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第5話

 社屋に面した大通り沿いの桜並木が、風に花びらを舞い上がらせた入社式の日。

 僕は二歳年下の新入社員、一ノ宮 結花ゆうかと出会い、彼女に不思議な縁を感じた。それは自分だけの一方的な感覚だったのかもしれないけれど、あの時、確かに彼女もこちらを振り向いて驚いたような顔をしていたんだ。


 初対面のはずの彼女にもっと近付きたい。お互いのことを深く知り合いたい。

 出会ってからずっと、そんな風に強く思っていることを彼女が知ったら引くだろうか。


 僕のこの感情に名前を付けるとしたら、一般的に言って恐らく“一目惚れ”というものなんだろう。彼女の人となりも知らず、頭の隅では“こんなことはあり得ない”と思いつつ、彼女をひと目見た時から確かな好意を持っている。


 学生時代に付き合ってきた女の子とは長く続いたこともなかったから、自分は恋愛に向いていないのだと思っていた。

 だからこの会社に入社してからというもの、ある意味勉強以外のことに煩わされやすい学生と違って、仕事に打ち込んでさえいれば恋愛とは無縁でいられることに安堵していた。

 なのに入社三年めにして突然ひとりの女性に恋焦がれ、どうしたら自分の気持ちを彼女にわかって貰えるだろうかと、そんなことばかり考える自分自身が、実は一番信じられない。


 隣の部署から聞こえてくる、よく通る明るい声、とても元気な気持ちの良い返事、仕事の覚えが早く、テキパキとした働きぶり。そんな彼女を僕でなくとも、きっと色々な男が好ましく思い、既に狙っているに違いない。

 かといっていきなり想いをぶつけることは、彼女を怯えさせてしまうだろう。それだけは避けたい。けれど、せめて何か取っ掛かりはないものか。

 

 どうしたら近付ける?

 いきなり食事に誘うのは尚早か。




 六月のある日の昼休み。

 “総務部二課の一ノ宮さん”が可愛いと社内で噂が立つようになり、僕がそろそろ焦りを感じ始めていた頃、偶然二人きりになれる機会が訪れた。

 正午、皆が社員食堂に急ぐ中、オフィスで居残って仕事をしていた僕は同僚に置いてきぼりにされていた。

 それから間も無く仕事が片付き、同僚が席を取っていてくれるだろう社員食堂に向かおうとして、彼女がひとりでデスクに残っているのに気が付いた。



「あれ、一ノ宮さん、お昼は?一人?」

「え、私ですか?お弁当です。いつもは一緒に食べてる子がいるんですけど、その子、今日お休みしてて」



 勇気を出して彼女のデスクに出向き、出来る限りさりげなく話しかけたけれど、意外な返事に外へ連れ出す口実を早々に失ったことに気付いて混乱してしまう。


 そうか、弁当派だから外食はもちろん、社食も利用していなかったのか。だから食堂で見かけたことがないんだ。

 いや待てよ。僕も残業用に買っておいたパンがある。それなら屋上はどうかな。

 

 気は焦るけれど何とか誘いに乗って欲しい、と願いながら早口にならないように、あくまでもさり気なく。



「そうなんだ。なら僕もパンを持ってきてるし、天気もいいから屋上で一緒にどう? 部署は違うけど、こんな機会もなかなかないと思うし、折角だからさ」

「そうですね。じゃあ、途中の自販機で飲み物を買って行きましょう」



 素直な返事と人懐こい笑顔に、ホッとすると同時に胸が苦しくなるほど鼓動が高鳴る。眩しくて、思わず見惚れてしまう。


 気のせいなんかじゃない、やっぱり好きだ。


 二人でお茶を買い、屋上に着くまで他愛ない世間話をした。笑顔を絶やさない彼女から目を離したくなくて、あえて並んで階段を上がった。



 僕が重い防火扉を開けると、そこにはまさに“五月晴れ”の空が広がっていて、心地良い風がほんの少しだけ吹いていた。こんな贅沢な場所だというのに、そこには人の気配はない。


