第3話 見つけたもの
図書室に入ると本独特の匂いが光の鼻腔をくすぐった。
図書室に所狭しと並べられた本。一般な高校の図書室よりも数倍の量があるが、これでもまだ一部でしか無い。
此処は国立図書館よりも本の蔵書量が多いから一般の高校の数倍所では無いのだ。東京都の全ての高校の図書室の本を集めても足りないだろう。
光は適当に空いている席に座り、鞄から本を取り出して読み始める。静かな環境下でする読書はやはり落ち着く。
読んでいる本は昨日も読んでいた『罪と罰』。
何度も読み返している光のお気に入りの本だ。正当化された殺人や有神論と無神論の対立をテーマとした小説。この本の魅力は、物語の舞台であるペテルブルクに関して細かい所まで描写されていて、主人公の心情表現も細かく描写され、リアリティを感じる所だ。まるで、自分が主人公になった気分を味わえる。いやぁ、世界に名高いフョードル・ドストエフスキーの偉大さが分かる物語だ。
図書室にいる生徒の人数が30人となって暫くすると、鴨の羽色の髪を腰程度まで伸ばし、紅色の瞳と豊満な胸が大人のような色気を際立たせている女性が入ってきた。
「初めましての生徒もいるわねぇ~。
こんにちは、1年C組担任で図書委員会を担当する神楽坂琴葉です。皆、よろしくねぇ。
さぁ、それじゃあ、自己紹介からしよっかぁ。最初は3年生からね~。」
神楽坂先生は随分と口調が崩れていて、教師と言うよりも生徒と話しているような感覚を覚える。狭間先生とは正反対だ。
3年生から順番に自己紹介していき、2年生と続いて1年生の番。30人全員が自己紹介して最後に神楽坂先生がまた自己紹介を始めた。
「じゃあ、最後は私ね~。
名前はさっき言ったように神楽坂琴葉です。趣味は体を動かすことでしょ~、生徒の皆と買い物したりぃ、甘い物食べたりすることかな。
あっ、授業は1年生の化学基礎と2年生の物理を担当するからね。
皆と仲良くしたいから特に用が無くてもどんどん話しかけてくれたら嬉しいなぁ。1年間、よろしくね。
それじゃあ、各学年に別れて学年の委員長、副委員長を決めよっか。3年生の委員長、副委員長が全体の委員長、副委員長になるからね。」
その言葉を合図に各学年で其れ其れ集まり、委員長、副委員長を決める。
結局、1年生の委員長は天野が、副委員長はB組の生徒が務めることになった。
全学年の委員長、副委員長が決まり、元いた席に座る。
「次に仕事の説明だね。
図書委員の仕事は此処の図書室と書庫の本を管理する事。2人くらいの生徒が其所の受付で本の貸出や返却を行う。で、貸出する本が図書室に無かったら書庫にいる生徒に持ってきてもらって、返却された本の蔵書場所が書庫場合は書庫にいる生徒に取りに来てもらう。
人数は図書室の受付が2人、図書室の本の管理が2人、書庫の管理が6人の計10人。丁度1学年分の人数だね。
図書室は1週間の内、月曜日から土曜日の6日開放しているから1学年週2回担当することになるの。
誰が何を担当するか、どの学年が何時担当するか今決めてね。」
まずは学年内で何を担当するかを決めることになった。委員長の天野が主体となって各生徒の希望を訊いていく。
話し合いの結果、光は書庫の管理担当となった。
次にどの学年が何時担当するかだ。
光は何時でも良いと思っているようで話し合いに参加する気は無い。既に『罪と罰』を読み始めている。
光が読書していても話し合いは滞りなく進み、1年生は火曜日と土曜日の担当となった。
「じゃあ、書庫の方に行ってみよっか。」
