第一章 「最強の潜伏魔法使い」の日常
魔法の使い道はいろいろある。どんな魔法だって、使い方次第で多くのことに応用できる。潜伏魔法と呼ばれるものは、実際はいろいろな魔法を応用して身を隠すことに利用しているだけだ。けれどもスパイにとってその種を知られることは致命傷。だからこの学園では、全員を一人の「潜伏魔法使い」として養成する。秘密裏に養成する都合、この学園は固有名詞を与えられることなく単に「学園」とだけ呼ばれる。相手に暗号とも知られることのない秘密の符牒であり、つまりはここの存在はそれ自体が国家機密である。
それだけでなく、この学園の内部にも数多くの機密事項があるが、中でも最も凶悪なのは「最強の潜伏魔法使い」だ。与えられた任務はほぼ全て成功させ、与えられた二つ名は数えきれず。しかし実態はようとしてしれない。不本意にも何も知らない無垢な国民からスパイの鑑などと取り沙汰されるその「最強の潜伏魔法使い」ことこの俺は今、その潜伏魔法の粋を遺憾なく発揮し、堂々とこの不落要塞――
「……いやあ、今日も大漁ですなあ」
女子更衣室を覗いていた。
いやあ、本当に素晴らしい。十代も後半ともなるといろんなところが果実のように瑞々しく、しかししっかりと育っていて非常に心が躍る。覗くんなら風呂場でも行けばいいのに、と幼馴染から呆れられたが、やつはまるでわかってない。いや、女に男心がわかるものかよ。この果実が下着に包まれているシルエットこそ美しいというのは男なら多分わかってくれると思う。肌色と装飾のバランスが重要なのだ。なんというか、全部脱いだ女性というのはいや、確かに興奮はするんだけど、どこか動物的過ぎていけない。やはりある程度の飾りっけがあってこそ女性は女性として美しいのであって――
「お、おおお」
そんなことを考えている場合ではなかった。大本命の到着だ。ミレイ・フェリス・リーゼルフェルト。一年生にして全校生徒一のバストとスタイルを誇る。名家のお嬢様だというからなるほど、大切に育てられたのだろう。緩やかに巻かれた縦ロールから覗く気の強そうな大きな眼、長く艶やかな睫毛、ピンと通った鼻、形の整った唇。その印象に負けないくらいに少し下で谷間が主張している。そこから見事な流線を描いて、大きめなヒップ、その先のしなやかな脚に目が流れる。女性ですら見とれるほどの美貌。身のこなし一つ一つが戯曲のように美しい。身長が高めなのも相まって、凄まじい存在感だ。
そう、存在感。実は彼女はこの学園において、どうしようもないほどの落ちこぼれとして有名である。
「でもま、それはそれとして」
いやあ、本当にすげえ。芸術だよ、芸術。ガリガリというわけでもなく、ぷにぷにというわけでもなく、必要なところに必要な分だけ脂肪を蓄えた肢体。正直バストに関してはやりすぎ感もあるが俺としてはむしろどストライクなくらいにして。それがお嬢様特有の豪奢な下着に包まれているというのがもう。しかも今日の下着は一味違う。フロントホック!? そのバストで!? 大丈夫なのか? 振り返った拍子にぱぁんとか弾けたりしないか? ポロリがあったりしないのか? いやあもう不安でたまらない。
あまりに不安で身を乗り出してしまったのが良くなかった。おかげで女子更衣室に二十代後半のおっさんの顔が現出してしまったわけで。
「「……」」
場の空気が凍る凍る。仕方がないので和ませてみようと一言。
「あー、ははは。あの、皆さん、ごきげんよう?」
目の前でミレイがわなわなと肩を震わせる。それと同時に胸の果実もぷるんぷるん。あ、これは絶景。瞼の裏に焼き付けとかないと。
「あ、あな、あああああなた」
その大きな瞳から、殺意が見えた。こりゃあまずい、退散退散、と。
「そいじゃあまた。バイ」
俺はその場から姿を消す。「最強の潜伏魔法使い」とやらであれば、この程度はまあお手の物。それで大騒ぎまでは、俺の想定内ではあった。今日はちょっとやっちまったなあ、と思う程度。反省反省、と思いながら俺はふらふらと校庭を歩き出して、その直後に地鳴りがして思わず振り返る。ミレイがどういうやつだったかをそれでようやく思い出す。
