第六章 襲撃
「……ああ、疲れた」
報告をなんとか済ませ、俺はいつもの草原に寝転がっていた。もう頭が全く動かない。中身を見て何の書類かを理解した上で概要を記す必要があったせいで、ただただ頭を使った。ひたすら頑張ったおかげで、まだなんとか日は暮れていないのが救いか。ちらりと見たが学園もまだ活動中のようで、校舎の明かりが点いているらしい。頑張ってるなあ、と思いつつ、自分も一応あそこの生徒なんだという事実を思い出す。二十七にもなって。
「ガキだなあ……」
誰がと訊かれたら、自分が、と答える。ワガママなのは自分でもわかっているのだ。自分にしかできないことがあって、それが自分のやりたいことからどれだけ離れていても、それをどれだけ自分がやりたくなくても、多くの人からそれを望まれるのなら、やるのがみんなのためだ。それを自分が嫌だからという理由で拒み続けているやつが大人なはずがない。
「俺あもう二十七だぞ、おい」
年齢だけ見れば子どもとは口が裂けても言えない。おっさんもおっさん。けれども大人とは言い難い。
俺は、一体何なんだよ。
「――見つけましたわ!」
聞き覚えのある声に我に返る。しかし起き上がるのが遅れた結果、俺はそれまで当たり前に肌をなでていた草が体中を縛り上げるのを許してしまう。
「……お前さあ。どうしてこうも俺の居場所がわかるんだよ」
現れたのは、やはりミレイだった。得意げに光る大きな瞳とは裏腹に、歩み寄る足取りはどこかおぼつかない。いい加減疲れました、と言わんばかりの雰囲気だ。もしかして一日中俺を探し歩いていたのか。なんたる執念。そんなものがあるのなら勉強に使いなさいよ、全く。
「単純、ですわ。ずっと姿を隠していられるわけが、ありませんもの。であれば必ず、どこかで姿を現しているはず。あとは単に、それを知るだけですわ」
それで、こいつはずっと聞き込みをして回っていたわけか。授業もそっちのけで。……こいつの場合、授業は苦痛らしいからまあ、むしろ口実ができてよかったのかもしれないが。
「大した執念だな、そいつは。一体なんでそこまで」
「『無駄遣い』なのですよね」
ミレイは俺の言葉を遮って、一言悔いるように呟いた。
「少し、頭を冷やして考えたのです。あのとき、私は確かにあなたの逆鱗に触れました。けれどもその理由がどうしても思いつかなかったのです。思いつかないのなら聞くしかない。あなたがあそこまで真剣に怒ったその理由を、知る必要があるとワタクシは思いましたの」
そうかい、それでここまで。ならまあ、せっかくだ。教えてやるのもやぶさかではない。
どうせ、誰も興味のない話だ。栄光の「最強の潜伏魔法使い」の過去なんぞ。
「俺さ、国に売られた子どもだったんだよな」
「……売られた?」
目を丸くするお嬢様。なるほど、借金のカタに売り飛ばされる子どもをご存知ない。そりゃあまた、幸せなことで。
「親が貧乏でさ。税金を納められなかったんだよな。そんな中俺にものすごく希少な魔法の特性が見つかった。だから税金の質として俺が引き渡された。親とはそれでサヨナラだ。結局税金は収めきれなかったらしい」
「それは、本当に、気の毒な話ですわね」
気まずそうに彼女は顔を伏せる。なんだかんだ言って、こいつはどうも人がいいらしい。
「それはまあ、別にいい。どうせ大して覚えてもいない。問題はそうやって売り飛ばされた俺の行く末さ。魔法の才を目当てに買われた俺には、魔法の上達が求められた。頑張れば褒めてもらえるからな、俺は一生懸命練習した。誰も身につけたこともないノウハウゼロの魔法を、一から理論構築してさあ。俺ができることって言えば結局『ものを隠す』だけだったが、それでも必死こいて頑張ったさ。それでスパイの仕事を与えられるようになって、それで初めて現実を知った。
スパイっていうのはな、ヒトゴロシのお手伝いだ」
明確に傷ついた様子で、彼女は俺の顔を覗き込む。どうして彼女がそこまで傷ついているのか俺には知る由もないが、目指しているものをそう悪し様に言われれば、気分も悪くなるだろう。俺は構わず続けた。
