#091 華仙防衛戦 Ⅰ
明日架が魔力の精密訓練を行いに訓練場へと向かっている、その頃。
華仙にやってきた凛央魔法少女訓練校の生徒たちは、前線基地として設けられたテントの中で状況の説明を受けていたのだが――
「――何を考えているのですか!」
――声を荒らげた桜花によって勢いよく机に叩きつけられた両手が激しい音を立てる。
桜花ら魔法少女に対する司令官とその副官たち、先程まではどこか嘲るような弛緩していたような空気が桜花の行動によって一変し、テント内の空気が完全に沈黙する。
「何を、とは?」
対する丹田は僅かに怯みながらも、所詮は十代中盤の桜花を恐れるような事はないと考えたようで、僅かに強張った表情からすぐに調子を取り戻した涼しい顔をして問い返してみせる。
その面の皮の厚さに苛立ちを覚えつつも、桜花もまた交渉を行う事を念頭に置くため、一度目を閉じて深く息を吐き出してから体勢を整え、真っ直ぐ冷たい眼差しを丹田へと向けた。
「とぼけないでください。華仙の魔法少女たちの事です。私たちが到着した段階で彼女たちを休息させるべく後退させる。そういうお話でしたが?」
「そう仰られても困りますなぁ。ただでさえ防衛ラインは後退の一途を辿っています。あなた方が到着したのですから、まずは押し戻さなくては」
「防衛ラインを押し上げれば、必然的に防衛する側の負担が大きくなり、華仙組が抜ける余裕がなくなる可能性もあります。この防衛戦がいつまで続くか分からない以上、今の段階で無理に押し上げるのは得策ではないと告げたはずです。それにあなた方は同意したはずでは?」
「ふむ、確かに……」
「なら――」
「――ですが、軍の威信をかけたこの状況で、ルイナー共に押されたままという訳にはいかないのですよ」
「……はい?」
「あなたのような子供……失礼、まだ若い、しかも女性には理解できないかもしれませんが、軍とは常に政治的判断に基づいて行動するのですよ」
嘲笑するかのような物言いで侮蔑するような発言を向けられて、桜花はぴくりと眉を動かしつつも口を噤んだ。
政治など、ルイナーを相手にしている最中に気にしていられるようなものではないというのに、と沸々とこみ上げてくる怒りを必死に抑えるように奥歯を噛み締めて沈黙しているのだが、そんな桜花を見て丹田は自分の主張に反論の言葉を失ったと考えたのか、得意げな表情を浮かべてさらに続けた。
「凛央の魔法少女訓練校。なるほど、あなた方は大変に輝かしい功績を収めてきているのでしょう。初めての魔法少女訓練校という取り組みに、あの葛之葉まで奪還されたのですから」
「……何が言いたいのです」
「華仙の魔法少女、そして連邦軍がそんなあなた方に従ってこの危機を乗り越えたとなれば、華仙の魔法少女たちと連邦軍は役立たずだったと、そう言われてしまうかもしれない。そうなれば、我々は信用を失くしてしまいかねないのですよ」
「……つまり貴方は、この状況においても防衛よりも軍の信頼を守りたい、と。そうお考えであると?」
「勘違いしないでいただきたいですなぁ。もちろん、華仙に住まう無辜の民を守るのは華仙を拠点とし、防衛することを任じられている私共の役目ですとも。そこは変わりません。しかし、凛央からやって来たあなた方の命令に従って防衛に成功するのと、我々の防衛にあなた方が協力して防衛に成功するのでは、その意味が大きく異なってしまうと、そう言っているのです」
「だからと言って、魔法少女たちに無理強いするという行為は看過できません。彼女たちはすでに七時間以上も防衛戦を続けています。しっかりと休ませなくては、命を落としかねません」
「おやおや、そうならないよう救援に来たのがあなた方、凛央の魔法少女でしょう」
ニヤニヤと笑みを浮かべて告げてくる丹田を前に桜花は逡巡するように目を閉じ、言葉を呑み込んだ。
