第二章 無駄遣い
というわけで、仕切り直して進路相談室。ざわざわと色めき立つ廊下をお得意の催眠香で沈静化しつつ、オリエは誰の意識に留まることもなく俺たちをここまで連れてきた。なんだかんだでこいつはプロだ。本当、感情的にさえならなければ完璧なのにな。
横目でミレイを見ると、なおも興奮が収まらないという様子で俺を見上げている。今にもまた叫び出してしまいそうだ。おい、オリエ。お前の香が必要なやつがここにも一人いるぞ。しこたま恵んで差し上げろ。
「その、あの、本当に? あなたが、あの『最強の潜伏魔法使い』ですの?」
あの、という言葉で何を期待してたんだ。言っとくが俺はもうだいぶおっさんだぞ。国の都合でこんなところに二十七まで閉じ込められてりゃあ、覇気もなくなるってもんだろう。
ミレイは頭が理解を拒んでいるかのように首を振る。
「いえ、おかしいですわ。おかしいですわよね? 暗闇に溶ける男、見えない男、そこにいない男、ただそれだけを盗み出す男。彼の腕前はよく存じております。あのグラエナ帝国の難攻不落の要塞から暗号文を盗み出した手腕には全く惚れ惚れいたしましたもの。あれで我がフィリテ王国は侵略作戦を事前に察知することができ、ほとんど被害なく帝国を追い返すことに成功しましたわ。そんな――そんなこの国の英雄が、国を守る最後の砦が、この、破廉恥男だっていうんですの!?」
あーはいはいそうですよ、残念ながらね。オリエもため息混じりに答える。
「……実はそうなんですよ、ミレイお嬢様。この少女の胸と尻と下着を見ることに日々を費やす男こそ、我がフィリテ王国の秘密兵器なのですよ」
できれば秘密にしておきたかった、というニュアンスを感じる。いやまあ国の最終兵器の実態がこれというのは国の威信的によろしくはなかろうな。でも俺だって別に好きで協力してるわけじゃないっての。
というか俺は別にそのボリュームたっぷりなところばかり見てるわけじゃない。ウエスト周りのくびれとかふくらはぎのフォルムとか、きっちり細まっているところにがあるから膨らみが際立つんだぞ。お前にはそのあたり何度も説明してるだろ。面倒くさそうにあしらいやがって。
ミレイはますます理解できない、とばかりにまくし立てる。
「て、撤回を求めます! だ、だって道理が通らないではありませんの! どうしてその秘密兵器がこんなところでだらだらと学園生活を送っているのです! しかもこの男、もう学生という歳ではありませんね? なのにどうして本校の制服を着ているのです!」
俺だって好きで学生の仮装してるわけじゃないわい。もう二十七にもなってそこらを走り回る同じ服を着ただけの若者に混じれって言うんだぜ、この国の上のやつらは。頭がおかしいと思わないか?
「それには複雑な事情がありまして……。ここでは流石に申し上げるわけには」
オリエも呆れ顔で言葉を濁す。誰も自分の望み通りの答えを返してくれないと悟るとお嬢様は鼻息荒く不服を主張する。
「本当に、このヘラヘラした男がかの傑物だと言い張るのですのね? 全てのスパイの上に立つほどの潜伏魔法の使い手だと? ……だとしたら、それは国辱ですわ。恐ろしいほどの力がありながら、それを役に立てようとしない。潜伏魔法の無駄遣いです」
「あ、ああ、お嬢様、それは」
禁句だよ、それは。
「――無駄遣い。そう言ったか」
「ええ、言いましたわ。それが何か」
全く、もう。体が美しけりゃあ何を言っても許されると? こういうのは若さゆえだなあ。あと少し年を取ったやつなら、言った者の末路を知っていそうなもんだが。
俺は何も言わずにかつかつと彼女に歩み寄る。どうもそれで自分が何かまずいことを言ったことに気がついたらしい。怯えつつ後ずさる。
「……何ですの。本当のことではありませんか」
だからさ、それは誰にとって「本当のこと」なんだ?
「お前さ。じゃあどんな使い方が『無駄』じゃないんだ? 生臭くて墓標の立ち並ぶ戦争のお役に立つことが魔法使いの本懐だって、お前はそう言いたいわけか?」
「え、あの、それはちが」
「違わないさ」
うろたえる声を一蹴する。いい加減幼児を自称できる年齢でもない。多少は現実を見てもらおう。
「スパイのお仕事にどんな幻想を見ているのかは知らんがな、やってるのは殺し屋と盗賊と詐欺師のハイブリットさ。積極的にやりたいと思うかね? 最適な能力を持っているからって、生涯それだけに尽くせって言われてお前はどう思う? 自分のやりたいことに泥だらけの足跡付けられながらなんとか折り合いつけて生きてんだよ、こちとら。それを責めるような権利が世間知らずのお嬢様にあると思うのかい?」
まくし立てたその中の何かが、彼女の中に引っかかったらしい。ミレイはハッとして黙り込む。ああ、くそ最悪だ。こういうのは俺の柄じゃあない。せめてそう、仮面くらいはかぶり直そう。
「というわけでな。ありがたいお説教のお駄賃を頂こう。――オン」
きっと彼女は驚いただろう。瞬きの前までは目の前にいた男がその後には背後にいて、スカートをめくりあげているのだから。
「おお、こっちはこっちでなかなかのもんだな。さっきは見る余裕がなかったが、上とセットで統一感がある。そしてこのボリュームよ。桃尻とか言うがこの大きさで形もいいのは反則だろ」
本当、こんな気分でなければ思う存分愛でてやりたい完成度なのだが。まったくもって残念極まる。
「あ、あなたという人は!」
振り向く瞬間を捉えてまた転移。ついでにオリエのスカートもまくりあげていく。
「それじゃごきげんよう。そうそう、オリエ。お前もう少し歳考えたパンツ履いたほうがいいぞ。二十七でピンクはさあ」
「私は関係ないじゃないの! っていうか歳って言ったわね! あんただって同い年のくせに! いっぺん死ね! 今すぐ死ね! 臨死体験フルコースを喰らいなさい!」
催眠香を取り出したのでとっとと退散。いやー、勘弁願いたいね。いくら俺でもあいつの魔法は食らうとやばい。最悪廃人になっちまう。それなりに人間の道を踏み外した俺でも、一応まだ人間でいたい。
屋上に移ってからそのあとの光景を覗くと……こりゃあ地獄絵図だな。錯乱して魔法をぶっぱなしたせいで自分もお嬢様も一緒になって喰らってら。絶叫がけたたましく響き渡る。
「なんで自分でかかってんだよ、あいつ……」
ともかく、自分がそこにいない分には見ていて飽きない。しばらくは観戦させていただくとしよう。のたうち回る彼女たちの肢体もなんというか、割とそそるものがあるからな。