「いろんなことをしたよ。人を殺した。人殺しを運んだ。人をさらってきた。人を脅した。物を盗んだ。物を壊した。火をつけた。求められるから、そうした。けれども俺は、そんなことをしたかったわけじゃあなかったんだ。
俺は、ただのんびりと暮らせればそれでよかった。幸せな人たちを見ていられたらそれでよかった。命を育てて、命を頂いて、そんな当たり前の生活を当たり前に過ごせたらそれでよかった。なのに俺は国の所有物だからって兵器同然に扱われてな。学園の卒業直前にプッツンした。俺の行く末をお前らが決めんなーってさ。そのときはすげえ大騒ぎだったよ」
くす、と彼女が笑った。何か、おかしなことでも言っただろうか。これは俺に珍しく、至って真面目な話なのに。
「それから学園長とひたすら言い合ったね。俺を手元に置いておきたい国としては、卒業させてスパイとして働かせたい。けれども俺はこの学園を卒業する気がない。退学したら、俺は自由の身だ。それは国としても困る。だったらせめて国の言いなりにするのは諦めて、教員として働かないかときて、俺はそれを今尚拒んでいる。結果として俺は幻の三年生として机と椅子だけ用意された幽霊になったわけだ」
「……なんとなく、理解しましたわ。あなたが『無駄遣い』という言葉を嫌う意味が」
「その言葉が嫌いなわけじゃないさ。ただ、勝手に無駄遣いなんて決めつけられることが我慢ならない。それは俺が決めることだろ。自分の力を何のために、どう使うかなんて俺が決めることだろ。俺のことをよく知りもしない人間が、勝手に決めんなって思うのさ。何が『無駄遣い』かは俺が決める。それくらいは、俺にだって決める権利がある」
それまで神妙に聞いていたミレイは、そっと俺の隣に腰掛ける。
「そう、ですわね。ワタクシ、失礼なことを言いましたわ。ワタクシにも、確かにそういう思いがございます」
……そうかい。だったらこの拘束をさっさと解いてくれないか? あんた今、草の塊と一緒にしんみりと空を見上げてるぜ。
「それで、どういう理由で女子の着替えを覗いてましたの?」
雰囲気が変わった。急に彼女の声が険しくなる。あー、せっかくいい話で流そうとしてたのに。
「俺は好きな物だけ眺めて生きてたい。その中にお前の下着姿が入っていただけだよ」
「はい、誅殺ですわね」
切り替えが早すぎる! 痛い痛い、こいつら草のくせに力強いな!
「――オン」
仕方がないので魔法で抜け出す。すると彼女はぽかんとして、それから起こったことを理解したのかむっとした表情に変わる。
「……やっぱりおかしいですわ。物理的に逃げ場がなかったですのに。それ、ただの潜伏魔法じゃありませんわね?」
「――バイ。それ、言葉がおかしいぞ。潜伏魔法っていうのは単に姿を隠すのに使う魔法の総称だ。ただの潜伏魔法、なんてものはこの世に存在しねえよ」
言葉遊びで話を流す。正直、俺の魔法の正体を知ったところでいいことなんてありはしない。国からはマークされるし、グラエナ帝国からは狙われかねないし。
「それより、早く戻ったほうがいいんじゃないか。またオリエがお前のこと必死に探してるんじゃ」
振り返って気が付く。校舎から、煙が上がっている。しかもこれは訓練か何かではない。オリエの催眠香なんかとも全然違う。純粋に、校舎が燃えている。
この学園は魔法使いの巣窟だ。全員が魔法を使える中、ボヤを消化できずにここまでなることは普通考えられない。となれば当然、普通じゃない状況下。おそらくは、誰も消火に当たれない状態にある。結論、この学園が何者かに襲われている。
「な、何がありましたの、あれは」
ミレイが愕然と立ち尽くす。けれども、俺はそれに付き合うわけにはいかない。学園長がいない今、学園を守る力があるのは俺だけだ。俺が、行かないと。
「ミレイ、学園に向かえ! 怪我人がいればお前の力が必要だ!」
「で、でもあなたは」
それを聞いている余裕はない。そしてその答えはすぐにわかることだ。
「――オン」
俺は、先に行ってるよ。