#084 美結の挑戦
自分がどれだけ本気で戦っても、手が届かず、しかし戦いが終わらない。
そんな明らかに手加減されている状態というものは他人が思っている以上に苦しく辛い時間になるものだったりするのだけれど、それでも立ち向かい続けるおにぃの姿を遠目に見つめる僕と妹ちゃん。
最初から死にかけただけあって妹ちゃんも心配そうではあったけれど、唯希がちゃんと死なないように調整してくれると分かると落ち着いて見られるようになったようだ。
おにぃが振った槍を唯希が人差し指一本で止めつつ、一瞬で魔力障壁を膨張させておにぃの身体を弾き飛ばし、離れたところに第一階梯の魔法を多重起動させて襲いかからせるという戦い方をしている唯希に疲労はない。
けれど一方で、おにぃは余計な力が抜けてきたのか、体力を温存しようと考えながら最小限の動きで攻撃を避ける事を意識し始めたおかげで、先程から唯希に吹き飛ばされた後で肉薄するまでのペースは徐々に早くなってきている事が見て取れる。
おにぃはどちらかと言うと身体で覚えるタイプなのかもしれないね。
リグレッドなんかと相性がいいのかもしれない。
一方唯希はいつまで経っても致命傷を与えられない事に気が付いて、第一階梯魔法をうまく組み合わせて変則的な攻撃を混ぜるようになった。
基本的に一撃必殺みたいな戦い方になりがちな彼女にしては珍しい戦い方だけれど、ある意味ではいい訓練になるかもしれない。
「はぁっ、はぁ……」
「まだ耐えられるかい?」
「……だいじょぶ……。おにぃだって頑張ってるもん……。私だって、耐える……!」
僕の隣では、魔素濃度を高めた小さな結界の中で妹ちゃんがそれに耐えている最中だ。
おにぃにとっては大事な妹ちゃんが、スマホを握りしめながら額に流れる汗を拭おうともせず、ただただ耐え続けているこの状況に気付く余裕はないだろうけれど……気付かれたらまた何かおかしな言いがかりをつけられそうだよ。
風呂を覗くとか言われたしね。
「さて、妹ちゃん。そのままでいいから聞いてくれるかい?」
「ん……、なに?」
「キミは魔力に適応している一方で、その力のほぼ半分以上を常にそのスマホに宿っている付喪神、いや、精霊と言った方がいいかな。その精霊に譲渡し続けているような状態だ。キミという器の中から常に水が漏れ続けているような状態だった、とでも言えばいいかな」
「でも、それは魔法薬のおかげで治ったんだよね?」
「まぁ治ったという考えもあながち間違いではないだろうけど、生産量と消費量の釣り合いが取れるようになっていたからね。だから後は、身体の成長に合わせて大きくなった器を一度満たせばいいだけだったという話だよ」
妹ちゃんの魔力の生産量が年齢、身体の成長に合わせて増えていく中で、精霊側が加減を理解できず増えれば増えた分を含めてひたすらに吸収し続けてしまっていたのだ。
一方で妹ちゃんの中にある器は成長に伴って大きくなっているのだけれど、それが慢性的に満たされず、魔力が枯渇した状態が続いてしまっていた。
そのせいで、身体に影響が出てしまっていたのだ。
実際、こうした魔力飽和症、魔力枯渇症といった病気は前の世界の成長期の子供には当たり前のように発生していた症状ではあるし、飽和したなら発散させるための魔道具をつけたり、逆に枯渇したなら魔法薬を飲ませるという改善方法が一般的だった。
なのでそこまで治療が難しい病気でもなければ珍しいものでもなかったりするのだけれど、この世界ではそうそう見かけるようなものでもない。
この家の庭でダンジョンが発生したように、魔力溜まりであったが故に妹ちゃんの魔力の適正が急速に高まったのが原因だろう。
ともあれ、精霊と仮契約しているような状態の妹ちゃんが戦う力を持つには、まずは精霊を目覚めさせる事から始めなくてはならない。
つまり、最優先で妹ちゃん自身の魔力の器を拡張し、生産量を上昇させながら精霊に与える魔力を増やす、という方法が手っ取り早いのだ。
