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警備隊の者は恐怖でへたり込んでいる。少しでも体が動けば、その心臓を貫くのは容易いことだ。
僕はゆっくり一歩を踏み出した。
「やめなっ! クルト君っ!」
ナターリエさんの声は大きくなる。
「まだ、動こうってんのなら、私はクルト君に『極・麻痺』をかけなければならなくなる。そうすれば如何なクルト君でも心臓麻痺で死んでしまうよっ!」
それでも、僕は次の一歩を踏み出し、槍の穂先を突き出した。
◇◇◇
「クルト君っ!」
いきなり僕に抱き着いて来たのはデリアだった。駄目だっ! デリアッ! 今の僕に抱き着いてはっ!
「うっ、うぐっ」
見ろっ、僕にかかっている麻痺の魔法が感染してって、いや、これはっ!
「分かったようだね。クルト君」
ナターリエさんの厳しい声が響く。
「デリアちゃんの体はクルト君のそれほど頑丈じゃない。このままだと死んでしまうよ」
くっ、その通りだ。
「自分の彼女が大事なら今すぐ槍を投げ捨てな。そうすれば解呪してあげるよ」
僕は黙って自分の槍を投げ捨てた。同時にナターリエさんは解呪をかけた。
「クルト君……ありがとう……」
デリアはそれだけ言って、気を失った。
◇◇◇
「ハンス。クルトに手かせをかけろ。そして、デリアと一緒に自分の部屋に入れたままにしろ。カールとヨハンはクルトが部屋から出ないように見張れ。何かあったら、すぐにわしかハンスに知らせるんだ」
ゼップさんがテキパキと指示を出しているが、僕の頭は働かない。濃い霧のような靄がかかったままだ。
「さあ、クルト君、行くよ」
ハンスさんが僕に声をかけ、僕はゆっくり歩き出す。
「いっ、いってえよおーっ、おいっ! 何とかしろっ!」
ようやく我に返ったらしい警備隊の者の声がする。
「ちっ」
それを聞いたゼップさんは舌打ちをしてから、不機嫌そうに言う。
「カトリナ。パウラ。『治癒』をかけてやれ。ありったけな」
警備隊の者の怒号を背後に聞きながら、僕は手かせをされたまま、自分の部屋に入れられた。ハンスさんが外から施錠する。扉の前にはカール君とヨハン君がいるらしいが、僕にとってはどうでも良かった。
◇◇◇
うす暗い部屋の中で、僕は手かせをされたまま、椅子に腰かけていた。
ベッドではデリアが軽い寝息をたて眠っている。
ようやく僕の頭は思考が出来るようになってきたようだ。
全く僕は何をやっているんだ。
確かに警備隊の者のやったことは許しがたい。接収したファーレンハイト商会の財産のうち、金貨14枚をエルンストに渡す契約を交わしておきながら、祝勝会で使ってしまったなんて許されるものではない。だけど……
僕が、この僕があの場で警備隊の者を刺し殺したところで何になると言うのだ。金貨14枚が支払われる訳ではない。ただ、ギルドメンバーに迷惑をかけるだけじゃないか。
そして、よりによって一番大事なデリアまで傷つけちまった。くそっ。
僕はゆっくりと立ち上がり、眠っているデリアのところに向かった。そして、言った。
「ごめん」
デリアはまだ眠っている。
◇◇◇
翌朝早い時間、僕の部屋の古い扉は鈍い音を立てて、ゆっくりと開き、その音で僕は目を覚ました。いつの間にか眠ってしまったらしい。
肩に毛布がかかっている。ベッドの上に座っているデリアと目が合った。
笑顔を見せてくれた。僕にはもったいないような娘だ。申し訳なさが一層強まった。
「起きたか。クルト」
部屋に入って来たゼップさんから声がかかる。
「はい」
僕は短く返事をする。
「頭は冷えたか?」
「はい。申し訳ありませんでした」
ゼップさんは小さく咳払いをしてから、話を続ける。
「今回のことはクルトのああいうところを知っていながら、手を打たなかったわしにも責任がある。だが、仮にも警備隊の者を刺したとなりゃ、クルトにもかなり責任を取ってもらわにゃならねえ」
「はい……」
それはその通りだ。
「まずはゼップさんの責任だが、金貨14枚の報酬を返上することで話をつけた。警備隊の者はもっと賠償金をよこせと言いやがったが、失禁の話を秘密にしてやるからそれで手を打てと言ったら、渋々ながら頷いた」
「えっ? でも、その金貨14枚はエルンストの生活費と学費では?」
ここでゼップさんは苦笑した。
「エルンストは金貨14枚もらって、王都の学校で勉強するより、ロスハイムギルドにいたいってさ」
「カトリナちゃんがいるからでしょう?」
デリアも微笑みながら言う。え? そうなのか。
「実の姉には隠し事は出来ねえなあ。まあ、そんなとこだ。坊っちゃん育ちのあいつには冒険者生活はきついだろうが、クルトという先例もある。いや、カトリナがよく面倒見てる分、クルトの時より数段恵まれてるよ」
「……」
正直、エルンストには僕がしたような苦労はしてほしくなかったが、本人がそう望んでいるのなら、それもいいのだろう。
「さて……」
ゼップさんが声を潜める。
「クルトの責任問題だが……」