#075 アンダーグラウンド Ⅰ
凛央から程近い街でありながら棄民街となってしまった、かつては壱ノ葉と呼ばれた街。
凛央とは地続きであり棄民街を完全にバリケードで封鎖などもされていないため、棄民街から程近い場所は必然的に棄民街にいる棄民たちから襲われる可能性等も考え、引っ越していく。
その影響も相まって、棄民街である凛央と壱ノ葉の境目は、お互いに近寄ろうともしないゴーストタウンのような様相を呈している。
もうすぐ六年前になるが、ルイナーの登場当時からすでに連邦軍大佐という役職に就いていた大野は現場に直接足を踏み入れる機会はなく、基本的には報告書、そして添付された画像、映像というものでしか棄民街というものを見た事はなかった。
ここまで続いていたゴーストタウンとの棄民街。
その明確な境界がどこにあるのかは判然とはしなかったが、夕焼けに染まる廃墟、痩せ細った野犬や野良猫の姿と、ちらほらと大野が乗っているバイクの音に気が付き、何事かと様子を窺う者達の視線を受けている事に気が付いた。
――……これが、棄民街か。
大野は自分が棄民街へと足を踏み入れたのだと自覚すると同時に、その異様さに気が付いて、思わず身を強張らせつつもアクセルを回す。
ジュリーから届いた棄民街のバー、『月光』。
元々棄民街にそんな場所があるのかと半信半疑ではあったが、こうして棄民街を直に見ると余計に「本当にこんなところにバーがあるのか?」という疑問が余計に強まるばかりであった。
ジュリーが指定している建物は、ルイナー襲撃前までは誰でも一度は名前を聞いた事のある大企業の会社ビル、その地下だ。
ただでさえ棄民街で利益など生まれるはずもない事は明らかであり、かつ企業のビルの地下で店をやる設備など揃っていないだろうという疑問もあった。
だが一方で、ジュリーがそんな事でわざわざ嘘をつく理由も大野には見当たらなかった。
だからこそ、部下を使うのではなく、たまの休暇に気分転換にツーリングをする愛車――ただし、最近はダンジョンやら何やらでまったくできていなかったが――を引っ張り出して直接足を運んでいた。
棄民街、ゴーストタウンは基本的に行政が手を出さない地域だ。
当然ながら建物が倒壊していればそのままにされ、コンクリートが割れていようが、道路が崩れていようが放置されている。車で移動するには些か不便な地域と言えるため、バイクというのは小回りが利く上に速度も出せるという意味では最適解であった。
もっとも、襲撃される危険性もあるため、大野の立場を考えればあまり褒められた行動ではないのだが、周りを説得する時間も惜しかったため、多少の危険は呑み込む事となったが。
さすがにバイクで直接店の眼の前まで乗り込んで行っては、悪目立ちするかもしれないと考えて、近くにやってきて人の気配もない建物の陰にバイクを隠すように停めてから、そこからは徒歩で向かう事にした。
『月光』の営業時間は、何時から営業というような決まりはない。
そもそも時計を持たない者も多いので、営業時間を明確に決めている訳ではないのだから、それはそうである。
そのため、営業開始時間は夕焼けが沈み切る少し前から、という実にアバウトなものであるのだが、棄民街ではそれは正しい選択であると言えた。というのも、そもそも棄民街は電気がなく、必然的に普通の街に比べて夜も早めに眠るのだ。
月明かりが照らしてくれるのは遮蔽物のない場所のみであり、夜に灯りを点けていれば、そこに誰かがいると教えるようなものであり、次の日には攻め込まれる可能性もある。女子供は特に夜は物音一つ立てず、視界も確保できない中であるのなら、眠ってしまった方が効率的であるとさえ言える。
そのため、『月光』はバーでありながらも、夜の短い時間でしか営業していない。
完全に陽が落ちてしまってからでは移動も手間であるため、陽が傾く頃には『月光』目当ての客はすでに店の入り口となる階段の前で待つ事が多い。
ジュリーに指定されたビルの近くに到着し、店の入り口と思しき場所で集まる者たちの姿を遠目に確認した大野は、店が確かに実在するのかと驚きつつも、無意味に棄民たちと接触しないようにと身を隠して営業時間を待つ事にした。
しばらく待っていると、店へと続く先から出てきた少女が黒板でできた自立式のA型看板を立てたところで、外で待っていた男たちが親しげに挨拶をして店内へと入って行く姿が見えた。
大野もまた、ゆっくりと周囲を見回して人影がない事を確認してから、意を決して店舗の入り口へと足を進めた。
「……本当に、店をやっているのか……」
ぽつりと口を衝いて出たのは、今しがた少女が立てていった看板に描かれた絵と、丸く女の子らしい文字で書かれた『本日のメニュー』というお品書きの数々。その横には値段などが記載されていそうなものではあるが、それらしい数字は見当たらない。
そして何より、鼻腔をくすぐるように香ってきた料理の匂いが、なるほど確かに料理まで提供している店なのだろうと思わせた。
