幕間 棄民街の一幕
凛央から南東にしばらく進んだ先にある、かつては『梓』と呼ばれていた街。
ここもまたルイナーの襲撃によって政府の復興予定からは外れ、棄民街として放棄された街だ。
もともとあまり治安の良い街とは言えなかった事もあり、棄民街となって法や秩序はあっさりと消え去り、他の棄民街に比べても治安は最悪と呼ばれる部類に入る荒れっぷりで、食料、女を手に入れる為にと近くの街まで襲撃をかけて軍と衝突する事もある。
そうした騒動を引き起こすような者たちがいる棄民街の近くに、誰が住み続けていたいと思うだろうか。
ゴーストタウンが年々広がるという有様は、至極当然の帰結、とでも言うべきものであった。
そんな問題を引き起こしてばかりの棄民街を取り仕切るのが、元々指定暴力団としても名が知られていた『能義組』。そして、その傘下に加わっていた暴走族や旧車會というような、所謂厄介な連中であった。
彼らにとって、多少の不自由の代わりに法や秩序も無視して過ごせる環境というものは居心地が良く、ルイナーに感謝さえした程であった。
もっとも、ガソリンが手に入らない以上、暴走族や旧車會というよりもチンピラ風情となんら変わらぬ変貌を遂げる事になったのもまた事実ではあったが。
ともあれ、そんな彼らをまとめる能義組の八代目組長、阿岐 竜斗。
まさにこの棄民街における王とでもなったかのように振る舞う彼は、ここ最近まったくと言っていい程に何もかもがうまくいかず、その苛立ちを一切隠せずにいた。
食料はすでに六年近くも根城にしているせいで、周辺ではなかなか手に入らず。
川の水はルイナー登場前から工業排水等も含めて決して綺麗とは言えず。
憂さ晴らしに女を、などと考えても、こんな危険地帯に今更入り込むような女などいるはずもない。
一点に留まり続けるにも限界というものがあるのだが、そうしたツケが今になってようやく、目に見える形で彼らの浅慮な活動の限界を示そうとしているのだが、阿岐はそれに気が付きつつも、なかなかこの拠点を手放そうとはしなかった。
「――あ?」
「……す、すいやせん……!」
部下の男が持ち帰ってきた報告――新しい女の調達、そして食料と水の補給先確保に関する報告を受けていた阿岐は、ろくな成果も得られなかったらしい部下の男を酷く不機嫌そうな目つきで睨みつけた。
頭では理解しているはずの限界を、しかし受け入れきれない阿岐の怒りは部下や女といった自らよりも弱い立場にある者へと矛先を向ける。故にその報告をした男、そして阿岐の右腕と呼ばれる男が同室にはいたが、そんな二人は阿岐がまた暴れ出すだろうと僅かに身構える。
いつもならここで怒鳴り散らし、殴る蹴るといった暴力なども珍しくはない程ではあるのだが、しかし阿岐自身もここ最近ではいつも似たような報告しか上がってこない現状に、いい加減目を背けていられないという事ぐらいは理解できていた。
しかし、湧き上がる怒りを飲み込み、湿気た煙草に火を点けて深く深呼吸するように紫煙を吐き出した。
「……チッ、そろそろここから拠点を移す方が早そうだな……」
「拠点を移す、ですか?」
「あぁ……。勝手知ったる、ってヤツでここを本拠地にしてきたが、ロクなモンが手に入らなくなってきちまったらしいからな。女どももすっかり遠くに逃げちまってるようだしな。いい加減、ここを拠点に粘るのは潮時だろうよ」
「な、なるほど! さすが組長!」
部下の男にとってみれば、今更ようやく、と言いたいところではある。
しかしそれを表に出そうものなら、明日の日の目を見る事はできない事は理解できている。
本音を言えば阿岐に見切りをつけたいところではあるのだが、もともとの組織が組織であっただけに、今更足を洗うような裏切者を見逃すような連中ではないと理解していた。