神楽坂先生が図書室の重厚な扉を開けた。恐らく、この先に蔵書量2000万冊を超える書庫があるのだろう。今から其所にいけると考えると興奮が止まらない光は、アホ毛がぴょこんぴょこんと揺れている。
重厚な扉の奥は下へと続く階段があって螺旋状になっていた。
神楽坂先生が階段の電気を付けて下に降りていく。其れに続いて生徒が恐る恐るといった感じで足を進める。
階段を降りきった先には広い空間があるが、暗くて周りの様子を確認することは出来ない。
だが、光は鼻腔に本独特の匂いがくすぐるのが判った。
神楽坂先生が電気のスイッチを押すと、明るくなって周りの様子を窺えるようになる。
そして、一部の上級生以外の生徒は呆然となる。それは書庫の広さ故か、本の蔵書量故か。恐らくは両方だろう。
見渡す限り本、本、本。遙か遠くまで続いていて高い天井まで届きそうな本棚が所狭しと並べられている。ジャンルも豊富で恋愛、ミステリー、ホラー、ヒューマンドラマ、将又ライトノベルまであった。まさに本好きの聖地。本好きにはたまらない。
一部の上級生は去年か一昨年に図書委員に所属していて、この光景を知っていたから呆然としなかったようだ。
光はと言うと、目をキラッキラに輝かせて辺りをずっと見渡している。ずっと此処に住みたいと光は本気で思ったそうだ。彼のアホ毛はブンブンと犬の尻尾のようになっていた。なんか光が可愛い小動物みたいで庇護欲をそそられる。
すると、光が何かを見つけた。
「神楽坂先生、彼処の休憩室って何ですか?」
「あぁ、あれね。
彼処は書庫の管理を担当する生徒が使う場所よ。中にはテーブルと椅子があって暇なときは基本彼処にいて此処の本を読んだりお菓子を食べたりして時間を潰すのよ。」
神楽坂先生は生徒を休憩室に案内する。中にはテーブルと椅子が綺麗に並べられていて、キッチンもあった。
「此処のキッチンで料理は出来ないけど、コーヒーや紅茶を淹れる事は出来るの。お菓子は持参だけどコーヒーや紅茶の種類は豊富よ。」
確かにキッチンの端っこにはコーヒーや紅茶の豆、茶葉、インスタントが所狭しと並べられている。コーヒーも紅茶も最低10種類はあった。
「これで図書委員会の顔合わせは終了です。
明日から図書室が開放されるから、木曜日担当の2年生は忘れずにね。
じゃあ、もう解散してもらって構わないよ。最後の人は書庫と図書室の鍵をちゃんと掛けてね。
あっ、もうこんな時間!?急がないと。ばいば~い。」
神楽坂先生は早足で書庫を出て行った。
忙しない先生だなぁと光は思う。
光は鍵を掛けるのが面倒だから最後にならないように早足で図書室を出て、寮に戻ることにした。
翌日、8:45。
始業のチャイムが教室に鳴り響いて、狭間先生が教室に入ってきた。
「皆さん、おはようございます。
それではHRを始めます。
今日は身体測定をするので其れ其れ更衣室で体育着に着替えて下さい。」
更衣室で体育着に着替えて保健室に行くと、カプセルのような大きな機械があった。
今現在の身体測定は身長や体重を一々測る必要は無い。このカプセルのような機械に入って暫くじっとしていれば、機械が自動で体をスキャンして身長や体重、体脂肪率、将又血糖値や尿酸値のような健康診断しか判らない項目まで測定してくれる。
ただし、視力と聴力だけは別で測らないといけないが。
出席番号順に測定していき、光の番となる。カプセルに入って寝っ転がるとスキャンが始まった。暫くの間、光の体に青白い線が往復して、電子音が鳴ってスキャン終了を告げる。
カプセルから出ると、機械から1枚の紙が出てきた。身体測定の結果だ。
それを教師から受け取ると、光は膝を付いて項垂れた。
