閑話 動き出す時代 Ⅰ
「――以上が、今回のルイナー戦におけるイレギュラーの乱入とその戦いの一部始終を記録したものです」
大和連邦国、首都――凛央。
太い「V」字型とでも言うべきこの大陸のちょうど中心部に位置する凛央にて行われていた会議は、今しがたまで見ていた衝撃の映像を前に静まり返っていた。
ちらりと見やれば、圧倒的な実力に対する畏怖、恐怖。または脅威に対する警戒といった点に尽きるが、次第にそれらの表情は「どうすれば利となるか」といった様相を呈し、何かを企むような表情へと変わっていく。
そんな様子を見ながら、司会を務める二十代後半程の女性であり、大和連邦軍の少佐――鳴宮 奏は、切れ長でつり上がった目を僅かに細めつつ、誰にも気付かれないように小さく嘆息した。
――貴様ら老害が過信していた魔法少女の前に、それ以上の存在が現れたのだ。少しは危機感を抱いたらどうだ。
奏は眼前に居並ぶ上層部に対し内心で嘲るようにそんな呟きを漏らした。
ルイナー、そして精霊が現れて五年。
すでに従来の科学兵器に依存していた軍略を含め、旧来の軍の体制は意味を為さず崩壊していると言える。
魔法少女もまた、兵器が通用しない。
もっとも、それはあくまでも魔力障壁を精霊が張って守るから、という前提があるのだが。
ともあれ、そういった事情も含め時代は変わった。
魔法少女を戦略兵器として利用する事さえできてしまうのだ。
そんな時代に変化しつつあるにも関わらず、いつまで経っても自らの席を譲ろうとはせず、しかし声を上げる事しかできない。
平和な時代に生きてきたツケとでも言うべきか、事なかれ主義と旧来の在り方だけに追従し続けて昇進してきた上層陣は、魔法少女という存在に歩み寄ろうとすらせずに、ただただ「子供はこれだから」だの「軍とは規律が」などと口を揃えて囀るばかりだ。
そんな「古き慣習」が魔法少女を相手に理解されるはずもなかった。
魔法という超常の力を有した存在である一方、しかし少女でしかないのだから。
実際、魔法少女を軍に強引に引き入れた結果、魔法少女が軍の規律に窮屈さを覚え、逃げ出したり暴れたりといった問題が跡を絶たなかった。
結果としてマスコミに情報が伝わり、子供を軍に入れるなだとか、魔法少女の機嫌を損ねて人々を守らなくなったらどうするのだ、だのと騒がれ、軍は信頼を落とす事となった。
そんな騒動以来、魔法少女と軍の関係は微妙なバランスの上に成り立っている。
お役所気質の強い旧来の体制は、ルイナーというなんの前触れもなく現れる化け物を前に即応を求められる今となっては通用しない。
そのため、ルイナー対策で後手に回っていたばかりの政府や行政は民衆からの突き上げを受ける形となった。
皮肉にも、そうした突き上げと体制改善のため、若く、魔法少女という国防の要となる少女たちと比較的年齢の近い若い女性が上層部に抜擢される流れが生まれたものの、そうした経緯から「女だから昇進した」だのなんだのと難癖をつけられる事もあった。
そういう意味では、果たして運が良かったのか悪かったのかと問われれば、奏も回答に困る事になるだろう。
ともあれ。
奏にとって今回の騒動――ルオとルーミアの登場は、非常に好都合と言えた。
「鳴宮少佐。この情報の規制は?」
「今更不可能であるかと。すでに動画投稿サイトを通して拡散され、SNSでも話題を独占している状況です」
「それでも削除すれば良いではないかっ!」
ドンッ、と力強く机を殴りつけながら怒声をあげる男に、奏は隠す様子もなく嘆息してから真っ直ぐと冷たい目を向けた。
「お言葉ですが、テレビや新聞だけでどうにかできていた時代ならともかく、現代において初動を制する事ができなかった以上は、先程も申し上げた通り今更です。結界が張れなかったため、遠方からの動画はもちろん、隠れていた民間人によって録画されたものも含め、動画は次々公開されています。すでにこの話題はこの大和全体のみではなく、拡散され、諸外国にまで広まっております」
――いつまで情報操作が容易かった時代の感覚で生きている。
言下にそんな一言を潜ませながら、喚き散らすだけの上官を冷ややかな目で見つめながら淡々と続けた。
