#068 『夢幻廻廊』 知恵の間 Ⅳ
十二支の関係性と進むべき選択の方法。
配信のコメント欄は推測が正しいだろうという意見の後押しもあって、私たちはその推測に従って先へと進んだ。
一度だけケアレスミスで部屋を間違えてしまって、そのまま中に入ってみたけど、そこでは灯籠の笠部分の彫刻と十二支として隣り合う魔物ではない他の種類の魔物が出てきたので、さらに私たちの推測が正しかったという証左にもなった。
そうして正解の部屋だけで五部屋目へと続く襖を開けると、先程まで続いていた座敷と襖、それに灯籠が置かれた八畳程度の部屋から一変して、射し込む夕焼けに染まる和風の道場のような場所の入り口へと繋がっていた。
茜色の道場内は先程までの薄暗い座敷とは違って、少し眩しく、私も思わず顔を顰めてしまう。
「……なんだ、あれ」
おにぃの呟きに気が付いて、その視線の先へと目を向ける。
その光景に対する問いかけなのだとは分かっていたけれど、私たちは誰も、何も答えられなかった。
私たちの視線の先、目の前の道場のようなその場所の奥。
そこにはいかにも鬼といった見た目をしている角が生えた巨躯を誇り、背の高い甲冑をつけた武者と言えるような存在がいて。
――ちょうど、そんな存在の腹部あたりを貫いていたらしい真っ赤に染まった手を引き抜いた、長い白髪の女性の後ろ姿が、そこにはあった。
ズンと地響き混じりに音を立てて倒れた鬼の武者の横で、こちらに背を向けたまま佇む女性。
後ろ姿と長い白髪からもスタイルの良い大人の女性って感じの人に見える。
真っ赤に染まっていた腕に向かって、夕焼けで長く伸びた影が突然動き出して飲み込んだかと思えば、汚れ一つないキレイな手が出てきた。
「……な、んで、ここに……」
隣にいたオウカさんから声が漏れて、その場にいた女性はようやく私たちの存在に気が付いたようで、ゆっくりと振り返った。
夕焼けで僅かに金色めいた光を放つ髪。
その中にありながらも光って浮かび上がるような、真っ赤な瞳。
服装はまるでパーティー会場にやってきたかのような黒と紫紺のドレスに身を包んでいて、大胆に開けた胸元を晒していてもいやらしさはなく、美しいと思えるような、そんな女性だった。
「……ふぅん? 魔法少女、だったかしら」
綺麗で、聴いていたいと思うような声だった。
でもそれはまるで興味の欠片もこちらに抱いていないような、ひどく無味乾燥なものにも聞こえて、そのあまりの無機質さにぞわりと悪寒が走る。
その無感情な視線から逃れるようにちらりと手に持つスマホを見ると、コメント欄がやたらと凄まじい速さで流れている事に気が付いた。
低速モードにして投稿されたコメントを拾っていく。
『超美人。え、あれ魔物なん?』
『お姉さまって呼びたい』
『おい、アレって前に魔法少女の前で戦った女の方じゃね?』
『春の動画で見た女の方ってアレじゃない?』
『ヤベーヤツじゃん』
『はやく逃げた方がいいぞ!』
益体もないただの見た目の感想の中に紛れる、幾つかのコメント。
私はそれを見て、半年程前の――ルオくんが戦った相手の女の人の姿を重ねて、ようやく気が付いた。
動画じゃ顔の部分が妙に映像もブレていたしノイズも酷くて映ってなかったけど、確かにあの動画で見たシルエットに酷似している事に。
「おにぃ、あの人は――ッ!」
「――あなた、中に何を飼っているのかしら?」
「ッ!?」
コメントの内容と確信から、慌てておにぃに目を向けた。
ただそれだけだったのに、いつの間にか前方に佇んでいたはずの女の人が、リリスさんの目の前に立っていて、その頬に手を当て、瞳を覗き込んで訊ねていた。
――……な、に、これ……。
なんで、こんな、いつの間に……?
