#080 鏡平の選択 Ⅱ
「ふぃ~~、疲れたああぁぁ……」
「お疲れさん」
配信を終えた美結がノートパソコンを投げ出すように横に置いて畳の上で寝転がりながら呟く姿に苦笑する。
喋りっぱなしでだいたい一時間半ほど。
途中でゆっくりとシャワーを浴びに行った俺が戻っても喋り続けていたのだから、そりゃあ疲れるだろう。
飲み物を取りに行くついでにりんごジュースのパックを手渡してやれば、寝転がったままストローだけを咥えて器用に飲み始めた。
いや、起きればいいだろうに。
まぁ零す心配もないし、疲れているようならいいけども。
「ぷはぁっ、あー、喉死ぬー」
「あれだけ喋ってればそりゃそうなるわな……。のど飴は?」
「ジュースとの相性最悪だから飲んでから舐めるー」
そう言いながらこちらに見せてきたのは、割りとメジャーな薄荷味ののど飴だ。
常備してるとは、さすがと言いたいところではあるんだが……確かにりんごジュースは合わないだろうな、それ……。
りんごジュース買ってきたのもお前なんだから、もうちょっと飲み合わせというか、相性のいいものを選べば良かったのではないだろうか。
「……おにぃ、お腹大丈夫なの?」
「腹? 確かに腹減ったな」
「そっちじゃないんですけどー」
「……? あぁ、怪我の事か?」
「忘れてたの!? もうっ、そうに決まってるじゃん」
「いや、なんともねぇよ。しっかり治してもらった訳だし、別に後遺症もねぇし」
「……ならいいですけどー」
じとりとした目をしてこちらを見てくる美結に答えてやるも、どうやら美結はあまり信用できていないらしい。
実際、そんな目で見られても本当に何もないんだから痛くもない腹を探られる気分ではあるのだが、心配してくれているのだと考えれば目くじらが立つこともない。
実際、俺も違和感はないのだし、そこまで気にもしていなかったってのが本音ではあるんだがなぁ……。
そんな事を考えつつ頭を掻きながら昼飯の準備をしようと立ち上がろうとしたところで、美結が小さく呟くように問いかけてきた。
「……おにぃは、さ。怖く、ないの?」
……あぁ、そういう事か。
美結から見れば俺は急に現れた相手に殺されかけて、実際カレスさんがいなけりゃ死にかけてたという状況だ。
俺の心情がどうだったかというところについてはあまり話してこなかったし、心配というより、不安が強かったのかもしれない。
起こそうとしていた身体をもう一度座り直すような形にして、俺は美結の方を向いて胡座をかいた。
美結は自分が弱っているところを見せたくないのか、こちらに背を向けるようにして寝転がっているが、相変わらずストローは咥えているらしく、伸びたストローが僅かに揺れているのが見える。
「……あの時、腹を貫かれた時に何を感じたかって話、したよな?」
「……ん。悔しさの方が大きかった、って」
「あぁ、そうだ。それについては嘘なんかじゃねぇんだよな。実際、激痛だとかを感じる頃には治癒魔法で治癒してもらう寸前だったから、思ったよりも痛みに気が付くのは遅れたぐらいで、俺の中には何よりも悔しさとか、そういう感情の方が大きかったよ」
「だから怖くないってこと? もしかしたら……死んじゃうかも、しれないのに?」
「んー、死ぬのが怖い、ってのとは違うな。お前を残して死ぬ訳にはいかない、とは思うけどな。そうならない為に強くなりたい、って気持ちの方が強いぞ」
「……なんで? 私は、怖いよ。おにぃがいなくなったら、どうすればいいのか分からないよ。あの後だって、おにぃがもしも死んじゃったらって思ったら……」
「ダンジョンに行くのが怖くなった、か?」
小さく、寝転がったままこちらに向けていた小さな頭が肯定を示すように頷いた。
さっきの配信で探索者の一般公募が始まったという案内をしている時にも、コメントでは盛り上がりを見せるようなものもあれば、「わざわざ死にに行きたくない」というような内容のコメントもあったりと、様々な声が届けられていた。
もっとも、大半は探索者になってみたい、というような好意的な意見ばかりではあったのだが。
けれど、死というワードが出た瞬間、美結の動きが僅かに固まるような一瞬の変化があったので、てっきり両親の事を思い出したのかとも思ったが、どうやら俺のこの前の件でのショックが蘇ってきているらしい。
「……ダンジョンに行きたくないなら、無理に行けとは言わないさ。無責任に責めるようなヤツはいるかもしれねぇけど、お前がやりたくない、辞めたいっていうなら、俺から探索者ギルドにも言ってやるし、文句は言わせねぇよ。俺はお前の選択を尊重するし、守ってやる」
