#010 地下組織 Ⅰ
「ありがとう、ルーミア。キミのおかげでどうにか誤魔化せたよ」
「ふふふ、いいのよ。私もやっと舞台に上がれたんだもの。むしろ序曲としては上出来だったとも言えるわ」
「……楽しそうで何よりだよ。設定盛り過ぎて収拾つかないのだけは気をつけてね」
「いいじゃない。世界を舞台にした壮大な劇なのよ? 背景はいくらでも誤魔化せるわ」
魔法少女たちと別れ、拠点としている廃墟のビルに戻ってきた僕を待っていたのは、真紅の瞳を輝かせて笑顔を浮かべている、見るからに上機嫌なルーミアだった。
舞台に上がる、というのは魔法少女たちに自らの存在をアピールできた事を指しているらしく、ようやく本腰を入れて活動できるのが嬉しいようで、鼻歌まで口ずさんでいる。
「あぁ、そうだわ。そろそろちゃんとした拠点も欲しいのだけれど、この世界って色々と管理が行き届いているのよね?」
「管理? あぁ、戸籍とかの事だね。そうだね、僕らは戸籍のない存在だから、真っ当な手段で拠点を手に入れるのは難しいね。そもそもお金もない訳だし」
こういう点を鑑みると、出自不明、戸籍不明でもどうとでもなっていた前世の世界の方が動きやすいというのは事実だ。
この世界は僕の前前世に当たる日本の平行世界と言われているだけあって、ほぼ同じような技術レベルを持っているし、なかなかに自由が利かない。
まぁ、ルイナーの登場で廃ビルが多い分、隠れ家を用意するだけならそうそう難しくはないけれど、電気に水といったライフラインの確保が手間だ。
「そういう事なら、魔法庁に潜入するついでに拠点も確保してくるわね」
「へ?」
「あら、忘れたの? 私は夜魔の民よ?」
「いや、そう言われても……って、あぁ、夜魔の民の特性かい? でも、そこまで便利なものではなかったと思うけど?」
魔法で記憶を操作する、なんて便利なものはないけれど、夜魔の民である彼女たちは己の血を飲ませる事で一時的に思考を誘導する事ができる。
もっとも、生涯従順な操り人形のようになる、という訳ではないし、幾つかの制約があるので、そこまで強力な支配効果は持たなかったはずだ。
「あなたの言う通り、何もかもを操る事なんてできないわ。けれど、意識させる事ができてしまえば問題ないもの」
「意識させる?」
「えぇ、そうよ。ねぇ、ルオ。人が人を好きになるのはどうしてだと思う?」
唐突な問いかけに首を傾げてみせると、ルーミアは小さく苦笑して、遠い目をして虚空を見つめた。
「『他人を好きになる』のは、最初はただ自分にとって相手が気になってしまう事から始まるのよ。気になって仕方ないから、相手の気を惹こうとする。そうする事で相手が自分を意識してくれると、人は喜びを覚える。相手が喜んでくれる事に自分が喜びを覚えて、自分の満足感を満たしたくて、また行動する。そうやって気持ちが育まれていく、と言えば聞こえはいいけれど、本当は違うわ。少しずつ少しずつ、甘美な感情が心を蝕んでいくものなの」
――まるで毒のように、と。
ルーミアはそう付け足してから更に続けた。
「その喜びが強ければ強いほど、それはやがて依存になっていくわ。その欲求を満たす為に、色々なものを差し出してくれるわ。だから、自分の意思で自ら深みに嵌らせるには、意識させるだけで事足りるのよ」
「手のひらの上で踊らせる、とでも言うつもりかい? なかなかに悪辣に聞こえるけれど」
「悪辣? ふふ、純粋なのね。でも、憶えておくといいわ、ルオ。人にとって最も汚い感情、それが『好き』というキレイな言葉で装飾した感情よ。『好き』を大義名分に相手を独占したがる。お互いに利害関係が一致している間は相手の為の自己犠牲さえ美化し、大義名分を掲げていられる。けれど、もしも相手のせいで自分が傷ついたら、あっさりと相手を憎む事さえできてしまう、あまりにも自分勝手で、不安定な感情よ」
「それは……なるほど、確かにそう言われると否定はできないかもしれないね」
ルーミアに何があってそう結論付けたのかは、僕には分かるはずもない。
けれど、それはルーミアが辿り着いた一つの答えなのだろう。
人を好きになる、なんて事をそんな風に考えた事はなかったけれど、それもまた穿った見方ではあるのかもしれない。