身長の欄には149.8cmとある。これは去年の身体測定から0.2cmしか伸びていないのだ。男子高校生で150cmを超えていないのは確かに小さい。
この光景が来年も再来年も訪れるのだが、それを記すのはまた別の機会としよう。
後は視力と聴力を測定するだけだ。視力測定は1年B組の教室、聴力測定は1年A組の教室で行うらしい。其れ其れの教室で測定して教室に戻る。
光と勉は視力聴力共にA、錬は視力がAで聴力がBだった。
これで身体測定は終了である。
この後は制服に着替えて授業が始まる。確か、数学と古典、技術か家庭科か書道か美術の選択教科の3教科で、午後の授業は無かったはずだ。
数学の教師は狭間先生で古典と技術の教師は2年生の担任だった。
授業といっても、授業の進め方や説明が多く内容については殆ど触れていない。
終業のチャイムが鳴ってそのまま放課後となった。
光は食堂で昼食を取り、学校の敷地内を見て回ることにした。入学してからそれなりに学校を見て回ったが、まだまだ行っていない場所の方が多い。それだけ此処が広いのだ。確か国内で2番目に広い高校だったはずだ。
因みに国内最大の広さを持つ高校は牧場を併設している牧畜科の北海道の公立高校らしい。
そして、光は国内2位であるこの高校を恨めしく思った。
光は今、絶賛迷子中。スマホの画面には学校の敷地内の地図が表示されていて所々赤丸があるのだが、方向音痴は地図が読めない。光も地理を苦手としている。更に好奇心旺盛。迷いに迷いまくるのだ。
光は何時の間にか海岸に来ており、遠くの方に空港らしき建物が見えた。
潮風がとても心地良い。光は迷子であるにも関わらず呑気にそんなことを考えている。
相当時間が経っていたらしく、海面に西に傾いた夕陽が反射して幻想的な光景を作り出していた。光は思わずスマホでこの光景を写真で撮る。
そろそろ、寮に戻る道を探そうと考えたとき、後ろから声が掛かった。
「おや……?こんな所に先客がいるとは思わなかったな。」
辺りに重く響く声は何処かで聞いたことのある声だった。
後ろを振り返ると、180cm程の背丈に目付きが鋭く、ディープロイヤルブルーの瞳が絶対零度のごとく冷たくて、短く切り揃えられたスモークブルーの髪が近寄りがたい雰囲気を醸し出している男子生徒が立っていた。
「確か、生徒会長の氷川先輩、でしたね。」
「此処は良い場所だろう?
潮風が心地良くて、よく来るんだ。」
「確かに此処は綺麗で心が落ち着きます。学校にこのような場所があるとは思いませんでした。」
氷川先輩と光の間に沈黙が訪れる。
しかし、其所に気まずさは無くて、心地良い潮風が揺らす木々のざわめきすらも心地良く感じた。
「君が入学翌日にアレを見つけた生徒だろう?」
先に沈黙を破ったのは氷川先輩だった。
「さぁ、何のことを言っているのか判りませんね。」
光はそう答えたが、氷川先輩が言っていることは正しい。入学翌日、森の中を捜索した。光は錬や勉、クラスの前では森には何も無かったと言ったが、それは嘘だ。
本当は見つけていた。
しかし、見つけた物が物だけに心の中に留めておいたのだ。
「そうか……影谷光。生徒会に入らないか?」
「申し訳ありませんがお断りさせて頂きます。」
光は氷川先輩の誘いを即答で断った。氷川先輩がアレを見つけた生徒が光であると判っていた時点で、誘いが来るかもしれないと光は予測していたのだ。
「それは何故だ?」
「理由を訊きたいのは此方ですね。
もし自分が氷川先輩の言うアレを見つけた生徒だとしてもそれだけです。自分の実力は氷川先輩の目に留まるようなものでは無いと思いますが?」
「フフフッ……私の目に留まるような実力では無いとどの口が言っているんだ?