「今回の動画、そして当事者である魔法少女ロージアらから聴取した内容によれば、ルオと呼ばれたこの少年は魔法少女たちに敵対するような素振りはありませんでした。しかし、このルオと呼ばれた少年とルーミアと呼ばれる女性は敵対しているようで、ルーミアという女性は魔法少女さえも攻撃の対象としているような動きが見えた、との事です」
説明しながら奏がルーミアとルオの戦闘の発端となった影を用いた攻撃の瞬間が映し出され、その直線をシミュレートした映像が浮かぶ。
その軌道は確かにロージア、そして夕蘭を狙っているような動きを見せていた。
その映像を見つめて唸るような声をあげる以外に再び沈黙が流れる事に辟易としつつ奏が口を開こうとした、その瞬間。
一人の男性が静かに口を開いた。
「鳴宮少佐。もしもこのルーミアという女が再び魔法少女を狙った場合、どうなると考えている? 率直な意見がほしい」
「……まず間違いなく、抗う術もなく敗北するかと。今回無事であったのは、ルーミアと名乗る女を止められるだけの力を持ったルオという少年がいたからこそです」
「そうだろうな。……いずれはこんな時が訪れるやもしれぬとは考えていたが、最悪の状況ではないだけマシだった、とでも言うべきか」
「大野大佐、それはどういう意味だね?」
最悪の状況、という一言で濁した言葉さえ察する事ができずに問いかける様子に辟易としつつ、三十代後半に差し掛かった男――大野 佑は肩をすくめてみせた。
「どうもこうもありますまい。もともとルイナーへの対処を少女たちに任せるのは魔力の関係上仕方ない事とは考えられたものの、こちらはこちらで魔法少女の戦闘方法を確立させるべく、何度も計画を立てては具申してきたはず。それを現状の戦力で充分だと聞く耳を持たなかったのは、他ならぬあなた方ではありませんか。もしも魔法少女の敵としてこの二人が現れ、彼女らが殺されていれば、責任は何も手を打たない……いえ、打てない上層部にいるあなた方に向けられていたのでは?」
「ッ、そ、れは……ッ」
「そもそも、魔法少女を運用するのと兵器を運用するのでは、予算など圧倒的に前者の方が安く済むでしょう。それを予算だのなんだのと理由をつけては却下してきた。結果として、戦闘については個々の能力に依存し、委ねてしまった」
ルオが危惧したように、事実として魔法少女をどのように育成するのかなどについては、これまでも何度も大野はもちろん、こうした状況を危惧した、まともな者達は確かに具申してきた内容である。
しかし、その提案はその都度上層部によって握り潰されてきたのだ。
その理由は、酷く利己的なものだ。
旧来の知識しかなく、ただでさえ近年の技術にはついていけなくなったような年代である中で、さらに自分たちの世代からは信じられない存在であるルイナーの登場と、魔法少女という理解の追いつかない存在が現れてしまったのだから。
柔軟な対応を行うには、あまりに歳を取り過ぎているのだ。
結果として何も役立つ事もできなくなってしまい、それが露呈してしまおうものならば、自分たちは席を追いやられてしまうであろう事には気付いていた。
だから、否定した。
理解しているフリをして、古い慣習を守る事で自分は正しい事をしているのだと言いたげに。
これまでの五年間はそれでもどうにかなってきた。
旧来の年功序列体制が保守的な流れを生み出し、声をあげるものを握り潰す事ができたのだから。
――しかし、それをこれ以上のさばらせる訳にはいかない。
大野はちらりと鳴宮に顔を向けてから、改めて口を開いた。
「今、こうしてルイナー以上の脅威が現れた。これがもし、魔法少女の全滅、民間人の莫大な被害であったのなら、とマスコミが騒いでいる。何の対策も打ち出してこなかったあなた達に対し、これまでは大きく反発する者は少なかった。が、今回の騒動をきっかけにそういった者らが声を大きくするのも目に見えている」
「……何が、言いたい……ッ」
「もうお判りでしょう。――潔く身を引いていただきたい。これ以上若い世代に苦労を押し付け、みっともなくしがみつかれていては、人類そのものの危機すら招きかねないのですよ」
もはや遠回しに口にするつもりもないのか、大野は淡々と告げる。