結局のところ、他人というのは自分とは違う存在だからね。
相手に理解してほしい、一緒にいてほしい、なんて感情は徹頭徹尾、自分の欲でしかないと言われれば、なるほど道理である。
「――少し脱線してしまったから話を戻すけれど、そういう方向で使えば人を操る事も難しくはないのよ。どうとでもなるわ」
「なるほどね」
「それとも、神様であるあなたにとっては許容できないやり方かしら?」
「ん? なんで?」
半ばからかうように問いかけてきたルーミアに問いかけると、ルーミアがきょとんとしてこちらを見て固まった。
「あ、あら……? ちょっと予想外だったわ、その反応」
「うん? ――あぁ、神として人を操るなんて許せない、って意味で訊いているのは判るんだけれどね」
そもそも僕自信、神になったと言われても、何も崇高な精神を持っている訳でもない。
シオンやルメリアなら嫌な顔をしたかもしれないけれど、あんな二人と旅をしていたからこそ、必要な犠牲だと割り切るのに抵抗は感じないし、毒親を見て性格を形成してきたせいか、他人よりもどこか達観した節がある事は自覚している。
それこそ、ルーミアの言った『好き』に対する解釈を聞いて、相容れないとも思わずに納得できる程度には。
結局のところ、僕らはこの世界の理からは外れた存在だ。
非合法な手段だからとか、人を騙すなんてと躊躇していては、手を打てるはずもないのだから。
だから、彼女が能力を使って誰かを破滅させようとも、それが必要な手段であるのならば是非を問う必要なんてない。
「キミの事だから、相手を充分に選別するだろうしね。そもそもキミは『舞台』を壊したくはないだろうし、当然、途中で退場したくはないでしょ?」
ルーミアにとって、この世界は一つの舞台だ。
完成度を高める為だけに契約に介入して、僕に『ちゃんとした役』を求めていたあたり、しっかりと台本というべきか、本筋を見失うような真似はしないと思っている。
こうして、わざわざ僕の事を試すように線引きを図る真似をしている辺り、親切というか慎重なぐらいだよ。
「……ふふふっ、あっははははっ! あー、おかしい。私の良き理解者が契約者で嬉しいわ、我が主様?」
「はいはい、お世辞はいらないよ。ともあれ、キミの事は信頼しているよ。任せるさ」
「……そう。なら、その信頼にはしっかりと応えましょう」
ルーミアは微笑みを浮かべてカーテシーをしながら薄暗い廃ビルの影に溶け込むように消えていった。
さて、僕はどうするかな。
基盤を整えるという意味でも、ルーミアばかりに頼りきりになってしまう訳にもいかないし。
幸い衣食住で言えば、食に関しては僕もルーミアも食べる必要のない存在ではあるのだけれど、日本に近いこの世界に来ているのだから、懐かしいジャンクフードやジュースなんかを楽しみたい気もする。
少しばかり散策してみようか。
この世界にルイナーが現れて五年。
僕らが拠点にしているような廃ビルなんかがあって、しかもルイナーに対応できる魔法少女が少ない事もあってか、少し利便性が悪い場所なんかは防衛圏から外され、人も離れ、ゴーストタウン化した場所はそれなりに存在しているようだ。
そういった場所は、有り体に言えば悪人と弱者の巣窟と化している。
向こうの世界で言うところの貧民街のそれに近い。
もっとも、貧民街と言うほどではない程度には暮らしの水準も安定しているようだけれど。
そんな取り留めもない事を考えながら路地へと足を進めたところで、後方から聞こえてきた足音が距離を詰めるように早歩きになった。
僕もまたそんな足音の主から話を聞こうと、足を止めて振り返る。
「おう、坊主。ここらじゃ見ない顔だな?」
ニヤニヤと笑いながら声をかけてきたのは、金髪をオールバックにまとめた、いかにもチンピラ風の男だった。
――うーん、ハズレかな。
ただのチンピラ程度じゃあまり期待はできそうにない。
「ここに来たのは初めてでね」
「はぁ? 親や仲間はいねぇのか?」
「いや、一人だよ」
「……チッ。仕方ねぇな、人通りのない道を教えてやるから、さっさとこの街から離れろ」
……あるぇ?