いやあ、まさか女子更衣室がまるごと吹き飛ぶなんて思わないよな、普通。
「いい加減にしなさい、あなたたち!」
憤怒の形相で俺たちを睨みつける女性教員。利発そうな顔が台無しだ。メガネの形がつり目気味なものだから、怒っているのを強調している。さらにはきっちりと長さを揃えて切られた黒髪が一層視線の鋭さを際立たせる始末。本当、年齢相応に綺麗でスタイルも整っているのだから、いつも怒ってばかりいるのさえ直せば人気も出るだろうに。というか、
「オリエ、なんで俺まで怒られなきゃならんわけだ。女子更衣室を吹っ飛ばしたのはそこのお嬢様だろう」
反駁すると、俺の幼馴染――オリエンヌ・ヤルタは油を注がれたとばかりに燃え上がる。
「あぁんたが覗きなんかしなけりゃこんなことにならなかったんでしょうが! シャッガイ、これで何度目よ! もう両手の数じゃ足りないわよ!」
そりゃあそうだろうよ。誰も知らないだけでもう五桁超えてるからな。見つからないということに関して俺の右に出るものはいないぞ。
「そこ、得意げな顔をしない!」
「そうですわ! 神聖なる女性の着替えを覗くなど、不潔です! しこたま反省すべきですわ! しかるべき処置を!」
隣で喚き散らすのはミレイである。せっかく整った顔を真っ赤にして駄々を捏ねる子どものように言い募っている。しかしオリエはそれを一言で切って捨てた。
「やったのはあなたでしょうが! いくらなんでも過剰防衛すぎです! 今日の屋外訓練が全部中止になったんですよ? 少しは令嬢たる自覚を持ってください!」
実のところ、こいつはこいつで常習犯だ。恐るべき怪力で更衣室の壁を粉砕、生命魔法で伸ばした植物で天井を抜いた。スパイとしては落ちこぼれ、というのはそのあたり。やることなすこと全てが派手すぎて、方々に迷惑をかけている。そしてそのことに、あろうことか自覚がない。
「令嬢である前にワタクシは女ですの! 女が男に着替えを覗かれて、黙って見過ごすと思いまして!?」
……普通の女子なら叫んで終わりじゃあないのかなあ。少なくともノータイムで蹴りは繰り出さんだろ。しかも下着で。
オリエはもうそのあたりを諦めたのか、額を押さえてため息をつく。
「ですから、ミレイお嬢様はこの学園に不適格だと再三申し上げているのです……。脊髄反射で施設を半壊させるスパイなどありえないでしょう」
「けれどもワタクシはもうスパイを目指すと決めましたわ。であればあなたたち教師の役割はその手助けをすることではなくて?」
いやもうすげえな、この子。言ってることが矛盾してるのに気づいてない。砂漠に行って釣りを教えろというような無茶の言い方だ。これもまあ、お嬢様ゆえなのかねえ。
というかやっぱり俺いらないじゃないか。俺はそっと撤退を試みる。
「あ、ダメよ。まだあんたにも言いたいことたくさんあるの」
「ええ? 俺は忙しい身だからなあ。また今度じゃあダメかね」
ニヤついているのがあちらにもわかったらしい。ムッとした表情で睨みつけてくる。
「何が忙しいよ! 覗きと日向ぼっこが趣味の癖に! 大体あんたに消えられると誰にも見つけられないんだから、今度も何もないじゃないの」
これだからいじりがいがある。生真面目な性格というのはなんとも損な性質だ。まあ、公務員なんぞある程度真面目でもなけりゃ務まらんか。
「そりゃあ見つけられないお前らが悪いさ。お前ら全員いっぱしのスパイなんだろ? それが束になってかかって見つけられないってのは」
ちょっと、いじめすぎたかもしれない。オリエがふてくされるそのタイミングを少しだけ測りそこねた。だから、彼女が口を滑らせるのを止められず。
「あんたねえ、仮にも『最強の潜伏魔法使い』相手に普通のスパイがかなうわけないでしょ」
その単語に驚く程敏感に反応するミレイに反応が遅れ。
「オリエ。今なんと言いました? え? ええと、今、なんと?」
「おい、オリエお前バカ」
「この不埒者が、こ、この、この男が? 『最強の潜伏魔法使い』ですってえええええ!?」
こいつ、声すら大きいのな。全校に国の最重要機密を響かせるスパイがどこにいるんだ、バカモンが。