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現人神様の暗躍ライフ  作者: 白神 怜司
魔法少女と夜魔の女王編
108/220

#076 アンダーグラウンド Ⅱ

 棄民街に続くゴーストタウン、そして棄民街の荒れ果てた状況を横目にバイクを走らせてきた大野から見て、『月光(ルーケス)』にいる棄民たちの姿は予想していた姿とはかけ離れたものという印象が強い。

 そもそも棄民街の状況については直接目にした者は少なく、その情報がメディア等では取り上げられる事もない。同時に棄民街側からインターネットを介して情報を発信するという事も、ライフラインすら確保されない棄民街においては不可能であるからだ。


 せいぜい噂話、与太話といったものがありふれているばかりであり、大野自身にとっても棄民街は過去の調査報告書に目を通すしか情報を得る方法はなく、その調査報告書にも「治安がなく荒れ果てたコミュニティが乱立しており、弱者は淘汰されても当たり前といった非文化的な暮らしを送っている」等という記載があっただけだ。


 しかし、蓋を開けてみればどうだろうか。

 食事をしながら周りの声に耳を傾けていたが、荒くれ者たちが暴れまわっているような話も聞こえてこない。

 むしろチーム、コミュニティ同士で協力し合うための話し合い等がもたれており、その打ち合わせを行っているように思えた。


 支払いとなる情報の受け渡し、あるいは保護対象者の保護に対する報酬という形で食事と酒を楽しめるというこの店の支払い。

 情報で支払う場合、入店後にメニューを渡される前に最初に店員に伝え、頼める食事や酒のメニューを伝えられるという方式が採用されているようだと一通りの動きを見ていて気が付いた大野は、感心しつつ「思ったよりもまともな生活ができているようだ」と棄民たちの印象を上方修正しようとして――


「――これが棄民街の一般的な光景、と思っているのなら、それは改めた方が良いでしょうな」


 ――そっとコーヒーを差し出しながら、安堵して緩む心へと冷水を浴びせるような一言が告げられた。


 思わずといった様子で声の主、カウンター越しに佇むジルへと顔を向けた大野を射抜くような、僅かに剣呑さを宿した視線。

 その一言の絶妙なタイミング、そしてジルから向けられた視線に僅かに動揺しながらもコーヒーを受け取った大野から目を離し、店内を見回してジルは続けた。


「ここに店を出した当初は、荒くれ者が食料や酒を奪いにやってくる事など日常茶飯事でした。服も汚く、ぼろぼろ。洗濯のために水を使う、汗を流すためにシャワーを浴びるという事すらできない。飲水を確保する事が最優先。食事もまともに食べられず、見知った存在が次の朝には冷たくなっている。そんな環境で生きてきたのが彼らです」


 当たり前の話だ。

 人間が生きていくには水が必要で、食事が必要だ。

 怪我をすれば治療しなければならないし、風邪をひけば薬を飲む。

 そういった『当たり前』を受けるための最低限の生活すら送る事さえ、棄民にとってみれば難しい。


「詳しい話は、彼らが帰ってからとしましょう」


 言葉が見当たらず沈黙する大野に対し、ジルはさして気にした様子もなく洗った皿を拭き取りながら告げる。

 その言葉を聞きながら口に運んだコーヒーは、妙に苦味が強く感じられた。




 食事を一通り終えたところで、棄民たちはそれぞれの拠点へと戻っていく。

 大野が驚いたのは、酒を飲み、満腹で満たされたというのに、これから帰路につくとなった途端に彼らの纏う空気感が切り替わったというところであった。浮かれ気分のままに帰路につく平和な生活とは違うのだと物語る変化であった。


 最後の客が帰り、カランカランと軽やかに店の扉につけられたドアベルが軽快な音を立てて扉が閉まる。

 リーンについては大野の話の内容から配慮されたのか、すでに奥のスタッフルームへとジルに言われて下がっていったため、店内には大野とジルの二人だけが残された。


 ジャズミュージックと片付けの際に鳴る少々の音だけが鳴り響く店内で、僅かに待たされる事となった大野ではあるが、特に待たせる事については不快に感じなかった。

 取引の内容全てとは言わないが、それらしいものについては当たりをつけているであろうジルが、片手間に話せるものではないと判断してもらい、本腰を入れて話を聞いてくれるのであれば、そちらの方が建設的であると言えたからだ。


