うわばみの胃の中で
「おまえのことぉ、あぁいしてぇるぞぉー。ふへへっ。」
酒臭い息で分かりきった告白されながら、腕を掴まれて頬ずりされる。暑苦しいし、鬱陶しいし、しかも面倒くさいので離れてもらおうとするも足を絡められ、その148cmの華奢な体躯のどこからそんな力が出てんだってくらいの吸着力で引っ付かれる。
「うぜえ! 離れろ酔っぱらい! 」
「やだぁ~。」
ぐずるようにそう言って、今度は首筋に顔を埋められる。
すんすんと匂いを嗅がれてくすぐったいし、酒臭さに鼻が曲がりそうになる。
こいつはいつも、酔うとこんな風になる。そして翌日は記憶がないらしい。俺は覚えてるけど。
それにこの絡み方は質が悪い。
「…………」
「おい……? 」
「すうぅぅぅ。」
「吸うんじゃねえよ!! 」
突然首筋に吸いつかれて思わず声を上げる。
ちゅぱと音を立てて唇が離されると赤い痕がくっきり残っていた。
「マーキングぃ。」
こいつは俺のことを猫か何かと勘違いしてるんじゃないか。どう考えても、可愛いペットぽいのはそっちの方だろ。
「こら、離れろ。」
ぺちりと額を押し返せば、不満げに見上げてくる。
上目遣いしても無駄だし、可愛くない。見た目は小動物だけど、やっぱり猫の方がマシだ。
「むうぅ……」
「何だよ」
「おまえもちゅーしろぉ」
「やだ」
酒臭いから。
「なんれ?わたしのこと、すきひゃないの?」
呂律回ってないし、涙腺ゆるゆるになってもう既に泣きそう。
「そういうわけじゃないけど」
でも泣かれた方がもっとめんどくさくなるので素直に応えれば、ぱあっと表情が明るくなる。
単純すぎる。
「じゃあしていーじゃん」
「嫌だってば」
「けち」
「はいはい。けちでいいから大人しく寝ような」
適当に返事をして頭を撫でると嬉しそうに目を細める。猫よりは犬みたいだと思う。撫でているうちに、段々とうつらうつらしてきて瞼が落ちていく。
脱力した身体を抱き上げてベッドまで運んで布団をかけてやる。全く、手のかかるやつだ。
***
翌朝起きてきた彼女は案の定昨夜のことを全く覚えていなかった。
「昨日さ、私なんか変なことしたり、されなかった?」
「別に、何もなかったぞ」
首を手で隠しながらそう答える。
「本当?」
「本当だって」
「疑ってるわけじゃないし、おまえに何かされるのも別にいいけど、私がおまえに迷惑かけちゃったりとかしてないかなって思って」
「大丈夫だから心配するな」
「そっか。なら良かった」
あれだけ悪酔いしていた癖にしらふだとこうやって気にしてくる。本当に面倒くさいやつだ。こっちがどれほど気をつかってるかなんて、酔った記憶と同じでこいつは知らない。
「おまえにはさぁ、私と一緒にいて良かったって思って欲しいんだよ……」
「何それ」
「何でもない」
俯いたまま小さく呟く彼女を見て、まだ少し酔いが残ってるんじゃないかと思った。
「あのさ、今日休みだろぉ。だからさ、何というか……で、でーとしたいな、って」
「デート?」
「どこでもいいから……近くの公園でも、さ」
俺は一瞬耳を疑う。こいつは極度の引きこもり体質なのだ。外に出ることを嫌う彼女が自分から出かけたいと言い出すなんて、今まで一度もなかったことだった。
「どしたの、急に」
「だって、そっちは出かけるの好きじゃん。でも、私のせいでいつも我慢させてたんだなあって思ったら申し訳なくて……」
やっぱり、この急な素直になりようは昨日の酔いがまだ残っているに違いない。けれどもここまでデレてくるのもなかなか見れないので、せっかくだから乗せられてみることにする。
「そうだな。たまには行くか」
「うん。」
「どこ行きたい?」
「私は……さっき言った通り、公園でいい」
少し遠慮気味に言ってくる。
