#011 地下組織 Ⅱ
俺――リグレッド・スカーシス――は、かつては三葉と呼ばれていたはずの棄民街で生まれ育った。
平和なベッドタウンに、それなりに栄えた駅前。
そんな特徴のない中途半端な街ではあったものの、首都へのアクセスも悪くはなく、生活も充分に便利な街だと言えた。
だが、五年前。
ルイナーの登場によって街は酷く荒れ果て、放棄されてしまった。
家族と一緒にこの街を離れた連中は多く、今では行政機関もこの辺りの事は放置している始末だ。
当時、俺は母と二人で暮らしていた。
父と離婚して一人で俺を育ててくれた母は、元々病弱であった事もあるが、よりにもよってルイナーによる襲撃に巻き込まれちまった。
治療は受けられたものの、あちこちでルイナーによる襲撃が多発していた事もあって、入院を受け入れてもらえるほど病床に余裕もなく、怪我が原因で自宅で寝込む生活を送らざるを得なくなっていた。
だから、俺は母と一緒にこの街に残った。
当時はまだ学生だったが、学校なんて機能しちゃいなかった。
バイトもしていたが、そもそも俺が働いていたバイト先も襲撃以来潰れてしまったし、金なんて店もやってなけりゃ価値はない。
時折軍によって届けられた配給品はお世辞にも充分な量であるとは言えず、必然的にこの街を去る連中も増え、いつしか配給すら届かなくなった。
治安も酷く荒れた。
暴力、強姦、物資の奪い合い、殺し合い。
こんな街で生き残るには力が必要だと感じてはいたが、お袋を家に残している以上、行動できる時間も限られているような男が、誰かとつるんでいても付き合いは成り立たない。
結局は一人でどうにかするしかないと考えていたのだが、ある時、厄介な連中に絡まれ、喧嘩沙汰に発展した。
幸い、ガキの頃からキックボクシングを習っていたおかげで、腕っぷしには自信があったし、お世辞にも素行のいい子供とは言えなかっただけあって、喧嘩には慣れていた。
喧嘩には勝った。が、相手は徒党を組んだ厄介な連中だったようで、仲間を集めて復讐に動き出した。
さすがに数に囲まれてしまえば勝てるはずがない。
逃げようにも、不用意に家の場所を知られてしまえば母を巻き込むかもしれないと、覚悟を決めて頭を下げに行ったのだが――当然、許されるはずはなかった。
集団に殴られ、蹴られ、腕の骨も折られ、もしかしたら殺されるのだろうか、と考えたところで、助けが入った。
いや、助けに来てくれた訳ではなく、たまたまでしかなかった。
その連中はやり過ぎたようで、もっと大きな組織に目をつけられていたらしい。
その粛清が行われたタイミングが、俺がたまたまいたタイミングだったのだと後に聞かされた。
その組織に助けられる形となった俺は、そこの組織の話を聞いた。
彼らの目的は、弱者を保護し、治安を回復させるのだと言う。治安が荒れて行き場を失くした子供や年寄りを積極的に保護し、守っているのだとか。
甘っちょろい信念ではあるが、その信念を貫くためならば暴力すらも厭うつもりはないという彼らの在り方に、俺は惹かれた。
だから、そんな彼らに事情を話して、組織に身を寄せた。
しばらくは守られる生活も続いたが、それから一年程で母が逝去した。
比較的平和な日々を送れるようになり、穏やかな日々の中であった事。それに、俺自身も組織の一人として動いていた事もあってか、静かに見送ってやる事ができた。
それからも俺は組織の一員として動いていたのだが、それから三年が経った頃、組織のトップが抗争に巻き込まれて命を落とした。
新しく組織のトップに立った人は、これまでトップを支えてきた人だった。
けれど、そいつが組織のトップになった事で、少しずつ組織の在り方が変わっていった。
厄介な連中を引き込むようになり、暴力沙汰が増えていたように思う。
そうして数ヶ月前から、海外の奇妙な組織と繋がりを持つようになって以来、ガキを拐かすようになった。
そんなやり方について行けなくなった連中もいて、まともな連中が離れていき、タガが外れた連中ばかりが増えてきちまっている。
俺もそろそろこの組織から足を洗おうかと考えている、そんな中――奇妙なガキに出会った。
まるで人形めいた整った顔に白銀色の髪。
そいつはまるで、興味の赴くままに散歩でもしているかのような気軽さでフラフラと棄民街を練り歩いていた。
組織の連中に見つかっちまう前に逃がしてやらねぇと、どうなるか分かったもんじゃねぇ。
そう考えて声をかけていたが、今のトップの部下であり、腕っぷしも強く危険な男――藤堂 烈に遭遇しちまった。
逃げるように指示してやったのだが……。
「――ねぇ、その頭に乗せてるカツラって、カツラだってバレないものなの?」
藤堂の方へと自ら歩み寄るなり、唐突にそんな言葉を口にしたのだ。
カツラ……? は?