丹田は理解しているのだ。
今この状況で桜花らがこの地点の防衛を放棄するような真似はできない。何故ならそれをしてしまえば、桜花が気遣っている華仙の魔法少女たちの状況は何も変わらず、先程桜花が口にしたように死に至ってしまう可能性もあるだろう。
もちろん、丹田とて魔法少女を見殺しにしたい、という訳ではない。
実際にルイナーと戦う上で魔法少女という存在は戦力として有用性が非常に高い。二年半程前の軍内部に吹き荒れた粛清の嵐以降、軍と魔法少女は協力関係を築こうと動いているのは確かだ。
だが一方で、凛央に配属された鳴宮や、或いは大野のように『魔法少女とてただの少女。彼女たちもまた守るべき存在』と考える者もいれば、『魔法少女という対ルイナー用の兵器を軍の内部でコントロールできるよう仕向ける』という思惑で魔法少女たちに命令を聞かせたいと考える者もいたのだ。
そしてこの後者こそが華仙魔法少女訓練校の管理を任された者の思惑であり、その意向に従っているというのが実状であった事を今更ながらに桜花は理解した。
急造される形となった地方の魔法少女訓練校。
特にそのモデルケースとなった凛央魔法少女訓練校であれば大野も細心の注意を払い、鳴宮 奏という大野と志を同じくする存在に託すという選択もできたが、地方にできる新たな魔法少女訓練校に関してはそうはいかなかった、というのが現実だ。
桜花もその可能性は頭の片隅には置いてきたが、しかし表面だけを見て調べて判るものでもなければ、そもそも魔法少女同士の交流がない。さらには桜花自身、この半年程になってようやく生徒という立場ではなく魔法庁の魔法少女として動けるようになったばかりで、なかなか深部の情報を得られない立場にある。
協力体制を築くために軍の人間に任せ、凛央が上手くいってしまったからこそ他の訓練校でも似たような体制で進めてしまった今の状況に、しっかりとテコ入れしなければならない事を自覚しつつ、桜花はようやく目を開けた。
自分の後ろでは感情に呼応する形で魔力の発露という形で怒気を顕にした凛央魔法少女訓練校の面々がいる事を感じ取りつつ、桜花はそんな仲間たちの想いをしっかりと受け止めた上でゆっくりと口を開いた。
「……分かりました」
「おぉ、ご理解いただけたのであれば――」
「――魔法庁魔法少女育成顧問、東雲桜花として大和連邦軍に対し通達します。現時刻を以て、凛央魔法少女訓練校所属生徒、及び私の指揮下に入る華仙魔法少女は、本作戦に対する連邦軍への協力を拒否します」
「……は……?」
「対魔法戦闘時、つまり対ルイナー戦闘時、及びダンジョンにおける魔物暴走現象対処時、私は正式に魔法少女に対する指揮権限を有しています。そもそも、何を勘違いしていらっしゃるのかは存じませんが魔法少女は大和連邦軍の指揮下にある訳ではありませんので、従う道理など最初から存在していません」
「な、にを……」
パクパクと口を開閉する丹田に背を向けて、桜花は悠然と微笑んでみせた。
「アルテさん、エルフィンさんを連れて華仙魔法少女らにこの事を通達すると共に後方へ休息のために後退させてください。戦況を把握しつつ、防衛ラインを後退させます。華仙の魔法少女たちが復帰するまで、消耗を抑えて移動距離を最小限にします」
「ん、分かった」
「エレインさん、指定するポイントに魔石を埋め込んできてもらえますか?」
「おー、遠隔結界張るのかー?」
「はい。防衛ラインを抜けられても結界で侵入を拒めるようにしておけば、無理に追いかけようとして挟撃されるような事態は防げると思いますので」
「分かった!」
「――ま、待て!」
「リリスさんはフィーリスさんと一度、遊撃がてら威力偵察をお願いします」
「分かりました」
「承知しましたわ」
「――待てと言っているだろう!」