「キミのスマホに宿った精霊が目覚めれば、キミは魔法少女と同じように魔法を扱えるようになるだろう。けれど、魔法少女になったって誰もが強い訳じゃない。まずは魔力を感知して、制御できるようになる必要がある」
「感知と、制御……」
「そうだね。今キミを囲んだ結界の中は魔素濃度が高まっている。それを徐々に受け入れながら、身体の中に巡らせるように意識していくといい。深く呼吸しながら、魔力を自分の内側に深く潜らせるようなイメージ、とでも言えばいいかな」
「自分の、内側に……」
抗う、あるいは拒絶するように耐えていた意識を切り替えたらしい妹ちゃんが、相変わらず表情は苦しそうなまま、それでも少しずつ、ゆっくりと呼吸を深めていく。
……ある意味、この子は才能に溢れている。
身体が弱くなってしまい、学校にもあまり行けない生活。
この長閑な田舎。
今もなお唯希と戦い続けているおにぃ、そしてつい最近亡くなったという祖父に守られながら生きてきたからこそ、子供社会の中で培われる妙な自尊心や捻くれた考えというものを持っていない事が、この子の吸収力というものを上手く引き伸ばしているように見える。
そんな僕の所感は正しかったようだ。
実際、妹ちゃんの先程までは苦しげだった呼吸が緩やかなものになり、表情からも険が取れて穏やかなものへと変わっていった。
……早いね。
この調子なら、あとは唯希と同じ事をやっていれば、年内には精霊を覚醒させる事もできそうだ。
唯希の精霊の覚醒も多分その頃になるだろうし、ある意味唯希にとってもちょうどいい訓練相手になるかもしれない。
「自分の中で魔力が広がっているのが分かるかい?」
「……うん。じんわりと温かい、何かが……」
「キミにとってはそうなんだね。いい傾向だ。少し、身体の中に巡る魔力の速度を早くするように意識できるかい?」
抽象的なものを掴んで表現しようとしてくれているらしいけれど、自身の魔力に対する感覚というは人によるとしか言えないし、自分の中で掴んでいれば特に問題はない。
言葉を遮って指示をした僕の言葉に、妹ちゃんはこくりと小さく頷いて、再び深呼吸して試行錯誤を始めた。
《――唯希、魔素濃度をそちらも高める。少し手を抜いてあげて》
《かしこまりました!》
念話を通して唯希に伝えてみせれば、おにぃの手前無表情でありつつも尻尾をぶんぶんと振りながら目を爛々と輝かせてこちらを見上げる犬を彷彿とさせるような、元気な返事が返ってきて、ついつい苦笑する。
手を翳して唯希とおにぃ側のいる結界内も魔力で満たし、魔素濃度を高めていけば、おにぃがぐっと堪えるように歯を食いしばり、早速とばかりに唯希が二言三言助言を飛ばしていた。
あちらはあちらで任せておいて良さそうだね。
ずいぶんと影が長くなってきた頃、ついに力尽きた様子のおにぃが倒れ、妹ちゃんもまた初めての魔力制御で力尽きたように寝転がって眠ってしまった。
僕と唯希も用事は済んだし帰る事にしたのだけれど、これじゃあしばらくは動けないだろうと判断し、唯希が少し気がかりな様子を見せていたので、仕方なく一度『暁星』の拠点へと飛び、メイド見習いの保護した女性陣が作ってくれたご飯を運んであげる事にした。
「……まったく。まあ、しっかりと限界まで戦ったので、これぐらいはしてあげます」
「ふぅん、いいんじゃない?」
…………。
「……我が主様、その、そういう目で見られると少々……」
「あぁ、ごめんごめん。キミって意外と世話焼きな気質してるなって思って」
「そう、でしょうか?」
「うん。俗に言うチョロイン属性ってヤツだね」
「っ!?」
どうやらおにぃも妹ちゃんも、唯希が「どうでもいい」と感じる括りにはならない程度に認められたらしい。
少しからかったら唯希がイジけてしまったのはともかく、これから唯希が彼らを鍛えてくれるのであれば、表舞台のヒーロー役はどうにでもなりそうで、少し安心したよ。