君の入試の筆記試験の結果は知っている。」
「だったら尚更でしょう。自分は良くても上位30%に入るかどうかの……」
「君の答案も見させてもらったよ。」
光の言葉を遮った氷川先輩。
対して光は氷川先輩の言葉を聞いて眉をひそめ、氷川先輩を睨み付ける。
「確かに君の結果は平均よりも高いくらいだ。14教科合計は1067点、平均は76点だった。結果だけ見れば私の目に留まることは無かっただろう。
だが、過程は違う。何故か3教科だけ名前が無い答案があった。そして、君の名前が書かれた答案は11枚しか無かったんだよ。
試しに君の11教科の合計と名前の無い3教科の合計を足して平均を出してみたら98点だった。
これは今年の学年主席緋山聖司の14教科の平均91点を大きく上回る結果だ。
それ以前に歴代最高得点だろう。国際教育学園の入試は三流大学よりも難易度が高い問題が最終問題に作られている。その問題を君は正答率9割という驚異的数値を叩き出した。
そんな君を私がみすみす逃すと思ったか?」
光は苦虫を噛み潰したような顔をする。まさか生徒会長が個人の答案を閲覧できるとは思ってもいなかったからだ。
光は黙ったままで何も言わない。
「まぁ、返事は明日の昼休みに生徒会室で聞こう。生徒会は君を歓迎しようじゃないか。
良い返事を期待している。」
氷川先輩はそれだけ言うとどっかに消えた。恐らく寮に戻るのだろう。
光は氷川先輩に寮の方向を訊こうとしたのだが、タイミングを逃してしまった。まぁ、氷川先輩が行った方向に行けばそのうち寮に着くだろう。
日は既に沈みきっていて水平線を朱く染めているだけで、辺りは暗くなっていた。
何とかして寮に戻ってきた光は自分の部屋に戻るなり、ブレザーを着たままベットに倒れ込んだ。氷川先輩と話したことでどっと疲れが溜まったようだ。
そして、光は後悔するかのようにあの日の朝の出来事を思い出していた。
………
……
…
うっそうと茂る草木をかき分けながら森の中を進む。
さっき見つけた獣道は何時の間にか消えていて、どの方向から来たのか判らない。こういう時は進むに限る。
どんどんと深くなっていく森を進み続けること数10分、俺は故意に光波を屈折させている場所を感知した。
俺の能力は光を操作する力で、周囲の光波を感知することも出来るのだ。
光波が屈指しているエリアは光のいる場所から北西に100m進んだ所で半径50m程円状になっていた。
俺は其所に近づき、光波の屈折を直すと目の前の生い茂っていた木々の輪郭がぼやけて幻のように消える。其所には、今まで無かった小さな小屋が見えた。
俺は自分に光学迷彩を施してその小屋に慎重に近づく。
こんな能力を用いてまで此処の場所を隠していたんだ。見つかったらどうなるか判らない。
小屋を1周して窓から中を見て、人がいないことを確認した。
その後、小屋の扉を開けて中に入る。
小屋の中は綺麗に掃除されていて一切の埃も無く、カーペット以外何も置いてなかった。カーペットだけ置いてある事がとても不自然だ。
俺がカーペットをずらすと、地下へと続く階段があった。
電気を点けると見つかる可能性があるから、俺は周囲の『光』を収束させて目に入ってくる光量を増やすことで暗い場所でも自由に動けるようにして、階段を降りていく。
階段を下まで降りると、一本道になっていて突き当たりに扉が1つあった。
そして、扉にはこう書いてあった。
『3S管理室』
と。
扉には窓があり、中の様子が少しだけ見えた。
幾つものディスプレイが並べられていて、何人かの男がそのディスプレイを眺めながら作業している。
よく見るとそのディスプレイには、この学校の教室や廊下が撮されていた。
俺はそれを確認して直ぐにその場を立ち去った。勿論、俺が来た痕跡は消しながら。
さっき見た物は誰にも言わないようにしよう。常に監視されていると知ったら混乱してしまうかもしれない。
それに扉に書いてあった『3S』とは何なのかが判らない。判らないのに無闇矢鱈に広めない方が良いだろう。
偽造されているエリアを抜けて時間を確認すると、始業の時刻まで後20分程。
「あっ!!やべえぇ……後20分しか無いのに此処何処か判らない……」
俺は急いで来たであろう方向に走り始めた。
………
……
…
何時の間にか寝ていたようで時間を確認したら5:00過ぎだった。
帰って直ぐにベットに倒れ込んだため、制服のままだ。
とりあえず、ベットから降りて風呂を入る。光は体を洗いながら昨日の氷川先輩の言葉を思い出していた。
正直、生徒会には入りたくない。
折角、あの組織から抜け出してその権力が及ばないこの学校に入ったのに、生徒会に所属したら何かの拍子に彼奴らに居場所がばれてしまう可能性がある。
でも、あの先輩の事だ。生徒会に所属しなかったら、事ある毎に絡んでくるかもしれない。其れに、追っ手が来たとしても生徒会の後ろ盾があるのは心強い。
光は今後どうするか決めたところで風呂から上がって、登校の準備を始めた。
午前中の授業が終了して、光は生徒会室に行くことにした。
生徒会室は職員室の隣にある。
生徒会室と書かれた扉をノックすると、中からどうぞという声が聞こえた。失礼しますと言いながら扉を開けて中に入る。
生徒会室には生徒会長の氷川先輩以外にも生徒が何人かいた。
「1年A組の影谷光です。」
「良く来てくれたな。」
「あ、彼が昨日言っていたアレを入学翌日に見つけたっていう1年生ですかぁ?
