかってところでしょうけれど、さっき勝てるようにギミックがあるって言ったでしょう? あなた達がギミックを解いて進んでくれれば、我が主様が仕込んだ弱体化の結界が作動するようになっているわ」
「なるほどね。というか、アンタ達が斃しちまった方が早いんじゃないかい?」
「そうはいかないのよ。というより、できない理由がある、という方が正しいわね」
「できない理由?」
訝しげに眉を顰めるルキナの視線の先、リリスのベッドに腰を下ろしていたルーミアが長い脚を組みながらピンと人差し指を立ててみせた。
「まず一つ目、『この世界の問題はこの世界の人間が解決しなくてはならない』。これがまず大前提となるルールね。縛る程度なら世界のルールにギリギリ抵触しないのだけれど、それをどうにかするのはこの世界の者でなくてはならないのよ」
「だったら、魔王なんてものを生み出さなければいいじゃないか」
「別にそれでも構わないのよ? ただ、さっきも言った通り、そうなれば延々と持久戦が続くだけよ。終わりの見えない戦いを年端もいかない少女達に背負わせ続けようとでも言うつもり? コントロールできる状況ができて、終わらせる事ができるなら多少は辛くとも終わらせるべきでしょう」
ルーミアの答えは酷く正しい。
このままこの世界の者だけでルイナーと戦い続ける事は、不可能ではないだろう。
数十年もすれば一般人も魔力に覚醒め、ルイナーと戦える探索者とて現れてくるのは想像できる。
だから、今の魔法少女にそれまで待てと、戦い続けろと言うのか。
そう問われれば、ルキナとてそんな事を言えるはずもなかった。
ルキナにとってクラリスは娘のような存在だ。
そんな彼女が戦いに身を投じるという選択肢を自ら選び取り、自らの意思を持って戦うのであれば良い。
しかし、選択肢もなく、魔法少女となったのだから戦い続けろというのは間違っているとルキナも思う。
コントロールできる状況ができて、終わらせる事ができる状況。
ルーミアの言う通り、この状況は千載一遇の好機であるのは間違いなかった。
危険に身を投じさせるというのは避けたいが、しかしこの状況を逃してしまう方が辛い。
子供から大人になるまでの大切な時間を、ただ戦いの中だけで過ごさずに済むというのなら、それに越した事はない。
大人になってからの十年、二十年は取り戻せるが、子供の頃の時間はどうやったって取り戻せないのだから。
「続いて二つ目だけれど、正直言って我が主様も私たちも、魔王如きに時間を割けるほどの余裕がない、という点ね」
ルキナの意識を引き戻すようにルーミアが続けて中指を立てながら告げる。
「邪神本体は一筋縄じゃいかないって意味かい?」
「力そのもので言えば、我が主様なら充分に勝てる程度と目されているわ。でも、問題は邪神の本体――というより、核と言える存在の居場所をハッキリと掴み取り、対峙する事ができないというのが一番のネックね。下手に確信もなく近づいて逃げられる訳にはいかない以上、確実に居場所を突き止め、確実に仕留める機会を作り出さなきゃいけないのよ」
「なるほどね。でも、それが魔王とどういう関係があるっていうんだい?」
「邪神の力を凝縮した存在が斃れた瞬間、一時的に邪神の核の居場所が顕になるみたい。この二年で色々試した結果、強いルイナーであればある程、その気配が見つけやすくなるらしいわ。だから、あなた達には何がなんでも魔王を斃してもらわなくちゃいけないの」
「そして居場所を特定し、アンタ達が一気に叩く、と」
「えぇ、そうよ」
これこそが、この世界の問題をこの世界で解決させると同時に、邪神そのものへと干渉するための一手であった。
この二年間、ルオはひたすらに邪神の本体を消滅させる方向に注力しており、ルーミアはロージアという魔法少女をその中核のメンバーへと据える方向で育て続けてきた。
それは偏に、この世界の住人たちが探索者となって魔力を扱えるようになり、少なからず自衛できる状況を整える時間ともなり、どちらにとっても無駄ではなかったと言える。
そうして準備を進め、整ったからこそ今回こうして邪神そのものへと攻撃をする為の状況――つまりは、魔王という存在を演じ、ルイナーの親玉が生まれた事を周知させつつ、その魔王をこの世界の人間が斃し、天照たち亜神がその力を封じる。
かつてルオがイシュトアと共に魔王という存在を封じ、浄化した際と同じ事を、今度は亜神という存在を通して行おうという訳だ。これにより、邪神の本体は大幅に弱まる事になるだろう。
同時にルオがルーミアとオルベール家を率いて、邪神の力が弱まった瞬間に一気に攻撃に転じ、境界の向こう側で邪神本体を討つというシナリオができた経緯である。
「……なるほどね。つまり、魔法少女が魔王を斃さないと、アンタ達も邪神には届かない、って事かい」
「そうなるわね。その他にも解決しなきゃいけない問題はあるけれど、まぁそっちはすでに私の眷属が動いているから時間の問題ね」
「……くくっ、そうかい。なら、馬鹿弟子の仇を取る一助ぐらいにはなれそうなんだね」
「……そういえばあなたの弟子、邪神の眷属に殺されたの?」
「殺されたってのはちょいと違うけどね。あの馬鹿弟子はアタシのトコで修行した後、どういう因果か、勇者と一緒に魔王と戦ってたのさ」
「勇者と一緒に……?」
「あぁ、そうだよ。あの馬鹿弟子は、そのまま魔王の”楔”となる事を選んだのさ。勇者と聖女の二人を生き残らせるためにね」
それは、正しくルオの過去であり、ルーミアもその話をルオから聞かされている。
――まさか、【暝天】の弟子が?
