泡沫
時折、これは夢なんだなって分かることがある。
祖父母の家の前に佇む私はまさに、そんな不思議な感覚に陥っていた。
昔ながらの日本家屋であるこの家には、十数人の大人たちが集まっていた。
今日は真夏日だというのに、周りの大人たちは皆一様に墨を擦ったかのような真っ黒の服を着ている。
「そっか、三回忌か……」
きっとこれは高校生の頃の記憶。
母に手を合わせた最後の思い出。
「なつみちゃんよね? 見ない間にこんな大きくなっちゃって」
その中の一人が私に声をかける。
顔は知っている。だけど名前が出てこない。
「あ、いえ……」
長机が置かれた和室にはたくさんの大人が集まっていた。先ほどの会話を皮切りに、数人が話かけてきたが、私は形式的な挨拶だけをして部屋を後にした。
女手一つで私を育ててくれた母は、私が中学校を卒業する日に亡くなった。流行り病だったらしい。
代わって祖父母が面倒を見てくれていたが、人付き合いの苦手な私にとっては、ただただ辛い日々だった。
先ほどまで大人たちがいた仏間には、線香の匂いだけが漂っていた。
私はこの部屋で静かに手を合わせる。
これが夢なのは分かっている。
だからこそ、私が今まで感じた嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、そして何よりも、私の元からいなくなってしまった母への恨みごと……次々に浮かんでくる思いを一つ一つ紡いでいった。
「ーーつみ」
微かに聞こえた声に驚き、周囲を見渡すも、そこには誰もいなかった。
気のせいだと思い再び目を瞑ると、今度はハッキリとその言葉を聞き取ることができた。
「なつみ、久しぶりね。元気だった?」
私はその声を知っている。
「お、お母さん?」
「ふふ、こうしてお話しするのは何年振りかしらね。なつみが中学生の頃だから……あら、何年も経つのに泣き虫なところは変わってないのね」
「お母さん……わたし……」
「もう何も言わなくていいのよ。お母さん全部分かってるから。おじいちゃんおばあちゃんを困らせないように、我が儘を言わなかったこと、たくさん勉強していい学校に進学したこと、そして今の会社でとても辛い思いをしてること--。なつみ、一緒にいてあげられなくてごめんね」
「ううん、私、お母さんとまた会話ができただけでも嬉しいよ」
精一杯の笑顔を作ってみせるが、頬を伝う涙を止めることは出来なかった。
「今日ぐらい泣かなくたっていいのに。それじゃあ、行こうか」
その言葉と同時に暖かな光が私を包みこむ。
意識が遠のく中、幸せだけが私を満たしていた。
ずっとこの夢が続けばいいのに--
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「被験者105は?」
「無事に完了したようです」
「それならよかった」
「それにしても、この《安楽死システム》が確立してから数年経ちますが、どうにも慣れませんね、これ」
「仕組みはイマイチ分からんが、催眠だかなんかで痛みはないらしい。終わりを臨む人のためと思えば、俺たちみたいな人間も必要なんだろう」
「そういうものですか。そういや被験者には通常時よりも10倍の長さの走馬灯が流れるってマニュアルには書いてありますけど、この人はどんな走馬灯だったんでしょうね」
「くだらないこと考えてないで仕事しろ。けどまぁ、システムが被験者の脳波から最適な映像を流すんだとさ。間違いはないだろう」
「夢のない話ですね」
「いや、きっと素敵な夢に違いない」