「カレスさんは後退してくる魔法少女の怪我を治療してほしいので、このまま待機を。では、行動開始してください」
背後から響いてくる丹田の声を無視する形で、桜花の指示に従って凛央の魔法少女らが一斉に動き出す。
それと同時に桜花は丹田へと振り返りつつも、まるで丹田をいないものとしているかのようにポケットからスマホを取り出し、液晶部分を一度タップしてみせた。
「――そういう事になりましたので、本作戦において我々魔法少女は大和連邦軍に対する協力を拒否させていただきます。あとはお好きにどうぞ、大野大将閣下」
「……お、大野、たいしょうかっか……?」
《……丹田中佐、聞こえているか》
「ひ……っ、そ、その声は……」
桜花がポケットから取り出したスマホをスピーカーモードに切り替えたのか、そこから聞こえてくる、地鳴りのような低い声。
その声に聞き覚えのあった丹田は息を呑み、先程までの嫌味な態度は完全に消え失せ、顔面を蒼白にさせて身体を硬直させた。
《どうやら聞こえているらしい。現時刻を以て、貴様を華仙防衛戦の指揮官から外す。即刻貴様とその副官、及びその場で貴様に追従する屑共を引き連れて華仙にある連邦軍基地に戻り、指示を待て。異論は一切認めん》
「し、しかし……」
《異論は、一切、認めん。そう言ったはずだが……?》
「……はっ」
声色だけで察せられる程に、大野の声色は明らかな怒りを孕んだものである事が窺えた。
大野と言えば、今や大和連邦軍における丹田の命運はすでに確定的なものになったようだと、作戦拠点にいた周囲の者たちもまた理解する。
大野 佑。
二年半程前に起こった大和連邦軍の大粛清の仕掛け人であり、現在は大粛清によって空席となった連邦軍の元帥に来年の春には就任する事が決定している、事実上連邦軍のトップと呼べる存在である。
彼が尽力した結果、魔法少女と大和連邦軍との関係性は改善され、凛央魔法少女訓練校という仕組みそのものが成功するに至ったと言っても過言ではない。
そんな男の声が聞こえてきた段階で、丹田を含めその場にいた者らも丹田の行く末がどういった末路を辿るのかは簡単に想像できた。
大野としても、今回の華仙防衛戦は気にかけているところであった。
何せ大規模な防衛戦というのはこれまでに例がないという点もあるが、凛央以外では報告書でしか実状の見えない魔法少女訓練校の練度としてどの程度まで対応できるのか、という点も気になっていたのだ。
加えて、あの粛清の嵐で生き残った者の中には上位が空席となった事で利権を貪ろうとする風見鶏連中は生き残っており、そうした者らが明確に尻尾を出すかもしれないという点もあった。
特に丹田という男が風見鶏の一人であり、粛清によって裁きを受ける対象には含まれなかった男ではあるものの、腰巾着のように粛清対象と行動を共にしていた事は調査結果として把握していた。
故に、大野は鳴宮を通して桜花に対し、依頼をしていた。
依頼の内容は単純で、「現場の指揮官らと会話する際に通話状態にしておいてほしい」というものであった、という訳だ。
「……さて、大野大将閣下? いかがなさいますか?」
《連邦軍としても華仙の防衛には協力させてもらいたい。情報収集と周囲の索敵による情報の共有、及び市民への避難誘導などはこちらが請け負おう》
「そうしていただけるのであれば我々としても否やはありません。もっとも、現状で私はまだ連邦軍を信頼できる、とは言えませんが」
《手厳しい、と言いたいところだが……いや、このような事があった以上、然るべき対処はきっちりと行った上で魔法庁を通して正式に謝罪と賠償を行わせてもらう》
「それらは華仙の魔法少女たちにお願いいたします。我々凛央の者らは謝罪と賠償の対象には含まれませんので」
《感謝と報酬で報いるとも》