そんな考えが脳裏を過ぎり、ルーミアは柄にもなく慌てた様子で口を開いた。
「ねえ、ルキナ。あなたの弟子の名前って……」
「あぁ、エルトって言ってね。魔王の楔として世界に名を遺すなんて真似をした、馬鹿弟子さ」
「エルト、ね……」
ルオの前世の名前を知らないルーミアには、その名前が正しくルオのものかは分からなかった。
しかし、今更になって理解できた事もあった。
「……あなた、もしかしてその弟子に私たち――夜魔の民の話をした事ってあるんじゃない?」
「話した事ぐらいならあるね。その強さと契約方法、特殊な能力も含めてね。アンタがアタシと同じ魔女だって事は話してなかったとは思うけど、夜魔の民にずいぶんと興味を持っていたのは事実だよ」
「え……?」
ルーミアは確かに眠り続け、その存在を世界から消した。
だが、ローンベルクという国も滅び、始祖である自分という存在をルオがわざわざ選んで召喚をしたのかとルオに訊ねてみた事もあったが、しかしルオはそこを大した考えがあった訳でもなく「召喚をアレンジしたら喚べた」というふわっとした回答したのだ。
故に、偶然ルオによって喚び出されたのが自分だったのだ、という認識でいた。
しかし目の前のルキナが――かつての自分と同じ魔女であった【暝天】が、同じ魔女である【破天】の話をしており、それによって『繋がり』が元々生まれていたのであれば、それは偶然とは言えなくなる。
ルオはあっさりとした性格で、物事に固執していないようにも見える。
そんなルオでも、もしかしたらかつての世界にあった『繋がり』を欲し、無自覚ながらにその『繋がり』を求めて自分を指定して喚んだのだとすれば、結果としてそれは偶然ではなく必然となる。
特に召喚魔法は術者の望みが影響しやすいとも言われる魔法であり、術式は同一でも強く求めたり『繋がり』の有無、術者との相性や技量によって召喚される存在は大きく異なる傾向にある。
つまり、ルオは『繋がり』を求めたのだ。
二千年以上眠り神となり、いつもは飄々としながらも、しかし心の何処かで『繋がり』を求めたからこそ、夜魔の始祖たる実力者を求めた。
そして喚び出されるのは、そんなルオの無意識下にある小さな渇望を埋められる存在。
その結果選ばれたのが自分なのか、とルーミアは思う。
それはなんだか、とてもくすぐったくて、何故か嬉しいような、心が弾むような気がして、知らずルーミアは口角をあげていた。
「……そう、なのね。じゃあ私は、求められて喚ばれた、のね……」
「……どういう意味だい? というか、いきなり顔を赤くしてニマニマ笑うんじゃないよ、おかしな娘だね」
「……へ? ……んんっ、なんでもないわ。確認したら教えるわね」
「あ、あぁ、まぁいいけどね……」
短くそれだけを告げて、ルーミアはその場から逃げるように影に溶けて消え去る。
その寸前に見せた力のない表情と赤くなった顔に呆気に取られたルキナは、凄まじく珍しいものを見た気分でしばしルーミアの座っていた場所を見つめて固まる事になったのであった。