リリスさんも今になってようやく自分の顔を触れられているのだと気付いたかのように慌てて後方に下がり、女の人を睨みつけた。
「ふふ、ちょっと興味が湧いたわ。あなたは生かしておいてあげる」
「ッ、待ってください! 私たちはあなたと戦う意思なんて――!」
オウカさんが声をあげて制止しようとした瞬間、風切り音のようなヒュッと軽い音が聞こえた。
次の瞬間――オウカさんが斜めに吹き飛ばされ、私は何かに突然抱きかかえられるように移動していた。
「ぐ……、エレイン、ちゃん!?」
「逃げろ、みゅーず。アイツ、多分アタシらのこと殺す気だ」
「え……?」
意味が分からなかった。
いつの間にか女の人は真っ黒な、それこそ影がそのまま凝縮したかのような大きな鎌を手に持っていて。
吹き飛ばされたオウカさんは、背中を強く打ち付けたのか酷く咳き込みながら、血を吐いていた。
「オウカさん!」
カレスさんがすぐに駆け寄って、治癒の魔法を使ってオウカさんを介抱するかのように支える。
そんな中、女の人は何事もなかったかのように続けた。
「何を勘違いしているの? あなた達の意思なんて私には関係ないわ。私が、殺すと決めただけ。ただそれだけの話よ?」
まるで当たり前の事を、白いものを白だと答えるかのような自然な物言いで女の人は告げた。
「……させると思いますか?」
「逆に訊くけれど、止められると思うの? 近づいて頬を触られて、その目を覗き込まれた事にさえ気付かなかった、あなたが?」
くすくすと、まるで可笑しなことを聞いたかのように女の人は笑う。
それはまるで子供が将来の夢を語って、その荒唐無稽さに思わず笑ってしまうような、そんな笑い方に見えて、怖い。
そんな女の人の斜め後ろからおにぃが一気に詰め寄って、槍を突き出し――そして、それを足元の影が伸びて切っ先を阻んだ。
「チッ、魔法か」
「ふふ、思い切りの良さは評価するけれど、そんな玩具じゃ私の影さえ貫けそうにないわね」
「そこまで言うなら試させてもらおうじゃねぇか。――みゅーず、すぐに逃げろ」
「お、にぃ……?」
「なあ、アンタ。逃げだす相手にまで手を出したり、そんなセコい真似をするなんてしねぇよな?」
「あら、挑発のつもり?」
「いいや、確認だ。アンタかなりの大物なんだろ? そんな大物なら、逃げ出すような相手にまで拘ったりはしねぇんだろうなって思ってな」
「ふふ、そんな言い方をされて頷いたりしたら、全員逃げちゃうかもしれないじゃない」
「安心しろよ、俺は残るさ」
「……ふぅん」
それはどう聞いても挑発だけれど、おにぃなりに足止めさせる動機を作らせるための言い訳だと、私も理解した。
おにぃは敢えてあんな風に言って、私を守ろうとしてる。
なんとか逃がそうとしているんだと、理解した。
多分だけど、この女の人は、ここにいる誰よりも圧倒的に強い。
それは今さっきの何度かのやり取りを見るだけでもそう感じ取れる程のものだった。
だから、おにぃは自分が犠牲になってでも、私たちのために時間を稼ごうとしているのだと。
思わずおにぃに向かって口を開こうとしたところで、おにぃがこっちを真っ直ぐ見ている事に気が付いた。
……なんでよ。
なんでそんな、自分に任せろって顔してんの。
魔法少女、その中でも最上位に位置するであろうリリスさんでさえ動きに気付けなかったような相手を前に、なんで……。
「そんなの――逃げる前に殺せばいいだけの話じゃないの」
その一言と同時に、おにぃの足元の影が伸びて――おにぃの腹部をそのまま貫いた。
「が……っ!」
「おにぃ!」
「安い挑発程度で、私が止まると思ったの? ふふ、残念。私、こう見えても有言実行を信条としている真面目な女なの。――だから、殺すわ」
腹部を貫かれたおにぃに、更に一本、影が新しく伸びて、おにぃの顔に向かって突き進む。
「いやああぁぁぁッ! おにぃ!」
叫ぶ事しかできなくて、私の声がどこか遠い世界の出来事のように思える。
それだけじゃ足りなくて駆け出そうとして――けれど、金色の光が、その影の槍を防いで、おにぃを守るようにその前に佇んだ。
「……まったく。厄介な存在がいるもんだね、こんな世界に」
リリス、さん……?