いや、確かにたまに不自然な見た目だったり、髪型変わらねぇな、とは思っちゃいたが……。
ちらりと真偽を確かめるように取り巻きの二人に目を向けたが、どうやらこの二人も知らなかったようで、目を大きく見開いて、藤堂の頭を見て固まっていた。
取り巻きのお前らも知らなかったのかよ。
肝心の藤堂が顔を青くし、やがて怒りで顔を真っ赤にしていく中で、ガキはさらに続けて口を開いた。
「もしかして気付かれていなかったのにバラしちゃったかな? ごめんよ。でもほら、安心するといいよ。頭がハゲるのは本人が悪い訳じゃなくて仕方のない事だし。恥ずかしい事じゃないんだから……胸を張って外すといいよ、そのカツラ」
お前何言っちゃってんの!?
フォローしてるようで煽ってるようにしか聞こえねぇよ!?
殺されるぞ!?
思わず心の中で叫んでガキの口を塞ごうとするよりも先に、藤堂が動いた。
手に取ったナイフをガキに向かって振り下ろし――
「そんなオモチャで僕が傷を負う訳ないじゃないか」
――振り下ろされたナイフを指先で受け止めて、ガキはため息を吐いていた。
……はぁ?
眼の前で起こった事の意味が理解できなくて唖然としたのは俺だけじゃなかった。
藤堂もその仲間も、同じような目をガキに向けていた。
「まぁ、キミ達の拠点に興味が湧いたから行くのはいいとして……わざわざ捕まったフリをするなんて面倒な真似はしたくないし。案内役は一人いれば充分だからね。カツラかどうかを確かめたかったから話しかけただけだから……もうキミ達に用はないかな」
刹那、ガキの身体がブレた。
藤堂のガラ空きの腹に掌底を打ち込んで、痛みに下がった顎を飛び上がって蹴り上げる。
その蹴りだけで空中を半回転するように飛ばされた藤堂に唖然としていると、ガキはいつの間にやら取り巻き二人も仕留めていたらしく、二人が意識を刈り取られ、その場に倒れ込んでいるのが見えた。
まるで、羽虫を手で払っただけとでも言わんばかりに、何事もなかったかのような顔でガキは俺へと振り返った。
「――じゃ、案内してもらえるかな?」
……俺、もしかしてとんでもないガキに声かけちまったんじゃ。
◆ ◆ ◆
「……ぐ……ぁ……」
あちこちに倒れた人から聞こえてくる、くぐもった声。
強面でガタイの良い、要するに後ろ暗い連中の拠点となっている、元はオフィスが入ってでもいたであろう、街の一角にあるビルの一室。
倒れている人々は、先程から僕の後方で顔を青くして震えている、いかにもチンピラ然とした見た目を裏切って、意外と善人な青年の元お仲間たち、という訳だ。
「しかしまぁ、ここまで日本っぽい国なのに、髪型も顔の彫りも欧米や北欧系も普通にいるし、調子狂うなぁ……」
「な、なんか言ったか?」
「いや、なんでもないよ。それより、案内してくれるかな?」
「あぁ……、こっちだ」
リグと名乗った青年が慌てた様子で僕を先導するように前に出て歩き出したので、僕もそれに追従する。
彼は組織の一員のようではあるけれど、今の組織の在り方に不満を持っており、組織から離れようとしているのだとか。
だったらちょうどいいとばかりに彼に協力してもらって、今は彼らの組織の拠点の一つであり、魔法少女が捕まっているというその場所へと絶賛殴り込み中である。
