#086 遭遇と提案 Ⅱ
奇妙な静けさだけがその場を支配する中で、ルーミアさんは真っ直ぐこちらを見つめていた。
逃げるべきか、戦うべきか。
そんな二択が脳裏を過る一方で、私はルーミアさんからは敵意らしい敵意や、殺意のような重圧感といったものがなく、ついつい戸惑ってしまう。
即座に逃げ出さなきゃいけないような空気だったり、襲ってくるような気配があれば対応できるのだけれど、それらしい空気が一切感じられないからだ。
僅かな逡巡ではあったけれど、私が警戒していると気が付いたらしいルーミアさんは、何か納得したように手をひらひらと振った。
「まあ落ち着きなさいな。私はあなたやあなたの契約している精霊に危害を加えたい訳じゃないわ」
「へ……?」
「今日は少し、あなたから話を聞いてみたかったのよ」
正直に言って、なんだか意外な言葉だった。
どちらかと言うとルーミアさんはいつ会ってもいきなり襲いかかってくる姿しか印象になかったから。
「契約している精霊もいるんでしょう? 隠れていてもいいけど、少し話をしてみたいし姿を見せてくれると助かるわ」
「……本当に、戦う意思がないんですか?」
「偶然あなたと精霊を見かけたから、ちょっと話を聞いてみたかった。ただそれだけの話よ。戦いたいとも思っていないし、別に逃げるなら追いかけるつもりもないわ」
お好きにどうぞ、と付け加えると、ルーミアさんはスタスタと公園の隅にあるスペースに設けられた休憩所のような四阿の下に置かれた二人掛けサイズの椅子に腰掛け、向かい側に座るか逃げるかを選ばせるように距離を取ってしまった。
「……夕蘭様」
《……逃げるべき、と言っても、聞く耳を持つ気はなさそうじゃな》
戦いの中だと話を聞いてくれそうにはないけれど、今回こうして話す機会があるのだったら、詳しい話を聞かせてもらう事だってできるんじゃないかなって、そう思うから。
ルオくんはあまり細かく話してくれない傾向にあるし、何処で何をしているのかも分からない以上、情報を得る事は難しいし。
そういう私の考えを伝えようと小さく投げかけた言葉に返ってきた、呆れるような声色で告げた夕蘭様に頷いて肯定を返せば、夕蘭様が私の斜め前あたりで腕を組みながら現れた。
「夕蘭様……隠れていなくてもいいの?」
「おぬしが話し合いに応じると決めたのじゃからな。妾だけが隠れるなど有り得ぬ。そも、妾にも話があるようじゃからな」
「……うん、分かった」
夕蘭様も同席すると決まって、少し心配しつつも私はルーミアさんと向かいの席に腰を下ろした。
ルーミアさんは私たちが話に素直に応じるとは思っていなかったらしく、私たちが揃ってやって来た事に僅かに驚いた様子だったけれど、私たちを見てふっと笑う姿はイメージよりもずっと優しい表情に思えた。
「応じてくれて助かるわ。私の名前はもう知っていると思うけれど、ルーミアよ。長い名前もあるけれど、そっちまでは名乗らなくていいわね?」
「構わぬ。妾は夕蘭じゃ。こっちは契約している魔法少女のロージアじゃ」
「えぇ、知ってるわ」
「……えっと、名前言った方がいい、ですか?」
「構わないわよ」
「え、あ、分かりました」
……えっと、何を話せばいいんだろう?