店の入り口へと続くらしい地下へと伸びた階段を降りていき、その先にあった重厚な扉を引いて開けば、カランカランと軽やかにドアベルが甲高い音を響かせた。
店内はシックな造りで、バーとは名ばかりの酒だけを提供している空間というようなものではなく、まさに街の一角にある知る人ぞ知る名店を思わせるような雰囲気と、流れるジャズのサウンドが会話を邪魔せずに響いてくる。
加えて客の態度についても、若者特有の馬鹿騒ぎするようなものとは違い、大人たちが談笑する社交場らしい、店の雰囲気にマッチした程度の会話の声が響いている。
思わず唖然として動きを止めた大野に気が付いて、「いらっしゃいませ」と声をかけてくる少女。
ミルクティーベージュの髪は短めではあるものの本人の小さな顔に似合っており、棄民街にある店には似つかわしくない清潔感をまとった少女――リーン・スフレイヴェルである。
「見た事のないお客様ですけど、初めてですか?」
「あ、あぁ、そうなる」
「では、お連れ様や待ち合わせ等はしていますか?」
「いや、一人だ」
「かしこまりました。ではカウンター席でいかがでしょう?」
「あぁ、ありがとう」
リーンに促される形で案内されたカウンター席へと着席した大野の前に、カウンターの向こう側にいるジルからメニューがそっとカウンターの上に差し出される。そこに記された内容は先程リーンが外に立てた看板と同じものだ。
メニュー表の下には情報は後払いでも可と書かれており、ジュリーから追加でもらった情報――つまり、店は情報を買う代わりに食事と酒を用意してくれるというものが本当なのかと密かに驚愕しつつ、大野は目の前のジルへと声をかけた。
「マスター、支払いは現金でも構わないか?」
「えぇ、構いませんよ。ただ……」
「ただ?」
「貴方様は当店に情報を買いに来たのでは?」
「……ッ!?」
短い会話で見抜かれたのかと思わず表情を強張らせる大野。
まずは店の雰囲気、そして本当に情報を持っているのかを確認しようと考えていた大野にとってみれば、まさか唐突にこのような申し出がくるとは思ってもみなかったのだ。
一方、身を強張らせる大野とは対照的に、ジルは僅かに困った様子でふっと小さく微笑んでみせた。
「貴方様の服は些か綺麗過ぎるのですよ。外からやって来たと、少し目端が利く者であればすぐに判ります」
「……なるほど……。確かに、そこまでは思い至らなかった」
「ほっほっ、なに、仕方ありますまい。では、貴方様の飲食のお支払いは情報料に上乗せして後日、という事でいかがですか?」
「……こちらとしては助かるが、いいのか?」
「正直に言いまして、この街で現金を支払われても意味がないのですよ。なので、別口の取引でお支払いいただく際に乗せてもらった方が、手間が省けるというものです」
「……すまんな。酒は結構だ、それより飯を頼みたい。Aセット、大盛りで頼む」
「かしこまりました。ジュースやコーヒー、お茶等もありますが、ご希望は?」
「食後にコーヒーを」
「えぇ、かしこまりました」
短いやり取りを済ませて大野が頼んだのは、普段は棄民街で暮らしている者たちに料理名からどういうものかが想像がつかないという者たち向けに展開している日替わりセットメニューであり、情報の内容によって食事とドリンク二杯までつくお得なセットであった。
ちなみに、本日のメニューはカキフライ定食という、バーには似つかわしくないものであったりもするが、それはさて置き。
料理を待つ間、大野は店内に目を向けながら改めて店内の若者たちを見やる。
――棄民、か。
どちらかと言えば浮浪者というような印象を抱いていた棄民と呼ばれる存在は、痩せ細り、身だしなみもぼろぼろで汚いものという印象が強かった。
しかしこの店にいる者たちは棄民という呼び名には相応しくない身綺麗な格好をしている上に、店内も汗臭さ等は一切なく、料理の香ばしい匂いなどしか感じられず、本当にここが棄民街なのかと疑いたくなるような光景であった。
「――リーンちゃん、シャワー空いたぜー」
「あ、はーい。じゃあ次、二番札お持ちのお客様、どうぞー」
「おっ、俺だ。ワリ、お先」
「おう、いってこい」
そんな会話が聞こえてきて、大野は耳を疑った。
シャワーを提供するバーというのも聞いた事はないが、そもそも棄民街は水道も通っていないのだから、シャワーを提供するとなれば凄まじい労力とお金がかかっているのではないかと思わずにはいられなかったのだ。
「五日ぶりのシャワーで超サッパリだ! リーンちゃん、こんな俺とデートしない?」
「あ、そういうのはやってないですよー」
「あっさり!?」
「おい馬鹿やめろ、リーンちゃんに馬鹿が近寄るな。天使に馬鹿が伝染ったら世界の損失だ」
「ひどくねぇ!?」
聞こえてくる会話はともかくとして、大野はこの店舗の異常性には一度目を瞑る事にして、腕を組んでしばし情報を探るように耳を澄ませていた。