「阿呆が、頭使えってんだ。分かったら早速、新しい拠点になりそうな所を――」
「――あー、さーせん。それ、必要ねーっすわ」
突然阿岐の声を遮るように声がかけられ、阿岐とその部下の男、それにその部屋に待機していた男が声のした方向へと振り返れば、そこには線が細く、唇、涙袋、眉といった顔のあちこちにピアスをつけた男がぼさぼさの頭を掻きながら立って、欠伸していた。
「んだ、てめぇ!? どっから入ってきやがった!」
「あ、うるさ。声でか、ウザ」
ぼさぼさ頭の男が片手で耳を塞ぎながら、もう片方の手をひょいっと軽快に振ってみせる。
刹那、男に詰め寄ろうとしていた阿岐の右腕である男の首が突然胴体と泣き別れるハメとなり、詰め寄った怒りの形相のまま首が転がり、詰め寄る勢いのままに身体が血を噴き出しながら倒れ込んだ。
何が起こったのかと目を疑い動きを止める阿岐とは対照的に、阿岐に報告していた男は「ひっ」と情けない声をあげながらその場に尻もちをついて、ぼさぼさ頭を搔いていた男に目へと向かって目を見開きながら身体を震わせる。
一方、そんな二人の視線を受けた男は眠たげに欠伸をしてから、気怠そうに口を開いた。
「えーっと、ほら、あれだよ。あんたらさ、やり過ぎたんだわ」
「は……?」
「だーからー、しゅくせーたいしょー、だっけ? そんな扱いになっちまったんっすよねー。ウチのボスが、そう決めちまったもんでー」
「な、何言ってやがるッ! ここはウチのシマだぞ、コラァ!」
「あー……、そーゆーのホントうるせーっすわ」
叫んだ阿岐の右足が、男がひょいっと片手を振るうだけで切断される。
それと同時に、阿岐に報告をしていた男の首もまた飛んだ事に阿岐は気付いていなかった。
――何が、なんで、どうして、どうやって。
混乱ばかりが脳内を埋め尽くす中、男は変わらぬ様子で続けた。
「この辺り一帯の掃除も、あんたらで終わりなんすよねー」
「そ、うじ……?」
「そ。あんたの部下、全員殺したからさー。あとはこの部屋にいるあんたとそのお仲間だけだったっつーこと。おわかり?」
「え……あ、な、どう、やって……」
「ははっ、ウケるー。いやー、どうやってもなにも、さっきから見せてるっしょー? こうやって、ぶった切ってやってるだけっすよー?」
くるんと手を振って、同時に阿岐の手の指が飛んだ。
何が起こったのかと自らの手を見て、ようやく理解が追いついたかのように阿岐は指と足という二箇所を襲う急激な激痛に叫び声を上げながら、堂々と腰掛けていた革張りのソファーからだらしなく転げ落ちた。
「ははっ、ダッセー」
そんな事を口にしている割に乾いた笑いを僅かにしか見せない男は、相変わらず気怠そうな態度をそのままに、倒れ込んだ阿岐に視線を向けた。
「あんたみてーなゴミがいたらさー、俺みてーなクズが生き残っちまったんだよねー」
「な、にを……!」
「だーからさー。俺の顔、知ってるよねー? あんたみてーなクズに、大事な家族を奪われた人間の顔を、さぁ」
阿岐には、目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。
確かにこれまで女を奪い、犯し、殺す事もあった。
それは自分が手を下す事もあれば、部下に下げ渡すかのように後始末を含めて任せてしまうようなケースもあり、そんなものをいちいち覚えているかと言われれば、答えはノーだ。
だが、この男の前で間違った答えを口にすれば、どんな目に遭うのか。
それを考えて、阿岐は一先ずこの男が溜飲を下げてくれるのであればと謝罪の言葉を口にし――ようとして、その瞬間、目の前の男が笑った。
「わ、悪かった! 許し……」
「うっそーん♪」