「そんなんで良いの?他に行きたいとことかないのか」
普通だったら遊園地とか、そういう所に行くだろう。
「いい。人混みやだから」
「そうか」
「あと、私お弁当作ってくから、楽しみにしててね」
「おう。ありがとう」
休日の始まりは、そんないつもと違う彼女の一言からだったけれども、蓋を開けてみればいつもと変わりなかった。
***
「なぁ、私達ってさ。こうして並んで歩いてたら、恋人同士じゃなくて、きょうだいとか親子に見られてるのかな」
「確かにそうかもな」
「だよね。やっぱり」
彼女は少し、子供っぽく見られるのを嫌っているみたいだった。
「ねえ、手つなご」
「えぇ」
「だめ?」
駄目ではないけども、外でこういうのは恥ずかしい気がする。
「まぁ、別にいいけど」
そっと手を握られる。
柔らかい手の感触を感じながら、ゆっくりと指先に力を入れて握り返すと、小さな手がぎゅっと俺の手を掴む。
「あったかい」
「そりゃよかった」
季節は冬に近づいていて、風が吹くと少し寒い。ピクニックにはあまり向いていない時期だけど、せっかくの2人きりの外出に季節など考慮していられない。
目的地の公園は閑散としていて、人もまばらにしかいない。ベンチに座って持ってきた弁当箱を二つ並べる。
「これがおまえので、こっちが私の」
中身は卵焼きと、昨日の飲みのおかずの残りとおにぎり。
全部彼女が作った。意外と、料理に関しては器用なやつだ。
「いただきます」
そう言って、箸を手に取る。まずは卵焼きから口に入れた。
「ん」
「どしたの」
こっちが咀嚼してるのを見て、彼女は露骨に視線をそらす。
「いや、ちょっと。『あーん』とか考えちゃった。なんか恥ずかしいなって」
「別に普段からしてないんだから、そんなんしなくていいだろ」
「そうだね」
何事もなかったかのように、彼女も食事を再開する。言われてみれば、とこちらも少し変に想像して恥ずかしくなる。
そのせいであまり味の方に意識を向けられなかったが、まあまあ美味しかったと思う。いつもと同じで普通だ。普通。
***
帰り道に少しだけ繁華街の方に寄ってみると、『期間限定』と書かれたポップが目に入る。
「これ、どう思う?」
「どうって?」
「食べたいかなって。ほら、甘いもの好きだろ」
そこには、デパートの地下なんかで売っていそうな、少しお高めのチョコレートが期間限定で出店していた。バレンタインにしては気が早すぎる。まだ年だって越していない。
「別にいいよ、こんな高いチョコ買わなくても」
彼女は興味なさげに答える。確かにこいつ的には、酒以外にあまりこだわりが無さそうだった。
「せっかくだし、食べてみたくないか?」
「うーん……」
「ほら、行こうぜ」
「……わかった」
渋々といった感じでついてくる彼女を連れて店の中に入ってみる。
店内には、客がちらほらといるだけで空いていた。2人でショーケースの前に立って、じっくりと見る。
「どれがいい?」
「私は別になんでも良いんだけど……」
「じゃあこれにするか」
適当に一つ選んで会計をする。
「別に、買わなくてもよかったのに……」
「まあ、たまには良いだろ」
包装された箱を受け取り、そのまま店の外に出る。
「帰ってから食べような」
「うん」
相変わらず気乗りしない様子の彼女の手を引いて帰る。一緒に外出するなんて滅多に無いのだから、滅多に無いことをしてもいいじゃないか。
家に着いて、早速包みを開ける。中には小ぶりなドームみたいな形のチョコレートが8つ並んでいた。
そのうちの一つを取り出して、口に放り込む。カカオの香りが強く鼻腔を抜けていく。少し苦いなと思いつつもなかなか美味しい。
隣を見ると、同じように一粒つまんで口に入れていた。
