#103 魔王 Ⅶ
揺らめく黒い魔力は、まるで動物の尾のように幾つも分かたれていた。
頬から首元まで黒く染まっていたはずの紋様は禍々しい赤色に変わり、俯いていたルオが顔をあげると、紋様に近い左眼もまた煌々と光る真紅に染まっていた。
「……くくくっ、ははははは……っ!」
「様子がおかしい……! みな、気をつけよ!」
ロージアの隣で夕蘭が叫ぶように声をあげるとほぼ同時に、黒く揺らめいていた魔力が一斉にロージアらに向けて襲いかかる。夕蘭の声もあったが、何よりも尋常ではないルオの気配に身構えていたおかげか、ロージア達は迫る攻撃を咄嗟に回避する事に成功した。
黒い帯状の魔力は、まるで鞭のようにしなりながらも真っ直ぐ伸びて大地を削りながら突き進んでいた。
もしも当たれば致命傷になる一撃である事が窺える程の威力を有している事が窺える一撃、避けられた事に安堵する間もなく、ぐるりと回り込むように動きを変えて再びロージアたちへと迫る。
「戻ってきそーだぞ!?」
「全員回避! 魔力障壁で耐えられるものとは思えませんわ!」
エレインの驚愕した声を聞いてフィーリスが慌てて声をあげ、ロージアとリリス、アルテもまた慌ててその場から再び飛び上がり、迫る黒い魔力の襲撃を回避した。
しかし――
「――ッ、ロージア、身を守れッ! ぐ、ああぁっ!?」
「――が……ッ!?」
――中空へと飛んだロージア達に向けて、更にルオから放たれた魔力の帯が中空に飛んだ魔法少女たちを薙ぎ払うように迫る。
気がついた夕蘭が声をあげながら魔力障壁でそれを防ごうとするも、僅かに勢いを留めるだけであっさりと障壁が破られ、夕蘭の身体を巻き込みながら、咄嗟に身を丸めたロージアも、他の魔法少女たちも容赦なく叩き付けるように打ち付け、その身体を吹き飛ばした。
幸いにしてロージアの魔力障壁を貫く程の威力はなかったようではあるものの、しかし魔力障壁を貫いて衝撃が伝わるように調整していたかのようにロージアらは木に、地面に打ち付けられて、思わず息を詰まらせた。
たった数秒。
だと言うのに、夕蘭に庇われたロージア以外の面々はあまりの衝撃に意識を刈り取られ、その場に倒れ伏したまま動こうとはしなかった。
そんな魔法少女らを見て、ルオがくつくつと笑う。
「甘いなぁ。そっちを操っているからって僕が動けない訳でも、攻撃できない訳でもないよ?」
「……ルオ、くん……どうして……」
「どうしても何も、用済みだから、だよ」
「……用、済み……?」
痛みに堪えながら訴えるロージアに、ルオはあっさりと言い放った。
「以前言ったはずだね、僕らの世界は邪神によって滅ぼされ、僕らは元々この世界に邪神の矛先を向けさせる、その為にやって来た、と。けれど、僕はこの世界の人達を巻き込まないという姿勢を取り、一方でルーミアはこの世界の人間をさっさと滅ぼし、僕らの世界を取り戻そうとしていた」
実際、ルオはロージアらを助けてきたと言える。
鯨型ルイナーとの戦いではロージアを助けて魔力制御を夕蘭に教え、葛之葉では『都市喰い』との戦いに助力する形で。
その後、葛之葉奪還作戦が完了するその時にルーミアがルオを急襲し、ルオとルーミアの二人が抱える背景を知るに至ったのは事実だ。
「そうさ、ロージア。僕はキミ達を助け、ルーミアを止めるような立ち位置になり、この世界への邪神の侵攻を食い止める。――そう見えたことだろうね」
「……え……?」
「……くく、あっはははははっ! この僕が? キミ達を守る為に、世界を巻き込まない為に、なんて綺麗事を理由に? あっはははは! あぁ、まったく――我ながら寒気がするよ」
哄笑して、突如ぴたりとルオは笑みを消し去った。