え~?すっごい可愛い~。」
女子生徒が光を見て抱き付いてきた。光はその豊満な胸を押しつけられて赤面しながら戸惑っている。
「そうだ。
まぁ、とりあえず座れ。」
「失礼します。」
女子生徒を落ち着かせて、その場で一礼して近くの席に座った。
光の正面に氷川先輩が座り、その右隣に男子生徒、更にその右隣に女子生徒、その正面に男子生徒、その左隣に女子生徒、その正面に男子生徒の計6人が座る。
暫くすると、生徒会室の扉がノックされてサンライトイエローの髪をハーフアップに纏めて薄群青色の瞳をした女子生徒が入ってきた。氷川先輩が女子生徒に光の左隣に席を勧める。
「それじゃあ、改めまして、俺が生徒会長の氷川凍一だ。
で、隣が……」
「生徒会3年副会長の翠矢貴生だ。よろしく。」
パウダーブルーの髪にフレイムオレンジの瞳で好青年という雰囲気がある翠矢先輩。紺の眼鏡を掛けていて、知的な印象を受けた。
「で、私が生徒会2年副会長の聖翼だよ。よろしくね。」
翠矢先輩の右隣に座ったペールホワイトリリーの髪をセミロングにして、オペラ色の瞳に柔やかな笑顔を見せている聖先輩。見た目からして人懐っこそうだ。
「ぼ、僕は生徒会2年会計の薬師丸義煎です。よ、よろしくお願いします。」
聖先輩の右隣に座った柑子色の髪をボサボサにしていて、マルベリーの瞳の男子生徒が薬師丸先輩だ。自分に自信が無いのか、後輩にすら怯えていて挨拶がタジタジになっている。
「私は生徒会3年書記の音永響歌。よろしく。」
薬師丸先輩の正面に座った弁柄色の髪をハーフアップにまとめて、オフブラックの瞳がミステリアスな雰囲気を放っている音永先輩。聖先輩が美少女なのに対して音永先輩は美女というイメージがある。
「俺は生徒会では無く、部統会統括の大木巨守だ。
偶々、生徒会室に用があってな。よろしく。」
音永先輩の右隣に座っている浅葱鼠色の髪と褐色の瞳を持った屈強な男子生徒が大木先輩だ。壁のように分厚い胸、制服越しでも判るほど発達している筋肉が周囲に威圧感を溢している。
薬師丸先輩が偶に大木先輩を見てはビクビクと震えていた。威圧感を溢しているのは意図的では無いのだろう。薬師丸先輩が可哀想だ。
「1年A組の影谷光です。よろしくお願いします。」
「同じく1年C組の鍛冶佐鋭奈です。先輩方、よろしくお願いします。」
鍛冶佐は光の方に目線を向けて『同じく』を強調した。同級生に対するライバル心によるものだろう。
「うん、2人ともよろしくね。
あ、じゃあ……鍛冶佐さんのことを鋭ちゃん、影谷くんのことを光くんって呼ぶから私のことも翼で良いよ。」
聖先輩改め翼先輩がフレンドリーに人懐っこい笑みを浮かべた。
「え、鋭ちゃん?!ちょっ、それは……」
「判りました。翼先輩。」
鍛冶佐改め鋭ちゃんは恥ずかしいのか赤面して反論しようとしたが、光がそれを遮って受け入れた。
鋭ちゃんが光を睨み付けているが、光は何処吹く風のように平然としている。
「翼、話を進めて良いか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「……君達2人には生徒会に入って欲しい。
役職はそうだな……鍛冶佐が1年書記で、影谷が1年会計で良いだろう。どうだろうか?」