 「ふたり占めですね」なんて僕の考えていたことと全く同じことを口にするから、言葉が咄嗟に継げなくなる。

 ぎこちない笑顔を返すことしか出来ない僕は、まるで中学生のようだ。話したいことは山ほどあるというのに、面と向かうと気の利いたことすら言えない。それどころか……。



「きみは、誰に誘われてもこんな風に付いてくるの?」

「…………いいえ。藤本さんだから、でしょうか」



 僕の失礼な物言いに、小首を傾げながら真っ直ぐな視線で答える彼女。

 僕が敷いたハンカチの上に遠慮がちに座る彼女に、思わずうっかり出た言葉だったけれど、気を悪くしてはいないだろうか。



「ごめん。きみをバカにしたつもりじゃなかったんだ。ただ、あまりにも簡単に付いてきてくれたからびっくりして………」



 謝りながらも更に失言を重ねる僕を見上げて、彼女が小さく笑っている。



「そうですね。………でも私、ずっとこんな風に藤本さんとお話したいと思っていたので。藤本さんが私のこと、いつも何か言いたげな目で見ていたような気がしていて。………“よく目が合うな”って。あの、ごめんなさい、私の自惚れです………」

「いや、見てたのは確かだよ。ごめん、こんなよく知りもしない男の視線、気持ち悪かったでしょ。本当にごめん、もう止めるから」



 僕はそんなに彼女を見ていただろうか。

 まさか、無意識の時にも?それじゃただのストーカーじゃないか。



「気持ち悪かったら“お話したい”なんて思わないですよ。大丈夫です。でも、あの、仕事中はちょっと私も気になるっていうか………。うわ、私、何言ってるんだろう。あのっ、仕事中じゃなければいいってことでもなくて………」



 顔を赤らめて慌てる彼女が可愛い。

 そうか、とりあえず気持ち悪いと思われていなくてよかった。でも彼女が気付くくらいだ、同僚にも僕が彼女ばかり見ていること、知られているかもしれない。今後はやっぱりなるべく見ない方がいいだろうな。それは、少し寂しいことだけれど。



「藤本さんは、………どうして私を見ているんですか?……あの、直球でごめんなさい」



 言ったあと赤い頰のまま俯く彼女が可愛くて、つい返事が遅くなる。



「ーーーそうだなぁ。こんな話、信じて欲しいなんて言っても難しいかもしれないけど………」



 僕は、最近よく見る夢の話をした。


 夢の終わりはいつも離れ離れになってしまう、言葉を交わしたこともない、彼女によく似た綺麗なひと。そのひとの名前を呼び続けているはずなのに、けして彼女に届かないこと、目覚めると名前も何も思い出せず、涙がこめかみに伝っている朝もあること。


 そして、同じ夢をもう何度も繰り返し見ていること。

 正直に、でも上手く言えなくて何度もつかえながら。



「………もしもそれが前世の記憶だと仮定するならば、僕たちはきっと前世で離ればなれになっていた恋人同士だったんだろう。 だから僕は現世ではきっと彼女を、“彼女の生まれ変わり”を見つけて一緒に幸せになろう、って決めたんだ。そしてきみはその彼女によく似ている。………笑ってもいいよ。だってこんなの非現実的だし、可笑しいだろ?」

「………笑いません」



 僕を見つめる潤んだ瞳に、胸が詰まって目を逸らせない。



「………どうして。笑い飛ばしてもいいんだよ?“夢に見る彼女に似てる”なんて言われたら、それこそ気持ち悪いだろ?」

「気持ち悪くはないですけど……。 あの、でも私はそういう話をする藤本さんがちょっと心配です。だって例えば“私もよく似た夢を見ているんです〜”って言ったらすぐに信じてしまうんですか?………あなたを騙して近付こうとしているかもしれなくても?」

「……は?」

「藤本さんはとても人気のある方ですし、少しは警戒した方がいいと思います。 よく知りもしない後輩に、そんな話をして大丈夫ですか?“私、あなたの前世の恋人でした”って、つけ込んじゃいますよ?」