「冗談じゃない。僕はただこの世界に、弱い邪神の眷属――キミ達がルイナーと呼ぶ雑魚しかやって来ない環境に着目し、そのバランスのまま均衡を保っていてほしかっただけさ。ルイナーを研究するためにね」
「ルイナーの研究……」
「あぁ、そうだよ。弱いルイナーと対等に戦う事しかできないキミ達。キミ達のおかげで、この世界のバランスは非常に不安定な所にありながらも安定していると言えた。一方的に魔法少女が強い訳でもなければ、ルイナーが蹂躙するでもない、そんな奇妙なバランスが成り立っていた訳だ。それはつまり、邪神側が本気でこの世界を侵略しようとはしていないという証左でもあった。つまり、充分にゆっくりと研究できる時間が、この世界にはあったのさ」
舞台の上での役者の独白とでも言うような、語るような物言いでルオは続ける。
「まさに研究にうってつけの環境だというのに、ルーミアが血気逸って暴れ、バランスを崩されてしまっては困るだろう? もしルーミアがルイナーを虐殺するか、魔法少女を虐殺するかしてしまえば、このバランスは保てない。きっと天秤が傾いた方向へ急激に事態は流れてしまいかねない訳だよ」
「……ッ」
「くくっ、気付いたかい? だから僕は、ルーミアを止めるために敢えて反対する姿勢を取った。そうする事で、ルーミアがキミ達に手を出しにくい構図を作り上げたかった。僕がキミ達に味方していたなんて、ただそれだけの話さ。キミ達の絶対的な味方になった訳でもなければ、良き隣人になった覚えもない。徹頭徹尾、僕は僕の研究を行う事だけを考え、行動してきただけだよ」
ただ自分がルイナーの研究をしたいが為に、ルーミアを止め、魔法少女を助けていた。
そのルオの言葉はある意味では説得力があった。
そもそもルオやルーミアの力があるなら、葛之葉のようにルイナーのいる地を完全に更地に変えてしまう事も容易い。
先程ロージアが放った第八階梯の魔法とて、二年前にルオが放った魔法のように、『都市喰い』の群れを消し去る事だってできるだろうとロージアは自惚れではなく冷静に自分を客観視した時に可能だと考えている。
それでも、ルオには届かない。
事実として、ロージアは未だにルーミアに傷一つつけられないというのが実状であった。
そんなルーミアが「本気で戦えば自分は負ける」と断言している相手がルオであり、だからこそルーミアも大きく動こうとはしていない、という話をロージアはルーミアから聞かされていた。
何故なら、わざわざルオと対立して殺し合おうとせずとも自身の目的は果たせるからだ。
彼女の目的はあくまでも自分たちの世界の救済であって、この世界がルイナーに滅ぼされようが、ルイナーに勝ち自分達にとっての戦力になろうが、どちらに転んでも構わないからだとロージアは知っている。
しかしルオは、もしも純粋に仲間であり、この世界を助けようとしているのだとすれば、どうして積極的に介入しようとしなかったのか。
その理由はロージアにも、他の魔法少女たちにも分からなかった。
いや、善意から味方してくれるようになった、と。
盲目的にそう思い込んでいる節があったのだ。
しかし今、ルオは語る。
「そうして僕はバランスを維持しつつ邪神の力を研究してきた。結果として邪神の力を手に入れる事に成功したという訳だよ。キミ達のおかげで、ね。くく……っ、今はまだ実験段階として下位の誘導、そしてさっきキミ達が戦った騎士種もどきを生み出した程度ではあるけれど、この調子でいけば邪神そのものを乗っ取る事も可能だろう」
――けれど、まだ足りないんだ。
そうルオは付け加えて、嗜虐的な笑みを浮かべてみせた。