「――……は?」
「ははっ、あんたみてーなゴミに家族を奪われるとかないわー。つかさー、何に謝ろーとしたのさー? とりあえず謝っとけって? ははっ、ウケるー」
「……て、めぇ……!」
「え? あらあら? まだあんた、立ち上がって戦えるとか思っちゃってるわけー? 片足ないのにー? 武器もないのにー? 俺が手を振ったら死ぬのにー? ほれほれ、立ってみなー? あんよがじょーずー」
「……く、そがぁ! ぜってー殺してやる!」
「はーい、またのご利用お待ちしてまーす」
まったく噛み合わない返事をして男が手を振る、その瞬間。
阿岐が人生の最期に見た男の表情は、先程までの気怠そうな男が浮かべる目とは全く異なる、純粋な殺意を宿したものであった。
ごとりと頭が落ちたところで、男はケタケタと笑っているかのように腹を抱えながら身体を震わせ、そうして天井を見上げるように顔をあげ、男はしばらく目を固く閉じたまま身動ぎしようとはせず佇む。
そんな中、男がいた事務所入り口の扉が開かれて一人の男が入ってきた。
その男はルオによって『暁星』を任されているリグレッドだ。彼は事務所の中の光景を一通り見回すと、未だ鉄にも似た匂いが充満する室内で佇む男へと歩み寄り、その肩を叩いた。
「……終わった、みてぇだな」
「……そっすね」
男から返ってきたのは字面にしてみれば短く素っ気ないものであるように見えたが、そこに篭められた万感の想いというものをリグレッドは知っていた。
棄民街となってすぐに街の掌握に乗り出した能義組、そしてその組長となっていた阿岐は即座に女、子供を抱える母親という弱者を標的にして動き出し、瞬く間に棄民街を自分たちの領域として支配した。
故に、能義組の被害者となった棄民は圧倒的に女性が多い。
旦那を殺し、妻だけを生かすような非道な真似をした事もあるのだから、その非道ぶりは凄まじいものがあった。
「……仇討ちできて、ちったぁ気が晴れたか?」
「……さあ、どーなんすかねー……。姉貴、喜んでっかなー……」
そうした被害者の中に、ぼさぼさ頭の男――シンの姉も含まれていた。
阿岐が直接手を出したかは分からないが、組の全員、そして下部組織の者達も含めて処分した以上、仇討ちできたと、そう言ってもいいだろう。
リグレッドの問いかけに、シンは感情を見せないように、遠い世界の出来事でも語るかのように返事をした。
「どうだかな。もし見てたとしたら、まあ……喜ぶかどうかはともかく、スッキリとぐらいならしてんじゃねぇか?」
「……そっすね。だと、いいっすね……」
「おう。とりあえずここも焼き払うからさっさと出るぞ」
シンがここに来るまでに粛清対象となった者たちは処分してある。
そうした死体をそのままにしておく訳にはいかず、これから死体を処理するという現実的な対処も必要だ。
すでに『暁星』と、この棄民街で生き残っていたコミュニティの者たちにも協力してもらって死体は指定された焼却予定地に集まっている頃だろう。
「……ボス」
あまりゆっくりとしている時間はないと背を向けて外へと向かおうとしていたリグレッドを、シンの声が足止めした。
「なんだ?」
「……俺みてーなの、もう、生まれねーっすよね?」
「その為の『暁星』だ」
「……っすね。……俺みてーなの、拾ってくれてありがとう、ございます……」
「何もかも終わったみてぇに言ってんじゃねぇ。これからだぞ、俺らの本当の仕事は。さっさと行くぞ」
「……ははっ。そっすね。やっぱ死体はくせーっすわ」
「ぶった切るからだろ」
「焼くよりはマシじゃねっすか?」
「……だな」
この日、『暁星』がまた一つ棄民街の統治者として君臨する事になる。
こうした動きはあちこちに広がっていた。