「喜んでお受けいたします。先輩方、至らない点があると思いますが、ご教授ほどよろしくお願いします。」
「俺も謹んで承りたいと思います。微力ではありますが、精一杯会計として務めさせて頂きます。」
2人の了承が得られたところで生徒会役員全員が肩の力を抜いた。3年生が抜けると生徒会役員が2人だけになってしまうから人手不足を懸念したのだろう。
「では、仕事内容は影谷は薬師丸に、鍛冶佐は音永に聞いてくれ。」
「「判りました。薬師丸先輩(音永先輩)、よろしくお願いします。」」
「う、うん……よ、よろしく、影谷くん。」
「ええ、よろしくね、鍛冶佐さん。」
昼休み中に先輩から仕事内容を学んで、何時の間にか午後の授業の開始まで10分となった。
「もうこんな時間だ。残りは放課後に片付けよう。もう教室に戻って構わない。」
氷川先輩と大木先輩以外の生徒会役員は生徒会室を出て、自分達の教室に戻っていった。
「彼は面白いだろ?」
氷川先輩が大木先輩に不気味な笑みを浮かべている。
大木先輩はその笑みを見て背筋が凍るような感覚に陥る。何度見てもその笑みだけは慣れない。
「……そうだな。影谷っていう生徒の動きに隙が全く無かった。
それに比べると鍛冶佐っていう生徒は見劣りするな。仕事の効率は悪くないが、慢心故か隙が多い。自信過剰過ぎるのも減点だな。」
「翼もそれを判ってる。
2人の呼び方に差があるのはそのためだ。
『鋭ちゃん』なんて呼び方は下に見た人にしか翼は呼ばないし、気に入った人は名前で呼ぶからな。
今年は面白くなりそうだ……」
氷川先輩の呟きが生徒会室に不気味に響いた。
「一寸待ちなさいよ。」
光が生徒会室を出て教室に向かう途中で後ろから声をかけられた。
「何の用、鋭ちゃん?」
「なっ!!……ちょっと、その呼び方辞めてくれない?!」
光は振り返って、相手の名前――翼先輩がつけた仇名だが――を呼ぶと、鋭ちゃんは赤面しながら抗議してきた。
「そんなこと言われても、呼び始めたのは翼先輩だし。」
「貴方が呼ばなければ良い話でしょ!!」
「はぁ……そんなことより、何の用なのさ。」
「そんなことって……まぁ良いわ。
貴方、生徒会長に勧誘されたらしいじゃない。その程度で良い気になってるんじゃないわよ。私は貴方より優秀なの。私は完璧じゃないといけない。その事を忘れないで頂戴。」
鋭ちゃんが光を見下すような目で睨む。
対する光は面倒くさそうに溜息を1つ付いた。
「はぁ……どっちが優秀か、誰が優秀かを決めるのは鋭ちゃんでも俺でも氷川先輩でも無い。学校が決めることだ。
生徒会長から勧誘された程度で良い気になるわけないでしょ。
話はそれだけ?だったらもう行くね。」
光は詰まらないと言わんばかりに話を切って教室に戻っていく。
途中で「なっ、また鋭ちゃんって言ったわね!!」と叫ぶ声が聞こえたが、振り返るとこはしなかった。
数週間後……
今日の放課後は図書委員の仕事がある。生徒会の仕事があるならそっちを優先させないといけないが、今日はないため書庫に入り浸ることが出来る。
この数週間、何回か図書委員の仕事をしてきて図書委員の仕事が楽しみになった。書庫にいる時は大抵、休憩室で本を読んでいたりお菓子を食べたりしている。
そして、本好きが集まる図書委員。読んだ本について語り合うようになり、気が合う生徒が出来るようになった。