思っていた反応と全然違うんだけど。
「……僕を攫おうとしているとかじゃないの?」
「そんな危険を理解していて、ガキがこんな所を無防備に一人で歩くんじゃねぇよ。ったく、ガキ特有の怖いもの見たさってヤツか? シャレになんねぇぞ」
あー、うん。確信に変わったよ。
この人、僕の事を見かけて心配して声をかけてきたんだ。
もしかして、ニヤニヤ笑っていたのはカモを見つけたチンピラの笑顔という訳じゃなくて、僕を怖がらせないつもりだったのか。
ねぇ、キミの見た目で笑顔を浮かべるのって逆効果だよ、それ。
自分の見た目考えて?
「おいおい、リグ! いい獲物見つけたじゃねぇか」
若干呆れ気味に青年を見つめていると、今度は反対側から声が聞こえてきた。
何やら愉悦を混じえたようなその声は、いかにも格下の存在に対して声をかけているような色を孕んだものだ。
僕に声をかけてきた青年も、何やら驚いた様子で僕を挟んで向こう側に目を向けていた。
「――ッ! 烈さん……!? 今日は遠出するんじゃ……?」
「なぁに、さっさと片付いたんでな。それより、そいつは高く売れそうだ。連れて来いや」
「……ッ、はい……」
背を向けて先に歩き出した男たちに返事をして、僕に声をかけてきたリグと呼ばれた青年は苦い表情を浮かべながら俯いてから、僕に目を向けた。
「……坊主、いいか。この路地を抜けた先で俺の手を噛め。痛みで俺が手を放したら、左手に向かって走れ」
うーん、どうもこの人は烈と呼ばれたあの男の部下ではあるものの、子供を巻き込む事には反対している、とか、そんな感じっぽい。
「……逃げるのは構わないけど、もしこのまま連れて行かれたらどうなるの?」
「海外に売られるだろうな。坊主は顔も整ってるし、烈さんたちが見逃すとも思えねぇ。ちょうどそろそろ一人出荷するって話だしな」
「一人、ね。捕まっている子がいるんだ?」
「あぁ。なんでも魔法少女らしい」
……は?
いやいやいや、魔法持ってるのに捕まっちゃうの?
魔力を持っていない相手に負けるほど弱くないと思うけど。
突拍子もない言葉に半ば呆れつつ、青年に腕を捕まれながら歩き出すと、青年が口元をなるべく動かさないように続けた。
前方の曲がり角でニヤニヤした笑みを浮かべた烈と呼ばれた男と、その取り巻きらしい男たちがこちらを見ている以上、あまり聞かれたくはないらしい。
「まぁそういう顔になるのも無理はねぇけどな。ウチの組織は海外の裏社会連中とつるんでる。そっちから魔法少女を捕まえてくれって依頼があってな。対魔法用の武器なんかも数は少ないが用意されているんだ」
「……ふぅん。そんな武器があるなら、それをルイナー相手に使えばいいのに」
「あぁ、ルイナーには通用しないって話だぞ。あくまでも魔法少女を捕まえる為だけに開発されてるから、殺傷力はねぇし。……って、何を悠長な事言ってやがる。ほら、もうすぐだ」
何かしらアンダーグラウンドな組織からお金をちょうだいしようとか考えて自分を餌にしていたのだけれど、思った以上に大物が釣れたらしい。
うん、行く価値はありそうだね。
ただ、少し気になる事がある。
それを解決させなくちゃ、僕としても気になって仕方がない。
このままそれを忘れて動く事も可能だけど、無視したまま尾を引くというのも困る。
だから、その為に僕は青年と一緒に歩き、曲がり角に着いて、青年の指示なら逃げ出す絶好の機会であるその瞬間に、口を開いた。
「――ねぇ、その頭に乗せてるカツラって、カツラだってバレないものなの?」
僕を待っていた男たちのリーダー格の男に、一言気になっていた質問をぶつけてみた。
烈って男の表情が一瞬蒼青くなったかと思ったら、その取り巻きもぎょっとした顔で男の頭を見て、目を見開いていた。
……バレないものなんだね。