 しばしゆったりとした時間が流れ、五分程度が過ぎたところで、ジルが手を拭き終えてから、ゆっくりと大野へ視線を向けた。


「……お待たせいたしました」


 ――ここからが本番だ。

 そう考えて口を開こうとした大野の前に新たなコーヒーが置かれた。


「わざわざ大和連邦軍の大将である御方が直接いらっしゃるとは思いませんでしたなぁ」


「――ッ、まさか、ジュリー女史から話を?」


「おや、ジュリー博士のお知り合いでしたか? 生憎と私の方には何もご連絡はありませんな」


「そう、ですか」


 ――いけしゃあしゃあと何を、と大野は内心でジルの好々爺然とした対応に舌打ちした。


 そもそも大野は連邦軍の大将ではあるが、表舞台に立った経験は非常に少ない。というのも、基本的にマスコミの前で答弁するのは大臣の役割であって、わざわざメディアに露出するような役職でもないからだ。

 そんな自分の正体を理解していてなお、目的に当たりをつけているとなれば、ジュリーから聞いたと考える方が自然な流れであった。


 しかし、実際のところ、ジュリーからジルへの連絡は行われていない。

 ジュリーと『暁星(スティラ)』の関係は表向きに無関係を装っているが、秘密の連絡手段というようなものもそもそも存在していない。アレイアという存在のみが繋いでおり、直接的な連絡方法については一切ジュリーは持っていないのである。

 というのも、万が一にもジュリーに揺さぶりがかかった場合、あるいは自白を求められた場合において、知らない事こそが最もジュリーを守る上で適しているからであり、隠し事をさせるよりも知らせない方が対策が容易いから、というジルやアレイアの判断からだ。


 それでも、ジルは敢えて大野の立場と正体、そしてその目的を推測してみせる。


「ジュリー博士はこの店の常連ではありましたが、最近では有名になられてやって来ておりませんからな。そんなジュリー博士の名を口にしたとなれば、貴方様はジュリー博士からの紹介なのでしょう。おおかた、自分の名前を出せば話を聞いてくれる、とでも言われましたかな?」


「な……ッ!?」


「ふむ、どうやら当たりのようですな。ほっほっほっ、貴方様は性根が真っ直ぐなのでしょうな。私のような相手は苦手と見える」


 これは一種のパフォーマンスである。

 大野がやって来た目的は十中八九正しいだろうと踏んでいたが、今の反応で正解であったのだという確信は得られた。同時に、大野にとってみれば、ジルという存在が不気味に感じられたかもしれない。


「……何故、俺の事を知っている?」


「ふむ、本来情報を無料で提供する事は有り得ませんが……、これぐらいならば良いでしょう。『我が主様(・・・・)』より、色々な方々の情報は教え込まれておりますゆえ」


「……ふん、やはり背後に何かがいる訳だ」


「えぇ、勿論。でなければ、このような場所で、食材や酒を提供できるはずもありますまい」


「……確かにな。ずいぶんとまあ腕の長い(・・・・)飼い主のようだな」


「ほっほっほっ、さて、どうでしょうなぁ」


 ――やはりコイツの裏には相当な権力者がいるらしい。

 大野はジルの態度からそんな推測をつけ、逡巡する。


 情報をいただく、あるいは棄民街に関して協力してもらうにせよ、ここで背後にいる何者かに借りを作ってしまって良いものか。

 場合によっては自分にとって不都合になる可能性も否めないとなれば、下手に依頼してしまって良いものか悩むのも当然と言えば当然だ。


 しかし、それこそがジルの狙いだ。

 何せジルは『情報屋のバーの店主』という役割をルーミアによって与えられており、『背後には相当な権力者が控えている』と思わせるよう言いつけられているからこその物言いであり、ただの設定の為だけに、ジルはこんな物言いをしているのである。

