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ちょっと長くなってしまいました。
「あれ…王女様?」
訓練場へ向かうには必ず通らなければならない回廊で、夜と朝の境目の時間帯を狙い待ち人が来るのを待っていた。
訓練所の鍵を持っているのは彼だと調べはついている。
仮に別の誰かが通りがかっても遠巻きにされ話しかけては来ないだろうとも分かっていた。
「身体を壊して療養中じゃないのか…?」
そう、私はここ数日間ずっと眠り続けていたらしい。
当事者からすれば意識を失ってから起きるまで些細なものではあったけれど、その間に熱を出しては魘されていたり、突然意識のないまま泣き出したりと大変だったのだとか。
カノンには迷惑をかけてしまった。
感謝と謝罪を示すと恐縮されてしまったけれど…。
とにかく、私はどうやらあの日ー婚約者との初対面時に自己紹介をまともに終える前に意識を失ってしまっていたようなのだ。
確かに、あの時に妙な感覚を味わっている。
恐らくは正式な名乗りを上げたことがきっかけになったのだとは思う。
何故それがきっかけになったのかは分からないけれど、とにかくあれが引き金となり全てを思い出したのだ。
この世界とは全く違うー知らぬはずの場所で生きてきている頃の記憶を。
なんの面白みもないただの社会人だった。
毎日を無難に人の顔色を見ながら過ごす日々。
存在してる価値を見出せないながら自ら命を絶つほどの度胸もない。
そこまで耐えられない日々でもなかった。
つまらないなぁ。
はやく寿命こないかなぁ。
そんなことを考えながらも無難に生きているだけだった。
どのタイミングでどうなったのか、その時の自分の名前もあやふやでよく覚えていないけれど。
この世界にはない高層ビルも高速道路もお気に入りだった装飾店や喫茶店も何もない。
何よりその時は刃物はあったけどそれを人に向けたりなんてしないし、戦争も私の国では程遠かった。
目が覚めた時は混乱して、人と接する余裕がなかったから、暫くはカノンが来る度に気づかれないように寝たふりをしては頭を整理していた。
だから、私はまだカノン以外には目覚めていないことになっている。
今この時も、部屋にカノン以外の者が来てしまうことがあれば大騒ぎになってしまうだろう。
後継者から外されたとは言え、婚約者が決まった大事な政略道具だものね。
騒ぎになればカノン含めて世話をしていた侍女たちが危険な目にあう。
そう、分かっていてもロダンに会っておかねばならなかった。
何故なら、私はー。
「私は強くならなければならないのよ!!」
「…は?……はあ。」
呆気にとられたロダンに力強く拳を掲げ以前あった時よりも楽に合わせられるようになったそれを強く睨め付ける。
「知っていて?私には婚約者ができたのよ」
「あー、まあ。そこらで噂になってるな。それが何か?」
ロダンはきっと他のものよりずっと早めに出てきているのだろうが、それでも辺りを気にするようにそわそわと落ち着きない動きを見せる。
「相手は魔法に傾倒したまさに我が国とは水と油の如き正反対の国の王子よ。」
「え、と…王女様、これ長くなる?」
話を終わらせたいと言葉にしないながらも、顔に思いっきり現れている。
私はあえてそれを無視する。
「絶対裏があるのよ、分かってるわ。でもね?」
「…手短に、手短にしてくれぇ」
「凄かったのよ」
「…はあ、何が?」
「とんっでもない絶世の美女、いや美少年だったのよ!!」
「……………」
噂でその姿は妖精のように儚く美しいとは聞いていたし、確かに初対面時にも噂通りの美少年だと思った。
だが、前世の記憶が戻った交じり物の私からするとその程度では収まらなかった。
まるで海外の超有名男優が如く美貌の持ち主を前に正気でなんて居られるだろうか?
否!!