シオン達と旅をしていた時も、アンダーグラウンドな組織をシオンやルメリアが見つけ、潰すような事はあった。
向こうでは油断できなかったけれど、こちらの世界の人たちは魔力も扱えないのだから、僕に攻撃を届かせる事さえできない。
魔法少女でも破れない障壁を展開しているのに常人で破れるなら、今からキミもルイナー討伐隊だ、と戦場に投げ込んでもいいけどね。
残念ながらと言うべきか、そんな存在はいないらしい。
試しに先程から軽い身体強化をして殴り飛ばしては宙を舞ってもらって反応を見てるのだけど、そんな有望株はいなかった。
弱いルイナー一匹で壊滅しそうな程度だし、常人で喧嘩慣れしている程度といった印象の彼らじゃ、普通に戦えば魔法少女も負けないだろう。
魔法や魔眼――いや、神眼になってしまったけれど――を使えば手間も労力もかからないのだけれど、一応魔法らしい魔法はまだ見せていなかったりする。
魔法を使ったら漏れなくこの人たちは死ぬだろうしね。
さすがに初対面の人を連れて歩きながら虐殺するっていうのは、僕自身危険過ぎる存在だと思われしまいそうだし。
「……お前、何者だよ?」
「神様だよ」
「……わぁーったよ、詮索しねぇよ」
本当の事を言ったのにこれである。
まぁ当然の反応とも言えるけれども。
「ところで、キミはこれから行くアテがあるの?」
「あん? ……いや、ねぇよ。ただ、ここを襲った以上、組織から目をつけられちまうだろうしな。この街にはいられねぇし、もう少しまともな街にでも拠点を移すさ」
「案内はともかく、襲っているのは僕だけど?」
「誰が信じるんだよ……」
まぁ虚言っぽくは聞こえるかもしれないけれど、ね。
ただ、今日のルイナーと魔法少女との戦いに介入した事は遠からず有名にはなるだろうし、僕やルーミアの存在を知る者ももういるんじゃないだろうか。
スマホで動画投稿サイトを見たら、僕らがバッチリ映ってる動画とか凄い視聴回数になってるみたいだし。
「そうだ。行くアテがないなら、僕の部下にならないかい?」
思いつきではあるものの声をかけてみると、リグはぎょっとした顔をしてこちらへと振り返った。
「部下? ……何しようってんだ?」
「色々やる事があってね。安心するといいよ、犯罪の類に巻き込みたいとか、そういう訳じゃないから」
表向きは魔法少女と対立していく事もあるだろうし、お尋ね者的な立ち位置にはなるけどね。
とは言え、僕も自分の背景や目的の全てを語るつもりはない。
ぶっちゃけた話、彼を仲間にしたところで期待している事と言えば、この世界の常識や知識を知っていて、かつ第三勢力らしさを演出するために人手が欲しい、というのがおおよそを占めた本音だ。
もちろん、役割はあるし、それを実行するためには少し鍛える必要があるだろうけれど、切迫している状況という訳でもない。
時間をかけてみても悪くはない発想だと思っている。
「……俺が入ったとして、俺のメリットは?」
「ここに至るまでに見ていた僕の強さ、キミもまたこれぐらいの事はできるような力を得られる。まずはそれがキミにとってのメリットだね」
「そんな化け物じみた強さを、俺が……?」
ねぇ、失礼じゃない?
