#097 魔王 Ⅰ
外灯もなく背の高い木々に囲まれる夜の山は、月明かりの僅かな淡い光も通さず、まるで塗り潰したような闇に支配される。
ルイナーの襲撃によって動物たちは逃げ去ってしまったのか、時間すら止まってしまったような、虚無を思わせるような異様な静けさが広がる闇の世界は、ふわふわと浮かび上がった光の球体によって払われた。
「よし、これで視界確保できそうだな」
光の球体をあちこちに、しかも一斉に展開し、視界を確保できる事を確認して満足げにエルフィンが腰に手を当てて呟く。
「相変わらず器用ですわね」
「んー、みんなそう言ってるけど、難しいって実感湧かないんだよなぁ」
光球は基礎魔法と呼ばれる魔法で第一階梯以下の魔法で、今や魔法少女なら誰でも使うことができる。が、エルフィンのように基礎魔法とは言え自分と離れた場所に、しかも複数の魔法を発動させ、維持するとなれば難易度が跳ね上がる所為だ。
しかし、一般的な魔法少女にとっては非常に難易度の高い魔法も、エルフィンにとってみれば特に労せずとも可能であった。
これは偏に彼女が【天眼】と言う固有魔法のおかげで空間、距離の把握能力が非常に高くなり、離れた場所への魔力を上手くコントロールできるが故の特性とも言える。
こうした背景を知らない周囲の魔法少女とエルフィンとの間に生まれるような齟齬は様々な面で生まれている。遠距離に放つ放出系の魔法が得意な者もいれば、身に纏うような魔法が得意な者もいたりと、魔法少女の中でも徐々に得手不得手というものが最近では別れつつある。
もちろん、それは決して悪い事ではない。
自らに相応しい魔法に絞って特化するのが最も効率的であるとも言えるため、多くの魔法少女が変化を受け入れて特化した魔法の習熟に集中できるようになり、魔法の幅はかえって広がりを見せつつあり、魔法の黎明期とも言えるこの世界では良いデータが取れていると言えた。
ともあれ、凛央の魔法少女の中では唯一と言える同時展開に特化したエルフィンがフィーリスに同行しているのは、逆にフィーリスが単発の威力特化に進みがちという傾向にあるからだ。
手数ではエルフィンが、一撃はフィーリスが、という具合にバランスを取った戦い方、対応が可能になるため、戦闘時にこの二人が組むというケースは彼女たちにとっても珍しくはなかった。
「助かりますわ。連邦軍が照らしてくれているとは言え、これだけでは心許ありませんものね」
「場所が場所だし、しょうがないと思うけどな」
周辺に比べて背の高い位置へとアルテが連邦軍の軍人を連れて飛び、その場所から強力な投光器を利用して視界を確保してはいる。しかしこうした場で投光器を使った照射は、どうにも背の高い木々の陰影が多く生まれている事もあり、いまいち距離感が掴みにくい。
エルフィンのようにあちこちに光球を浮かべていれば死角も生まれにくく、圧倒的に戦いやすいのだ。
それに加えて、もう一つ問題があった。
「ですが、一つ課題が見えましたわね。わたくし達はこのような環境に対する訓練を怠ってしまっていた、という課題が」
「ま、そうだな……」
フィーリスが忌々しげに呟いた言葉にエルフィンも同意を示した。
元々魔法少女が戦闘を想定しているのは、基本的に市街地だ。
ダンジョンという薄暗い空間に行く事はあっても、ダンジョンは光源がしっかりとあるため、真っ暗な中で戦闘をするという事もなく、少々暗くとも光球を一つ浮かべてさえいれば視界の確保は充分に可能である。
しかし今回の戦闘は山の中。
町中におびき寄せて戦う訳にもいかない。
足場、視界の悪さというものが体力を削っていた。
「ま、こればっかりはしょうがないだろ。幸い、ルイナーの数も減ってきてるような気がするし、今度からこういう環境に慣れるような訓練をしていくしかないな」
「えぇ、そうですわね。今日はこれで終わってくれればいいのですが、その確認ができるまで油断はできませんわね。――あら?」
僅かな魔素の揺らぎを感じ取り、フィーリスとエルフィンが揺らぎの中心となっていた前方を見つめていると、そこにアルテがふっと姿を現した。転移魔法によって姿を見せる際の僅かな魔素の揺らぎに気が付いたのだ。
姿を現したアルテは背に妙に大きなバックパックを背負っており、華奢で背の小さなアルテが持ち運ぶにしては不釣り合いなサイズ感である。魔力を使った身体強化を施していなければ、バッグの重みでひっくり返っていてもおかしくはなさそうだ。
そんな印象を抱かれている事を知ってか知らずか、アルテはどこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「ん、少し波が途切れたっぽいから小休止。飲み物と食べ物持ってきた」
「あら、ありがとうございます」
「おー、助かる。そう言われた途端に腹減ったわ……。で、なんで不機嫌?」
「疲れた。転移しすぎた。まぁ、仕方ないけど」
山の中を瞬時に移動できるアルテの転移魔法はこの作戦においては非常に重要な存在だ。必然的に転移魔法での移動を要求されるケースは多く発生してしまう。
そうした背景は理解できているが、理解できているからと言って魔力を消費しない訳でも疲れない訳でもないのだ、不機嫌になるのも当然と言えば当然であり、エルフィンも質問をしたものの苦笑で返すしかなかった。