図書室に入って受付の奥にある重厚な扉を開けて階段を降りる。
書庫の休憩室に入ると既に何人かの生徒が本を読むなり飲物を飲むなりして、寛いでいた。
「あ、光くん。コーヒーと紅茶とお茶、どれが良い?」
光に声をかけたのは、1年図書委員長の天野千風。光の気が合う生徒の1人だ。
「やぁ、千風。じゃあ、紅茶にするから千風が淹れてくれ。」
「光さん、今日は生徒会の仕事は無いんですね。」
今度は千風と同じテーブルを使っている1年図書委員の副委員長告鍬情太郎が光に声をかけた。
オリーブ色の髪と薄浅葱の瞳を持っていて気弱そうな見た目をしているが、それは公衆の面前のみで気を許した人に対しては自分の意見をしっかりと主張できる奴だ。
「ああ、今日はゆっくり出来る貴重な日だ。何時もは、鋭ちゃんが五月蠅いからな。
その分、千風と情太郎が一緒にいるときは静かで落ち着くんだ。」
「その鋭ちゃんって確か1年C組の鍛冶佐さんのことだよね?」
千風が3杯の紅茶を持ってきながら訊いてきた。光達3人は毎回此処で飲物を飲むのだが、光はコーヒー、千風は紅茶、情太郎はお茶を淹れるのが上手なので其れ其れ自分で淹れるのではなくて、得意な物を人数分淹れることになったのだ。
今日は3人とも紅茶の気分らしい。
「同級生としてライバル意識があるんだろうけど、事ある毎に『自分方が優秀だ』だの『私は完璧じゃないといけない』だの言ってくるから落ち着いて仕事が出来なくて。それに無駄にプライドが高いんだよなぁ。
もう少し肩の力を抜けば鋭ちゃん自身も楽になると思うんだけどね。」
「光くんも大変だね。
あ、そう言えば、この間書庫で見つけた本なんだけど……」
この後、光は書庫の本の話で盛り上がったり生徒会の愚痴を打ちまけたりした。途中、図書室の受付から本の貸出要請があったりとちゃんと仕事もしている。
「ねぇ光くん、最近の授業、クラスの何人かが五月蠅いよね。」
「あぁ、授業中に話しててもスマホしていても先生も注意しないからな。」
「進学校だから授業は真面目に受けられると思ったのに……なんか期待外れだなぁ。」
千風が紅茶を飲みながらそんなことを溢す。
「それだけなら、良いんだけどな……」
光の呟きは誰に届くこと無く、虚空に消えていった。
翌日。
始業のチャイムが鳴る10分前くらいに光が教室に入ると既に狭間先生が教室にいた。教師が始業のチャイムよりも前に教室にいることは珍しい。
と言うか、1限目は数学ではないから狭間先生の担当ではないはずだ。
何故、此処にいるのだろうと光は思った。
そして、光の机には1辺30cm位の無地の箱が置いてあり、箱の上面には『教師の指示があるまで開封禁止』と書かれている。
光の机だけでは無い。全員の机の上に同じ物が置いてある。まだ、誰も開封していないようだ。
暫くして、始業のチャイムが教室に鳴り響く。
「皆さん、今日は授業はありません。」
狭間先生の言葉に教室がざわめく。授業が無いことは嬉しいが、何故急に無くなったのか不思議がっている生徒の方が多いらしい。
しかし、次の言葉で教室のざわめきが静寂に塗り替えられた。
「これより、実力試験を開始します。」
狭間先生はニヤリと人を試すような笑みを浮かべた。
to be continued……