 顔はほのかに笑っているけれど、まるで責めるような、説教をしているような口調。

 ていうか僕は彼女にだったらつけ込まれても構わないのに。


 いや、それより僕が“人気がある”?まさか。



「ちょっと待って。僕が人気があるなんて気のせいじゃないかな。僕は会社では仕事ばかりのつまらない人間だよ。特に人に優しい方でもないし、付き合いも悪い。………一体誰がそんなこと」

「え。藤本さんと、あと、いつも一緒にいらっしゃる槙田さんは新人の中でもツートップなんですけど。“眼鏡でクールな感じの藤本さん”と“目元が凛々しくて物腰の柔らかい槙田さん”。話題に上らない日はないですよ」



 それこそ初耳だ。同期で大学時代からの友人である槙田なら元々モテていたし納得できるけれど。



「自覚ないんですね。そんなところが………」

「ん?何?」

「………いえ」



 綻んだ笑顔で言いかけた言葉を飲み込んだような気がしたけれど、俯いてしまった彼女にそれ以上踏み込むことはできなかった。



「ふたりでいるところを誰かに見られたら大変ですよ。早めに食べて下に行きましょう」



 急に硬い声になった彼女に戸惑ってしまう。誰も見たりしない、ここは今はふたりだけの場所だというのに。

 けれど気の利いた言葉がひとつも出ない僕は、黙々と食べる彼女を横目に、もどかしい気持ちと一緒にパンをお茶で流し込んだ。



 その翌日から、会社に弁当を持参することにした。入社と同時に一人暮らしを始めた僕は、自慢じゃないけれど元々料理が好きだったこともあって自炊は苦にならない。まぁ、前の晩のおかずの残りものを詰めただけの簡単な弁当だから、やろうと思えば誰にでも出来ることだと思う。


 またふたりで昼休みを過ごしたい、もっと話したい。僕のたわ言なんて聞き流せばいいのにあんな風に、“よく知りもしない”男に真面目に応えてくれた彼女のことを、もっとわかりたい。

 ただその一心で僕はひとり、毎日屋上で来るはずのない彼女を待ちながら弁当を食べた。

 日に日に陽気は暑くなってきていたけれど、いつか彼女がここに来るような気がして。


 夢のことなんて、もうどうでもよかった。ただ一緒に同じ景色を見て「空が夏の色になってきたね」とか「雨の近い匂いがするね」とか、そんな他愛ないことで笑い合えるようになれたらいいな、なんて思っていたんだ。


 最近の社内での自分の噂話は槙田から聞いていた。僕が昼休みになるとふらりと消え、社員食堂に現れなくなったことで、どうやら外食派になったと言われているらしい。

 それと同じ頃から何故か度々女の子にランチを誘われるようになり、この頃ちょっと対応に苦慮している。


 しかもそんな時に限って彼女と目が合ってしまい、すぐにふと逸らされてしまう。そうして彼女が、偶然同じ部署に配属された元々友人だったらしい女の子と笑い合いながらデスクでお弁当を広げるのを横目に見ては、ランチの誘いを断りつつ屋上に逃げるのが僕の日常となっていった。




 そうして六月も半ばを過ぎる頃のある日。

 また仲の良い同期の子が欠勤したらしい彼女が、ぽつんとデスクに弁当箱を置き、小さくため息をついているのを見かけた。

 けれど、この間から目を逸らされてばかりの僕はそれでかなり凹んでいたから、彼女を誘うのを早々に諦め、いつものようにひとりで屋上に向かった。


 梅雨前線も、もう間もなくやってくるだろうと毎日ニュースで聞く空は、どんよりと曇って、まるで僕の心のようだ。

 彼女は今日もここには来ないのだろう、とコンクリートに座って自分の弁当を広げたその時。

 

 息を切らした彼女が、防火扉を小さな体で押すようにして屋上に現れた。


 半分泣き笑いのような表情で、こちらを見下ろす。



「私の話を、聞いて下さいますか?」



 その震える声に、僕は小さく息を飲んだ。


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