「邪神は恨み辛み、憎悪に怨念といった所謂負のエネルギーが集まった存在だ。それらを僕がこうして手に入れる事ができるようになった以上、僕がそれを集めなきゃいけない。今の邪神を乗っ取る為には、そうしなきゃ足りないんだよ、ロージア」
「負のエネルギーを、集める……?」
「あぁ、そうだよ。ここまで言えば、もう分かるだろう?」
「――ッ、まさか……!」
にっこりと、まるで邪気のない笑みを浮かべてルオは、笑った。
「あぁ、そうだよ。この世界を邪神に喰われる前に、僕が喰らう事にしたんだ」
ゆっくりと歩み寄るルオが、その手に持つ『黄昏』を振り上げた。
「だから、さっき言っただろう? キミ達が邪魔だ、ってさ。という事だから、さようなら、魔法少女ロージア。すぐにお仲間も後を追わせてあげるよ――」
「――そこまでよ、ルオ」
ルオの背後の影が蠢き、黒い大鎌を手に持ったルーミアがルオへと声をかける。
その声にピタリと動きを止めて、ルオはゆっくりと振り返った。
「……やあ、ルーミア」
「……ずいぶんと悪趣味な力を手に入れたみたいね、ルオ。それに、私の弟子に手を出してくれるなんて、いい度胸だわ。ここからは私が相手になってあげる」
大鎌を構えてその先をルオに向けながら、ルーミアが強い意思を宿した眼を向ける一方で、ロージアからは背を向ける形となったルオが『黄昏』をゆっくりと下ろしながら肩を揺らした。
「……何が可笑しいのかしら?」
「……くくっ、いや、キミがまさか人間如きに肩入れするなんて、珍しいものを見たなと思ってね……」
「あら、むしろ私から言わせてもらえば、人間をそうも見下すような口ぶりでいる姿でいるあなたの方こそ珍しいと思うけど?」
「ははっ、冗談はよしてくれ。人間なんて滅びようがなんだろうが構わないさ」
吐き捨てるように告げてみせるルオの姿に、ルーミアは僅かに目を眇めてみせた。
「……一つ、確認させてもらうわ。あなた、何時から邪神の力を狙っていたの?」
「姉さんが死んだ、あの日からさ」
「……そう。やっぱり……」
まるで何かを確認するようなその問いかけに対してルオから返ってきた答えを聞いて、ルーミアが確信を抱いたかのように瞑目し、やがてその目をゆっくりと開けてルオを睥睨した。
「……返してもらうわ」
「はっ、何をだい?」
「全て、よ」
短い言葉のやり取りは終わり、ルーミアが大鎌を構えて一瞬で肉薄して薙ぎ払うように振るう。
ルオはそれを『黄昏』を立てるように自分の身体と大鎌の刃の間に入れて受け止めると、その勢いを殺しきらないままにくるりと中空で横に回転しながら『黄昏』を振るった。
しかしルーミアはそれを読んでいたのか、身を屈めてやり過ごし、更に追撃を――と意識を切り替えた瞬間、自分に迫る黒い魔力の塊に気が付き、舌打ちしながら横へと跳んで回避する。
咄嗟の判断で攻撃を回避したルーミアが再び攻撃しようと顔をあげると、すでにルオはその場で手を翳しており、巨大な魔法陣を描いて佇んでいた。
「――耐えられるかい?」
「この……ッ!」
短く嘲笑混じりに告げると共に放たれた闇色の光線がルーミアへと迫り、ルーミアもまた同様の魔法を放って対抗する。
拮抗する互いの魔法がぶつかり合い、魔力の奔流が周囲を巻き込んで大きな爆発を引き起こす瞬間、今更ながらにロージア達が近くにいる事を思い出したかのようにルーミアが慌ててロージア達を影で覆い、その余波に巻き込まれないように庇った。
内心で冷や汗を流しつつルオに「もうちょっと手を抜いて!」と目で訴えつつ、爆発が収まったところで保護を解いてから、ルーミアは固まり、そしてルオもまた固まった。
「――えっ、ちょっ、気絶してない?」
誰かのその慌てた声は、意識を落としたロージアたちの耳に届く事はなかった。
まるで黒幕(※なお、本人は色々いっぱいいっぱい)