「……ん」
「ただ、それでも俺は行くぞ」
「……え?」
驚いたようにこちらへと顔を向けた美結の目は大きく見開いていて、まったく予想していない答えが返ってきたと感じているらしい事が見て取れた。
「公式探索者になるって決めた時は、お前を守るためにダンジョンに入るって考えていたんだけどな。けどあの時、腹を貫かれたあの日、俺はまだまだ美結を守れるほど強くはないんだって思い知った。俺自身、大して強くもないのにお前を守ってやると息巻いて、結果があのザマだった訳だ」
「そ、そんな事ないよ! おにぃは強いって他の魔法少女だって言ってたもん!」
「あぁ、確かにそう言ってくれる魔法少女だっていた。でもな、結局そんなのは、普通の人に比べれば強い、って程度でしかねぇんだよ。魔法少女は俺なんかより強い子の方がごろごろいる」
結局俺が魔力に目覚め、魔導具を手に入れたとは言っても、魔法少女はそんな俺に加えてさらに魔法っていう特殊な力を使ったりもできるのだ。
結局俺は、『戦えるようになった』んじゃない。『戦う為の最低段階をクリアした』だけに過ぎなくて、偶然その程度でも通用する相手としか出会ってこなかっただけに過ぎなかったんだろう。
「なぁ、美結。たとえダンジョンに行かなくても、ルイナーがいきなり襲ってくる事だってあるかもしれないんだ」
「あ……」
「ルイナー相手に対抗手段なんて何もなかったから、ただ逃げればいいとだけ考えてた。でもな、今は違う。俺は戦う力を手に入れているのに、それを磨かなかったせいでお前が危ない目に遭ったりしたら、俺は今度こそ俺自身を許せねぇよ」
「……それは……でも! ……おにぃが死ぬのは嫌だよ……」
「お前を残して死ぬつもりはねぇよ。でも、今のままじゃ俺が命懸けで足止めしようとしても、足踏み一つ程度にしかならない相手だっているような状態だ。だったら、お前を逃がせるように、そしてお前と一緒に逃げれるように、強くなるしかねぇだろ」
親父もお袋もいなくなって、美結を守ってやれる人間は俺しかいない。
そんな俺が戦う力を手に入れたんだ。
だったら、今度はそれを鍛えて、守り切る力になるまで昇華させ、その先で美結だけを残してしまわないように生き抜けるだけの力を手に入れなきゃいけない。
「多分な、俺が強くなるのに一番の近道は何かって言えば、ダンジョンに行って経験を積みながら、魔力適正値ってヤツを上昇させていくことだと思う。魔法少女ぐらい魔法を使えるようになったりすりゃ、戦う方法だって増えるだろうしな。だから、俺は今後もダンジョンに行き続ける」
美結も俺を引き留めたいと考えているかもしれない。
けれど、あの葛之葉の一件が起こる前までなら「美結がそれでいいなら」って俺も承諾してやる事だってできたかもしれないが、今となっては譲ってやれそうにない。
戦う力があるのに、それを磨かなかった。
いざって時になってから初めて、それを後悔した。
手が届かないと思い知った。
あの瞬間、俺はそんな自分に対して何よりも腹が立っていたのだから。
美結は俺の答えを聞いて、しばらくじっと俺の目を見ていたかと思えば、溜息を吐いてから一度きつく目を閉じた。
「……私だって、辞めるなんて一言も言ってないよ」
「なんだ、美結は辞めてもいいんだぞ」
目を開けて起き上がる美結に向かって軽口を叩いてやれば、美結はむすっとした表情を浮かべてこちらを見た。
「やーめーまーせーんー! それにそれに、私だってその魔力適正値を上昇させたら魔法少女みたいに魔法に目覚めるかもしれないんだから。そうなったらおにぃのこと、今度は私が守ってあげるようになるかもねー」
「ほー、言ってくれるじゃねぇか」
「……絶対、死んじゃやだよ」
「分かってるよ」
生意気に言ってみせたかと思えば泣きそうな顔をしてそんな事を言うものだから、誤魔化すようにぐしゃぐしゃと頭を撫でてやりながら答えてやる。
――――その瞬間、俺の後ろ側にある襖が凄まじい勢いで開かれ、スパンッ、と軽快な音を立てた。
「――話は聞かせてもらったよ。力が、ほしいかい?」
襖の向こう側から突然現れたのは、久しぶりに見た顔。
作り物めいて見える程度に整っていながらも、どこか年齢には不相応な落ち着きを見せる銀髪の少年――ルオとやらであった。
「……力というか、それ以前にお前不法侵入じゃねぇか」
「細かい事を気にしてるとハゲるよ?」
……コイツ、にっこりと微笑んで何言ってやがる。
そして美結、お前もちょっと確認するかのようにちらっと俺の頭を見るんじゃねぇ。