あの一瞬でおにぃとの間に入って、手の前に魔法陣を浮かべて忌々しげに呟いている。
その姿はなんだか、リリスさんなのにリリスさんっぽくないような……なんて考えていたら、リリスさんの目がこちらに向けられた。
「スマホの配信は途切れてるね?」
「え、あ……、いつの間に……」
「なら、遠慮する必要もなさそうだねぇ。アンタ達はそっちの怪我人連れてさっさと逃げな。コイツの足止めぐらい、私一人でやってやるさ」
「リリス、さん……?」
「いいからさっさとしないか、バカタレ!」
「うぇっ!? は、はいっ!」
り、リリスさんがいきなり怖い人になった……!?
何がなんだか分からないけれど、私が慌てておにぃの所に行こうと目を向けると、すでにエレインちゃんがおにぃを担いで、カレスさんのところに連れて来ようとしてるところだったらしい。
オウカさんが結界を張っていて、その中でカレスちゃんがおにぃの腹部に手を翳して、白い光がおにぃの真っ赤になった腹部を照らしていた。
「お、おにぃ!」
「大丈夫、治癒魔法で治ります……!」
「……良かった。ありがとう、カレスちゃん……!」
いつものおどおどとした空気はなく、カレスちゃんは真剣な顔でおにぃの腹部を見つめていた。
おにぃも痛みがなくなったのか、険しかった表情を徐々に和らげて、なんとか起き上がろうと肘をついて上体を起こす。
「面目ねぇ、油断なんかしちゃいなかったんだが……。ありがとな、カレスさん」
「……はふぅ……。い、いえ、間に合って良かった、です……」
……良かった。
あの瞬間、思わずおにぃが死んだのかと思って、目の前が暗くなったよ……。
「リリスさん!」
「早く行きな、バカタレ。腹の一つや二つ、貫かれたってすぐには死なないよ。ったく、これだからこっちの世界の人間は……」
お腹は一つしかないんですけど、なんてツッコミを入れられる状況じゃないのは分かってるけれど、それにしたってリリスさん、なんか雰囲気が全然違うような……。
「その魔力……。あなた、表に出てきたのね?」
「はん、お前さんみたいなのが相手じゃ、分が悪いなんてモンじゃないからね。――それより、なんだってアンタみたいなのがこっちの世界にいるんだい、夜魔の女王」
よまのじょおう?
リリスさんがそんな言葉を口にした途端、こちらに背を向けている女の人の肩がピクリと動いた。
「……気が変わったわ。あなたが残るなら、他には手を出さないであげる」
「そりゃ上等さ。――聞いたね、アンタたち。ここの事はこっちに任せて、さっさと行きな。コイツの気が変わらないとも限らないよ」
「……大丈夫、なんですか?」
「さてね。ただ、アンタたちが人質になる可能性を潰せるだけマシなのは確かさ。いいからさっさといきな」
オウカさんの質問にも、手をひらひらと揺らして答えてみせるリリスさん。
その仕草はなんだか別人めいて見える。
私がさっきまで見ていた『不動』の姿とはまるで違うように思える。
「……分かりました。すぐに仲間たちを連れて戻ります」
「オウカ! でも、それじゃリリスが!」
「エレインさん、ロージアさんたちと合流しましょう。さっきまでの映像は彼女たちも見ていたはず。すぐに来てくれるはずです」
オウカさんがそう言ってみせれば、エレインちゃんとカレスさんも渋々といった空気はそのままだけれど、それでも頷いた。
そんな中、おにぃがリリスさんに顔を向ける。
「……ここにいたら、足手まといか?」
「足手まといさ。ま、焦るんじゃないよ。アンタならその内もっと強くなるさ」
「……そうか。すまん、恩に着る。行くぞ、みゅーず」
「おにぃ、でも……」
リリスさんだけを残して行って戻る事に抵抗を抱きつつも、私は、それ以上は何も言えなかった。
おにぃが死にかけた姿を見てしまったせいで、逃げるという選択肢を取れる事に、心の何処かで安堵していたのかもしれない。
あの女の人を相手にしたら、今度こそおにぃは死んでしまうかもしれないから。
そんな迷いを胸にしながら口を噤む私に向かって、リリスさんがしっしと野良の犬猫を払うように手をひらひらと振った。
「いいからさっさとお行きよ、このバカタレ。アンタがいちゃ、そっちのアンタの家族も無茶をしようとしちまうだろ。アタシも死ぬ気はないんだ。足手まといはお呼びじゃないんだよ」
「……ごめんね、リリスさん……」
短くそれだけを告げて、私たちはダンジョンを逆走するように足を進めた。
苦い敗北を胸に刻みながら、一人を犠牲にするような選択肢を選び取って。