「おいしい」
頬張りながら淡々と感想を述べてくる。
「さっきからどうした?あんまり嬉しくなさそうだけど」
「だって私、今日。してもらってばかりで悪いなって」
そう言うと、また黙って俯いてしまった。
「別に気にしなくていいぞ。お前が喜んでくれるなら」
「んん。じゃあ……」
彼女は少し言葉に詰まって、何かに悩んでいるようだった。そして、ようやく決断したのか顔を上げてこちらを見る。
「あの。『あーん』ってやつ、したい」
「えぇ……?」
「あー」
彼女はこちらの返事より先に目を瞑り、口を開けて餌を待つ雛鳥みたいになる。
それがなんだか可笑しく思えて、少し悪戯をしてやりたくなったので、チョコレートを与えないで、その顔を写真に納めてやった。
「あっ」
と不意をつかれて、声をあげ慌てている様子がまた面白い。
「もう!」
「ごめん」
「なら自分で食べる」
彼女はそう言いながら、俺の手から箱を奪い取り、中のチョコレートを摘むと自分の口に入れる。
結局、俺の悪戯に対する仕返しに彼女が6つと半分以上を食べてしまった。
空になった箱を、少しもったいないなと思いながら見ていると、底の所に注意書きが書いてあった。
『お酒入り』
「おい、これ」
「どしたのぉ」
「……」
もう既に顔を真っ赤にしてでき上がりかけていた。こんなのでもすぐ酔ってしまうのか、と呆れ半分でため息をつく。
「ねぇー。ちゅーしてー」
「嫌だ」
「なんれー」
いつもなら、酒臭いからの一言で逃げてこれたが、今日はそれが使えず言い訳に困る。
「今日はぁ、甘くてぇ、苦くてぇ、おいしいぞぉ。ほれぇ」
そう言って、また餌を待つ雛鳥みたいになる。その唇に目が行ってしまい、少しだけドキリとする。
「なぁにぃ、照れてるのー。このろりこーん」
「うるせえ、お前がずっとその見た目なのが悪いんだろ」
少なくとも、ロリコン呼ばわりに関してはこいつが成長しないせいだとずっと前から思っている。好きになった当時はまさかこんなにも小さいままだなんて思うまい。冤罪だ。
「そんなに前からわたしのこと好きなのぉ?」
「そうだよ悪いかよ」
「ふぅ〜ん。わたしのことぉ好きだから冷たくするんでしょぉ!このつんでれ!つんでれろりこん!」
「違うっつの」
「じゃあー、なにー?」
「……何でもいいだろうが」
「うわー。やっぱりそーじゃんかー」
「あーもう何でもいいから、ツンデレでもロリコンでもどっちでもいいよ。俺はお前が好きだよ。これでいいだろ?」
半ばヤケクソ気味な告白をぶん投げると、さっきまでのやかましさが嘘のように静かになる。見ると、彼女は顔をさらに真っ赤にして、手で覆い隠していた。覆い隠しているといっても、指の隙間から余裕で見える。
「にへへ……。そっかー。すきなのかぁ。うん。まぁ。そうだよね。すきだよねぇ。へへ……」
にやけ切った表情を隠して何回も確認するように呟く。そんなことされたらこっちまで恥ずかしくなるからやめてほしい。
「ほら、満足したんだろ?一回寝て落ち着け」
「わかったぁ。ぎゅー」
こっちの話を聞いてるのか聞いてないのか、にやけ顔を俯いて隠しながら抱きついてくる。
「運べってことか?」
「んーん。このままおまえのここで寝るぅ」
そう言って胸に顔を擦りつけて甘えてくる。
「分かった、分かったから、それやめろって。唾がつくから」
「くぅ……」
返事の代わりに聞こえてきたのは、寝息だけだった。
「本当、仕方ないなこいつは……」
抱きつかれて動けないので俺も少し昼寝することにした。
彼女の呼吸を胸に感じながら目を瞑る。手を背中に添え、包み込むように抱いて眠る。まるで一つの生き物になったように感じる。幸せに形があったら、この小さな鼓動と体温を持っているような気がした。