ただちょっと刃物を止めたり銃弾をデコピンで打ち返したりしただけじゃないか。
こんなの前世の世界だったらそれなりにできる人はいたよ。
「答えは焦らなくてもいいけどね。僕は捕まっているという魔法少女に用があるし、その間に動画でも見ているといいんじゃないかな。僕、今動画サイトで話題沸騰中らしいし」
「はぁ? なんだよ、それ。つかスマホとか持ってねぇぞ、俺」
「え、そうなんだ。じゃあその辺に倒れてる連中で持ってる人のを拝借すればいいんじゃない? 一人ぐらいいるでしょ」
「まぁ、幹部連中なら持ってるかもしれねぇな……」
よくよく考えれば、秩序崩壊甚だしいこの場所でスマホを当たり前のように持っている人って珍しいのかもしれないなぁ。
僕だってイシュトアにもらってなかったら手に入れる事もできなかったかもしれないし。
でも、幹部なんて言われるような人っていたかな?
「そんな人ここにいるの?」
「あそこでお前にぶっ飛ばされて植木鉢に頭突っ込んでるのが幹部だ」
「……別に強くなかったのに幹部なんだね」
「強さで幹部かどうかが決まるって、お前どこの修羅の国の戦士だよ」
……うん、そういえばそうだね。
前世のアンダーグラウンドの組織は大体腕っぷしが関係してたから、ついこっちもそうなのかと思ったよ。
「じゃあ、僕が魔法少女を迎えに行ってる間に決めておいて。あと、お金とかお金になりそうな物を集めといてもらえると嬉しいかな」
「……まぁ、分かった。仲間になろうがならなかろうが、取り分は貰えるんだろ?」
「もちろん。気が乗らないならお金とか持って僕を置いて逃げててもいいよ。僕は追いかけるつもりはないし、お金とかは副産物だから、ないならないで構わないし」
「んな真似しねーよ。……っと、あそこだ。あそこの階段を降りて地下の部屋にいるらしい」
「ありがとう。それじゃあ、逃げてなければまた後で」
「逃げねぇっつーの。……こっちは俺がやっとく」
うんうん、見た目を裏切り続ける程度に真面目だね、キミ。
ともあれ、リグに向かってひらひらと手を振りつつ、僕は案内された階段を降りていく事にした。
階段を降りていった先にあったのは、おそらく上にいた連中が急拵えながらに用意したらしい監禁部屋だった。
ご丁寧に出入り口を封鎖するように設置された、無駄に大きな事務机と荷物を魔法で浮かせて横に移動させると、扉が姿を現した。
鍵もあるらしいけれど、面倒なので扉ごと切断して部屋の中へと目を向ける。
もともとは物置部屋として使われていたのだろう。
今では荷物らしい荷物もない、四畳半程度の一室。
そこには、鎖で雁字搦めに拘束され、御札のような何かを張られ、これまた見た事もない様式で描かれた魔法陣らしき何かの上で横たわる、一人の少女の姿があった。
光のない瞳は、部屋へと入ってきた僕をぼんやりと見つめていた。
――保護者役の精霊は、死んでしまったらしい。
どうやら自らの死を悟って、この少女に同化し、少しでも助けになろうとしたのだろう。
普通の魔法少女よりも魔力そのものは強いし、微かにこの子を助けたいという思念を感じ取れる。
少女の魔力を感知されないように作られたらしい魔法陣を、魔力を込めて踏みつけてやれば、途端に魔法陣はまるで霧になるかのように消え去った。
驚いたらしく、僅かに目を見開いた少女に向かって手を翳し、奇妙な御札と鎖も崩壊させてみせると、少女はゆっくりと身動ぎして、こちらを見上げていた。
「――キミが復讐したいというのなら、僕はキミに力を貸そう」
さながら悪役然として告げた僕の言葉に、少女のガラス玉のように無機質な瞳に僅かな炎が灯った。