前世の私含む周囲の人間とは格が違いすぎたのだ。
あんなのが婚約者だなんてとんでもないわ、とんでもないのよ。
次に会う時まともに目も合わせられないかもしれない。
なのに、どうやら私が意識のないう内から定期的に遠路はるばる遠い国から度々見舞いに訪れていたようなのだ。
訪れる頻度や次に来そうな日をカノンに聞いてみたが曖昧に流されて終わってしまった。
何日毎にくるではなく、気紛れに訪れているのかもしれない。
適当に見舞い品を送るだけでも良さそうなものなのに、わざわざ何回も来るなんて何を考えてるのかしら。
いえ、そんなことはとりあえず良いのよ、とりあえず今はー。
「雑念を払いたいのよ、またいつ来るか分からないと思うとおちおち大人しく寝てもいられないわ。分かる?」
「…つまり?」
「預けた剣を返しなさいと言っているのよ。」
「いや、いやいやいやいや!!ちょ、まて、落ち着け?な?冷静になろうぜ王女様。」
私は落ち着いているわ。
すこぶる落ち着いているわ。
だからこそ雑念を払おう!という手段にたどり着いたのよ。
落ち着いてなければただジタバタと無駄にもがくだけで終わりでしょう?
「剣を振るうのよ、無心に振るうのよ。素振りを一日中振るえば妙な気を起こさずに済むはずだわ。」
「…あんたそんな性格だったか?何か…うちの騎士団連中と似てきてるな…完璧な淑女教育ってなんだ?」
暫く来なかった間に何があったんだ?と不思議そうに、でもどこか面白そうにしているロダンを気にすることなく早く渡せと掌を差し出す。
それに対し肩をすくめる仕草は了承したと受け取るわよ。
「悪いが王女様からの大事な預かりものなんて持ち歩いてないんだ。今日は諦めてくれ。」
「後で届けに来なさい。今日中よ。」
後日なんて冗談じゃないわ!と歯をむき出して詰め寄る。
「いや、無茶言うなって。俺が王女様と関わりがあるって思われるのもまずい…以前と状況が違う…以前でも訓練場のみの接触で限界だったろうしな」
「ならどうしたら良いと言うの?!私のこの消化しきれないモヤモヤをどうやって晴らせば……」
その時、俄かにざわめきが聞こえた。
どうやら他の騎士団が数人合流しながらこちらへ向かってきているようだ。
まだ声がかすかに聞こえるくらいで視認はできない距離だが時間切れかと唇をわずかに噛む。
「あー、ったく……世話の焼ける………」
ロダンは髪をガシガシとかきながら懐に手を忍ばせる。
「貸してやる…頼むから失くさないでくれよ」
掌に押し付けるようにした何かを確認する前に近くの藪に無理やり押し込まれた。
「藪の向こう側に出たら道なりに進めばわかる道に出る」
返事をしようとして騎士団がロダンに気づき声かけていた。
何も言わずにそのまま出来るだけ静かに言われた道を辿ると私がいつも出入りしていた扉が見えた。
「やだ、ここを通ると随分近いじゃない…以前知っていれば楽だったのにね」
まだ暗いとはいえ、もたもたとしていたら知られたくない人たちの活動時間になってしまう。
周囲を警戒しながら自室の方へと歩を進めた。
自室前には護衛がいるから、気づかれない範囲まで近付いたらその目線の動きに注視する。
仕事に真面目な護衛らしく短い間隔で左右を確認しているためそう待たずに反対を向いてくれる。
その瞬間に隣室に侵入してバルコニーへ移動。
ロダンに言われた鍛錬を毎日欠かさず行っていた事が功を奏してこのくらいは簡単ね。
無事に自室のバルコニーへたどり着けたが、ここでも周囲を警戒してそっと室内を覗き込む。
室内は暗く見えずらいがカノンも他の侍女たちもいなさそうだ。
静かに扉を開けてベッドに潜り込む。
そこで漸く気を緩められたと思ったら眠気に襲われた。
寝れる時は寝て、起きた時にモヤモヤを晴らそう。
ロダンから預かった物も確認してないけど後で見よう。
とりあえずは枕の下に忍ばせて、そうして呼吸を深くしていけばすぐに意識が遠のいていった。
王子は次には出てくるはず……はず……