居並ぶ老年の者らが激昂した様子で席を立ってみせる姿を目の当たりにし、大野はゆっくりと左手を挙げた。
その合図を確認した鳴宮が会議室の扉を開くと、武装した者達が会議室内へと雪崩込んだ。
「――な、なんだ貴様らはッ!」
「羽津長官、あなたとそこにいる田鍋補佐官、城島大将閣下。あなた方には横領罪の嫌疑がかかっている。すでに証拠や証言はこちらで確保させていただいています。大人しくご同行いただけますね?」
中へと入ってきた男の言葉に名指しされた三名の表情は一瞬唖然としたものとなり、直後に城島が何かに気が付いたかのように大野へと顔を向けた。
「……ッ! 大野、貴様ぁッ! その立場まで引き上げてやった恩を忘れおったかッ!」
「おかしな事を言う。少なくとも、私はあなたに引き上げていただいた記憶はない。むしろ私の仲間たちを閑職に追いやられた記憶しかないな。――連れていけ」
「はっ!」
喚き散らす城島と、そんな城島と共に声をあげる羽津。そんな彼らとは対照的に観念した様子で項垂れた田鍋の三人は抵抗も虚しく、入ってきた者達によって連行されていった。
残された大野、そして鳴宮の二人の間には僅かな沈黙が流れ、大野が一つの区切りを表すように深い溜息を吐き出せば、鳴宮が微笑んだ。
「閣下、ようやく、ですね」
この五年間だけの話ではない。
旧来の年功序列、長く居続けたばかりの存在が経歴を積み、世渡りの上手い者だけが上に居座るという体制を変えるのはなかなか難しい。
そもそもそのやり方で安定してしまっているため、大きな変化を齎すだけの要因がなければ、なかなか動けないのが組織というものだ。
だからこそ、いつかはこの体制に終止符を打つべく、様々な悪事の証拠を集め、言い逃れできないだけのものを手元に集め続けてきたが、それでも長年の間に塗り固められた旧来の体制という分厚い壁を前に、この程度の罪は握り潰される可能性を否定できなかった。
故に証拠を掴んでいながらも動けず、虎の子として隠し続け、常に機会を窺ってきた。
今回、魔法少女以上の実力を持った存在の台頭は、「今の体制に不信を唱える為の大義名分」に相応しい。
魔法少女は民衆からの人気が高く、彼女らを守るためという目的をメディアを通して大々的に喧伝し、民意を味方につけられれば、止められない流れを生み出す事ができる。
分厚く塗り固められた壁の一部に穴を開ければ、溜まっていた水が堰を切ったように流れ、壁を崩すに到れると大野は考えた。
すでにマスコミは軍の対応を非難する声を上げている。
ルオとルーミアという二人の圧倒的な力を前に、魔法少女という守護者が勝てそうにないと、流出した動画によって不安を覚えたのだ。
軍の人間としては苦しい時期に入るだろう事は理解しているが、風通しが良くなるのであれば、それぐらいの苦しみは耐えるに値する。
そう考えた上で大野は騒動が起きた直後から、夜通し賛成派に連絡を取り、一気に動いた結果がこの電撃戦の背景であった。
「……そうだな。だが、旧時代の膿はまだまだ多い。私はしばらく内部の調整に時間を取られる事になるだろう。鳴宮、件の計画の賛同者にこの事を告げ、推し進めよ」
「承知しました。しかし、彼らについてはいかがしますか?」
鳴宮が促すように会議室の液晶にルオとルーミアの二人を映し出して問えば、大野は「ふむ」と短く唸り、顎に手を当てた。
「いや、今は不用意に接触するべきではなかろう」
「ルーミアと名乗った女はともかく、ルオという少年ならば引き入れる余地もあるのでは?」
「いいや、おそらくは無理だ。会話から察するに、あれは己の目的を定めている。手を組もうと下手に接触して虎の尾を踏む事に繋がっては困る。見たであろう、逆鱗に触れればルーミアという女同様、魔法少女を躊躇なく殺しかねない危険性を孕んだ相手だ。判断材料が足りない」
それに――と一言置いて、大野は映し出された二人に背を向けるように振り返った。
「我々は魔法少女を育成する事を最優先とする必要がある。カリキュラムの策定や訓練所の確保、魔法少女への訓練通達。やるべき事は山ほどある。イレギュラーに時間を割くような時間はない。鳴宮少佐、キミにはすぐに動いてもらうぞ」
「はっ! かしこまりました!」