 その結果、大野が協力を仰がないのであればそれはそれで構わない、というのがジルのスタンスであった。

 むしろジルとしては、よりにもよって連邦軍の大将である大野にこの店の存在を告げたジュリーの目的を推測する方が優先順位は高かった。


 連邦軍の大将であり、現在の連邦軍においてはトップと言える重鎮だ。

 基本的にジュリーと『暁星(スティラ)』の関係は無関係を装う予定であった以上、『暁星(スティラ)』と直結するこの店の店主であるジルの関係性については、可能であれば知らぬ存ぜぬを貫いた方が早かった。


 それでもなお、敢えて連邦軍の意思決定を下せる存在をここに誘導してみせた。

 それが衝動的な行動、あるいは浅慮による行動である可能性というのは非常に低く、そもそも常に付きっきりとなっているアレイアにもジュリーから大野に店を教えて良いものかについてぐらい、確認しているはずである。


 だとすれば、何故アレイアが大野を紹介する事を是としたのか。

 その真意がどこにあるかを考えて――ふと、ジルは知らず知らずの内に口角をあげる。


 ――なるほど、面白い(・・・)

 思いついた一つの答えを、ジルはそう評した。

 もしもそうであれば、まず間違いなくルーミアは喜び、本当の主であるルオもまた驚きつつもよくやったと褒めるかもしれない、と思う。


 故に、ジルは先んじて口を開いた。


「……探り合いはここまでとしておきましょうか」


「あぁ、そうだな」


「では、手札を切るのはこちらからといきましょうか。大野殿、貴方様の憂いについて、私共(・・)を使ってはみませんか?」


「……どういう意味だ?」


 ぴくりと眉を動かして大野が訊ねれば、ジルは特に動じた様子も見せずに淡々と続けた。


「決して貴方様にとっては悪い話ではないかと思いますよ? 我が主様もまた、棄民街の現状には憂いを抱いていらっしゃる。それ故に、私共(・・)をここに派遣し、情報を収集するとお決めになりました。方法も立場も違えど、目的は貴方様と同じとは思いませんか?」


「……なるほど。確かにそうだ」


「そうでしょうとも。ですが、貴方様には如何せん、手が足りないと見えます。陽のあたる場所にであればともかく、陰には届かない。そして同時に、裏の世界には裏のルール、やり方というものにも精通していらっしゃるようには到底お見受けできませんなぁ」


「……何が言いたい」


「ほっほ、なに、簡単な事ですとも。貴方様が裏にまで手を伸ばしたいと言うのであれば、その筋の者を使えば良いと、ただそれだけの話ですとも。その代わり、貴方様にも多少は骨を折っていただく必要はありますが、ね」


 それはまるで、悪魔が契約を持ちかけてきているようだ、と大野は小さく息を呑む。


 大野とて、今更自らが清廉潔白であるとは思っていない。

 つい先日、ダンジョン探索を行っていた鹿月兄妹と魔法少女を襲ったルーミアとは、お互いの利害関係が一致した事から取引さえした。その目的は確かに正しい事をするためのものだったと胸を張って言えるが、しかしルーミアという存在の危険性を理解し、場合によっては葛之葉の一件で大量虐殺が起こりかねない状況を見て見ぬふりをしようとしていたのだ。そんな自分が清廉潔白であれるはずもなかった。


 今回の目的は各地に散らばる棄民街に手を出すこと。

 それはこの六年近くで大きな溝を生み出した今となっては、非常に困難であり、同時に正攻法が一切通用しない場所への干渉になる。


 大野にとってみれば、目の前にいるジル、そしてその背後にいるであろう何者かは、まず間違いなく自分よりも棄民街というものに精通している存在である。

 そんな彼らと取引できるのであれば、ただ情報を買おうとしていた当初よりも圧倒的に棄民街問題の解決には近づくだろうとは思う。


 しかし、目の前のジルの態度、そしてその背後の存在が見えないが故に、躊躇わずに手を取るというのはひどく難しい。


「……一つ、聞かせてもらいたい」


「おや、なんですかな?」


「仮に俺がその手を取ったところで、俺に何を求める?」


「なに、簡単な事ですよ。――目を瞑っていていただきたい、それだけです」


 果たして本当にそれだけなのかと訝しむ大野に対し、ジルはにこやかに微笑みを湛えたまま返答を待った。

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