アルテがドサリとバックパックを地面に置いて、小さなバッグをその中から取り出し、それぞれに一つずつ手渡していく。中にはペットボトルのスポーツドリンクとゼリー、それにバータイプの食糧等が詰め込まれていた。
それらを手渡してから、アルテは腕時計にしては妙に大きな液晶のついた端末を操作していく。
「ん、これでよし。持ち運ぶのは邪魔になるから食べ終わったらそのままでいい。こっちの位置情報は送ってるから、後で軍人がゴミとか残りがあれば回収する」
「えぇ、承知しましたわ」
「戦闘中にこんなの持ってたら邪魔だからな……」
「ん、じゃあ私はリリスとエレインにも渡してくるから。今は付近の偵察を軍がやってくれてるから、オウカから指示があるまで休憩」
それだけ告げて、アルテが再び転移する姿を見送ってから、残されたフィーリスとエルフィンの二人は早速とばかりにスポーツドリンクを口に運び、勢いよくそれを飲み始めた。
「――ふぅ……。ずっと戦っていたせいか、こうして余裕が出た途端に乾きと飢えを感じますわね」
「わかる。おっ、チョコ味」
口数少なくバータイプの栄養補給用の食事を口に運びつつ飲み物を飲み、体力の補給に努める形となったが、それでも充分に体力は回復できたようだ。
戦い始めて二時間弱。
時刻はもうすぐ二十時に回ろうかというところ。
年末が近づくに連れて肌寒くなってきてはいたが、それでも真冬らしい冷え込みはまだかかるのだろうか、などと呑気に考えていた矢先にやってきた急な寒波が息を白く染め、フィーリスとエルフィンはふるりと身体を僅かに震わせた。
「すっかり冬ですわね」
「だなー。こうも寒くなると焚き火したくなるよなー」
「ふふ、分かりますわ」
およそ二十分程度ではあったが、軽食と給水を済ませた二人も落ち着きを取り戻していた。緊張が途切れてしまわない程度には気を張りつつも、しかし談笑できる程度には余裕を持てるという理想的な状態であったと言えるかもしれない。
「そういえば、ロージアさんが来ることになったとか」
「あー、そうみたいだな。でもこのままルイナーが来なくなってくれたら来る必要もなくなるし、どうするんだろうな」
「ふむ……。このまま落ち着いているのであれば、索敵と調査を優先する事になるでしょうし、確かにロージアさんをわざわざ連れてくる必要はありませんわね」
「終わってくれればいいけどなぁ。なんか妙な静けさが広がってて、嫌な予感がするんだよなぁ……」
「嫌な予感、ですの?」
《――フィーリスさん、エルフィンさん、聞こえていますか!? 今すぐそこから華仙方面へ退避してください!》
フィーリスが質問を口にした、その途端。
今の今まで続いていた僅かな沈黙を切り裂くように、オウカから何やら妙に慌てたような声色をした通信が入った。
「は?」
「どういう意味ですの?」
《前方――――イナー――――向かっています! 今リリスさん――――早く――――!》
切迫したオウカの声が、ザザザとノイズ音に飲み込まれていく。
フィーリスとエルフィンの二人はお互いに顔を見合わせ、内容が理解できたかとお互いに小首を傾げるも、すぐに気持ちを切り替えて華仙方面へ逃げ――ようとして、凄まじい重圧感に襲われて身体が動かなくなった。
「――なん、ですの……、これ……!?」
まるで身体を押し潰すような重圧感と、警鐘を鳴らす本能がすぐに逃げろと激しく訴えだしているような、そんな気がして、フィーリスはエルフィンへと顔を向ける。
エルフィンは前方――ルイナーが先程からやってきていた方向を見て、その場で大きく目を見開いて口を震わせながら、力なくぺたりと座り込んだ。
フィーリスが何を見ているのかと確認しようと目を向けた先に、ソレはいた。
身体の大きさは背の高い成人男性程というところだろうか。
人間の男性が服を着ている姿をそのまま人形にでもしたかのように、服そのものが身体の一部となっているような、ルイナー特有の黒い肉体に赤い線の入った身体。
その手には長剣と言えるような剣を持っているようにさえ見えて、まるでコスプレをしている成人男性のシルエットでも見ているような、そんな気がしてフィーリスは言葉を失った。
顔も人間を模したのだろう。
美青年と言えるような整った顔立ちのようではあるものの、しかし目や鼻、口というものは特に機能しているという訳ではなく、ベネチアンマスクを被っているように見える。
しかし何よりも、その存在が放つ魔力の凄まじさ、重圧感の重苦しさが大きくフィーリスとエルフィンの二人を襲った。
――アレは、次元が違う。
フィーリスがその何かの存在を理解すると同時に、ソレは手に持っていた長剣を構えるように腰を落とした。
――来る、と感じた。
だが、足は動かない。
――殺される、と悟った。
けれど、抗う余裕すらない。
フィーリスの体感時間が引き伸ばされる中、しかし一歩も動けずに突然目の前に現れたソレだけが、まっすぐフィーリスに向かって突き進んできていた。
手に持った真っ黒な長剣。
振り上げられた長剣に走る赤い光が酷く美しく思えた。
そのまま振り下ろされた長剣はフィーリスの魔力障壁などまるで存在していないものであるかのように斬り裂いてフィーリスに迫り――――そして、鮮血が舞った。