「そうですか。では、期待せずに待っているとしましょう」
通話越しに返ってくる辛辣とも言える反応に対し、大野はついついといった様子で苦笑する。
桜花自身、軍に対する信用や信頼は未だに薄いが、こうした傾向は桜花のみならず、第一世代の魔法少女は軒並みそういった傾向にある。魔法少女になったばかりの頃の葛之葉の一件や、言う事を聞けと罵る旧来体質の軍の在り方で心に傷を負った魔法少女を見てきた者も多いからだ。
だからこそ、桜花は魔法少女を守れる立場として義務教育課程終了後に育成顧問という立場を引き受けた。
同時に戦闘時に軍の者と軋轢が生じた場合に、魔法少女という未だ年端の行かぬ少女たちをしっかりと守りたいという考えから現場の指揮権を有する事を魔法庁に要求し、受諾されると共に軍に対し正式に通達を依頼した。
これに対し、大野を含めた軍の上層部にとってみれば反対する理由はない。現実的な所で言えば、魔法少女は軍属ではなく魔法庁管轄の協力者だからだ。
年端の行かぬ少女たちであり、そんな少女たちに大人が一人ひとり説明をするのは難しい。何が琴線に触れるかも分からない、という大人は少ないのである。
故に指揮系統が定まってくれるのであれば指揮系統を有した人材がいてくれる方が何かと意思疎通を図りやすいという本音もあり、これを快諾していたというのが背景にある。
――責任を持つとはつまり、背負うということだがな……。
年端の行かぬ少女という意味では、東雲桜花とて同じだろうに。
自分の半分も生きていない桜花が堂々と指揮権を、責任を持つと言い放ったことに大野は同情を禁じ得ない。
何せ、もしも戦闘中に魔法少女が死ねばその責任を桜花が負う事になるのだから。
それぐらいはせめて大人として、自分たちが背負ってやりたいところではあるのだが、立場が違う以上、それは無理からぬ事であった。
故に、せめて軍がそんな責任を負わせずに済むよう、サポートしようと決意している。
無能は切り捨て、徹底的な改革を行おうと決意し、今回の協力者に自ら進んで出たのである。
自分はすでに大粛清を引き起こし、棄民街にも手を出し、その手を血で染め業を背負っているのだ。ならば徹底的にやらなければならないだろう、と考えて。
つまり、今回の丹田とのやり取りそのものが、大野と桜花にとってみれば想定されていた最悪の事態であり、同時に最初からそれを想定していたからこそ、こうもあっさりと話が進むのだ。
もっとも桜花が声をあげ怒りを堪える事になってしまったのは演技によるものだった訳ではない。
桜花自身、信用や信頼こそなくとも「もしかしたらちゃんと魔法少女と連携し、休ませるという方針を取るかもしれない」という淡い期待があったからこそ、落胆と怒りが綯い交ぜになって感情が発露したというところだろう事を大野は推察していた。
《そちらの軍の行動指揮権は鳴宮に移す。使いたいように使ってくれ》
「現場の最高責任者の次席の者になるのでは?」
《丹田の息がかかっていないとも言えない以上、現場に判断を任せられる状況ではないのでな。悪いが、そこの人間に軍用の連絡ツールを起動するように伝えてもらえるだろうか》
「構いませんが、であれば鳴宮教官を迎えに行った方がよろしいですか?」
《オンラインで構わん。先程そちらの馬鹿が告げたように、確かに凛央が主導して問題を解決し過ぎてしまうというのも多少の問題はあるのでな。現場に行かず急遽オンラインで指示をしたという程度である方が非常事態故の措置であったと言いやすく、功績として見られにくくなるのだ。その方がバランスが良い》
「……なるほど。ずいぶんと面倒なようですね」
《……あぁ、本当にな》
立場は違えど、お互いに苦労をしているようだと奇妙な共通認識が生まれ、桜花と大野の二人はそれぞれに乾いた笑いを浮かべる事になるのであった。