てっきり質問があるのかと思ったのだけど、ルーミアさんは私と夕蘭様を交互にゆっくりと何度か視線を行き来させて、そしていきなりふっと小さく笑った。
「なるほどね。魔法少女と精霊は契約によって繋がっている、という話だったけれど、こうして見てみると少し違うのね」
「え?」
「厳密に言えば『契約』と言うよりも、『干渉』が近いのかしら? 性質の近い存在にしか干渉できないからこそ、魔力の適応能力が高い少女だけが契約対象であって、少女だけが魔法を精霊の『干渉』を受けて、魔法を使えるようになった、ということね?」
私にはいまいち意味は理解できなかったけれど、ルーミアさんの顔は得意げな表情を浮かべながら真紅の瞳を真っ直ぐ夕蘭様に向けていて、対する夕蘭様は驚愕したような表情を浮かべて固まっているようだった。
「一方的な干渉から時間をかけてお互いに魔力を交換し続けて親和性を高め、最終的には契約に、というところかしら。なるほど、それなりには考えられているみたいね」
「……やれやれ。まさかそこまで見破られるとはの」
「ふふ、当たり前よ。これでも、私の魔法に関する知識と技術は世界でもトップクラスにあったんだもの。もっとも、この世界の人間は術式に落とし込めるだけ研鑽に至っていないようだし、魔力の動きをこうして観察しないとなかなかヒントは得られなかったけどね」
私にはよく分からなかったけれど、夕蘭様の反応を見る限りルーミアさんが語った干渉とかは合っているらしい事が窺えた。
「まったく、凄まじいな。おぬしの世界ではそれだけ魔力が当たり前に存在していたということか」
「えぇ、そうね。魔法を使えない存在なんて、せいぜい野生の動物ぐらいなものだったわ。人間や他の種族の者たち、魔物だって魔法を使うもの。それぐらい当たり前に存在しているもの、それが魔法よ。この世界は違うのね?」
「うむ、そうじゃ。もうすぐ六年になるが、ルイナーの登場によって神々が妾らのような存在に精霊としての格を与え、妾のような精霊が生まれ、魔法を使える少女――魔法少女が生まれた。しかし正直、魔法少女であっても使える魔法は十人十色であり、しかもまだまだ幼い。なかなか魔法が研究される事はなかったしの」
「なるほどね。魔法を覚えて五年以上も経っているのなら、もっと強くてもおかしくないと思ったのだけれど……進むべき道、必要性というものが理解できていなかったから弱いのね」
う……、それは……否定できないかな……。
まだまだ強いとは言えないし。
「この前会ったあの魔法少女、確かリリスと言ったわね。アレはそれなりに魔法を理解していたようだけれど?」
「さてな。妾たちもリリスとの付き合いは短い。知らぬ事の方が多いぐらいだ」
「ふぅん? それは私に隠し立てして庇おうとしている、ということかしら?」
「疑り深いのは結構じゃが、妾たちとて知らぬものは知らぬ」
……えっと、クラリスさんは自分の中の精霊に魔法を教わっている、って言ってたよね?
でも、夕蘭様はそれを喋るつもりはないみたいで、ルーミアさんの質問にもきっぱりと知らぬ存ぜぬを貫き通そうとしているみたい。
お互いに睨み合うように視線をぶつけ合っていて――不意に、ルーミアさんの目が私に向けられた。
「あなたも知らないのかしら?」
「……知りません。それに……知っていたとしても、教えないと思います」
「……へえ、ずいぶんと強気な答えね」
「リリスさんとは付き合いはそんなに長くはないかもしれないです……でも、私にとっては仲間です。だから、あなたが仲間ではない以上、リリスさんの事をリリスさんの許可もなく答えるつもりはない、です」
ルーミアさんとお互いに目を合わせて、私も逃げることなく視線をぶつけ返す。
リリスさんの情報を下手に教えてしまう訳にもいかないし、これだけは譲る訳にはいかないもの。
そう思いながら数秒程度だったけれどお互いに見つめ合っていたのだけれど、ルーミアさんは私をゆっくりと見つめていたかと思えばすぐにくすりと笑った。
「ふふ、なるほどね。いいわ、知らない、ということにしておきましょうか」
「逆にこちらも聞かせてもらいたいのじゃが、何故おぬしは葛之葉でリリスを見逃したのじゃ?」
ようやく解放されたとほっと胸を撫で下ろす私の横で、今度は夕蘭様が訊ねる。
あの『みゅーずとおにぃ』のおにぃさんを殺そうとしたというのにリリスさんは無傷で出てきたし、それは私も気になる。
実際、リリスさんの実力は私にも分からない。
でも、ルオくんが軽い調子で放った魔法でさえ、『都市喰い』の大群を焼き尽くすような凄まじいものだったし、そんなルオくんと対等に戦えるようなルーミアさんと戦える程かと言われると、それはどうにも疑問に思える。
興味を失くして去っていった、というリリスさんの説明を聞いたけれど、あの時のリリスさんはなんだかこう、少し別人のような空気感というか、いつもよりも突き放すような物言いだったし、何があったのかは気になってしまう。
どんな答えが返ってくるのかと思ってルーミアさんの顔を見て――私は、思わず息を呑んだ。
「……あなたたちが戦力になってくれるなら。ルイナーに襲われた者同士、共に戦えるのなら、それも一つの選択肢になるんじゃないか。ルオが私に言っていた言葉を、ついつい思い出してしまったから、かしらね」
「え……?」
それは先程までの表情とは全く違う、優しくて、温かい表情だった。
――あぁ、この人はルオくんのことが、大切なんだ。
そんな風に、心の中でハッキリと理解できた気がして……何故か同時に、少しだけど、胸の中がざわざわしたような、奇妙な気分だった。
そんな気持ちを押し殺すように、今しかないと私は立ち上がった。
「あの、ルーミアさん! 私に、戦い方を教えてくれませんか!?」
「…………は?」
仲間になってほしいとか、敵として許さないとか。
そんな言葉よりもまず真っ先に私の口を衝いて出た言葉は、そんな無茶苦茶な提案だった。




